5.二人の繋がり
(ジャスティン兄様は親切で紳士的で、なにより醜聞で傷ついた女性の心理を知っている。カサンドラが望まないことは絶対にしないはず)
二人の姿が扉の向こうに消え、ミネルバは安堵の息を漏らした。宮殿の医療スタッフは優秀だし、少なくともカサンドラについては心配しなくても済む。
「あら、いけない!」
デメトラが大げさに体を震わせた。ダベンポート侯爵に癇癪を起させて、人々の注意を引き付けてくれていたが、うまく事を収める方向に舵を切ったらしい。
「ラスティ、私たちにあらゆる人々の関心が集まっているわ。こうして毒づけるのも元気だからこそとはいえ、急いで理性を取り戻さないと」
「お、おお」
激高していたダベンポート侯爵がはっとして周囲を見回し、気まずそうな顔になる。この舞踏会の主役がルーファスとミネルバであることを思い出したらしい。
「いかんな、つい冷静さを失ってしまった。デメトラが相手だといつもこうだ」
ダベンポート侯爵は困ったような表情を浮かべ、何度か頭を振った。個人的な感情を頭から追い払おうとするかのように。
「まったくお前ときたら、昔から型にはまらない女だった。会うと理性的に振る舞えなくなるから避けていたのに、そっちから近づいてこられたらどうしようもない」
「まあまあ。ルーファス殿下とミネルバ様を祝うために集まった皆さんを、これ以上老人の喧嘩に巻き込むわけにはいかないわ。さあ、謝罪すべき人たちにきちんと謝罪しましょ。皆様、お騒がせして申し訳ありません」
なだめるような笑みを侯爵に向けたあと、デメトラは居並ぶ人々に向かってお辞儀をした。その動作の優雅さに周囲の視線が和らぐ。ダベンポート侯爵も紳士らしく「申し訳ない」と謝った。
ようやく近くまで来たロスリー辺境伯も急いで頭を下げ、参加者たちに妻の非礼を詫びている。
「ルーファス殿下、ミネルバ様。大変申し訳ございません」
デメトラが夫と侯爵を引き連れて歩いてきた。三人とも申し訳なさそうな表情だが、デメトラのそれはもちろん演技だ。
彼女と侯爵を罰するかどうかは、舞踏会の主役である自分たちにかかっている。皇族の前で愚かなふるまいをしたのだから、即刻立ち去るように命じられても仕方ない──とはいえ侯爵は、巻き込まれただけの被害者でもある。そんな最悪のシナリオは、デメトラだって考えてはいないだろう。
「私がラスティを怒らせたりしなければ、こんなことには……」
デメトラがハンカチを目に押し当て、か弱く儚げな老人を演じる。ミネルバは微笑んでかぶりを振った。
「どうぞお気になさらないでください。お二人が旧交を温めていらしただけなのは、ちゃんとわかっていますから」
ルーファスが「ああ」とうなずく。
「ロスリー辺境伯夫人は、滅多に領地から出てこないからな。懐かしさのあまり、話に熱が入ってしまったんだろう」
「え、ええ、そうなんです。懐かしさに、つい我を忘れてしまって」
ルーファスの寛大な言葉に、ダベンポート侯爵の表情が悲観から安堵に変わった。
「熱が入るといえば、ダベンポート侯爵はお若いころ、競技ダンスに情熱を燃やしていらっしゃったとか。世界大会での優勝経験もおありなんでしょう?」
ミネルバが言うと、侯爵は心底驚いたような顔になった。これは貴族名鑑にも載っていない情報なので、ミネルバが知っているとは思いもしなかったのだろう。
「よくご存じで。四十年近く昔のことですが、いまでも私に踏めないステップはありませんよ」
「あらラスティ、それなら久しぶりに踊りましょうよ」
侯爵が胸を張ると、すかさずデメトラが言った。必ずプラスになると思って出した話題だったが、正解だったようだ。
「ううむ、お前とか。また話しに熱が入らないか、いささか不安ではあるが……まあよかろう。ロスリー辺境伯、奥方をお借りするぞ」
「どうぞどうぞ。互いに誤解したままよりは、よほどいい。心から嬉しく思いますよ」
ロスリー辺境伯はにこにこしている。ダベンポート侯爵が咳ばらいをして手を差し出した。デメトラがその手を取る。
「ミネルバ、私たちも踊ろう」
「ええ!」
ルーファスに手を取られて、ミネルバは大広間の中央に躍り出た。優雅な身のこなしでステップを踏みながら、特殊能力を高めてルーファスと共鳴状態に入る。
<デメトラ様のおかげで、ジャスティン兄様とカサンドラが出ていったことに気づいた人は少なかったみたいね>
<そうだな。しかし中傷や当てこすり程度は、カサンドラも覚悟していたはずだ。父親が無実だと信じているからこそ、不屈の精神で舞踏会に挑んだのだろう。とはいえ私は彼女のことを、それほど知っているわけではないが>
<親しく口をきいたことは、ほとんどなかったの?>
<立場上、礼儀正しい会話をすることならあったが。プライベートで話したことはなかったな。第一カサンドラは、しきりに私の注意を引こうとするタイプではなかったし>
ミネルバは千里眼の能力を持ち合わせている。そして一カ月ほど前に、他人の魂と共鳴する特別な力があることが判明した。
ロアンによれば、ミネルバには『透視力』『透聴力』『透感力』『透知力』の四つの力があるらしい。
まだまだ発展途上ではあるが、ルーファスとだけは簡単に心を繋ぐことができるようになった。体の一部が触れ合ってさえいれば、ほとんど体力を消耗せずに心の会話ができる。
<メイザー公爵とクレンツ王国は、繋がりがあると思う?>
<現時点ではあると言わざるを得ないな。ロバートが残していた記録をたどれば、そうとわかるようになっていたんだ。しかし急いで結論に飛びつくつもりはないよ。一般的な調査が終わり次第、特殊能力を使った調査に入る>
<私の千里眼が役に立ちそうなら言ってね。喜んで協力するわ>
<いざというときには、もちろん頼むよ。せっかく私たち二人で、遠くまで安全に飛ぶ方法を確立したんだし>
心で会話をしながらも、ルーファスとミネルバは情熱的なワルツを踊り続けていた。デメトラとダベンポート侯爵も、楽しそうにステップを踏んでいる。
<ロスリー辺境伯夫人は大した女優だな>
<本当に、すごい能力の持ち主ね。まあ、いくらオーラの相性がよくても、上手くいくかいかないかは当人次第だけど……>
フロアを軽やかに滑りながら、ミネルバはジャスティンのことを考えた。
彼は堅実で信頼できて、女性に対して思いやりがある。いつか必ずよいパートナーに出会えるはず。
その相手がもしカサンドラなら──安心感の塊のようなジャスティンこそ、傷ついた彼女の心がまさに必要としているものだと思えた。