第二話 逢
〇
アーバンクルの登録に失敗した翌日。
第二班と入れ替わりで、第一班も非番をもらえることになった。
なので、僕は衛生局の医療施設を訪れていた。
目的は見舞いだ。見舞う相手は、多頭蛇事件の際に負傷した、第三班の同僚である。大きな怪我ではないと聞いているが、まだ退院していなかった。
受付を済ませて、医療課の廊下を進む。
同じ衛生局とはいえ、課が違えば、業務や制服もまるで違う。顔見知りもいないので、私服の僕は誰にも呼び止められず、すんなりと彼の病室に辿り着いた。
ノックをする習慣は、うちの課にはない。ドアを開ける。
「ちょッ、危ないじゃないノックくらいって、なんだミッチーじゃない」
前言撤回だ。医療課にも一人だけ顔見知りがいた。
衛生局で知り合ったわけじゃないから、すっかり忘れていた。
無駄に容姿の整った彼女に向かって、僕は苦い苦い笑みを浮かべて応じる。
「久しぶり、スワン。そのミッチーっていうのは、なんとかならない?」
「なんでよ、昔からそう呼んでるじゃない?」
「子どものころはそれでもよかったけど、お互いもういい歳だからね」
「あらやだ。いい歳なんて、うちの父様みたいなことを言うのね」
顔見知りこと、スワン・ナイトウィングはそう零して渋い顔だ。
いい歳してもっと落ち着けとか、いい歳なんだからそろそろ見合いでもとか、お父上に言われているのだろう。あそこのお父上もかなり古い人だから、想像に難くない。
「あっ、ミヅチさんだ!」
スワンに脱力させられていると、見舞うべき同僚のウルフくんが先に手を上げた。
僕も本題に戻り、「やぁ、こんにちわ」と彼に応える。
スワンの横を擦り抜け、ベッドの隣に置いてある見舞い客用の椅子に座った。なぜかスワンも付いてくる。なぜだろう。仕事をしなさい。
「身体はもういいのかい?」
「もうすっかり大丈夫よ、一応今日だけ様子見って感じ」
「あははっ、スワンさんが先に答えちゃいましたね」
「ははは……。そうだ。お見舞いにケーキを焼いてきたよ」
「ホントですか! ありがとうございます!」
「よかったね、ウルフくん。――で、私の分は?」
「あるわけないじゃないか。いいからスワンは仕事に戻りなさい」
「はいは~い。それじゃあね、ウルフくん。リュウに会ったら、デートのこと伝えておいてね~」
それだけ残すと、スワンは飄々と病室を後にした。
まったく。あのお嬢様ときたら相変わらずの自由人ぶりだ。
頭を痛めていると、病床のウルフくんが、くすくすと少年らしい仕種で笑った。特徴的な銀髪がサラサラと楽しげに揺れている。
最年少の衛生官は、綺麗な琥珀色の目を細めて、鈴の鳴るような美しい声で喋り出した。
「スワンお姉さんとお知り合いなんですね。吃驚しました、ミヅチさんにあんな風に話しかける人がいるだなんて」
「まぁ、スワンは誰に対しても馴れ馴れしいけど、うちとは家族ぐるみで付き合いがあるからね。衛生局に入る前からよく知っているんだ。だから余計に、ね」
「面白い人ですよね、スワンさん」
「傍から見ているだけでいいのなら、ね。ライトハウスさんとは仲良くやっているらしいけど、あの性格でどう折り合ってるんだろう」
「確かに全然違いますよね、あの二人」
「共通点といえば、優秀なところくらいかな」
「あっ、聞きましたよ、多頭蛇のこと。流石は〈戦闘チーム〉ですよねぇ」
ウルフくんは、第二班のことを悪戯っぽくそう呼んだ。〈戦闘チーム〉と。僕も苦笑いで首肯する。
第一班と第三班の間では、そう呼ばれているのだ。
あそこの優秀さは戦闘に限った話ではないけれど、それでも飛び抜けてスゴいところといえば、やはり戦闘面だったから。
オグロさんの優秀さは、まぁ、家柄的にもわかるの。
特筆すべきは、ライトハウスさんの方だ。
あの子はもう、天才と呼ぶ他ない。
乱戦の最中、一度も撃ち漏らさなかったという射撃の精度は、ちょっと信じがたいものがある。入局までは普通の学生だったというのだから、なお信じられない。あの容姿と実力から、局内には熱狂的なファンもいるほどだ。うちの課長とか、その筆頭である。
しかも、多頭蛇事件の後、彼女の評価はさらに上がっている。
対して、あの事件のことを思い出すと、僕は情けない気持ちになった。事件が終わるまで、下水道をただ歩いていただけなんだから。
その暗い感情のせいだろうか、うっかりぼやきが口を吐いた。
「まったく、彼女には敵わないよなぁ」
「そうですか? ミヅチさんも全然負けてないと思いますけど?」
「僕のはさ、生まれ育った環境も特殊だったし、初めからその分の上積みがあったわけだけど、あの子はほら、まったくの零からあれだ。才能が違うよ」
「そういうものですか?」
「そういうものさ。ケーキ食べる?」
「食べます!」
持参した皿とケーキを取り出し、話を逸らす。
ウルフくんは目を輝かせて、クリームの載ったケーキを見ている。一秒でも早く食べたいと、その手にはすでにフォークが握られていた。
こんなに喜ばれるなら、早起きしたかいもある。毎日でも焼いてあげたい。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
「そういえば、事件の顛末は第三班の班長に聞いたの?」
「もぐもぐ、はい、そうです! もぐもぐ、そういえば、もぐ、どこから持ち込まれたかって、まだわかってないんですか?」
「うん。登録簿を見る限り、多頭蛇の研究をしている団体はなかったんだけど、正規販売できる霊獣じゃないしね。裏ルートなのはまず間違いないわけだ。でも、警察は何の手がかりも見つけられていない」
「もぐもぐ、早く、もぐ、わかると、もぐ、いいんですけどね」
「そうだね。話しかけてごめん。ゆっくり味わって」
「もぐもぐ、はい!」
ウルフくんは、満面の笑みでケーキを頬張る。
その笑顔を見ていると、僕は結構救われた気持ちになるのだ。それはきっと〈他者の笑顔〉こそが、魔術師の末裔たる僕の望みだからだ。
〇
僕が生まれ育ったのは、ウィンドミルという古い魔術師の家系だった。
魔術師なんてのは、杖が本当に杖の時代だったころから存在する、今では絶滅危惧種的な職業だ。霊獣たちの使う魔法の秘密を解き明かそうという、ある種の研究家である。
とはいえ、聖騎士局が設立され、杖の管理が徹底された現代では、すっかり廃れた存在だった。
生き残っているものたちも、神秘の探求者というより、発明家や商売人といった趣が強い。生活を豊かにするために、魔術や霊獣を活用する。それが産業革命を経た、今の時代の要請なのだ。
何も間違っていないし、僕はこれに近い立場を取っている。
でも、僕の生まれた家は、古い魔術師の家系なのだ。
やたらと古いせいで、伝統なんていう因習ばかりを積み重ねた、
下手に名前が売れたばっかりに、矜恃ばかりが肥大した、
魔法の秘奥なんてものを探るため、誰も幸せにしない技術ばかりの、
まぁ、ろくでもない家系だ。
そんな家の跡を継ぐのは嫌だったし、そんな魔術は間違っていると思った。だから僕は、衛生官を目指したのだ。今までは、誰も幸せにしなかったウィンドミルの魔術で、誰かを幸せにするために。その現状はなんというか、自分の焼いたケーキにすら負けているわけだけど……。
〇
ウルフくんを見舞った後。
僕は救われたような、やっぱり情けないような気持ちを抱えて、お昼時の街路を歩いていた。
向かう先は〈安売り街〉だ。あまり治安の良いところではないが、賑やかで商いの盛んな場所である。
今日は馴染みの呪い屋に顔を出すつもりだった。
杖の管理にはうるさい聖騎士局だけれど、それ以外については意外なほど取り締まりが緩い。具体的に言うと、簡単な魔術の触媒となる魔材――霊獣の毛や骨などに関しては、ほとんど口を挟んで来ない。取り締まり出すとキリがないからだ。
そういった取り締まられない魔材を扱っているのが、呪い屋である。
合法だけれど、やや灰色よりの合法。
勿論、本当に危険な代物は例外だ。竜の鱗一枚でも店先に並べようものなら、情け容赦のない聖騎士アタックが、瞬く間に店主と店を灰に帰すだろう。彼らの過激さは誰もが知っているし、知っているなら敵対しないはずだ。彼らを敵に回すのは、過度な馬鹿以外に有り得ない。
安売り街に着く。相変わらず、祭日じみた人の多さだ。
馬車や通行人の隙間を縫っていると、通り沿いの飲食店から、食欲をそそる匂いが流れてきた。確かにもう昼食時だ。香辛料の匂いに釣られて、自然とそちらに視線が向く。
テラス席に目を引くような女性が座っていた。
僕はちょっと驚いた。
若く育ちの良さそうな女性が、あんなに目立つところで食事を取っている。それも侍女の一人も連れずにだ。いいのだろうか。いや、でも、どうなんだろう。
僕の感覚も、親父に毒されてだいぶ古いところがあるから、今ひとつ信用ならない。近ごろは女性を取り巻く事情もだいぶ変わってきていると聞くし、案外普通なのかも……。
ああ、ダメだ。
なんか、いつものダメなヤツがきた。
こう、どんどん自信がなくなっていくヤツ。ああ、きた。
だいたいカビ臭い魔術師風情に、うら若い乙女の何がわかるっていうんだ。昨日だって、子どもに言い負けて登録失敗するし。その前だって、肝心なときに現場にいないし。間が悪いというか、詰めが甘いというか、とにかく隙があるんだ。
そんなんだから「名前負け」だの、「記憶に残らない」だの、周囲の奴らに好き勝手言われるんだ。今に始まったことじゃないけどさ。
ああ、ホントもう。僕って奴は昔からこうなんだ。
「あっ、嫌っ、待って――――!」
ダウナーな感情に飲まれていると、女性の大きな声が聞こえた。
先ほどのテラス席。
目立っていた、あの女性の席だ。
声に続けて、机が引っ繰り返る「がちゃん」という音。
咄嗟に目を凝らす。あそこで何かが動いている。
慌てる女性の腕を掻い潜り、その何かが通りに飛び出した。
通行人の驚く声。悲鳴と怒声。興奮した雰囲気。
逃げ出した何かが、さっと宙を舞う。
つまりそれには、宙を舞うための翼があった。しかし、鳥ではない。
というか、何だあれは?
翼の生えた――猫?
「ま、待って! その、どなたかッ、ニャーちゃんを捕まえて下さい!」
若い女性が必死な声で訴える。
人混みに阻まれて、自分では捕まえに行けないのだ。
けれど、相手は滑空する猫。ただの通行人に易々と捕まえられるはずがない。そもそも、見知らぬ他人のために苦労を買って出る人も少ない。翼の生えた猫は、人々の頭上を悠々と移動する。
女性の顔がくしゃっと歪む。
――ああ、ダメだ。
その顔は、見過ごせない。
僕はポケットに手を突っ込んで、その猫の進路に回り込んだ。
携帯している小瓶を取り出し、調合済の〈桃の灰〉を掌に載せる。分量は大さじで一杯程度。あれが低位の霊獣だとすれば、いけるはずだ。灰を軽く握り、手首を利かせて投げ上げる。
翼の猫はカクンと高度を落とした後、ゆるゆると僕の腕の中に収まった。
やはり低位の霊獣のようだ。調合済の〈桃の灰〉には、簡易な魔法を打ち消す効果がある。便利なんだけど、多頭蛇などの中位霊獣には使えない手だった。
僕は、捕まえた猫の喉もとを撫でる。人に慣れているらしく、普通の猫みたいに気持ちよさそうにしていた。ゴロゴロと甘えるような声まで出している。
羽毛で覆われた翼は、背中の線に沿って折り畳まれていた。
飾ではないようだ。しかしそうなると、この猫の骨格はどうなっているのだろう?
「ごめんなさい、ごめんなさい、とととっ――あっ、あの!」
翼の猫に気を取られていると、人混みを掻き分けて若い女性がやってきた。
テラス席の女性だ。
こうして対面すると、可憐な印象をより強く受ける。
ブロンドの絹のような髪、色素の薄い瞳。
育ちの良さを思わせる身なりや所作には、けれどまだ少しの幼さも残っていた。遠間からの目算より、もういくつか歳下だったらしい。
社交界に出てまだ日が浅い淑女といったところか。
――と、値踏みするような視線は失礼だな。
僕は腰を屈めて、彼女に猫を差し出した。
「はい、どうぞ。今度は逃がさないようにね」
「あっ、ありがとうございます!」
「うん。それでは、これに――てっ?」
淑女に翼の猫を手渡し、スマートに立ち去ろうとした……のだが、立ち去るより先に上着の袖を掴まれた。がくんと膝が止まり、無様につんのめる。
淑女は「あっ、ごめんなさい!」と真っ赤になって非礼を詫びる。しかし、袖を掴む手は外れなかった。むしろ、一層と強く握り締める。
意図を測りかねて、僕は見つめ返した。
あちらさんも、瞬きを繰り返しながら見上げてくる。なぜか半泣き。
気まずい沈黙が降りる。
僕は、職業病的な笑顔を浮かべて、内心結構驚きながら問い掛けた。
「あ、あの、何か御用でしょうか?」
するとうら若き乙女は、顔を赤らめて、恥じらいながらこう返した。
「そ、その、私にいろいろ教えて頂けませんかっ!!」
「…………はい?」