第9話:圭介先生初授業
試験農場開設の下準備を始め、木材が届く明日には倉庫を改装した堆肥保存庫が完成する。
畑の方も、纏まった量の鶏糞が手に入れば種まきを開始できる。
ある程度の所まで漕ぎ付け、木炭もあらかた砕き終わった頃には、辺りが暗くなり始めていた。
本日の作業を終え王都に戻ると、何時もの様にカティが出迎えてくれた。
「お疲れ様でしたケイスケ様。クアラ茶を用意してありますのでお召し上がり下さい」
「ん、ありがとう」
早速今日からティーナに教えるのかと思ったのだが、王都に戻るとマレーナが待ち構えており、笑顔でもってティーナを引き連れていった。
ティーナが手を引かれながら『ケイスケに教えてもらうの』等と、切々と語り説得を試みていたのだが、マレーナが突如立ち止まり私を見ると『ティーナが顕現者様に教えを請うのは、明日からになりましたので、本日はゆっくりお休み下さい』と、一言残して立ち去って行った。
私に向けられた怒りでは無いだろうが、美人が怒ると怖いと言うのを嫌と言うほど味わった。
「カティも座って一緒に飲もうよ」
「はい、ではご一緒させて頂きます」
待機されるより一緒に飲んだ方が私が喜ぶと言うのを理解したのだろう、最近では特に拒否することも無く同席してくれる様になった。
「この後のご予定はあるんですか?」
「ん〜あったんだけど無くなってね。ノートも纏めたいからまた色々教えてくれないかな?」
「私でよければなんでもお答えいたしますよ」
「良かった、ありがとう。じゃぁ、コレは私からの給金だ」
そう言ってお茶請けとして出されていたクッキーをカティの前に差し出した。
嫌いだったのかと心配されたが、甘いものは少しあれば言いと継げると少し安心したようだった。
「また、皆に内緒の事がふえちゃった……」
「皆に内緒?」
「あ! えへへ……私ケイスケ様のお付になってから王妃様とお話が出来たりして、メイドの仲間達にその事を自慢したのですが、流石に『顕現者様と同席してこんな高級なカップでクアラ茶を頂いた』とか『お菓子を頂いた』とかを自慢なんかしたら、メイド長に怒られてしまいます。だから皆には内緒の話なんです」
「ははは、そうか」
『カティが他のメイドに自慢している』そんな微笑ましい光景が目に浮かぶようだった。
こういうのを『癒し』というのだろうか、思えば私がこちらに来てからというもの、カティが私の精神的な支えと言うか精神安定剤になっていた。
当初は目に映る世界に戸惑っていたし、今ではタイミングを逸した感じがして年齢は聞いてないが、恐らく14〜5歳だろうと思う。
まだ『女の子』という言葉が相応しいのに不思議な包容力を感じる。
彼女が居なければ私はもっと錯乱していただろうと思う。
そういう一面もあるのに、今目の前に居るカティは『美味しいクッキーに目を輝かせる女の子』だった。
若干リスにも似た小動物を連想させられる。
こういうのもある種の『癒し』なのだろうか。
「あ! え〜……すみません……とても美味しかったのでつい……」
「え? あぁ〜いいんだよ食べちゃって。ごめんねちょっと考え事してたんだよ」
考え事をしながらクッキーを食べるカティを眺めていたが、なにやら勘違いされたようで、カティが顔を紅くして照れだした。
クアラ茶を飲んで一服し少し疲れも取れた為、夕食までの間に今日分かった事を纏めようとノートを取り出した。
まずは人の姓が生まれた街に由来する事を書き加えると、ページをめくりフリーハンドで書いた地図に、クリフから教わった草が生えているだろう場所に印をつけた。
ハルトヴィック王国の領土を簡単に説明すれば『いびつな四角』と表現出来た。
領土の中心地点から見て南南西の位置には、エルフが治める隣国『モルダウ』から南北に連なる山脈があった。
その山脈があるお陰で鉄、銅、銀、金等の地下資源を自給出来ている。
領土の中域まで張り出したその山脈を囲うように森が存在し、その森からは国内の木材需要を賄い、製鉄に必要な木炭等も生産されている。
そしてその山脈からは、国土の大半が森であるモルダウ国はもとより、ハルトヴィック王国にも4本の川が流れ込んでいる。
山脈からモルダウとの国境付近を西へ流れる川、山脈の西側は海が近い為、その川はすぐに海に到達している。
「そういえば山とか川とかって名前付いてるの?」
「お城から見える山はヘレナ山と呼ばれていますよ、川は地域ごとに異なった呼び方があるので、決まっているわけではありませんね」
なんともおおらかな話だった。
しかしそういう事ならと、山脈に『ヘレナ』と記入した後、国境付近を流れる川に『西境川』と名づけておいた。
その他には、山脈の北端から北にある王都に向かって流れる川があった。
この川は王都のすぐ傍で湖を形成し、湖から流れる方向を西に変え海に流れ込んでいた。
この川には王都付近で湖として水を溜める事から『溜都川』と名づけておいた。
その他にも、山脈の東側の斜面から北北東へ領土を縦断するように流れる川、領土を縦断しクリフに教わった草があるそうなので『縦草川』と、同じく山脈の東側斜面から森の中を東へ流れ、途中で南東へと曲がりモルダウへと流れていく川には、流域全てが森である為『東森川』と名づけた。
山や河川の名前を付け加えられた地図を一度眺めたが、和洋折衷もいいところだった。
我ながらセンスが無いとも思ったが、分かれば良いと思い直しそのままノートを閉じた。
「それでカティ、聞きたい事というのは魔法のことなんだ」
「魔法ですか?」
「うん、まず私は魔法をつかえるのか? という事なんだ。今まで色々ありすぎてその事を考えなかったけど、ふと思い出してね、使えなくても構わないけどハッキリさせておこうと思って」
使えるならそれに越したことは無い、しかし使えなくても一向に構わない。
そして結果的に私は魔法を使う事が出来なかった。
子供の頃には誰でも見えていた精霊が、凡そ6〜7歳になると見えなくなるという。
しかしその時期を過ぎても精霊が見えている者が、精霊の力を借り受ける事が出来る様になるそうだ。
純真な心を持っていたり、純粋な想いを持っていたりすると、6〜7歳以降も精霊が見え続けると考えられており、人里離れた山村等に精霊が見える者が多く居るというのが、その説の有力な証拠になっているらしい。
そして次に魔法の種類だ。
前にカティに聞いたところ、水とか火等の自然にある物を、防壁ないし攻撃手段にする、という魔法しかないという事だったのだ。
しかし、今思い返してみれば例の『帰転』も魔法ではなかろうかと思ったのだ。
「いわれて見ればそれも魔法でしたね……申し訳ありません」
「いやいや、いいんだよ。それに『カティがあの時帰転の魔法に思い至らなかった』というのもある意味では貴重な情報だからね」
教えられなかったのに、なぜその事が有益であるのか分からずカティはキョトンとしていた。
「カティが思い至らなかったという事は、頻繁に行使されるような一般的なものじゃないって事になるよね」
「そういえばそうですね……私は帰転した方すらお見かけしたことがありませんから」
私は魔法が使えなくても構わないと考えている。
確かに魔法が使えれば、戦闘面で有利になる事は容易に理解できる。
しかし、王様になるのなら自分が戦闘に参加するという事は無いだろうし、仮に王国が崩壊し王様じゃ無くなったとしたら、私は生きる目的を失ってしまう。
今私がここに居るのは、衣食住と生命そのものを守られ、私に良くしてくれる皆に対する恩に報いる為にいるのだ。
今の話を聞いて『もしかしたら帰る方法がある』という事を考え少しだけ希望を感じた。
落胆を深くしない為に意識して否定的に考えようとしているが、一般的ではない魔法があるという事実は、知られていない魔法が存在する可能性があるという事だ。
しかし、その希望の種があるとするならば、人間以外が統治する場所、王様でしか手を伸ばせない場所だろうと考えている。
マレーナが嘘を付いているとは思えない、もし嘘を付いて帰る方法を隠蔽していたら、悔しくも思うがそれはそれで帰る方法が目の前にあるのだから僥倖だ。
マレーナも一国を預かる身ならば、腹芸の一つも出来るだろう。
しかし、もし方法があるのなら隠蔽ではなく餌にする方が効果的だ。
だからこそ、もし本当に帰る方法があるのなら、人間が統治する三国以外、外の世界にそれを求めなくてはいけない。
もしあったとしても、そこに至れる可能性は低いと思う。
試験農場で簡単な試験結果が出るのが1年後、紙の製造販売等で肥料等の購入資金が潤沢になったとしても、堆肥の発酵期間や、新農法を全域に広める際のタイムラグを考えれば、順調に結果を出し『国中の胃袋を満たす程の豊作』という結果を出すまでには、最低でも今から3年後だと思う。
その上で人口が増え、比例して軍事力が増し、国土の安全を維持しつつ『帰る方法の探索』という国家運営となんら関係の無い事にまで手を伸ばせる様になる迄には、一体どれ程の時間が必要なのか皆目見当も付かない。
夕食の後になってもそんな事をあれこれ考え、時折思考が脱線しながらも寝るまで考えることに没頭していた。
「おはよう御座います、ケイスケ様。本日は雨のようですよ」
「ん? おはよう……しかし、毎日カティの顔を見る事が1日の始まりというのも妙な気分だね」
「ケ、ケイスケ様!」
別に惚れたとかそう言ったことではないが、毎朝起されて始まるという事が新鮮だった。
今でもそれなりに忙しいが、元の世界では目覚ましに叩き起こされ、時間に追われ朝飯も食べずに営業に向かう毎日だった。
夕方になり営業所に戻れば一日の業務日誌を書き、明日の予定を立てて準備を済ませ、家に帰宅するのは決まって夜の9時とか10時だった。
それがこの世界に来てからは、朝8時に起され、夕方まで作業等をして王城に戻れば夕食が準備されている。
夕食を食べた後には思いついた構想等を纏めてみたりする。
なんとも優雅といえば優雅だった。
「……仲がいいのね」
「うおぁ!」
そんな事を考えながらカティの慌てる姿に癒されていると、突如背後から声が聞こえてきた。
「ティ、ティーナ……おはよう」
「おはよう、ケイスケ。今日は雨だから作業は中止するらしいわよ? だからケイスケの話を聞けなかった分、今日は一日中付き合ってもらうわよ?」
「あ、あぁ……うん、分かった。準備するので待っててくれ」
『婚約者の目の前で他の女の子と朝の語らいをする』等という不謹慎極まりない行動に怒るかと思ったのだが、特にそういったことも無く、空回り気味に1人勝手に戦々恐々となった自分がむなしかった。
「そうだなぁ……ティーナは何が知りたい?」
「何でもいいわよ、そもそも何を聞けばいいのかも分からないし」
そういえばそうだなと頭を悩まし、自分の学生時代の事を思い出したので1時間程度で科目を変えるという方式を取った。
ティーナとカティへの授業は簡単な世界史から始まり、今行なっている試験農場の事を説明する為に食物連鎖等の生物学を説明した。
目に見えぬ微生物や菌類等が存在し、それらが動物の糞や枯れ草を分解する事で草木の栄養になる事を説明すると、驚きながらも何処か納得していた。
その他にも、蒸気機関や電気等の動力装置、電話や無線等の通信機器の事を説明すると、無早開いた口が塞がらないといった様相を呈していた。
「それを作ったら凄い発展するじゃない!?」
王女という肩書きどころか、女性という事すらかなぐり捨てるかの如く私に詰め寄ってきた。
鬼気迫る形相をした美人の女性に詰め寄られるという初体験に、かなり腰が引けてしまった。
「そ、そうだね……でも作ろうと思ったら何度も実験をしなきゃならないし、お金が掛かるんだよ『仕組みをなんとなく知っている』という知識と『実際に動くものを作れる』という知識の間には歴然とした差があるからね」
「……そう」
少し元気をなくしたものの、紙やアルコールの製造の事に思い至ったのか、なにやら決意を新たに奮起していた。
その後ちょっとした算数等を教え、夕食の時間になった為私の授業は終了した。
夕食後私はマレーナのもとへと足を向けた。
昨夜も考えに没頭し、授業を行なっている際も時折考えていた事がある。
それは『戦略』だ。
今まで私は状況に流されていた。
世界に放り出され、王様に祭り上げられ、何も知らないから教えを乞うた。
国の現状を知り、恩に報いるため目の前の問題を処理し、少しだけ先の事にも目を向けた。
しかし、帰る方法を探る為には、国も私も大きくならなくてはいけない。
対処療法では大きくなる事など出来はしない。
営業も国も『戦略』という大きな方針を打ち出してこそそこに至る道が見えてくる。
「マレーナ王妃。貴女の望む未来はどんなものなのですか?」
そんな言葉から始まった私とマレーナの議論は、元の世界では割と一般的な、この世界では皆が寝静まる午前0時にまで及んだ。