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モンスター・チェイサー ―ヴィクトリア朝ロンドンでモンスターを追う人たち―  作者: 書店ゾンビ
レポート1:多頭蛇〈ヒュドラー〉
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第七話 釜茹刑

   〇


 朝起きると、リンゴだった。


 いつものパンの香りはなくて、代わりに山ほどのリンゴがあった。


 私は、自分の横に置かれたリンゴ満載のバスケットを見て、不思議に思った。なんだろう、このリンゴの山は。そう思いながら、半身を起こす。


 正面にオグロ先輩がいた。吃驚した。


 彼はベッドの端に座っていて、しゃりしゃりとリンゴを丸齧りにしていた。起きた私に気づいて、「おう、おはようさん」と余裕綽々の顔で言う。

 私は、寝起きの顔に自信がなかったから、慌てて布団を被った。厳重に布団で身体を隠して、目だけを隙間から覗かせる。どうしよう、寝顔にも自信がなかった。見られただろうか。どうしよう。


「なんだなんだ、いきなりどうした、リュウ?」

「どうして、こちらに?」

「いや、対策会議の結果を教えてやろうと思って。あと、そのリンゴは見舞いだ。課長が『なんでお前じゃなくてリュウちゃんが寝込んでるんだ死ね!! やっぱり生きろ!! 生きて見舞いを届けてこいリュウちゃんのために生きろ!!』だと。相変わらず怒濤のような方だった」

「はぁ、諸々ありがとうございます」

「体調を崩していると聞いていたが、どんな塩梅だ?」

「熱は下がっているように感じます」

「それはよかった。リンゴ食べるか?」

「いただきます」


 オグロ先輩でも、流石に他人の分のリンゴは剥いてくれるらしい。

 持参していたであろう果物ナイフで、器用に皮を剥き、気づくとウサギ型になっていた。私が目を丸くしていると、「いや、ウサギは好きだったろ?」とか言うので困る。朝からこれは困る。何というか、不意打ちは卑怯だ。

 私がいろいろな葛藤を交えながらリンゴを食べ終えると、オグロ先輩が「もういいだろうか?」と切り出した。「はい、食べ終わりました」と布団越しに答える。


「さて、それじゃあまず現状からだ。下水道の放流口は今、警察と共同で監視と封鎖を行っている。目立った動きはないから、多頭蛇ヒュドラーはまだ下水にいると思われる。それで対策会議の内容だが、単刀直入に言うと、あの〈超再生リジェネ〉への対応案は、二つあった。茹でるか、刻むかだ」

「料理みたいに聞こえます」

「ああ、俺もそう思った。ネギみたいだなと」


 なんとなく、二人で頷き合う。

 いかん、寝起きのせいか、思考が散らかっている。

 話を本筋に戻さなければ。


「その二つの案は、どちらも〈超再生〉を破れると」

「理屈の上ではな。リュウがあれの頭をぶっ飛ばしたとき、飛散した肉片から〈超再生〉は起きなかっただろう? あの多頭蛇も、ある程度まとまった〈生きた細胞〉がないと、身体を復元できないんだ。デタラメな回復力ではあるが、プラナリアほどではないというわけだな。当然、不死身でもない」

「なるほど。では、先ほどの二つの案は、アプローチが微妙に違うんですね」

「流石だな。その通り。茹でる方は――〈超再生〉ができないよう、まとめて全部の細胞を殺してしまおうという発想だ。熱でもって均等にすべての細胞を破壊する。対して、刻む方は――再生不可能なほど、一つ一つの肉片を小さく分割してしまおうという発想だ」

「どちらになりましたか?」

「茹でる方に決まった。まぁ、妥当だな。刻むやり方は、失敗したときのリスクがデカい。肉片の大きさを間違えば、多頭蛇が二匹、三匹増えるってこともあり得る。それこそ、プラナリアみたいにな」


 確かにそれは、ぞっとする話だ。

 今回の多頭蛇は、過去の棄獣と比べても、頭一つ抜けて対応が難しい。棄獣課うちも総力戦になるだろう。

 私は布団から頭を出して、やや前のめりに確認した。


「具体的な配置は、どうなりましたか?」

「まず第一班が下水道に潜って、多頭蛇を誘い出す。続けて、第三班が〈鍵管理者キーパー〉の準備した特製の釜にあれを閉じ込める。釜の設置場所は、俺たちが入った放流口になっている。釜がデカすぎて、下水道の中まで持ち込めなかったそうだ。んで、そこまでいけば、後は煮るだけ。流れはざっとこんなんだ。細かい方法は、各班で詰めている。決行は今日の正午の予定だ」

「第二班は何をするんですか?」

「待機だ」

「…………それだけですか?」

「まぁ、不測の事態が発生すれば、それに対応はするが、そうだな。基本的には待機だけだ。やることはあまりない」


 それはつまり、第二班がこの件から外されたということか。

 どうして……かは、わかる。私のせいだ。

 班の行動は、二人一組が原則だ。私の怪我や体調不良の程度が不明では、オグロ先輩を作戦に組み込めない。少なくとも、〈万全に動けること〉を前提とした配置はできない。課長ならそう判断するだろう。当然だ。それが仕事である。


 でも、私は悔しかった。


 オグロ先輩が軽んじられてしまったように感じるから。


 それも私のせいで。


 私は、彼がどれほど優秀な衛生官かを知っている。

 スワンは〈歩く最終兵器〉などと茶化すけれど、彼の実力を鑑みれば、的外れな表現ではない。本当ならもっと評価されていても、いいはずなのだ。


「前にも言ったが、謝るなよ」

「まだ何も言ってません」

「いや、お前の頭がこう、徐々に下がっていたからな。平身低頭って感じで」


 オグロ先輩が、右手を使って平身低頭の変遷を再現する。

 私は仕方なく口を噤んだ。でも、不満なものは不満だし、もどかしい。

 オグロ先輩は「そう不満がるな」と、私の頭をがしがしと雑に撫でた。雑に撫でるのが癖になっている。困った癖だ。


「これも昨日言ったが、リュウはよくやったさ。お前のおかげで、この作戦は成立したようなもんだ。第二班の功績としちゃあ、それで十分過ぎる。他の班の顔も立ててやらんとな」

「しかし、それでは、オグロ先輩が……」

「相棒の誉れは、俺の誇りだ。まっ、そういうことだから。俺は念のために放流口で待機しておくが、お前は今日一日は寝ておけ。課長には俺から伝えておく」


 それだけ言い残すと、オグロ先輩は病室を立ち去ってしまった。

 私は布団に包まって、「ううー」と恥ずかしいやら、悔しいやら、ちょっと嬉しいやらと、起き抜けの頭では処理しきれない情報量に悶えた。


     〇


「そろそろだ……」


 太陽が中天に至るのを見て、そう呟いた。


 釜茹かまゆで作戦の開始時刻。


 私はまだ病室に残っていた。


 担当医の検診が終わり、退院の許可は下りたのだが、着替えがなかったのだ。ここに運ばれたときの制服は、下水に落ちたという理由からすでに廃棄されていた。

 ちなに〈出会い(リカー)〉と〈別れ(ワダーウ)〉は、スワンに確認したところ、すでに回収済みらしい。だとすれば、今は〈鍵管理者〉が保管しているのだろう。


 私は、ぼうっと窓の外を眺めながら、着替えが届くのを待つ。


 スワンが「着替えなら私が見繕ってくるわよ。そのダサい病衣で出歩かせられるもんですか」と言ってくれたので、彼女の好意に甘えていた。デートのときは、食事代くらい持とうと思う。それはそうと、同性同士でもデートと呼ぶのだろうか。呼ぶのかもしれない。そんな益体のないことをつらつら考えていると、スワンが帰ってきた。


「お待たせ。買ってきたわよ、服」

「ありがとう。でも、わざわざ新しいのを?」

「私のだと丈が厳しいでしょ。まっ、古着なのは勘弁ね」

「ごめん、いくらだった?」

「安物だから気にしないでいいわよ。それより、早く着替えて着替えて」


 スワンが何か期待した目で急かす。

 不穏なものを感じながら、渡された着替えを見る。別に変なものじゃない。何を期待していたのだろう。そう思いながら、白いブラウスを着て、黒いズボンを履く。サスペンダーもあるから、それも使っておく。あと靴下。

 うん。別に普通だ。仕事柄、ズボンも履き慣れているし。

 でも、スワンはご満悦の表情。彼女の趣味的にはこれがいいらしい。


「やっぱりもとが良いから、シンプルでも栄えるわね~」


 と自画自賛というか、自分の選択の正しさに見蕩れていた。まぁ、サイズさえ合っていれば、私としても文句などない。動きやすくて助かるくらいだ。髪をまとめるのは、今日はやめておこう。仕事でもないし。


「そういえば、棄獣課きじゅうかの作戦ってそろそろ?」

「もう始まってるはず。今ごろ、第一班は下水道だと思う」

「上手くいくといいわね」

「大丈夫。一班と三班が動いてるから」

「それもそう……ねぇ、下が騒がしくない?」


 そう言って、スワンが病室の窓を開けた。遠くの喧噪が入り込む。

 かなり離れているが、確かに何か騒いでいる。

 私は胸騒ぎを覚えて、窓から身を乗り出した。通りを行く人たちが、何かに追われるように同じ方向に走っていくのが見える。背後から声が掛かった。


「スワン、急患が入ったわ。手を貸して頂戴」


 振り返ると、スワンの先輩らしき衛生官がいた。かなり急いでいるらしく、声だけ掛けるとすぐに走り去った。スワンも「ちょっと行ってくる」と間髪入れずに後を追う。


 同時に私も走り出した。


 嫌な予感がしていた。


 廊下に飛び出し、階段を二歩で駆け降りる。受け身を取って、さらに走る。

 玄関ホールで、見慣れた制服と擦れ違った。第三班の衛生官が、担架に乗せられて奥に運ばれていた。嫌な予感が、さらに現実味を帯びていく。


 私の脳裏で、今朝のやり取りが思い出された。


 ――不測の事態が発生すれば、それに対応するが、


 私は衛生局に向かう。

 もしも、彼の言っていた〈不測の事態〉が起きていたのだとしたら、私がまずやるべきことは〈現場に急行すること〉ではない。素手の私では、役に立たない。


 だから急ぐ。


 張り裂けそうになる心臓を堪えて、足を動かす。


 もしもそうなら、私には〈彼女ら〉が必要だった。


 最低最悪の現実に向き合うために、


 デタラメな壁を突破するために、


 あの日の決意を貫くために、

 

 私には、あの双子のワンドが必要だ。


 

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