ソクラテスのパンツ
かの哲学者、ソクラテス17歳。とあるきっかけにより現代に転生した彼は、素蔵家にお世話になっていた。
「なに、健康診断だと。美也子、それは一体なんなのだ」
素蔵家の娘の言葉を、ソクラテスは繰り返した。素蔵家リビングに設置してあるソファ。そこに隣り合って座るソクラテスと美也子。
「年一回行われる、身体検査よ。身体に異常がないか、調べるの」
検査時にはパンツ一丁になることなど、美也子は丁寧に説明をした。
「ほう。つまりは、皆に穿いているパンツを見られてしまう訳だ」
「そうだけど、もちろん男女別れて行われるからね」
「なんと、それでは女子の裸体が見られぬ」
なんてスケベな哲学者だと、美也子は思った。
「ルールだから。しっかり従ってよね」
「悪法もまた法なり、か」
美也子は思わず言葉を失った。一般にまで知れ渡る名言を、こんなことで使われるとは思いもしなかったのだ。
「しかし、同性には見られてしまう訳だろう。やはり良いパンツを穿かなくてはならぬ」
「別に、そこまでパンツにこだわらなくても」
美也子はソクラテスの言葉に少し呆れて言った。
「良いパンツを穿かない人は、パンツを穿いていない人と等しい」
ソクラテスは断言し、ソファから立ち上がる。
「さて、良いパンツを探すとしよう」
「はいはい、もう好きにして」
*
そして健康診断当日。ソクラテスは友人と共にパンツ一丁になるべく更衣室にて着替えていた。
「この日の為に、良いパンツを穿いてきたのだ」
「へえ。たかが健康診断で、気合い入ってんなあ」
吉田は笑った。ソクラテスが変人だということは、その友人の彼も知っていた。
そしてソクラテスが、ズボンを下ろした。吉田はチラリとソクラテスが穿いてきたパンツを見て、そしてギョッとした。
「おい、素蔵!」
吉田は慌ててソクラテスを制止して、ズボンを穿かせる。そして誰にも見られていないか、周囲を確認した。黙々と男子生徒達は制服を脱いでいる。誰にも見られた様子はない。
「なんてパンツを穿いてきているんだ」
「良いパンツだろう。縞柄で、形状にも無駄がない。これが私の求める至高のパンツである」
吉田は頭を抱える。
「お前、それは女性用のパンツだ。皆に見られたら大恥ものだぞ」
「ほう。そうであったか。すると私が穿いているのは、妹である美也子のパンツという訳だな」
呑気にソクラテスは笑う。
「全く、女性用のパンツを穿いてきちゃうなんて。ソクラテス、お前は何も知らないな」
「ああそうだとも。私は何も知らない。私が唯一知っているのは、自分が何も知らないということだけだ」
「お、おう」
何を偉そうにしているのだろう、と吉田は思った。
「しかし困ったな素蔵。これでは健康診断が受けられない」
男子生徒はパンツ一丁になることにそれほど時間は掛からない。更衣室にいるのは吉田とソクラテスだけだ。吉田はそれを見て、一つ決意をした。
「分かった。俺がノーパンになって、お前より目立ってやる。それなら、お前のダメージは少ない」
吉田はそしてパンツを脱いだ。
「汝パンツを穿け」
ソクラテスは冷静に言った。
「しかし素蔵。お前は転校してきたばかりだ。ならいっそ俺が被害を被った方が」
しかしソクラテスは、吉田の肩に手を置いた。
「私を救いたいと願うなら、まずは自分がパンツを穿きなさい」
ああ、わかったよと吉田は脱いだパンツを穿いた。
「人間の美徳はパンツを穿くことによっておのずと増え、強まるのである。私の美徳は、美也子のパンツを穿くことによって増え、強まったのだ。何を恥じらう必要がある」
「素蔵……」
「吉田。私の為にありがとう。いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはないではないか」
ソクラテスは吉田をそっと抱きしめた。
「吉田。君は知らない。私は今、妹のパンツを穿いている。こんなにも肌触りが良くて、こんなにもぞわぞわとするのだ。妹のパンツを穿くことに、これほど背徳感を感じるとは」
「素蔵……?」
「吉田。大恥をかくと言ったな。妹のパンツと、自分の信念と、どちらが大事か!」
そしてソクラテスは吉田から離れて、ズボンに手を掛けた。
「無論、妹のパンツだ!」
ソクラテスはそう叫んで、ズボンを下ろした。再度、露わとなった縞パン。
「我はアテネ人にあらず、ギリシア人にあらずして、美也子の兄なり」
吉田はついに言葉を失う。
「わたしは最小限の欲望しかもたない。ただ、妹のパンツを穿いていたい私は、最も妹に近い存在である」
そしてソクラテスは、美也子の縞柄パンツを剥き出しに、更衣室を出た。