第七話 蛟
〇
ロンベルト・カンターベルトから会員の情報を吐き出させた。
ことが鵺に関わるだけに、衛生局の本気度はかつてない。
僕たち棄獣課の衛生官も、あの夜からフル稼働中だった。防疫課とタッグを組んで、フェアリーキスの会員を手当たり次第に訪ねては、鵺を回収していった。
泣き叫ぶ子どもから鵺を取り上げ、抵抗する場合は杖さえちらつかせた。
相手は中位霊獣だ。
棄獣課の衛生官は、杖の使用が許される。
僕たちは歓迎されることのない訪問者だった。行く先々で、罵声、怒声、悲鳴、すすり泣き、懇願の言葉、その他諸々を浴びせかけられる。もしくは、誰一人返事をしない家に辿り着くこともあった。そういう場合は、防疫課が直ちに封鎖する。
誰一人として、笑顔のものはいなかった。
いや、それは違うか。一人だけ、ずっと笑っている。
職業病的な笑顔を貼り付けて、僕だけが――――
◇
キサラ・プリズムは、調べた。
ウィンドミルという古い魔術師についてだ。
曰く、〈最も魔術師を殺した魔術師〉――杖の規制に貢献した、偉大な魔術師なのだという。女王陛下に最も信頼された魔術師である彼らは、杖規制反対派の魔術師を秘密裏に消して回った。
彼らの優れている点は二つあった。
一つは、簡易な魔法を打ち消す、特殊な技術をもっていたこと。
もう一つは、音もなく、像もなく、人を殺す術を持っていたこと。
証拠を一切残さない魔術的暗殺は、自然死なのか、彼らの手による殺人なのかすら判別不能だった。規制反対派の魔術師は、ウィンドミルの手から逃れるために姿を隠した。すると今度は、彼らの後援であった貴族たちの間で、突然死が相次いだ。
誰もそれが、ウィンドミルの仕事だとは証明できなかった。
けれど、すべての突然死が、ウィンドミルに対する恐怖を煽った。彼らに眼を付けられることは、すなわに死を意味した。証明不能な殺人魔術。それは貴族たちに杖の恐ろしさを刻みつけた。杖は規制されるべきだと、恐怖によって知らしめたのだ。
聖騎士局が設立されて、厳重な杖の管理が始まったのは、キサラの両親がまだ十代のころの出来事だった。
その最高顧問として、今でも〈風車〉の名前は残されている。
◇
(でも、これはもう昔の話だわ……)
(ミヅチさんが生まれるより前の話ですもの……)
(彼とは関係のないこと……)
キサラは自分にそう言い聞かせた。
紙に書かれた文字より、自分の経験を信じる。ニャーちゃんだって、すぐに懐いたし、優しくエスコートしてくれた。悪い人なわけがない。
――カツカツ、カツカツ、
「ニャーちゃん?」
ニャーちゃんが、落ち着かない様子で窓を叩く。今までこんな仕種を見せたことはなかった。キサラは不思議に思って窓際に近づく。ニャーちゃんは、窓の前で忙しなく動き続けていた。まるで逃げ場を探しているみたいに。
「外に何かあるの?」
尋ねながら、キサラは窓の外に視線を送る。すると見えた。
曇天の下を歩いてくる、黒い制服の集団――その先頭を切って進む、見知ったはずの人物を。彼が自分の家に向かって歩いてくる。嬉しくなるような光景のはずなのに心は弾まなかった。それよりも、なんだか変なんだ。
「あれは――本当にミヅチさん?」
いつも通りの笑みが、どうして不気味に見えるのだろう。
〇
「こんばんは、キサラさん」
「はい、こんばんは……」
通された応接間で、僕と彼女は向かい合って座る。シラコさんや防疫課の方々は、気を利かせてくれたのか室外で待ってくれていた。
この場にいるのは、僕と彼女と、一匹の鵺だ。
キサラさんの表情は硬い。悪い気配を察している。
僕は手短に話を進めることにした。
「それが何という霊獣かわかりました。彼女は鵺といいます」
「キマ、イラ、ですか?」
「とても危険な中位霊獣です。今日は、彼女を回収に伺いました」
「回収……というのは、何か検査をするということでしょうか?」
「いえ。残念ながらすべて処分されます」
「しょ、しょぶん? えっ、ええっと、それはどういう……?」
「焼却または埋却です」
「そ、そんなことをしたら、ニャーちゃんは」
「そうです。つまり、殺すということです」
彼女の表情が固まる。
彼女の鵺は、先ほどから忙しなく応接間を彷徨いている。落ち着きなく、「にゃあにゃあ」と鳴いては、怖ろしい気配に震えるような仕種を見せる。
キサラさんが、絞り出すような声で言った。
「だっ、ダメですよ、そんなの。絶対にダ――」
「こちらには、それを強制する権限があります」
「みっ、ミヅチさんはっ、それでいいと、思っているんですかっ!?」
「それしかないのです、鵺とはそういう生き物です」
――ご理解下さい。
そう言っても、彼女は到底納得いかないといった顔で黙る。
僕は、足下に置いてある長方形のケースを引き寄せた。二つの鍵を開けて、中の杖を取り出す。話してダメなら、強硬手段に出るまでだ。
僕は、自分の杖を手に取ってみせた。
古くさい杖型の杖――〈邪眼〉。
キサラさんは、黒い杖を見て息を呑んだ。金縛りにでもあったようになる。
この過剰なまでの反応、僕の素性を調べたかな。クリスパーダが彼女の前で家名を出したから、あり得ない話ではない。
まぁ、それならそれで、説明の手間が省けるというものだ。
――ドンドン、ドンドン、
応接室のドアを叩く音だ。急用だろうか。
僕は「失礼」と彼女に断ってから、ドアを開ける。
防疫課の衛生官が、かなり焦った様子で立っていた。額に汗を浮かせている。
「厄介なことになった。棄獣課の第二班が、第一班に協力を要請している。取り込み中のところ悪いんだが、頼む、すぐに来てく――」
素早い影が、目の前を過ぎった。
忙しなく動いていた鵺が、開けられたドアの隙間から飛び出す。
シラコさんたちの足下を擦り抜けて、廊下を疾走した。廊下の先、玄関のドアは開け放たれている。慌てた防疫課が、迂闊にも開けたままにしていたのだ。鵺は腰を溜めて翼を広げた。このままでは逃げられる。
「逃げてっ、ニャーちゃんッッッ!!」
キサラさんが叫んだ。
その横で、僕は飲み干した小瓶をテーブルに置いた。
流れるように詠唱に移る。
「霞む湿地に住まう影、重い頭と香る下草、視界は広く浅く、けれど、そのひと睨みはすべてを萎縮させる、私は醜い水牛の霊」
呪文と同時に杖を向ける。
音もなく、像もなく、紛い物の奇跡は発動した。鵺は翼の付け根を固定されて、呆気なく墜落した。そこに防疫課の衛生官が殺到する。
キサラさんが、僕を見て言った。
「貴方は悪魔です」
僕は苦笑いを浮かべながら、彼女の間違いを訂正した。
「いえ、僕は魔術師です」
この笑顔ならきっと、恐怖と嫌悪を刻み込めるだろう。
「魔術師で、衛生官の――」
どんな第一印象も台無しになるくらいに。
「ミヅチ・ウィンドミルだ」
伏せるもののない自己紹介が、別れの挨拶だった。