第三話 偽
〇
「はぁ、それではこの猫の――」
「ニャーちゃんですよ、ニャーちゃん!」
「はぁ、では、ニャーさんの飼い方を教えて欲しい、と?」
「はい、そうなんです!」
安売り街での〈猫キャッチ&リリース〉の後のことだ。
僕はなぜか、飼い主である少女の相談に乗るハメになっていた。
場所は顔馴染みの軽食店だ。
店主にも、店内のありとあらゆる調度にも、ずっしりと年季の入った隠れ家的な店である。裏路地のやや陽当たりのいいところにあり、店内の壁という壁が本棚になっている。食事をした客は、これらの本を自由に読むことができた。静かな時間を過ごせる、お気に入りの店だ。
普段なら知人を連れ込んだりしないのだが、緊急避難のため仕方なく。猫を持ち込むのは、顔馴染みのよしみと、迷惑料を払うことで目を瞑ってもらった。
とにかく、天下の往来であのまま変に注目されたくなかった。
おかしな成り行きだとは自分でも思う。
その成り行きに乗っている理由、一つは職業意識である。
あの翼の猫に興味があったのだ。もしも未登録の霊獣なら、その入手経路も気になるところだ。これほど珍しい霊獣を扱える密売業者なら、多頭蛇事件にも繋がるかもしれない。
そして、もう一つの理由。
無下に断ると、泣かれそうだったから。すでに半泣きだったし。
僕は足下に視線を送る。先ほどの翼の猫が、ぴちゃぴちゃとミルクを舐めていた。ミルクは店主の好意である。本当にいい店なのだ。
顔を上げる。若い淑女は恥ずかしげに笑いかけてきた。
「キサラ・プリズムさん、でしたよね?」
「は、はい。その、キサラとお呼び下さい」
「では、キサラさん。最初に確認しておきたいのですが、こちらのニャーさんはなんという霊獣なのでしょうか?」
「ご存じありませんか?」
「ええ、寡聞にして」
「私も存じ上げないのです」
ああ、この娘はあれだな。
ちょっとお花畑だな。
僕は仕事用の笑顔にやや苦味を足しながら、「そうなんですね」とやっとの思いで返した。ああ、ダメだ。この娘から入手経路云々とか無理そうだ。
難しい話とか、期待するべきじゃない。
こちらの落胆をよそに、キサラさんは「そうなんです!」と元気よく続けた。
「今日はそのことで、あの辺りのお店さんを尋ねて回ったのですが、どちらのお店さんもわからないと仰るので……」
「正規販売店を回ったんですか?」
「はい、だと思います」
「まぁ、彼らは販売のプロであって、霊獣の専門家ではないですから。普段扱っているものでなければ、特定は難しいでしょう。ところで、衛生局への登録はまだなのですか? 登録の際に詳しく調べてもらえるはずですが……」
僕はそう言って、相手の様子を覗う。
疑問系にしてはいるが、未登録なのは確実だ。僕が本当に知りたいのは、「なぜ登録していないのか」だ。場合によっては、こちらの素性――衛生官であることは伏せた方がいいだろう。
キサラさんは、朗らかに笑って答えた。
「衛生局には、連れて行かないんです。ニャーちゃんを下さった方から、衛生局では登録しないようにと、キツく言い聞かされていますから。それに衛生局は、霊獣を処分する場所だって言いますでしょう? ニャーちゃんをそんな怖ろしい場所には連れて行けません」
「そうですか。まぁ、そういう考えの人も、最近は多いですね」
平静を装って答える。
そういう理解なのであれば、素性は伏せておこう。無用な反感を買うだけだ。
こちらの質問が止まったからか、キサラさんは上目遣いに「あの、私もよろしいでしょうか……?」と手を挙げた。
遠慮がちに伸ばされた手は、まるで講義中の学生のようだ。
「ああ、こちらばかり質問してしまって申し訳ない。なんでしょうか?」
「ミヅチさんは、霊獣たちに大変お詳しいようですし、扱いもなんだかとってもお上手で、その、獣医さん……なんでしょうか?」
「ああ、いえ、そういうわけではないのですが……」
「でも、私には中々懐いてくれなかったニャーちゃんも、すぐに捕まえて下さいましたし、あの、不思議な粉をお使いになって……?」
「ああ、あれはですね。そう大した物じゃんないんです」
そう前置いて、僕は〈桃の灰〉が入った小瓶を取り出した。キサラさんの前で、これがどういうものか、簡単に説明する。勿論、少量であれば、霊獣に害がないことも言い添えた。
話し終えると、キサラさんは感極まった顔をしていた。というか、感極まった様子でこちらの手を掴んできた。女性から手を取られるとは思わず、流石に吃驚する。
けれど、こちらの動揺にすら気づかない勢いで、彼女は目を輝かせていた。
その爛々と輝く目で凝視しながら、彼女は「すごい!」と言う。
「ミヅチ様は、魔法使いなのですね!!」
キサラさんが、絶滅した生き物を前にしたような驚きの声を上げる。
僕は苦笑いを浮かべながら、よくある間違いを訂正した。
「いえ、僕は魔術師です」
〇
僕とキサラさんは、表通りを並んで歩いていた。
彼女を家に送り届けるため、目下エスコート中である。ニャーさんは、彼女の腕の中で気持ちよさそうに微睡んでいた。そろそろ寒さも厳しくなる季節だけれど、今日は例外的にいい陽気だ。風もないし、午睡にはぴったりだろう。
「気持ちよさそうに眠っていますね」
「はい。今日はありがとうございました。いろいろ教えて頂いて」
キサラさんが、もう何度目かになる礼を言う。
僕は苦笑いで「大したことじゃないですよ」と何度目かの返事を繰り返した。飼い方を教えるといっても、僕が伝えたのは簡単な毛玉対策なのだ。きちんと症状さえ話していれば、街の販売業者だってこれくらい教えてくれたはずだ。
そう言っているのだが――、
「でも、教えて下さったのは、ミヅチ様だけでしたから」
と、彼女は言う。すごい笑顔で。
まぁ、うん。その、育ちが良いんだろう。
うん。他意はなく。ちゃんとお礼を言う教育の賜物。うん。
「あっ、ここです。私の家」
そう言われて足を止める。立派な多層階型のタウンハウスだ。
無事にエスコートを終えて、僕はほっと一息吐く。
女性をエスコートするなんて、子どものころ、スワン相手にやって以来だ。
そして、スワンを真っ当な女性としてカウントするかは、ちょっと迷う。あのお嬢様は、外出する口実というか、正当性の担保として僕を利用していただけだ。
「それでは、これに――てっ?」
既視感のある光景。
つんのめる僕と、袖を掴むキサラさん。
ニャーさんがゴロゴロ鳴いている。うっかり可愛らしいと思った。
いや、うん。ニャーさんがね。そうそう。
「ミヅチさん。あっ、あの……」
「はっ、はい。なんでしょう?」
「あっ、明日、私の入っているクラブの夜会がありまして、その、もしご迷惑でなければ、あの、来て頂けませんか!? たぶん、みんなも、詳しい人に会いたいと思ってて、その、それにあの、お好きですよね、霊獣っ!?」
「は、はぁ、まぁ、はい」
「それだったら、ご紹介できると思うんです、あの、スゴい人がいて、みんなの望む霊獣を紹介して下さる方なんです、クラブの人だけに内緒で!」
「えっ……」
それはもしかして――密売業者。
「あっ、紹介のカードもありまして、そ、その、ご迷惑でなければ、ですが!」
そう言って、差し出されたカード。
白くほっそりした指先から、僕はそれを受け取る。
受け取った瞬間、視界に飛び込んでくる文字列があった。
霊獣愛護団体〈フェアリーキス〉。
それがクラブの名前だった。見紛うはずのない名前だ。
「そ、その、どうでしょうか!?」
懇願するような目で、キサラさんは見つめていた。
目の前に立つ男が、棄獣課の衛生官だと知らぬまま。
僕は「では、伺わせて頂きます」と仕事用の笑顔を向ける。伏せていれば、嘘にはならないと、そう自分に言い聞かせた。