出会った夜に
昔々片思いをしていた時期がある。
それは私が10歳になるかならないかくらいの時の話しで、町娘達の噂になるような派手な人だった。
国の騎士をしていて、よくいろいろな美人と噂が流れたりしていて、私が知ったのもどこかの雑貨屋の女性と別れたとか、そんなのを人伝に聞いた時だった。
今回は広場の花屋の娘にフラれたとかなんとかで、いつもどこかの美人と噂が流れる彼に、知らずに好意を寄せていた。
私はしがないギルドの受付見習い、かたや国を守る騎士様だ。
もちろん思い焦がれはしたものの釣り合うなんて初めから思っていないのでそんな恋は気付けば毎日過ぎ行く日々の中で風化していった。
そんな初恋から十年と少し経って、私はそんな彼がギルドのクエストボードの前に居たのを見つけた。
「……あ」
なぜ分かったのか、なぜ気付けたのかは分からないが、間違い無く彼だった。
なぜだか十年以上経った今でも覚えている、その場では風貌。
染められた赤い髪には勢いは無く、すっかり忘れ去られた人そのもの。
懐かしさと共にどこか寂しさを感じつつも、私は受付の仕事に戻ろうと踵を返そうとしたが「ねえ」と聞き覚えのある声がして振り向いた。
「受付のお姉さん」
「……はい、何かお手伝い出来る事はありますか?」
その声はまさにその人で、私は心の中で焦りながらも受付の仕事を完遂するべく笑顔を向けた。
「クエスト沢山あって困ってるんだけど、剣士歴数十年くらいの奴がする仕事っておススメあるかな?」
「あぁ……そうですね、でしたら」
パソコンを開いて、私は近場での魔物討伐依頼の欄を開いた。
「いくつか近場で魔物討伐依頼があるようなのですが、良ければ紹介状を……」
「て言うかさぁ」
「え?」
人付きのする笑みが一瞬で下卑たものに変わり果てる。
「アンタあれだろ、昔オレの近くちょろちょろしてた子達だよね?」
「はい?」
その表情と言葉に一瞬言葉が止まってしまったが、思わずハッとして続けた。
「ええと、昔が何を指すのかは分かりませんが、このクエストですと」
「あぁ、あー、いいよ、そんなの後でも」
笑みがとても気持ち悪い。
近くまで来て、その人は私の手を取ってこう続けた。
「今はちょうど相手が居ないんだ、どうせ君も相手居ないんでしょ?
それなら付き合ってあげるからさあ、一晩どう?」
軽い誘いに目眩がして、私は奥歯を噛み締めた。
「……クエストをお探しでは無かったのですか?」
「そりゃクエストも欲しいよ?生きていくためには大事だし?
けどどう?あの時お前、オレの事好……」
言葉が続くと思われたその先は、一人の男によって捻り潰された。
銀の髪を肩に流し、濃い緑色のジャケットを着た男。
その人は男の顔を片腕で持ち上げながら「邪魔ですが」と吐き捨てる。
「あ!?なんだテメェ!」
とても騎士とは思えない言葉を吐き出すと「こちらを」とクエストの申し込み用紙を一枚私の前に差し出した。
そこには魔物討伐依頼Aランクの文字が。
「いって!てめぇ、ふざっけんなよ!」
「ふざけていない、言ったでしょう?邪魔ですが?」
首を伸ばされて嫌な音がしたようだが、それより目の前の出来事に怒っているのか言っている事が支離滅裂で、意思の疎通が取れていない。
「すみません、よろしくお願いします」
「はい、お預かりします」
脳を無理矢理仕事に持って行って、私は受け取った書類に印を押す。
「いや、待て待て待て、オレが無視されるのおかしくない?」
「割って入った事に関しては非礼を詫びよう、しかしここはギルドのクエストボードの受付。
特にこの昼時は混むのだ、君の後ろを見てごらん」
「……あっ」
後ろには既に手にした書類を見つつ、こちらへと不満げな視線を向ける人が多数。
それに気付いたのか、騎士の彼は怖気付く。
「君の言葉はあまり綺麗じゃ無いな。
それに人に迷惑を掛ける騎士が居る事もあまり良い事ではない」
「ひ、人がいつ女を口説こうが説教されるいわれは…」
そこまで言って、銀の髪の男が一歩前に出ると騎士の彼は「ひぃっ」と顔を引き攣らせる。
「ただのナンパなら、まだ許せたが……この人は僕の想い人なんだ。
一夜限りの楽しい夜をお探しなら四つ向こうにある通りへ行かれてはどうか?」
「っ、」
腰を引かれて思わず赤くなった頬に、騎士の彼が「はああっ!?」と声を上げる。
「みっともないぞ!お前それでもこの国の騎士か!!」
「そうよ!クエスト受ける気が無いなら早く出て行きなさいよ!!」
「そうだそうだ!!」
ギルドにいる人達の声に、騎士の彼は立ち上がり、慌てふためいて出て行った。
騒然とするギルドの中で、私は冷静に深呼吸を繰り返して「ありがとうございます」と腰に回った手を取って礼を言った。
「……でも、貴方にそこまで言わせるつもりは無かったのですよ?」
「私もただの冗談を言ったわけではありません」
「ギルバート様はお優しいですね」
「…………」
笑顔を向けて、再度礼を言って。
私はその場に溢れた優しい人達のクエストを受理するべく仕事に戻るのだった。
……この世界には、不思議な事が起こる事が良くある。
はるか昔、この国が建国間も無い頃に、双黒の人間が未知なる時代より現れた。
その者は人ならざる力を操り、この世界を闇に落とそうとしていた魔王を倒し、国の繁栄ひいては世界の安寧の為尽力したとされている。
そんな異世界人とされる人物が数多く記録に残るこの世界にまた一人、異世界人より排他された者が落とされた。
月の高い時間、人々が眠りにつくその時間に、少女は一人着の身着のままの状態で路地に捨て置かれる。
見たことの無い場所に混乱しつつも、少女はただ恐怖に恐れて泣くのだった。
「……」
何か声が聞こえた気がした。
猫…いや、これは人の声だと分かった瞬間に、私は羽織りを取って家の外へと飛び出した。
しゃくり上げる泣き声からして、まだ若い女の子だろう。
ここは比較的安全な住宅街と言えるが、それでもこんな時間に女の子が一人で居るその異常性に寒気がした。
「……大丈夫?」
「っ!」
驚きで声が止まった。
出来る限り怯えられないように優しく声を掛けたが、こんな暗い中では誰に声を掛けられたとしても怖く無いわけが無いかと、私はその場に腰掛けてゆっくりともう一度問い掛けた。
「大丈夫?寒く無い?」
「……だっ、誰?」
「私はマリオン・ウェーザよ、近くのギルドで受付をしているの」
肩に羽織を掛けてあげると、またも涙が溢れた彼女の頭に手を置いた。
「怖がらなくて大丈夫よ、近くに私の家があるわ。
温かい紅茶でも飲みましょう」
「……」
すんすんと鼻を鳴らす彼女は「うん」と力無く答えて歩き出す。
見たこともない服装に内心首を傾げたが、まずはこの子の身の安全だった。
家に向かい、お湯を沸かしながら作り置きの焼き菓子を出す。
きょとんとした彼女には蜂蜜を多めに入れたミルクティーを差し出した。
「こんなのしか無くてごめんなさいね、夜に食べるのも……と思ったけれど、泣いて疲れてるだろうし、甘い物もどうかしら?」
「……頂きます」
素直に口をつけたミルクティーを飲んで、彼女はまたほろほろと涙を流した。
「ごめんなさい、私、よく分かってなくて」
「ええ」
「……お姉さんは聞かないの?」
私がどうしてあの場所に居たのか、と言外に言われたが苦笑した。
「あの様子だと貴女も分かってないのかなって思って、それに質問攻めにされるよりもこれからどうするか、じゃないかしら?」
「……」
感心したような彼女は「そうだった」と頷く。
とても頭の良い子なのだろう、今の状況を冷静に見詰めている。
いくつか菓子を食べると「ありがとう」と頬を染めた。
「大丈夫よ」
「……見付けて貰えたのかお姉さんで良かった」
「そう?だったら良かった」
その一言で救われた。
私は笑みを浮かべて「そう言えば」と問い掛ける。
「貴女のお名前は?」
「私はアリス……カドミ、アリス」
「カドミ・アリス?お名前はカドミと言うの?」
「いや、名前がアリスだよ。確かマリオン・ウェーザ……さん?で、合ってる?」
「ええ、合ってるわ。逆なのね、面白い」
そう言って笑うと、アリスも「ほんとだ」と笑ってくれた。
可愛らしい笑みを浮かべると「私はアリス、よろしくねお姉さん」と私の手を取ってくれた。
「じゃあさっそくだけど明日からどうしようかしら、私朝からお仕事があるのだけど……一人でお留守番出来る?」
「子供じゃないし……さっきギルドの受付って言ってたよね、どんなお仕事なの?」
興味があるのか、二杯目のミルクティーを飲みながらアリスは首を傾げた。
「そうね……冒険者の人達にクエストを発行したり、街の施設への案内や、役所と協会と教会への橋渡しになったり色々ね」
「……私がどうしてこの場所に来たのか分からないけど、ここってどこになるの?外国だとは思うけど……もしかしてハンナ海域の外とか?」
「ハンナ海域……がどこを指すのか分からないけれど、海があるのはここから東に行くわ。
ここはマルディオ国の中心街のウィントスと言う街よ」
「マルディオ国?ウィントス……聞いた事無いんだけど」
「え?」
マルディオ国はこの大陸でも多くの領土を持つ国で、それなりに歴史もある栄えた国だ。
そのマルディオ国を知らない……とすると。
いくつか有名な諸国を並べてみたが、彼女は首を横に振った。
「……バルサもエルカレートも、アルジアも知らないって事は……もしかして」
「わ、私記憶喪失とか!?」
「落ち着いて、もう少し考えましょう?
それに考えたりするとお腹が空くし」
そう言って焼き菓子をひとつ食べて、私は頷く。
「アリスの事に関しては、もう少しゆっくり考えて行きましょう。
焦らなくたって良いわ、アリスは不安でしょうけど……大丈夫!いざとなったら私が奥の手を使うから!」
「お、奥の手?」
首を傾げたアリスにしっかりと頷く。
「なんたって受付のお仕事をして十年以上、ばっちりしっかり職権乱用しちゃうんだから!」
「えっ、それ大丈夫なの?」
「平気よ、ちょこっと無理を言うだけだもの」
にこりと笑みを浮かべると「お姉さん、悪い顔してる」と笑ってくれた。
「今日のところはゆっくり眠って、明日から色々考えて行きましょう?
明後日はお休みだから、一緒にお買い物行きましょうね!」
「うん」
アリスの手を引いてベッドへ向かい、シングルのベットで二人で肩を寄せながら眠りについた。
私は一つの可能性を感じながら、そうで無くては良いけれどとその考えを頭から追い出す。
もしそうだとするならば、私は無責任に彼女を追い出してしまうのだろうか。
いや、そんな事は出来ないだろう。
そうなったら奥の手を使うしか無い。
彼の困った顔を想像すると胸が痛むが、その場合はしっかりと怒られる事にしようと頷いて、私も眠りにつくのだった。