第七話
ノエルがレアに図書室でいちゃもんをつけられた1ヶ月後。ノエルはフランシーヌの茶会に呼ばれていた。何故男爵令嬢である自身が呼ばれたのかは分からなかったが、ノエルもノエルでその茶会を楽しみにしていたのだ。
フランシーヌは王太子の婚約者という事もあり、様々な学問に精通しているご令嬢だと噂で聞いていた。彼女は茶会に招くご令嬢によって話の内容を変え、楽しませることができる。その能力は社交界のパーティーでも生かされており、他国では「聡明な婚約者だ」と絶賛されているらしい。
ノエルを招いた茶会でもその手腕は発揮され、フランシーヌとノエルの間で本の話題が尽きる事はなかった。同じ本でも解釈の仕方が異なるため、そこで議論になったりと有意義な時間を過ごすことができたと、ノエルも満足していた。
フランシーヌとの茶会が終わり、フランシーヌの後に続いて扉を出ると、彼女たちの目の前にはマリユスが右手を挙げて立っていた。
「やあ、フランシーヌ。この後生徒会室に来ることができるかい?」
「ええ、ノエルさんを見送った後にお伺いしますわ」
仲睦まじく話している2人をノエルが静かに見ていると、ふとマリユスの背後から鬼の形相をしたレアが走ってくるのがノエルの目に入ってきた。
すぐにノエルはフランシーヌの背から飛び出し、マリユスの背中側に回る。生きてきた中で一番素早く動けたのがこの時だった、と思うくらいの速さで背中の位置に着くと、こちらに向かってきたレアにぶつかった。
その瞬間、ノエルはレアに水を掛けられる。なんだこれは?と思う暇もなく、お腹に頭らしきものが当たった衝撃が走る。我慢できずにその場に倒れそうになるも、後ろから誰かが支えてくれたお陰か、ノエルが倒れる事はなかった。
レアは頭を抱えて蹲っている。勢いよく走ってきたこともあり、それ相応に痛かったらしい。丁度近くにおり、一部始終を見ていた先生に拘束されてレアは去っていく。床に転がる瓶を残して。
「大丈夫かい?助かったよ」
「はい、大丈夫です」
「あらマリユス様、大丈夫?ではありませんわ!ノエルさんのお召し物が濡れてしまったので、私が見繕いますし、念のため保健室に向かいますわね」
「ああ、頼む」
その後フランシーヌにノエルは連れて行かれ、保健室へと向かう。ノエルの身体に異常がないことがわかると、フランシーヌはノエルを更衣室に連れて行った。その時にフランシーヌと体型が偶然似ていたノエルは、フランシーヌから服を借りる事になり、少し青ざめたのだとか。
そしてその数日後。また彼女とラングロア男爵を唖然とさせる手紙が男爵家に届く。その内容は、翌日の学園終了後王宮を訪れるようにとの事だ。陛下との謁見があるらしい。その内容を見たノエルの父親は、白目を剥いて倒れそうになる。
「ノエル……お前何をしたのだ?陛下との謁見なんて……」
「私にも何が何だかですわ、お父様。……そう言えば、数日前殿下の代わりに私がオービニエ男爵令嬢とぶつかりましたが……それくらいですわ」
「私は明日どんな顔をして仕事場へ行けばいいのか……」
ノエルの父親は翌日の謁見の事で頭を悩ませたため、寝ることができなかったそうな。
「今日は硬くならずとも良い。親として、ノエル嬢に礼を述べたくてな」
笑いながら陛下は、固まって呂律の回らないノエルの父親に話しかける。ちなみにノエルは緊張の欠片もなく、静かに跪いている。こう見えて図太く動じない性格をしている。この性格は母親譲りらしい。
「娘にお礼……ですか?」
「そうだ。数日前、ノエル嬢はマリユスをオービニエ男爵令嬢から守ってくれたからな」
「私からも、お礼を申し上げますわ」
陛下と王妃からの感謝の言葉にオロオロと焦る父。何か言えば良いのに慌てすぎてそこまで頭が回らないらしい。
このままだと埒が明かないと思ったノエルは声をかける事にした。今回は無礼講だ、と最初に言ってくれた陛下の言葉を信じて。
「陛下、王妃様。お礼なんて……私は当然の事をしたまでですわ」
「おお、本当にノエル嬢は聡明だ。男爵の育て方が良かったのだろうな」
「あ、ありがとうございます……」
やっと頭が回転し始めたらしい。まだおどおどしている父を他所に、陛下は先ほどの笑顔を引っ込め、少し眉を寄せた険しい顔になる。ノエルから見れば、その変化は何か嫌な事を思い出すかのような顔に見えた。それは正しかったらしい。
「では何故、今回礼を伝えたのか。ノエル嬢は当事者であるからな。詳細を話そう。ただしこの事は他言無用だ」
そして衝撃の真実を聞く事になる――
「では、オービニエ男爵とその娘が殿下の寵愛を得るために……?」
「そうだ。そのために謀った事らしい」
真相はこうだ。オービニエ男爵は好色家で、男爵家の侍女に手を出したことが何度もあるらしい。レア嬢は手を出された侍女が追い出された後に産んだ子どもなのだそう。母親である侍女は数年前に流行り病で亡くなり、孤児院にいたところをオービニエ男爵が見つけて養子にしたのだそう。
その時にオービニエ男爵は考えた。レアの顔立ちは悪くない。美人系ではなく、愛嬌のある可愛らしい顔をしている上に、この国では珍しいピンクブロンドの髪。もしかしたらどこかの高位貴族の目に止まるかもしれない、と考えたそうだ。
だから引き取ってすぐに学園へ入学させようとしたが、見つけた時にはもう既に学園が始まっており、途中から入学することができなかったらしい。そのため編入生と言う形で2年から学園に入学したそうだ。勿論、理由は王太子が2年生のクラスにいるからだが。
2年のクラスに編入できた理由は、彼女の学力にあった。そこそこ学力テストが良かったようだ。歴史等、怪しい教科はあったものの、頑張れば挽回できる点数だったそうな。だから学園側も、まさかこんなことが起こるとは思っていなかったようだが。
無事2年生として編入できたレアの行動は、今まで見てきた通りである。高位の令息を誑かそうとした女狐として噂され、相手にする人がどんどん少なくなった。
その事に焦った彼女が、オービニエ男爵に頼んで惚れ薬の製作を依頼したらしい。男爵も良い結婚相手を見つけられるなら、と手配したらしいが、まさかそれが王太子だとは思っていなかったそうだ。
ちなみにノエルに掛かった水みたいなモノが惚れ薬だったらしいが、調べてみたところ偽物だった。オービニエ男爵は惚れ薬だと思っていたらしいので、男爵自身が偽の業者に頼んで騙されたか、お金が払えず偽物を渡されたからか……とにかく、そのような成分は見られなかった。
馬鹿ですか、いや、馬鹿ですよね?そう思うしかない。本当に頭の中がお花畑だったらしい。仮に惚れ薬が本物だったとしても、あのやり方はどうかと思うし、手配した男爵も頭がおかしい。
男爵は「そんなつもりはなかった」と喚いているようだったが、娘の話を何も確認を取らず鵜呑みにしたところで同罪である。空いた口が塞がらない。
「薬は偽物であったが、もしあれが本物であれば息子がどうなっていたかも分からない。だからノエル嬢には感謝している」
「はい……」
一歩間違えれば、王家を混乱の渦に巻き込んでいたに違いない。彼女の頭が空っぽで良かった、と思わざるを得ない。もし用意周到に裏から手を回していたら……どうなっていた事だろう。考えるだけで恐ろしい。
謁見後、ノエルの胸に広がったのは安堵だった。噂ではダミアンたち上級生にも馴れ馴れしく話しかけていたようだから、もしダミアンとロメーヌが仲睦まじくなければ今とは違っていたかもしれない。そう思うと、愛の伝道師と呼ばれる事に少しだけ誇りを持てたように思えた。もう一生その名前で呼ばないで欲しいのは変わらないが。