なぜか本文より長い後書き、あるいは酒の話(鬼滅の刃ネタバレあり)
シンデレラはさまざまな方向から読み解くことができる話です。
底辺に追いやられていた主人公の立身出世(成り上がり)ものという読み方もできますし、「サンドリヨン」だと復讐譚(「ざまあ」もの)だとも読めるでしょう。「灰かぶり」だと母の木や鳩などの超自然な力との繋がりがより出てくるともいえます。
シンデレラには物語の生まれた背景がいくつかあります。そのうちもっとも多く知られているのが100年戦争などで保護者を失った子が多く出たということではないでしょうか。ただ、ここで注意するべきは、現在と当時の、子どもに対する価値の違いです。中世の(特に貴族階級の)女性は、「母性というものを求められない(ついでにいうと、至高の愛情とは男性同士の友愛)存在でした。子を想う母親の「情愛」なるものが動物の本能と同じだ、みっともないと貶められていたのです。ルソーが『エーミール』を著すことにもなった背景だそうですが(注意1)。
シンデレラの時代は中産階級の台頭に繋がった時代でもあります。それがよくわかるのが「シンデレラの時計」(注意2)です。何時までとシンデレラに定められた「幸福」の期限……。
何年か前に事故に遭い、リハビリのために入院をしていたのですが、このとき、私はシンデレラの気分を味わいました。いえ、味わったのは、この「締め切りの定め」という気分だけですが。
リハビリには、助成を受けられる期限というのがあります。公的な補助の対象である限り、「快復」(注意3)が望める可能性が高い時期で区切る必要があるので、もっともなことではありますが。
時間がきたら「魔法」(あるいは「希望」)は潰えるのです。ということで、今回の改作「シンデレラ」の絵の一枚は、夢のあるいは希望の「終わり」でした。
さて、物語の絵の二枚目です。招かれた舞踏会でアイラが勧められた飲み物は何でしょうか。
新約聖書では最後の晩餐のときに、「これは私の血である」とキリストが杯を掲げたというエピソードがあります。ここから「ワイン」(のようなもの)を血に見立てて口にする、聖体拝領という秘蹟が生まれました。
単純に飲み物については以下のように推測することもできるでしょう。招かれたのは舞踏会……ではなく葡萄界で、呼ばれたのは、上流……ではなく蒸留階級であると。
ただし、ウイスキーの原材料はトウモロコシや大麦などの穀物です。蒸留階級でも、出自が異なります。もっとも、ウイスキーの語源となった「アクア・ヴィテ」(命の水)は、ブランデーのフランス語である「オードヴィー」にも繋がるので、両者はわかり合えないものではありません。
ウイスキーには系統がいくつかあり、もっとも癖があると言われるのが、スコットランド・アイラ島で作られるシングルモルトだそうです(注意4)。
現在は蒸留所も海外の資本が入って、さまざまな改革がされており、屋敷の中の家具の入れ替えはそのあたりをイメージしています(ネズミとネコはかつての蒸留所の様子の想像です)。
以下、「鬼滅の刃」へのネタバレがあります。
冒頭でアイラが言われたセリフ、「Togetherしようぜ!」(本文中では「永遠の力を得たくないか?」)の元ネタは某「鬼滅の刃」のキャラクターのセリフです(注意5)。
ヒトはその誘惑にどう対応するべきなのでしょうか。これが三枚目の絵です。
私自身は、身体が耐えられるかどうかは試してみたいと……「永遠」自体には興味がありませんが、杯を受け取るような気もします。
もっとも、「鬼滅の刃」自体は非常に興味深い(おもしろい)ものですが(映画は観に行けないのであくまでも単行本の感想となります)、あの話で注目すべきは、物語の序盤で物語の終わり方が示唆されているところだと思います。解決すべき課題(「鬼」にされた妹のヒト化)とその方法(無惨退治)の提示。これは連載ものや長編エンターテイメントものにおいて、人を惹きつける王道なのです。
むしろ、ユニークであるのは物語の終わり方と終わらせ方でしょう。通常の物語では、最終的な敵というのは強大なものです。「北斗の拳」のケンシロウに対してのラオウのように。乗り越えるべき存在、それがボスです。しかし、あの話のボスは強大というより、卑小過ぎるのです。実際に、「板垣死すとも、鬼は死せず」と言い残す鬼がいないこと自体、人望というか鬼望のなさを示しているのではないでしょうか。
そして、ヒロイン。ヒロインとは庇護する対象、もしくは共闘の相手、あるいは遠くにありて想う星です。ですから、地上に堕ちたユリアはケンシロウと共に永く生きることができませんでした。ところが、「鬼滅の刃」におけるヒロインは、庇護すべき童女であり、喜怒哀楽を共有できる美少女であり、共に戦う美女であり、物語の「終わり」の導き手となる老女でもあるのです。単体でこれだけの機能(役割もしくは宿命)を背負うヒロインはなかなか(というより全然)見たことがありません。
ジャンプの王道とは「友情・努力・勝利」だと言われています。ところが、「鬼滅の刃」において、中心になるのは、家族や師弟(つまり、対等なものではない)の「絆」であり、弱さの克服の原因は解明されておらず(むしろ、血筋つまり血の記憶の「継承」によるものであるような示唆があり、「鬼」側からすると不公平というか「格差」の物語でもあります)、最終話から推測されるようにすべての「鬼」が滅びたわけではない、そういった意味では、あの物語の軸は「絆・継承・共生」であるとも読めるでしょう(注意6)。
変わらぬものと変わるものと。奇しくも、赤の女王のことばのように「同じ場所にとどまりたいのなら、走り続けなければ」なりません。あるいは、映画「山猫」で語られたように「生き残るには自ら変わり続けなければ」ならないのです。
かつて、知り合いのバーテンダーさんから聞いた話です。人には二つのタイプがある、すなわち蒸留酒派と醸造酒派だと。
私はおそらく蒸留酒派でしょう。(主観的には)それほど飲めないのですが。
人生は有限で肝臓は消耗品です。合わない酒で酔う、合わない文を読む時間などありません。
けれども……
美味い酒と肴、文章。そして生き物たち。これらは世界を変えます。少なくともその意味を変えます。
「舞踏会」と入力しようとして「葡萄界」、「上流階級」と入力しようとして「蒸留階級」と入力してしまった言い訳ではないのです。ブランデーとワイン、どちらも欠けてはならないものですから(注意7)。
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注意1
フィリップ・アリエス、杉山光信(訳)、杉山恵美子(訳)『〈子供〉の誕生』
エリザベート・バダンテール、鈴木晶(訳)『母性という神話』
いわゆる中世ヨーロッパで「親子」がどう扱われていたか知りたいならこの古典。
注意2
角山 栄『シンデレラの時計』
「時間」という概念と中産階級の誕生的な話。
注意3
病気や怪我からカイフクしたというときは、「快復(恢復)」といい、それ以外では「回復」を使う。「快復」には「全快した」という意味が含まれており、そうでない文脈で使うのは望ましくないらしい。
否。「快復」に「全快」という意味が含まれるなら、「全快」という語は一般的にはならない。むしろ、「回」に「戻る」「元どおりになる」という意味があるから、病気や怪我には使えないのだ。跡が残ろうが「快復」は「快復」だと主張する。
注意4
文中のドレスなどの表現はすべて、ウイスキー縛りで。さすがに、正露丸の臭いがヒロインからするのはどうかと思ったので、アイラの特長(「特徴」ではなく!)でもある匂い(「臭い」ではなく!)の表現ではなく、スペイサイド系の表現だけど。ロングモーンやグレンリベットが好きという理由ではない。
参考文献
村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
マイケル・ジャクソン、土屋 希和子(訳)、山内 肇他(訳)『ウィスキー・エンサイクロペディア』
マイケル・ジャクソン、山岡秀雄(訳)『スコッチウィスキー、その偉大なる風景』
この辺りから描写は借りています。
注意5
某ピクサーの「無限の彼方へGo!」でも同義だと思う。
鬼滅については、鬼の数が12というのがいちばんわからん。だって、月齢は14+14(上弦と下弦)+2(新月と満月)。旧約聖書で14代ごとに事件が起きているのも、太陰暦の縛りだと習った記憶がある。なぜ12なのだろう。
注意6
「鬼」はなぜ忌むものとされるのか、人智の及ばぬものだからか、異なるものだからかで系統が分かれる。「オニ(オン)」というやまとことばに「鬼」という象形文字が当て嵌められたこともあり、漢語と和語では意味のズレがあるが。
江戸時代の浮世絵には、疫病を虎や鬼に擬えて描いたものもあり、おもしろい。
注意7
エリカ、ヒース、ヘザーとも呼ばれるその花は、荒野を彩り大地を潤し、土と化した後泥炭となってウイスキーを作る。地味な花だけど。