第四話 多頭蛇
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棄獣課の衛生官は、条件付きで〈特殊な武器〉の使用が許されている。
条件は、緊急時。
中位以上の棄獣を相手取る場合に限り、だ。
特殊な武器とは、杖。
生身では魔法を扱えない人類が、限定的に近似の能力を使用するための道具。
霊獣から採取した素材で作られる、霊獣の力を模倣するものだ。本当に杖の形をしていたのは随分と昔の話で、今は用途に応じて様々な姿をしている。
けれど、出発点が杖であったことから、慣例的にそう呼び続けられていた。
私の場合、杖は二つとも回転式拳銃の形を取る。
形は機能の一番外側だ。つまり、使用方法もそれに倣う。
――弾を込めて、狙いを付けて、撃つ。
とてもシンプル。だから、ある程度までの習熟が容易で扱いやすい。
「――――――」
私の身体は訓練通りに動く。
弾倉を開き、弾を込める。足を前後に開き、膝を軽く曲げて両手で杖を構えた。
オグロ先輩は、鼠男を担いで壁伝いの階段を駆け上がる。まずは協力者の安全を図る――基本の行動だ。そして、体格的にオグロ先輩の方が速やかにそれを行えた。
だから、私の役目は彼の援護だ。
彼らと多頭蛇の間に立ち、銃口を頭の一つに向けた。あくまで牽制。すぐには撃たない。鼠男を安全圏に逃がすまでは、不用意に興奮させられない。
多頭蛇は威嚇するように首を高く伸ばした。
先割れした舌をちらつかせている。
あの動きは臭いを嗅ぐ動作だ。蛇は舌で周囲の臭いを集めて、口内の器官でそれを嗅ぐ。私を警戒している。警戒するだけの頭がある。
中位以上の霊獣は、総じて賢い。
何をもって「知性がある」と呼ぶかは多くの見解があるけれど、私の実感として中位霊獣のそれは侮れない。こと生き死にを掛けた戦いに関してなら、彼方の発想の方が上手なことも多い。
多頭蛇が動いた。
いや、私に銃口を向けられている頭は、油断なくこちらを見続けている。
しかし、もう一方の頭だけが、独立してオグロ先輩たちを追った。
身体の中程から枝分かれする二本の首は、今いる位置からでも十分に先輩たちに届く。
オグロ先輩の背後へと大顎が迫る。私の眼前にも頭が一つ。
二者択一。選択を迫られる。
「――――――」
私は無言で対応した。
銃口を斜め上方にずらし、動き出した頭を撃つ。
第一の杖〈出会い〉による射撃。
立て続けに、二発の弾丸を撃ち出した。
両方とも的中、眼球と上顎を抉る。
撃たれた頭は、着弾の衝撃で大きく振れた後、ガクンと力をなくした。
しかし、そちらの頭は陽動だ。
狙いを変えた瞬間、注視に徹していた頭がこちらに跳びかかってきた。
私は、階段から身を投げるような勢いで前に踏み出す。下手に退いても、あの首の長さでは射程外まで逃げ切れない。それなら、前に出て擦れ違う方がいい。
身体を捻りながら、蛇の大顎のわずかに外側を跳び抜ける。
ギリギリの距離。多頭蛇の毒牙が、嘴状のマスクを掠め取った。
素顔が露わになり、下水の臭気が直接鼻腔をつく。
悪臭による吐き気を堪えながら、私はさらに階段を跳び降りた。
空中で身体を捻り、多頭蛇の後頭部に二発撃つ。一発は硬い鱗に阻まれたが、もう一発は首筋の鱗を砕き食い込んだ。それでも、多頭蛇の攻撃は止まらい。
食い込んだ弾丸など気にせず、首を起こして再び跳びかかってくる。
それも今度は、二方向から同時に――最初に撃ち倒したはずの頭が、息を吹き返していた。傷口が激しく泡立ち、泡の奥で潰れていた眼球や肉が再生している。
多頭蛇の固有魔法〈超再生〉だ。
前方と左方から、二つの大顎が襲い掛かる。
右手の〈出会い〉にはまだ二発残っていたが、彼女の連射でも同時に二つは対応しきれない。だから、もう一つのホルスターに左手を伸ばした。
抜き放つ――第二の杖〈別れ〉を。
私は〈別れ〉の撃鉄を起こし、狙いもつけずに引き金を引いた。
――――キィィィィィィィン!!!!
と肌に圧を感じるほどの高音が発生する。
けれど、それだけ。〈別れ〉の機能は、この「高音を撃ち鳴らす」ことに限定されている。つまり、ほとんど空砲と変わらない。実際のところ、この杖単体では虫も殺せなかった。
でも、今のように〈出会い〉が働いた後なら話は別だ。
至近に迫った多頭蛇の眼球が、上顎が、首筋が、マグマのように膨れて、
炸裂した。
二つの頭が同時に吹き飛び、首が石榴のように裂ける。断面からは「ジュー」という肉の焼ける音が生まれた。
この破壊こそが、〈出会い〉と〈別れ〉の本領だ。
特定の音に反応し、高温で破裂する弾丸。それを対象に埋め込むのが〈出会い〉であり、そして、特定の音を奏でるのが〈別れ〉だ。トッコウネズミという低位霊獣をもとに作られた――双子の杖。
その効果は絶大。多頭蛇は動きを止めて、倒れている。
負傷面を焼き潰されては、さしもの〈超再生〉も上手く機能しないようだ。
「はぁ……すぅ……うぐっ」
神経を張り詰めていたからか、今さらになって冷や汗が吹き出る。
深呼吸しようとして、下水道の悪臭に口を押さえた。そうだ。さっきの一瞬でマスクを取られたんだ。マスクの件に釣られて思い出す――顔の前を毒牙が通り過ぎたあの瞬間を。短いやり取りだったけれど、今日のは流石に肝が冷えた。
私は、先に〈別れ〉をホルスターに戻した。空いた左手で、自分にかかった肉片やら返り血やらを払う。
「リュウ、跳べッ!!」
オグロ先輩の叫び声。
反射的に階段を見上げる。彼の顔に浮かぶのは、焦燥、不安、それから――視界の外から強烈な衝撃が襲い掛かった。一瞬、痛みで思考が飛ぶ。
その思考が回復したときには、私の身体は円柱の中央部、底まで続く空洞に弾き出されていた。掴む場所など当然ないし、こうなってはどうしようもない。後はもう身投げしたネズミたちと同じだ。呆気ないほど、落ちるだけ。
重力に引かれながら、私は、私の立っていた場所を見る。
そこには私を叩き出した丸太があった。多頭蛇の胴と尻尾だ。吹き飛ばした頭は再生できなかったはず。それなのにどうやって目算を付けたのだろう。
そう思って驚いた。多頭蛇は、焼けて再生できなくなった首を自切していた。トカゲの尻尾と同じだ。そして、新鮮な肉の断面から新しい頭部を作り直している。なんてインチキ。これだから霊獣はタチが悪い。
「まるで不死身だ……」
落下しながら呟く。
呟くほどの余裕というか、時間がある。つまり、結構な高さがあった。あんまり無事に済まなさそうだ。
さて、一番下まではあとどれくらいだったかな?