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アルデバランの夜

作者: ハマノアキ

不条理ミステリ風なお話です。

舞台になった島は実在の有名な観光地です。本筋とは関係ありませんが、当ててみてください。


 ――ええ、そこのあなたです。失礼ですが、こちらはあなたが落としたものではないですか。……ああ、やはりそうでしたか。この辺りは特に風が強いですからね。夜道にもお気をつけて……え、何ですって。岩谷洞窟まで行きたい?

 あそこは島の最奥ですよ。こんな夜更けに、変わった方ですね。ここら辺は観光地ですが、店が閉まるのも早いんですよ。居着きの地元民が開いていますからね。彼らの生活の時間になると、店を閉まってしまう。橋の入口の寿司屋だって、チェーンですが8時くらいには終わります。ああでも、なかなか美味しいんですよ、あそこ。いいでしょう。それでは道案内をしますよ。ここは意外と道が複雑ですから。ついでに、観光案内でも。それで、帰りの電車の時間は大丈夫ですか。……ええ、そうですか。では、行きましょう。

 こんな真冬の夜は、手が凍えそうですね。といっても、時折そこの波止場で、真夜中から釣りをしている人もいるみたいです。ほら、海面にぽぅっと、ホタルのような光がぽつぽつと、あれ、電気ウキっていうそうです。夜じゃないと釣れない魚がいるらしいですね。僕も時々、素人の五目釣りはしますけど、あの人たちには頭が下がります。あ、この公園、よく猫がごろごろしてるんですよ。島のそこらじゅうに猫がたくさんいるので、ネコシマなんても呼ばれています。いつだったか僕が釣った小さいイワシを投げてやったら、嬉しそうに加えて逃げてきました。お魚くわえた野良猫。どこかで聞いたような感じですね。もちろん、僕は追っかけたりしませんでしたが。  

 さて、ここが島の入口ですよ。あなたもここを通ってきたはずです。反対側の浜辺まで続く長い橋が島への唯一の通路です。向こう側には水族館があります。僕もよくあそこの大水槽が見たくて、何度も足を運びました。不思議ですよね、飼育展示されている魚たちは変わらないのに、何故だか足を向けたくなる。それで、同じものをみて、あの魚は美味しそうだね、とか、クラゲみたいになにも考えずにぶらぶらしたいとか、同じ話をして盛り上がっている。そんなことを話してると、お寿司でも食べたくなるな。どうです、腹ごしらえでも。……もう閉店でしたね。残念です。生け簀の魚や貝をその場で捌いてもらって、ビールを飲みながら寿司をつまむ。ええ、決めました。明日はきっとそうしましょう。それにしても、生け簀の魚と、水族館の水槽にいる魚。どっちの方がましな人生なんだか。僕だったら、限られた世界に閉じ込められるくらいなら、さっさと殺されて、次の人生にかけたいと思いますけど。それも人間の身勝手ですか。

 この道をまっすぐいくと、神社に続く坂道です。普段は観光客相手のお店がずらりとならんでて。そこのお店は、洗面器ぐらい丸くて大きいエビ煎餅が有名なんです。さて、見えてきましたね。この坂道をずっと登り続けて、神社を抜けると、展望台が見えてきます。そこを奥へと進むと、ちょっと雰囲気のあるお社がいくつかあって、その奥の奥に、下へと続く階段があります。その先が岩谷洞窟ですよ。

 ――え、もう十分ですって。いやいや、乗り掛かった船ですから、最後までご案内いたします。勝手に乗せたのは僕かもしれませんが。ははははは。それに、僕も実は同じ方面に用があるんですよ。さて、行きましょうか。坂道が続きますから、疲れたら言って下さいね。昼間の時間には、有料のエスカレーターで登れるんですが。

 ああ、ライトアップが綺麗だ。この島は毎年冬に、イルミネーションをやっている。外から眺めると展望台の光をてっぺんにして、そこから島の回りがくるくるとイルミネーションで輝いている。クリスマスツリーのようですね。僕は無神論者ですが、クリスマスは祝いますよ。あなたは誰と祝いましたか。ええ、なるほど。そうですね。大切な人と過ごす時間ほど、この世に価値があるものはない。僕もそう思います。巷に溢れたカップルたちも、家族も。でも、そんな彼らを見ていて、寂しさを覚えるのは僕だけでしょうか。無性に切なくなって、腹正しくなって、暴れまわりたくなる。独りの孤独に酔いしれて、彼らを見下したくなる。そんな時代が僕にもありました。心が狭いでしょうか。

 お疲れ様です。そろそろお社ですよ。もう少し先にいけば、展望台がある広場です。少し休みませんか。ほらそろそろ…ええ、そこに自販機があります。ここは僕の奢りということで。ホットコーヒー。僕はホットレモンにします。ああ、ホットウィスキーがあれば、一番いいのに。 

 案外、広いと思いませんか、この島は。何年も前に、彼女と二人で、島の外側をぐるりと回ったことがあります。干潮の時には、島の入口の右手側に岩礁が現れて、そこからぐるりと一周ができるんですよ。ちょっとした冒険で、その時に、ああここは野生の島だったんだなって、そんな風に笑い合いました。今でも思うんですよ。この島を今度は左回りに回れば、またあのときに戻れるんじゃないかって。昔、スーパーマンという映画では、文字通り超人的な主人公が、時間を巻き戻すために、地球を逆回転させていました。そんな感じです。もっともそんなことをしたら、時間が巻き戻るどころか、地球は滅茶苦茶になるようですが。でも、何だか彼の気持ちが分かるような気がします。想い出の場所を逆向きに遡れば、その時に戻れるような気がする。そうやって、どれだけ色々な場所を放浪したことでしょう。まだ、飲み物はありますか。ありますね。

 この島にも、そんな想い出がたくさん詰まっています。背の高くて、細っこい、顔は地味ですが、とても真面目で品のある女性。ヒールを履くと僕なんかよりも少し背が高くなるので、いつもそれを気にしていた。手が繋ぎやすくて便利ね、なんてことも言っていましたが。彼女の姿を僕はどこにでも見出だしてしまう。想い出がありすぎるのはかえって辛いものです。そう、あの水族館にも行きましたし、美術館や、温泉にもいった。都内にある彼女の狭いアパートにお邪魔したときのことも、よく覚えています。僕は料理が好きで、イタリアンを作りにいった。彼女の部屋のキッチンを借りて、パスタを茹でている横で、楽しそうに、ピョコピョコと跳ねていました。彼女はとても小柄で、小学生のようでしたので、それはもう、可愛らしくて仕方なかった。……ええと、これは何の想い出だったっけか。彼女は背が低かった……。ええ、それは間違いありません。人生に行き詰まって、もう死んでしまいたいと自暴自棄になっていた時に、彼女はその小さな手と丸く柔らかな身体で抱き締めてくれた。そうすることで、僕は何とか眠れることが出来て、次の日の朝に仕事にもいくことができた。彼女とは水族館にも行ったんです。ええ。池袋の高い建物の屋上にある水族館。あなたは行ったことはありますか。そこで一緒にラッコやペンギンを見ました。あそこの皇帝ペンギンと君なら、どっちのほうが背が高いかな、なんてふざけると、むっとしてその横顔もまるで天使のようだった。併設されたプラネタリウムも彼女と見ました。その時は同じゼミの先生から、不機嫌そうな怒りのメールが来ていて、プラネタリウムを見終わって後に、二人並んで恐々と帰りました。そう、その日は彼女のうちにお邪魔して、次の日は彼女の家から出勤したのでした。彼女は、同じ職場の同期で、職場のとても近くに住んでいたので、よく甘えさせてもらいました。その次の日に僕たちはゼミの先生に、クラス一同こってり叱られました。今ではそれもいい想い出かもしれません。

 そう、だから、僕は想い出を求めてたくさんの場所を巡礼するのです。僕の生まれはここから30分くらいにある、中華街や、大きな観覧車やタワー、赤いレンガ造りの倉庫で有名な港町なんです。よく、そこでも、デートもしました。彼女は僕の故郷が大好きでした。彼女の生まれは、同じ県内でももっと外れの田舎の方でしたから、この都会的な空気に憧憬を抱いていました。彼女は一途に僕を愛してくれて、彼女と過ごす日々は充実していて、今なら一番幸せだったと言いたい。だからある時僕はとても辛くて辛くて、誰もいない夕暮れの公園で、小柄な彼女の肩に顔をのせて、明日なんか来なければいいと、そう呟いた。彼女は何も言わずに、僕の頭を撫でて静かに同情した。彼女には他にちゃんとした相手が居たことは知っていましたから、僕の究極的な救いにはならない。それはお互い分かっていました。お互いの足りないとこを少しずつだけ埋め会う、痛み止めのような付き合い。彼女は僕の生まれ故郷に来る度に幸せそうで、学生の時分から冗談で結婚しようなんて言ってました。それがこんな結果だなんて本当に人生は分からないもので、彼女の穴を埋めるために彼女がいても彼女の穴にいた彼女は穴になって、蜂の巣のように穴がたくさん穴になって僕はそれを埋めるために沢山の穴の彼女がいました。そう、あの対岸の浜辺で、彼女と焚き火をしました。一時僕はアウトドアにはまっていて、11月の寒い最中に、彼女と並んで火をお越して、お酒を飲んだり肉を焼いてばか騒ぎをしました。彼女は中肉中背で、目がぱっちりとした、愛らしい女性でした。僕よりも先輩なくせして、天真爛漫でとらえどころがないというか。彼女と遊んだのは赤坂や、井の頭公園だったり、面白半分でいった陶芸教室だったり、そして僕の生まれ故郷で真夜中まで飲んで遊んで、彼女が僕を抱き締めてくれたのに、その時の僕は綺麗事を重ねる臆病者でした。失望失望。だから彼女は次第に遠退いて連絡も取れなくなったんだ。でも、彼女は結婚して、僕のいる職場からもいなくなってしまったし、だから僕が見られるのは、想い出の中だけの彼女なのです。そうここにも、そこにも、あそこにも。

 さあ先を急ぎましょう。あなたの目的地も、僕の行く先も、もうすぐですから。こうして誰かと歩いていると、昔を思い出します。もちろん、彼女のことです。ああ、そう、中肉中背で背の高い小柄で地味な気が強い、天真爛漫なわがままな彼女です。上品に歳を重ねて、妖艶な雰囲気をたたえた、小学生のような彼女です。もうお互い良い歳だからといって、精力は無かったけれど、何もしないで、ただ、抱き合って眠る。そんなことも人生の幸せだと思いました。でも彼女は僕をおいて先に逝ってしまった。僕にはまたぽっかりと胸に穴が開いて、だから彼女とプラネタリウムを見に行くんです。ゼミの先生にまた僕たちが怒られるかもしれない。ははは。

 お疲れ様でした。ここが展望台です。イルミネーションがされて綺麗だ。でも、僕にはこの宝石のような光りも、展望台も邪魔で仕方がありません。空を見上げてみて下さい。ほら、こんなに明るくなってしまって。だからここは無視してささっさと進みます。こんな所に抜け道のような細い道があって。ここを抜けると洞窟に続く磯にでます。ちょうど島の裏側あたりでしょうか。脇にはちょっとした谷のような景色がありますね。ここから落ちたらひとたまりもないでしょう。怖い怖い。

 またお社が見えてきました。僕は表の参道より、この暗がりの道の方が好きだ。静かで、雰囲気があって、何より空が暗い。お参りでもしていきますか。この世の別れに。はい?ええ、まあ見た目より若いとも言われますし、何だか老けているよね、と言われたこともあります。彼女はなんていってたかなぁ。もちろんここにも、彼女との想い出があります。ほら、そこに猫がいるでしょう、きっとあれは彼女と一緒に撫でた猫です。黒毛に白が混ざった、あの猫。そのお賽銭に、ずっと一緒にいようねとお参りをして五円玉を投げました。彼女は嬉しそうな顔をしましたし、とても困惑した顔で苦笑いをしました。しかし本当にここは暗い。プレアデス星団もここならよく見える。ほら、夜空に連なるあの星たちです。ぱっと見は1つの星ですが、目を凝らすと、幾つかの星の塊であることがわかります。昔はあの星がいくつに見えるかで、視力を計ったそうです。また、あの星たちはギリシャ神話では美しい乙女たちに例えられています。7人の娘たちだそうです。僕にとっては美しい彼女は一人しかいませんがね。

 さてこの階段を下るといよいよ、洞窟へと続く道。寂しい所ですね。普段はその突き当たりの食堂で海を見ながら島の飯が食べられるのですが。お腹は空いていないですか。おつまみならありますよ。チョコレート、ビーフジャーキー、塩煎餅、…缶詰めもあるけど、箸が一本しかないな……。あなたも飲みますか。ウィスキーはもう空ですが、カップ酒ならいくらかまだあるんです。いいえ、酔ってなどいませんよ。この程度で酔えると思うなら、あなたはさてはお酒が飲めない人ですね。それにしても、あなたはなぜこんな夜更けに、ここまでやってきたのですか。……いえ、聞かないことにします。人にはそれぞれの事情と言うものがありますから。僕?僕はただここがやはり、想い出の場所だからです。そこに磯が見えますね。海岸ともいうかもしれません。そこに寝そべるんです。ちょうど大きな岩が影になって、視界が真っ暗になる。僕はここで輝く星たちを見に来ました。彼女と見たあの星を。彼女がいる、この場所で。こんな風に言うと、まるで彼女がここで死んでしまったようですね。確かに、海が荒れているとき、ここで転んで頭でもうったら、そのまま波にさらわれてしまうかもしれませんね。はは。

 この星空を見てください。冬の大三角が輝いていてら双子座もいる。冬のダイヤモンド。僕は星が好きです。彼女には沢山の星空観察に付き合ってもらいました。知っていますか。遥か遠くの星の光というのは何年も、何十年も何百年も何千年も前の光だそうです。もうずっと昔になくなってしまった星の光がこの夜空に届き続けている。そんなことすらあるらしい。不思議です。そんな星たちを見ていると、昔に戻れる気がします。想い出ではなくて、かたちを持った何かが生まれるそんな気がする。だってあの光は過去からやってきたのですから。僕たちが過去に戻れない道理があるでしょうか。地球を反対に回すより、説得力があると思いませんか。あの光をずっとたどってあちら側にいけば、それだけ昔に帰ることが出来るのです。そうに違いありません。僕はきっと彼女を過去から取り戻す。戸棚から人形をひょいと取り出すように、彼女を想い出から引っ張りだしてみせます。あの赤く輝く星を知っていますか。いえ……それではありません。それはオリオン座のベテルギウスです。それよりももう少し斜め上……そうです。あれは牡牛座の一等星、アルデバラン。ここから50年位前の光です。あの星こそ、僕の希望なんだ。僕は必ずあの光をたどってみせます。

 アルデバラン。この星の名前の由来は、後を追うもの。プレアデス星団の後に続くもの。運命的じゃないですか。アルデバランの光をたどって、その続く先には美しい乙女がいる。地味で大人しくて背の高くて小学生のように小柄で愛くるしい天真爛漫で、円熟した、彼女がいる。さぁ、ここでお別れです。洞窟はこの先です。

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