第五話
ノエルの平凡な生活をしたい、という願いは叶わなかった。
なぜならダミアンから謝罪があったその数週間後、クラスの友人であるレナエル――彼女は伯爵令嬢だが、ノエルにも優しく接してくれる――から驚くべき噂話を聞くことになったからだ。
「そう言えば、ダミアン様がノエルのことを恋の伝道師だ!って言っているらしいよ?」
「……え?何それ。初耳なんだけど……」
どうやら、あの時に思い付いたまま話したことをダミアンが実践したらしい。すると、いつもは表情をあまり変えないロメーヌが驚いた顔をしたそうだ。そこから嬉しくなったダミアンはロメーヌと距離を近づけ、今や仲睦まじいカップルの一つとして数えられているのだそうだ。
「その噂を聞いて、ノエルに話を聞いてもらいたいって令嬢が多いみたい」
「えー、私恋愛したことないのに?」
「あら、恋愛経験無しの愛の伝道師って面白いわね」
「笑い事じゃないって……だから最近、話を聞いて欲しいって人が多いのね……」
そう、ここ数日で何故かノエルに話を聞いて欲しいという友人が多くなった。ほぼクラスメイトであったし、余りにも真剣に悩んでいるようなので、話を聞くだけ聞き、同調するを繰り返していた。恋愛経験がないから助言なぞできる訳ない、とノエル自体が思っていたし、悩みを持ってくるクラスメイトも話を聞いてもらうだけで満足していた。
だからそんなに気にしていなかったのだが、何故私に?と疑問に思っていたのだ。
「しかもノエル、最近クラスの子の話も聞いているでしょ?」
「うん、それが?」
「話を聞いてもらった子は婚約者とうまくいってるらしいのよ。それもあってノエルの株が急上昇しているわよ」
「え?そうなの?」
しかも本人の髪色はピンクブロンド。それも踏まえて、愛の伝道師なのでは?と噂されているらしい。
「やめてほしい、切実にやめて欲しい……静かに読書ができないじゃない」
「ノエル……」
レナエルは残念そうな顔を向ける。この娘は恋愛より読書を取るのか、と思ったに違いない。
知らないところでノエル・ラングロア男爵令嬢=愛の伝道師という噂が広まっていく。そしてその噂に乗っかるようにして、ダミアンは謝罪の場でノエルが思うがままに伝えた言葉を、婚約者の関係改善で困っていた子息たちに伝えていった。
ノエル発、ダミアン布教の言葉は回り回って学園中の知るところとなり、そのお陰で婚約者との関係が改善した者たちがより一層増えていく。今や学園内のカップルたちは仲睦まじすぎるほど、熱い。それがまたノエルの株を上げることになっていく。
尊敬の眼差しで一目置かれる中、彼女は常にこう思っていた。
――もうやめてくれ。
不名誉ではないが、あまり嬉しくもない噂に振り回されるノエルは、これが収まるまで気恥ずかしい日々を送るのであった。
そして時は過ぎ――ノエルたちが2年に進級する1ヶ月前。マリユスとフランシーヌは一年前と同じく謁見室にいた。壇上には国王と王妃がいる。国王と王妃は以前と表情が変わらないが、マリユスとフランシーヌは少しだけ表情を緩めていた。
「マリユス。一年経って学園はどうだ?」
「学園は問題ございません。例の……ラングロア男爵令嬢の件も問題ございません」
「そのようだな。彼女についての様子見ご苦労。彼女に付けていた影は本日を以て外すこととした」
「御英断です」
「しかし……本人の知らないところで愛の伝道師と呼ばれているとは……彼女に同情するな」
影の報告を見た瞬間、笑ってしまったのは国王だけではない。王妃もだ。
「ノエル嬢と仲の良いクローズ伯爵令嬢に私からそれとなく聞いたところ、本人はその名を嫌がっているらしいですね。ですが、最終的には本さえ読めればそれでいいとの事でしたわ」
クローズ伯爵令嬢はレナエルのことである。そしてフランシーヌの言葉は正しい。耳に入らなければ、読書の邪魔にならなければ、彼女は何と言われても良いと思っているのは事実だ。
「しかし、ラングロア男爵令嬢が問題ないとなれば‥‥あの伝承は今回、勘違いだったと言う事でしょうか?」
最もな疑問である。ピンクブロンドの髪の男爵令嬢は彼女以外にいないのであるから。
そう口にしたマリユスが顔を上げると、目の前には苦虫を噛み潰したような顔をした国王がいたのである。