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5.ルーファスの怒り

 ルーファスは身をかがめ、ミネルバの手を取った。


「気分はどうだ?」


「上々……とは言えないけれど、かなり楽になったわ。たっぷり寝たのと、エヴァンの滋養強壮剤のおかげよ」


 握り締められた手が熱くなる。ルーファスの指先が手首に移動した。どうやら脈拍を測っているらしい。


「本当は、看護要員としてずっと側についていたかった。しかしジェムから、深い眠りに落ちているだけだと聞いて……」


 ルーファスの黒い瞳が、ミネルバをじっと見つめてくる。


「医学的な見地からしても、私自身の体調からしても、深刻なものではなかったわ。ただ、ひどく疲れていただけ。私のことで大騒ぎさせて、心配させてしまってごめんなさい」


 ミネルバは微笑んで見せた。いつもだったら、つられたように笑みを返してくれるルーファスなのに、その眉間にはしわが刻まれている。目には傷ついたような光があった。


「眠っているだけだとわかっていても……怖かったよ。もし目を覚まさなかったらと思うと、凍えそうなくらい寒気がした」


 大げさよ、とミネルバは明るく笑おうとした。しかし考え直して、慎重に言葉を選ぶことにした。ルーファスの顔を見るに、穏やかならぬ感情に心を乱されていることは間違いなさそうだったから。

 言葉が見つからずにミネルバが焦っていると、後ろに立っているマーカスがソフィーに身を寄せて囁いた。


「見舞い客は退散した方がよさそうだ。ミネルバの元気な顔が見れたら、それだけで十分なんだから。ルーファス殿下もミネルバも、できたら二人きりで話したいだろうし」


「ああ、はい、そうですわね。あとのことは殿下におまかせして……」


 ロアンやテイラー夫人、そして翡翠殿の使用人たちは決断が速かった。

 主であるルーファス自らがミネルバの世話を焼くというのなら、自分たちがうろうろしては邪魔になるとわかっているのだ。彼らはベッドに向かって一礼して、次々に部屋を出ていった。

 ジャスティンやコリン、それから両親はミネルバの回復を喜ぶ言葉を口にしてから姿を消した。

 最後に残ったマーカスとソフィーの目が合う。彼らは同時にうなずいた。何となく雰囲気がいい。息が合っている、という表現がぴったりだ。


「私たちは隣の部屋に待機しています。何か問題が起きたら、ジェムさんもエヴァンさんもすぐに駆けつけますから」


「それじゃあ殿下、妹をよろしくお願いします。ミネルバ、体は回復したようだから、次は『心』を休めろよ!」


 つまりルーファスとしっかり話し合えと言うことだ。ミネルバはごくりと息をのんだ。

 マーカスとソフィーが踵を返し、ドアが閉まる音がする。彼らの後ろ姿を見ることはできなかった。ルーファスがミネルバの頬に指をあてがい、自分の方を向かせたからだ。


「ミネルバの身を守るのは私の義務だ」


 ルーファスの声は不気味なほど低く静かだった。


「メイザー、キャメロン、モーラン……公爵の娘たちは不謹慎な言動をした。その父親は、私の本物の怒りがどんなものか知ることになるだろう」


「ルーファス……」


 ミネルバは身震いをした。ルーファスの手は温かいのに、声も瞳もぞっとするほど冷たい。

 彼はこれまで、ミネルバの身を守ることに過剰なまでに気を配ってきた。安全策をいくつも講じてくれた。

 ミネルバに必要なものを与えることが、自らの務めだとひたすら心を砕いてくれて──その結果、ミネルバはソフィーを女官として迎え入れることができた。


「公爵令嬢たちに、愚行は絶対に繰り返させない。父親を通して忠告をした後で、さらなる迷惑行為に及ぶようなら……」


 ミネルバはぶるっと身を震わせた。どうやらルーファスの怒りは頂点に達しているようだ。

 その怒りは彼にとって、かつて経験したことのない激しさなのだろう。ミネルバは婚約者として恋人として、ルーファスと気持ちが通じ合っているのだから、それくらいのことはわかる。

 ルーファスから無慈悲さを感じるのは、セリカ主催のお茶会以来だった。ほんの数か月前のことなのに、随分と昔のことに思える。


(私はルーファスの心の中の、特別な場所にいる。だからこそ考えなければ。ルーファスが怒りにまかせて権力を振り回したら、どんな結果を生むか……)


「ルーファス……。カサンドラたちが私を侮辱したことは事実で、やり方が汚かったことも確かよ。でも、私はまだ『実際に』彼女たちと会っていないの。パレードのとき、遠目で見ただけよ。その状況で公爵たちを責め立てたら、あなたが憎まれることは避けられないわ」


「私のことはどうでもいい。それに、ソフィーは女官だ。主である君に誓いを立てた身で、知り得たことはすべて伝える義務がある」


「わかってる。わかってるんだけど……ソフィーを矢面に立たせるのは嫌なの。公爵たちは反論の余地を探すでしょう。私の名誉とソフィーの安全なら、私はいつでもソフィーを選ぶわ」


 ミネルバはルーファスの強張った顔に手を伸ばした。愛情のこもった仕草で、優しく彼の頬を撫でる。

 千里眼で見聞きした、などという理由で公爵たちを責め立てるわけにはいかない。ルーファスが断固とした行動を取ろうとすれば──公爵たちのギルガレン辺境伯への不快感を、よけいに煽ることになってしまう。

 ルーファスはしばらく何も言わなかった。あまりにも長く黙ったままなので心配になったころ、彼は小さな呻き声を漏らした。

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