第二話
主人公が登場します。
「あー終わったー。背中痛い‥‥」
入学式が終わり、クラスメートが帰り出した頃。ノエルは長時間椅子に座り続けて固まっていたであろう足を、周りにバレない程度に伸ばしていた。
帰宅した生徒が多いのだろう。クラスにはほとんど人がいない。
そしてそんな静かな教室でノエルは今日のホームルームを思い出していた。
彼女のクラスには王太子の婚約者のフランシーヌがいる。ノエルは初めて公爵令嬢を目にしたのだが、フランシーヌはまるで絵画の中から出てきた御令嬢のように美しかった。立ち居振る舞いも気品に溢れ、服装も華美過ぎず地味過ぎず。しかし彼女の美しさを映えさせる。まさに高嶺の花である。さらに髪はノエルのような中途半端なブロンドではなく、一点のくすみもないブロンド髪。それがすごく羨ましかった。
ーー私の髪色、珍しいからジロジロ見られるんだよね‥‥
仲良くなったクラスメートが帰宅する中、ノエルは髪に少しだけ触れる。願わくば、もっと綺麗なブロンド髪になりたいな、と。
そしてふと窓の外を見やると、フランシーヌが王太子と一緒に校庭を歩いている。まさに絵になる2人であった。
「はあー、お似合いよねえ。私もいつか恋愛できるかしら?」
余りにも小さな声だったので、彼女の声は周りに聞かれる事はない。少しだけ2人の背中を見つめた後、一つ息を吐いてノエルは立ち上がる。
すると偶然だろうか、王太子とフランシーヌがこちらの教室方向に顔を向けているではないか。その事に気がついたノエルは固まったが、このクラスはフランシーヌがいるクラスである。単に偶然だろうと思い直す。
落ち着いた彼女はそのまま席を立ち、混んでいる校庭を避けて図書室へと向かおうとしていた。
「あれが、ノエル・ラングロア男爵令嬢か」
「ええ、見た限り真面目で礼儀正しそうな令嬢でしたわ」
「まあ、まだ分からないからな‥‥様子見で頼む」
「勿論ですわ」
ノエルは知らない。王太子とフランシーヌが振り向いたのは偶然ではないと言う事を。そして彼女の背中を見送った後、こんな会話をしていた事も。彼女は知らなかった。
ノエルは図書室で読む本を選んでいた。今日は入学式だったからか、人はほとんどいない。たまに上級生らしき人が慌ただしく本を借りたり返したりするくらいである。父親の職場である図書館と違い、こぢんまりとした図書室はなんとなくではあるが、ノエルにとって居心地が良かったようだ。いつの間にか日が傾いていた。
その事に気づいて顔をあげると、赤く染まった夕日が目に入る。眩しく感じたノエルは薄目になるが、何故か沈み始める夕日から目をそらすことができなかった。ふと、フランシーヌの髪を思い出したからである。あの髪に夕日が当たればキラキラと輝いて綺麗だろう、そう思ったからだ。フランシーヌだけではない。フランシーヌの帰り際彼女と居た女性たちーー取り巻きなのだろうか、彼女たちの髪も煌びやかで美しかったのを思い出していた。
そんな事を思い耽っていたその時
「おい、お前。誰の許可を取ってそこに座っている」
その声で顔を上げると、目の前にはメガネに手をおき怒っているのだろうか、銀髪の男性が此方を睨んでいる。
――誰に許可を取ってって……図書室は共有物でしょうに。何を言ってるのかこの人は?
ノエルは男爵令嬢であるため、正直な所高位貴族の顔を見たことがない。だが、目の前にいる男性は認めたくないが、フランシーヌや彼女の周囲の女性たちのような気品は見受けられた。言葉遣いは最悪だし、性格も良く無さそうではあるが。
「誰にも許可は取っておりませんわ。ここは図書室。生徒全員の共有スペースですもの」
国王陛下が学生の間は平等を、と謳っている学園である。学園では王族といえども特別扱いはされないような校風だ。その校風を真っ向から否定するように権力を振り翳した、とノエルが感じたのもしょうがない。
だから向こうが名乗らないのでこちらも名乗らない。これはノエルの意地だった。名前も名乗らない、偉そうにする男なんぞ御免被りたい。苛々を抑えるのでいっぱいいっぱいである。
だと言うのに、相手の男は言葉を返されると思っていなかったようで、少しだけ目を丸くする。その姿を見たノエルは彼の評価を1段階下げた。
――この男はポーカーフェイスというものができないのかしら?貴族としてどうなのかしら?
王都の図書館にいる司書でもできている事をこの男ができないなんて情けない。一言で表すとするならば、落胆。
呆れと怒りと苛々と。時間が経つほどに、それは募っていく。
「はあ、お前は誰に口答えしているんだ。俺はダミアン・ブラジリエ。のちにブラジリエ領を継ぐ公爵になる者だぞ」
ブラジリエ公爵といえば、王家の次に力を持つ公爵家の1つだ。フランシーヌの父親、ゴーベール公爵が治めるゴーベール領、クノー公爵が治めるクノー領、そして目の前の男の父親が治めるブラジリエ領。この3領は常に王家に忠誠を誓い、代々の領主は宰相や財務省、外交官など重要なポストに着いているほど重用されている。
ノエルの父親曰く、現在領主を務めている御三方はとても素晴らしい方たちのようだ。ノエルの父は王都図書館の司書と言うこともあり、彼らと挨拶を交わすことが多いらしい。幼い頃彼女も3人とは会っていて、緊張しながらも挨拶したノエルを「偉いね」と褒めて頭を撫でてくれたこともある。その思い出だけでも尊敬に値する。
だが目の前にいる男はどうだろうか。何しろ、頭を撫でて褒めてくれたのが現ブラジリエ公爵だったのだ。公爵とダミアンの落差を見て哀れみを感じた。
――ああ、ブラジリエ領は衰退するわね。
ブラジリエ領の未来を案じるノエル。その思いが顔に出ていたのだろうか、ダミアンは不審な顔をしてノエルの顔を覗き込んだ。
「何かあるのか?」
「いえ、何もございませんわ。それでは失礼します」
面倒な事に巻き込まれる前に、ノエルは席を立つ事にした。急に彼女が動き出したからだろうか、ダミアンはその場を動くことができないようだ。その隙をついて図書室から素早く出ていく。
「自前の本を読んでて良かったわ」
そう呟いた彼女は沈む夕日に背を向けて、学園を後にしたのだった。
夜更け、国王陛下の執務室――
「陛下。本日、ノエル・ラングロア男爵令嬢がダミアン・ブラジリエ公爵令息と顔を合わせました」
「なに!?公爵令息と?それでどんな会話をしたのだ?」
「……こちらになります」
「………これは伝えるべきか?」
頭を悩ます国王陛下の姿を見た者は影だけである。