7. 義賊事件/疑問
「ケネス翁、大丈夫か」
「……問題、ありませぬ。……これより、自衛軍を招集し、捜査に……向かいます」
老騎士の身体が震えているのが分かった。
常にはないことだ。
「翁! ウォルト=ケネス! どうしたっ!?」
「問題、ございませぬ……盗賊共、への、憤懣、やる方かたなく……くっ……!」
何かに耐えるように立ち上がろうとしたが、ケネス翁はどうしても立ち上がれない。
身体から力が抜けているようだ。覗き込むと、目を回しているとわかる。
明らかに尋常ではない様子に、アルフレッドはすぐに動いた。
ケネス翁の奥方を魔法で呼び出す。
数秒と間を置かずに現れた彼女は優れた魔導師であり、また優れた医師である。
すぐに夫の症状を見抜き、この場で薬を調合して飲ませた。
王は翁が落ち着きを取り戻す間に城の警備兵を魔法で招集し、彼を担いで下がるよう言った。
「陛下……!」
兵士ふたりの持って来た担架に乗せられながら、翁が唸るように言葉を発する。
「陛下……! なにとぞ……!」
「わかっている、ウォルト=ケネス。俺に任せて休め、いいな」
「はっ……申し訳、ございません」
翁は悔しそうにそれだけ言うと、屈強で気の優しい兵士が運ぶ担架に身を任せた。
静かに一礼した後に夫を追いかける奥方を見送った後、若き王は机に向かい、書類を一筆作った。
静かな春の深夜である。
沈黙だけを供にして考えにふけっていると、小さなノックが扉を叩いた。
「開いてるぜ」
「失礼いたします、陛下」
アルフィミィだ。
ケネス翁が運ばれて行くのを見たはずだが、冷静さを失ってはいないようだった。
「“影”のうち数人に頼んで、薬を手配しました。数日もせぬうちに回復するでしょう。よきご判断でありました、陛下」
「俺は医学とかあまり分かんねぇけど……放っといたら血管キレちまいそうだったからな」
明るく言った王の言葉に、伝令官は首をかしげる。
「どうしました、アル。ケネス男爵なら心配いりませんよ?」
「ちょっとな……怖かったんだ。人が倒れるのを、見たことがなくてさ」
本心をぶっちゃけた気恥ずかしさで、少しだけ彼女から目をそらした王は次の瞬間、その目を見開いた。
「アルフィミィ?」
「この姿でないと……小人族いつもの姿じゃ、」
人間の背格好になった伝令官は遠慮なく王のベッドに上がり込むと、「こんなことはできませんからね……」
王のクセっ毛を優しく撫でた。美しく愛らしい顔が近づく。
子どもの頃の、とびっきり褒めてくれる時の仕方だった。
その頃の記憶が脳裏をよぎったが、王はそれを口に出さなかった。
「アルがちゃんと、大きくなってくれたからね」
ふふふ、と優しく笑んだ最側近は、次の瞬間には小人族の姿に戻っていた。
……照れるヒマもありゃしない。
「あれでよかったんかな。休ませるための書類はさっき、作ったけど」
「うん。治るまで休め! とでも書いておけばいいと思う」
「本人のためだけど、命令するってのは慣れないな」
「アルは誰に対しても、強く命令しないものね。色んなことの調整役って感じ」
「まぁね。国王になったって言っても、まだ二年目の“なりたて”だし。自分の判断で他人を動かすってのがさ、……怖いんだよな」
なるほどねぇ、とアルフィミィが腕を組んだのは、ベッドサイドの引き出しの上だ。
「もっと大暴れしてもいいと思いますけどね。私みたいな優秀な部下もいるんですし」
伝令官は自慢げに胸を叩いてみせた。
今日は休みましょう、というアルフィミィの進言を容れて、王は眠れないながらもベッドに横になった。
8. 義賊事件3 へ
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一夜明けて。
本来ならあの後、騎士団長であるケネスは、盗賊団捕縛に向けての指示を部下に発令するところだった。
「申し訳ないが、冷静でいられそうもない」
王の直感が、彼の尋常では無い気配を告げる。
あまりの激情に、翁の体が小刻みに震えていた。
このままでは血管が切れる恐れがある。非常に不味い。
彼は自衛軍を招集し、初動捜査の指揮を始めようとしたが、それは断じて許さなかった。
「俺に任せろ!あんたに倒れられちゃ困るんだ」
頭に血が昇っているせいで、王の言う事を聞かない。何度も説得して宥め透かし、ようやく応じてくれた時にはケネスの息が切れていた。喘息を整えている間に翁の奥方を呼び出した。奥方は、その場でエルフ族の治療薬を調合し、自身の夫に飲ませた。どうにか持ち直した翁は、愛妻に担がれて城を辞去した。
責任感の強い騎士なのだが、皆が口を揃えて言うように、彼は頑固な性格が玉に傷だった。
ケネスには今日から三日間の有給を取るよう厳命する書簡を送り付けた。
彼の事だから『異議は認めない』と強い言葉を使わないと無理を重ねるのは目に見えている。
アルフレッドと同じように捜査の進捗に思いを巡らせ、眠れぬ夜を過ごすだろうが、これを良い機会として彼には十二分に休養を取ってもらわねばならない。本人は年齢の話や、もっと言えば自らの体調を過度に気遣われる事を嫌うが、この場合は敢えて無視すべきである。
アルフレッドとしては、老騎士の心と身体を気遣ったつもりであるが。
「これで良かったのかな」
「何がです?」
「ケネス翁さ。休ませちまった」
「無理に?」
「本人のやる気があったのに、さ」
「でもそれは上司として当然の処置。何の問題が」
「怖いのかもな」
「怖い?」
「オレはまだ"成り立て"だ。権力を使うのに慣れていない」
「今のアルは国王と言うより、調整役って感じですものね」
「まぁね」
「もっと大胆に行動してみてもいいと思いますけれどねぇ?私みたいな優秀な部下もいる事ですし」
アルフィミィは自慢げに胸を叩いてみせた。
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「ところでリチャード君より先に私を呼んだって事は、何か考えがあるんでしょう?アルフレッド」
「今朝の朝刊を見た?」
「いえ」
コルトシュタインは小さな街だが、新聞社が四社もある。
有名人のゴシップや、面白可笑しい事ばかりを取材するのが二社。真面目なのが二社。王が取り出したのは前者だった。
『正義の義賊団、またしても黄金要塞に現る!』
『自衛軍と義賊団!相容れぬ二つの正義の行き着く先』
アルフィミィは記事を読むなり叫んだ。
「義賊団?断定するのはやっ」
「だろ~?分からんでもないけれど、詳しい裏付けとかしてねえよな、絶対に」
昨夜の派手なパフォーマンス。
蒼い影となって目前に現れた盗賊団は、主張と行動だけを見れば、確かに『義賊』だと言えなくもないが。
「“義賊が義賊として居られるのは、悪を為なしたる者から奪うが故である”」
「“もし一度でも弱き者から奪えば、彼らは凡百の盗人に堕するであろう”」
義によってのみ立ち、不正を糾弾し、悪人から奪う。
そして、その果実を貧しい者や弱い立場の者に分け与える。それが義賊である。いくら貧しい人々に金品を分け与える偉業を成し遂げても、そのカネの出所が善人の家々からでは、ただの盗っ人である。
圧倒的な技術と異能を持ち合わせる義賊と対決する探偵を描いた冒険小説『安楽椅子探偵バートランド』の主人公、バートランド教授のセリフだ。
二人とも愛読していて、話を向けられたなら何日でも語れる自信があった。
そもそも自衛軍ですら、まだ捜査を開始していないのに、新聞に書ける程のsourceが他所にある筈が無い。
調査が不十分であれば、確信するのは尚早だ。
どちらにせよ、盗賊団の事情を慮るにも、こちらの持つ情報が圧倒的に少な過ぎる。
そこで、アルフィミィが率いていると言われる正体不明の諜報部員たちの出番だ。
新聞社と国王では立場が違う。
憶測や推論だけで決めてかかる危険さを、アルフレッドは父親から重々言い聞かされてきた。しっかり調べなければ。
「オレ達にはこの新聞に書かれてある通り、盗っ人達が義賊であるという確信が無い。昨日の盗賊達が何処からカネを盗み出したのか、その正確な場所をーー被害者を調べて欲しい。アルフィミィ、俺の愛する街に、国に巣食う『悪』とは誰だ?何処にいる?」
「お任せ下さい、陛下。この私が、あなたに最高の仕事をご覧に入れましょう」
にっこり笑った伝令官は気取って一礼し、姿を消した。
アルフレッドは再び仕事机に向かう。
決済すべき書類は今日も山盛りで、よくもこれほど課題を見つけてくるものだと思わない日はない。
課題や疑問を持ち込まれるのは良い。解決策を講じれば済む話だ。けれど、もし義賊が義賊たり得る条件を満たすような国作りをしてしまっているのだとすれば、糾弾されるべきはまず国王である。
まだ何も為さぬ内から国民の不興を買いたい君主が何処にいる。そうなりたくないならば、小悪の存在を認めた上で、それを正す努力をしなければならない。
大好きな安楽椅子探偵が実在しなくても、アルフレッドには頼れる部下がいる。信用出来る仲間がいる。
「一人で戦わなくてもいいのは助かるよなぁ」
背伸びをして呟く。
リーダーを務めるなら孤独は付き物だし、覚悟もしていた。でもだからと言って、大きな課題に自分一人だけで取り組まねばならないと決まっている訳ではない。
何人もの顔が、若き国王の脳裏に浮かんでは消える。
今回は街の皆の情報も頼りになるだろうから、そちらの調査は市井の表裏に詳しいレオニュディース=ケネスに任せるべきだろう。宮廷魔導師団をとっくに辞しているが、そこは親友として頼めばいい。そう言えば、彼が住処にしている『銀の歯』にも久しく顔を出せていない。
幸いにも、すべき事は見えていた。
さし当たって、贔屓にしている老舗バーの事を考えてしまったせいで、急に騒ぎ出した腹の虫をどうにかせねばならない。