第8話:畑の下準備
試験農場を開く為一日中動き回り、翌朝起きてみれば多少筋肉痛になっているようだった。
ぎこちなくベットから起き出し朝の支度をすると、早速次の段階へと進めるべく選定地に向かおうとした。
「顕現者様、お待ち下さい」
「あ、クリフさん。おはよう御座います」
「おはよう御座います、顕現者様。過日ご要望のありましたトロトロする物の件を尋ねてまいりました」
「あ! 分かりましたか?」
「えぇ、私の生家はクリストフ・ヴェイランドという名前からもお分かりになります通り、急行馬車で王都から東へ4日程の所に位置するヴェイランドという街なのですが、疫病が流行ったという事で友人共々一時期祖父母の家に預けられたことがあったのです。そこはヴェイランドから更に東へ1日と半日程度行ったところにあるベンソンという河沿いの村なのですが、その河に群生していた雑草からとったものでした」
恥ずかしながら、生まれた街が姓になると言うのを初めて知った。
恥ずかしいのでその事は黙っておき話を聞くと、今もあるのか分からないし、この季節に生えているものなのかも分からないという事だった。
その為、早馬なりで早急に存在の有無を確認する必要があると判断し、その件をマレーナに依頼するべく執務室を訪れた。
「忙しいところ済みません、マレーナ王妃」
「いえ構いませんよ、わたくしも今来たところですので」
「そうでしたか、実は紙の製作についてなんですが……」
そう切り出して事の次第を説明すると、早速手配しましょうと言って命令書を書いてくれた。
「そういえば……発注しておいたあの装置なのですが、見積もり金額と共にこのような絵が送られて来たのですが……」
どうやらアルコール採取の道具の見積もりが届いたらしいのだが、なにやら絵が添付されているとの事、受け取ってみて見ると、それは装置の図面だった。
さすが職人と言うべきか、より製作し易く整備もし易そうな設計図を送ってきたのだ。
前に冷却装置の概略図として、水槽の中を通る曲がりくねった銅管を書いたのだが、そもそも管を作ることが難しく、その上曲がりくねっているとなると製作も困難な上に、銅管内の清掃等の整備性が悪いと指摘が書いてあった。
「流石に専門家は考えることが違いますね」
「そうなのでしょうか? わたくしには、そういった物をを発案なさる圭介様に驚きを感じるのですが……」
「ははは……」
より進んだ文明社会に住んでいたというズルではあるのだが、褒められれば悪い気はしない、ちょっと照れた。
それは兎も角、確かに真っ直ぐの管なら製作も簡単だろうし、後々の管内の掃除も楽だ。
しかし私もいたずらに曲りくねった管を書いた訳ではない。
車のラジエターやエアコンのフィン、冷蔵庫の裏の冷却装置や湯沸かし器の中の銅管等、熱を逃がして冷却したり、逆に暖めたりする物の内部というのは、曲りくねった管で構成されている。
曲りくねらせる意味と言うのは、暖めたり冷やしたりする媒体の表面積と、その影響時間を稼ぐ為なのだ。
しかし送ってきた設計図には、管を曲げることなく表面積と影響時間を確保する方法が書いてあった。
煙突に繋げる為の真っ直ぐな太い銅管が一本あり本来出口となる場所が塞がれている。
銅管の途中に8個程一列に穴が開いており、そこに細い銅管が繋がっている。
その8本の細い銅管は、傾斜しながら石と土壁で出来た水槽の反対側まで真っ直ぐ突きぬけていた。
反対側には、煙突に接続する銅管と同じ太さの銅管があり、こちらの銅管は両側を塞がれている。
側面には16個の穴が8個1列として並んでおり、片方の列には水槽を通ってきた8本の銅管を、もう片方は再び水槽を突き抜ける銅管を繋げる仕組みだった。
最後には煙突と接続する銅管とまったく同じものがあり、8個1列とした穴に水槽を突き抜けて来た細い銅管が繋いである。
最後の銅管で全ての銅管の液体を集め、出口から液体を採取するという仕組みだ。
試してみて直ぐに冷えるようなら1段にすれば良いし、冷えないなら3段位折り返せばいい
パイプも全て真っ直ぐなので、煤で汚れた際には全て取り外して洗うのも簡単だ。
蒸留の為の装置も、間の水槽が金属製なだけで、コレと同じような仕組みだった。
現在分かっている材料費と手間賃等で250リマ、一般人の月の給金の2か月分と同じくらいなので、日本円にして40〜50万だろうか、やたら高い気もしないではないが、特注品なので仕方ないだろう。
しかも、これには銅管を作る手間賃が入っていない。
管にするというのがどの程度難しいものなのか、やってみないとわからない為だそうだ。
「成る程……これなら後々楽ですね。しかし……やっぱり試験農場の方で経費を押さえておいてよかったですね……」
「足りないようなら何とか捻出してみますが……?」
「いえいえ……元商人ですからね、お金に関しては厳しい考えを持ってますので、最初の取り決め通りにしましょう」
そう言って部屋を退室し、ようやく今日予定していた作業に掛かるべく現場に向かった。
その際、エルンスト将軍の計らいで倉庫整備に80名、本日予定している森林からの腐葉土採取に40名と、昨日より20名多い兵士を派遣してくれた。
「あ! ティーナ!」
「ふふふ、待ちくたびれたわよケイスケ」
荷馬車に揺られて王都の直ぐ傍にある湖に到着すると、ティーナが待っていた。
「どうしたの急に? というか来るなら一緒に来ればよかったのに」
「今日は王城の執政官達との会食があったんだけどね、逃げ出して来たのよ。だから一人でこっそり来たの」
「え? じゃぁマレーナ王妃は知らないの?」
「そうね」
「そうねって……」
どうやらティーナの貴族達に対する壁はかなり厚いようで、顔も合わしたく無い程らしい。
今日も作業を手伝いつつ、色々観察しようかと思ったのだが、ティーナに終始質問攻撃を受けていた。
暫くすると、馬車の中から私が日本語で書いたノートを見つけてきた。
「いっぱいかいてあるわね〜、何が書いてあるのかはまったく分からないけど」
「あぁ、この辺は国の情報の一覧とかだね」
「情報の一覧?」
「うん、国名ハルトヴィック王国、面積の所はまだ空欄でいずれ調べなきゃならないね。その下の何も書いてないところも、住んでる人の数と主な産業……ここには農業と畜産と書いておいたんだよ」
「へぇ……こうして見ると、ケイスケの目から見たら王国もまだまだ調べなきゃならない事って多いのね」
その後も、なぜ森に来たのか、腐葉土とはなにか、国土調査と世帯調査の意味と必要性等を語って聞かせた。
営業でも、担当エリアに得意先となり得る世帯、若しくは店がどの位あるのか、というのは大切な情報だ。
地理を覚える、若しくは調べるというのも、効率的な巡回ルートを確立させる為に必要な事だし、ましてやそれが国家となれば、その情報の重要性はもっと上がる。
世帯調査を行なえば見込める税収の額がすぐに分かるし、人材を捜す際にも役立つ。
国土調査を行なえば、居住区若しくは穀倉地としてのキャパはどの程度か、無駄になっている土地はあるのか、等が分かってくる。
「でもなぜ今調べないの? 数人の兵士を国中回らせるだけなんだもの……国土調査? 位は直ぐ出来るんじゃないの?」
「まぁ予算のこともあるし、なにより代理統治している場所を調べられるってのは嫌がられるだろうからね」
営業でもそうだろうと思う、担当エリアでの業績は仕方ないにしても、上司に調べまわされて『営業しきれていない場所がある』等と言われるのは、仕事的には当然のことでも余りいい気分ではなかった。
そう言った事を説明したのだが、ティーナは暫くブツブツ言っていた。
「まぁティーナは好きではないだろうけどね、昔の仕事からの経験で『どんな人間だろうと反感を買うような事はせず、嫌いな人だろうが利用して人脈を広げろ』っていう持論があるんだよ」
その後人脈を広げる利点を教えると、渋々ながら納得していた。
しかしティーナの指摘のとおり、するべき事はまだまだ沢山あった。
全てを効率的にするならば、あらゆる物の数値化と言うのは必要な作業なので、今行なっている作業に目処が付いたら考えなければならない。
そうこうしている内に腐葉土集めは終了し私達は王都へ帰還した。
「さて……畑と倉庫は兵士の皆がやってくれてるので、私は……っとそうだティーナ」
「なに?」
「私はまだ兵士の皆に頼まなきゃならない事があるんだけど、ティーナはクリフさんに『王城で使われた魚の骨と卵の殻は捨てないで下さい』ってお願いして来てくれないかな? それも畑の栄養になるんだよ」
「へぇ〜、わかったわ」
そう言ってティーナと別れ、馬車で走り去るのを見届けると、兵士達を集め新たな指示を出した。
「誰が行くかは任せるけど、20人程で近隣の養鶏家……鶏肉にする為でも卵を得る為でもいいけど、鳥を育てている所に行って糞を売ってくれないか聞いてくれ。それとは別に誰か炭を持ってきて欲しい。あと残りの人たちは17等分して縦長になった畑を更に3等分して、合計51の小さな畑にして欲しい」
先日は作業の進行速度が分からず17等分と指示したが、人数が多くてさっさと出来上がってしまったので、それならばと更に小分けにするよう指示を出した。
適当に等分にしてもらったのだが、1面が結構な広さだったので51に分割すれば1つが14平方メートル程度の大きさになりそうだった。
倉庫の方も簡易的な窓は出来上がり、正面の壁の撤去もそろそろ本職か木枠が必要になって来ていた。
冷却装置の件や他の件を考えると、出費を抑える為に自分達で木枠を組む事になるだろうと思う。
炭を取りに行った者が戻ってくる頃にはティーナも再び顔を出し、畑の分割は程なくして終わった。
「炭なんてどうするの? それも栄養なの?」
「これは栄養と言うよりも、栄養が少なくても野菜が育つようにする為の物なんだ。ただし、炭が無い方が良い野菜なんかもあるから、混ぜる分量を変えたり、そもそも混ぜなかったりして、どの野菜には何が必要なのか調べようと思ってね。そういう事まで知ってれば試す必要は無いんだけど……」
「いいえ、そんな事を知ってるだけでも十分よ。それに……まだなにかやるんでしょ?」
「ん?あぁ……そうだね」
「そういえばケイスケ……もし時間が有ったらで良いんだけど、私にもケイスケの知ってる知識を教えてほしいの。お母様は政務をこなされて、ケイスケは私の知らない色んな事をし始めている……私も何かしたいの……テーブルマナーや貴族の嗜みは知ってても、私は大事な事は何も知らない……こんな時に何も出来ないのは悔しい……だからそれをケイスケに教えてほしいの」
私が知識を教える事で妙な事になりはしないか、極端に言えば思想の変化等、予想もし得ない事に成らないかと少し危惧したが、それはそれで選択肢が増えるだけで決めるのはティーナだなと考えた。
それに、ティーナが私を見る顔には、全ての心情を理解する事は判断出来ないが、並々ならぬ決意が現れているようだったので、私程度の知識を教えてくれという願いを断るのも忍びない、という思いもあったからだ。
「そうだね……元商人で人と話をするのが商売みたいなものだから、色んな話は知ってる。けれど話題づくりの為に得た知識だったりするからね……専門家じゃないから詳しくは知らなかったりするけど……それで良ければ教えるよ」
「本当!? よかった……」
この世界に来た当初は私が生徒だったが、今度はその立場を変えて授業が行われることになった。
いずれ機会があれば特別講師を呼ぶのも良いかも知れない。