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モンスター・チェイサー ―ヴィクトリア朝ロンドンでモンスターを追う人たち―  作者: 書店ゾンビ
レポート1:多頭蛇〈ヒュドラー〉
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第八話 市街戦

     ◇


 不測の事態が起きれば。


 ――なんて間抜けな台詞だったことか。


 オグロ・ステイブルはそう自省する。

 多頭蛇ヒュドラーなどという、中位霊獣の中でもおよそ最悪の部類を相手にして、予測の範囲内でことが済むなんて、本気で思っていたのか。自分のお花畑な頭をかち割りたい欲求に駆られる。


 けれど、今は我慢だ。


 それより先に、かち割るべき多頭蛇デカブツがいる。


 オグロは斧型のワンドに手を伸ばしながら、周囲の状況に目を配る。

 大部分の市民はすでに逃げてくれている。しかし、近くの建物には立て籠もっている人々も多い。多頭蛇の首の長さを思えば、建物の中も安全圏とは言い難い。


 放流口で捕らえるはずが、外れとはいえ市街地まで連れ出してしまっている。


 リュウに大口を叩いておいて、このざまだ。


 目の前には、多頭蛇の二つの頭。


 オグロは自らを鼓舞するように軽口を叩いた。


「第一班の誘いを無視して、第三班にじゃれつくたぁ、悪いヘビちゃんだ」


 どういうわけか、あの多頭蛇は自分から放流口に現れたのだ。


 第一班の索敵を掻い潜り、釜の番をしていた第三班を襲った。


 突然の出現に対応が遅れた第三班は、負傷者を出して退場リタイア。第一班はまだそのことを知らない。下水道の中で、すでにいない多頭蛇を探し続けているだろう。伝令を出そうにも鼠男ラットマンは第一班と行動しているのだ。ドブさらいの協力なしで下水道に潜るのは、自殺行為である。

 

 そのため、市街地に移動する多頭蛇を追えたのは、オグロだけだった。


 無論、止められるのも彼しかいない。


「――――ふぅ」


 オグロは腰を深く落とし、左足を斜め後ろに引く。

 半身の構えだ。

 双眸は皿のように見開かれて、辺り一帯を捉えていた。視界全体をぼんやりと、同時に隙なく警戒するための目の使い方だ。一対多数を想定した武術は、たいていこういった目の使い方に行き着く。


 対して、多頭蛇は二つの鎌首をもたげた。


 それぞれの頭が、オグロの左右にゆっくりと展開していく。

 単純だが完璧な挟み撃ち。思考を共有する二つの頭が、互いに逃げ道を潰すように動き、左右から同時に襲い掛かった。


「――――」


 オグロの肉体が、無言の内に躍動した。

 滑らせるように左足を出し、両手で斧型の杖〈厄介払い(フループ)〉を振り被る。

 狙うのは、左側から迫る首――多頭蛇にとって右の頭だ。

 オグロの筋肉質な巨体が、俊敏に、かつ()()()()に、相手の下顎よりも低く踏み込んだ。弧を描く斧が、多頭蛇の頭を刎ね飛ばす。

 けれど、その瞬間にはもう、多頭蛇の強み――二つ目の頭が、オグロの背中へと跳びかかっていた。毒牙との距離は、もはや避けがたいほどに至近だ。


 オグロの広範な視界は、間近に迫る多頭蛇の頭を認識していた。


 柄の末端を握ってた右手が、刃先の方へと滑る。刃の付け根の近くには、通常の斧にはない棒状の引き金(レバー)があった。それを握り締める。

 傍目には何も起こらない。しかし、それは静かに戦況を引っ繰り返した。

 オグロの二撃目が、回避不能な距離に迫っていた毒牙よりわずかに早く、多頭蛇の横っ面を殴り抜いたのだ。


 オグロの杖――〈厄介払い(フループ)〉の恩恵は、微々たるものだ。


 カワアナグマという低位霊獣を模したこの杖は、自分の周囲にわずかに弾力のある空気の壁を作る――それだけだ。

 陸上では五秒としない内に風に攫われ、牙や爪を完全に防ぐことはできない、軟弱な壁である。それも当然、本来は「水中で肺呼吸をするため」に獲得された、ささやかな魔法ギフトなのだ。


 吹けば飛ぶような脆い防壁。


 その恩恵を恩恵として預かるのは、難しい。


 空気の壁が作る〈一瞬の間隙〉を活かせるのは、限られた人間だけだ。


 ぎりぎりの状況で、常に相手の先を取りに行く。そんな〈速さ〉と〈度胸〉を持った人間だけが――危険の最前線でさらに前へと踏み込めるタフな人間だけが、〈厄介払い(フループ)〉で活路を切り開ける。


「ぬうおおおおおッッッッ!!」


 殴り抜いた勢いを活かし、オグロは多頭蛇の首を次々と輪切りにする。

 同時に左手が、自らの腰に伸びた。そこに括り付けてある縄を手に取る。


 それは何の変哲もない荒縄だった。


 しかし、オグロの技術に掛かると、まるで意志を持つかのように動いた。巧みに操られる荒縄が、先に頭を刎ね飛ばした右の首を街灯へと縛り付ける。

 こうしてしまえば、片方の頭ずつ相手ができる。双頭の優位性を消したのだ。


(まずは、左の頭から片付ける……!)


 オグロは左の首をさらに刻む。再生不能なほど細かく、本体からの再生が間に合わないほど早く、〈厄介払い(フループ)〉を振り抜く。


「おじちゃん、危ないッッッ!!」


 建物からの声だった。幼い女の子の声だ。

 オグロは咄嗟に声の方に視線を向ける。その途中で、背後の影に気がついた。


 それは頭だった。最初に刎ね飛ばした多頭蛇の頭だ。


 首から切り離された頭が、短い胴と尻尾を作り直し、跳びかかってくる。


「デタラメがッッ!!」


 振り返りざま、引き金を握り締める。

 空気の壁が一瞬だけ、死角からの攻撃を食い止めた。その一瞬で十分だ。

厄介払い(フループ)〉を二振り。×印を描くよう、今度こそ再生不可能な肉片に切り分ける。


 だが、不意を突かれた影響は残った。


 多頭蛇の首を戒めていた荒縄が、わずかに弛んでいた。


 オグロはすぐに縄を引き絞る。

 しかし、それより先に超再生を終えた右の頭が、束縛を脱した。自由になった毒牙が狙うのは、不意打ちを台無しにした少女だった。


 すぐ近くの建物の二階。


 窓から顔を出していた少女に向かって、猛スピードで襲い掛かる。


(首の根元を切り落とせば――いや、本体から離れても頭だけで動かれるッ)


 オグロが息を呑む。

 高速回転する思考が、ありとあらゆる対応策を列挙する。列挙する端から、不可能だと判断した。すべて現実的ではない。


 導き出される結論は一つだ。


 対応不能:あの少女は死ぬ。







 ――――キィィィィィィィィン!!!!







 多頭蛇の頭が炸裂した。

 聞き慣れた双子の咆哮。反射的に顔を向ける。

 肩で息をするような状態で、それを成し遂げた女がいた。

 オグロは安堵より先に驚き、何が起こったかを理解した。そして、ようやくわずかに安堵してから、少しだけ怒った。


「今日一日は寝ておけと言ったぞ」

「それより先に先輩は言いました。()()()()()()()()()()()()()()()()()――と」


 銃型の杖を構えた女は、当然のように言い放つ。

 オグロは呆気に取られて、やや頭を痛めてから、最後に頼もしく思った。

 戦闘の緊張感は保ったまま、けれど、今までにない心強さを覚えていた。


 最高にタフな相棒がいる――背中の頼もしさが、堪らなく嬉しかった。


 だから、その声音にも思わず威勢が出る。


「それじゃあ、二人でやるぞ!」


 その威勢は、自分を鼓舞するものではなかった。


「了解です」


 リュウ・ライトハウスは、素っ気なく答えた。

 それで十分だった。

 オグロはもう負ける気がしなかった。

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