4.求婚とトラウマ
ガーデンテーブルでの会話は大いに弾んだ。
母が丹精込めて育てた花の出来栄え、父が大切にしている繁殖牝馬、ジャスティンがアシュラン王国いちの剣士であること、マーカスの拳闘の腕前、コリンが執筆した政治社会学の論文について。
ルーファスはそれらを大いに褒めて、バートネット公爵家の人々を喜ばせた。
ミネルバはティーカップ越しにルーファスを観察しながら、さすがの情報収集力に舌を巻いていた。
(お父様はルーファス様からの求婚を期待しているようだけれど、それはあまりに馬鹿げた考え。このまま何事もなく終わるに違いないわ)
穏やかな風がミネルバの銀の巻き毛を揺らした。母自慢の花の香りが漂ってくる。心地よい感覚を味わいながら、ミネルバは右隣に座るルーファスを見つめた。
(ルーファス様は強い競走馬をお持ちなのね。噂では女嫌いで、女性よりも馬と一緒にいる時間のほうが長いとか……さっきの態度からは、女性が苦手なようにはまったく思えなかったけれど……)
父とルーファスは競走馬談議で盛り上がっていた。
父自慢の繁殖牝馬と、ルーファスの持つ優れた牡馬を交配させれば、優秀な競走馬が生まれるに違いないなどと話が膨らんでいく。
(この話題が終わったら、贈り物へのお礼をきちんと述べなくては。それでお開きにして、ルーファス様と従者の方々はお部屋で休んで頂いて……使用人たちが晩餐の準備を万事整えているだろうから、終わったら彼らをねぎらって……)
晩餐会が終われば、母とミネルバは解放される。男性陣はブランデーを楽しみながらカードゲームやビリヤードを楽しむはずだ。
両親はルーファスに宿泊を勧めたらしいが、彼は王宮にある『宗主国専用の離宮』に行くつもりらしい。
「それにしてもご息女はすばらしい。きわめて有能で魅力的な女性です」
ルーファスの口から、ついにミネルバの話題が出た。
彼の右隣に座る父に目をやると、愛しい娘を賞賛されてこの上なく嬉しそうな顔をしている。
「そ、そうでございましょう。我が娘ミネルバは、幼いころから最高の教育を受けてきておりますから」
父の言葉にルーファスがうなずいた。
「すばらしい知性と意志の強さをお持ちだ。それに、彼女には臆するところがない。何事にも動じない精神力は、上に立つ者に不可欠な資質です。公の場で感情的になるのは愚かなことですからね」
ミネルバは頬がほてるのを感じた。あのお茶会で、自分がルーファスを庇った瞬間のことを言っているのだろう。
「私とご息女が初めて出会った、あの実にくだらない茶会の日。美しく勇敢なご息女の姿に、私は虜になってしまいました」
話の雲行きが怪しくなってきた。ミネルバは警戒するようなまなざしでルーファスを見た。
ルーファスが行動を起こしたのはそのときだ。
彼は父からミネルバに視線を移し、おもむろにミネルバの手を取った。繊細なレースの手袋に包まれた指先を、絶妙な力加減で握りしめてくる。
「ミネルバとの出会いは思いがけない幸運だった。あの愚か者たちの集団の中にあって、たったひとりで私を庇った姿に惹かれたと言ったら、信じてもらえるだろうか?」
ルーファスの言葉が耳から入り込み、不吉な黒雲のようにミネルバの体の隅々まで広がっていく。
「ミネルバ、あなたが私の妻になってくれたら光栄だ。ミネルバこそ私が求める人なんだ」
両親と兄たちの口から、囁きのような歓声が漏れた。誰もが満面の笑顔で、母に至ってはレースのハンカチを顔に当てて泣いている。
ミネルバは胃がぎゅっとねじれた気がした。
「トレヴィシック公爵様……熱があるようにお感じになりませんか?」
「だからルーファスと呼んでほしいとあれほど……まあ、いいだろう。ミネルバ、私は熱などまったく出ていないが?」
「失礼いたしました。てっきりお医者様が必要な状態なのかと思いまして」
ミネルバはルーファスの黒い瞳を見据えた。それは誠実そうで、思いやり深そうで──この人ならば信じられる、安心できるとさえ思えた。
(ジェフリーもうわべは誠実そうに見えた。セリカと出会う前のフィルバートだって。あの男たちとルーファス様を同列に扱ってはいけないことなど、ちゃんとわかっている。でも、あの残酷な裏切り、心を打ち砕く毒々しい言葉の数々……まだ痛みは消えていない)
ルーファスが極悪非道な行為をするとは思えない、思いたくないという気持ちはある。
しかしルーファスがミネルバを娶って得をすることなどない。裏があると思うほうが当り前ではないか。彼が後になって「騙されるほうが悪い」とせせら笑わないという保証がどこにある?
「それでしたら、申し訳ございませんが」
ミネルバは淡々とした口調で言った。慎重に言葉を選ぶほど、冷たく高圧的な態度になってしまうのはミネルバの癖だ。
「妻になってほしいとおっしゃられても、私には信じられません。本当の気持ちを明かしていないように思われてならないのです」
「ミネルバ、なんてことを言うんだ!?」
父がぎょっとする。母も兄たちもまったく同じ反応をした。ミネルバは冷静に言葉を続ける。
「皇弟殿下であるあなた様の花嫁は政治的な観点から選ぶものであり、結婚する理由は愛以外のものでなければなりません。政略という意味で私はまったく不適切です。本来のあなたは、私などに求婚してはならない。もしも邪悪な意図がおありなら、先に真相をおっしゃってくださいませんか」
ルーファスが目を瞬いた。
「なるほど、根が深いな……予想はしていたが、ここまでとは……」
小声でつぶやくルーファスの声が若干傷ついているように聞こえたのは、きっと気のせいに違いない。
ルーファスはミネルバの手を放すと椅子の背もたれに寄りかかり、指先でこめかみを揉み解した。




