後悔の一歩手前
「好きだ」
「うん、私も好き」
アスファルトはいつもと変わらない色で、いつもと変わらない存在感で、そこにあった。だから私はこの関係も変わらないものだと思っていたのかもしれない。彼はバンビのようなくりくりとした瞳を輝かせている。可愛いな、なんて少しの羨望を浮かべて軽く首を傾ける。何でそんなに嬉しそうなんだろう。
そもそも彼を嫌いな人なんてほとんどいないだろう。私も別に人に嫌われるような行動は取っていないはずだ。それに彼の焦げるような視線は以前から感じていたし、むしろ私を呼び出した上で改まって告白劇を広げなくてもよかったのではないかとすら思う。
私は目前の薄黒い影を見つめた。体育館裏なんてベタな場所に佇む私たちには、夕暮れ時特有の綺麗なオレンジ色が降りかかっている。彼の肩越しにそれを見ると、なんだか無性に半熟卵が食べたくなった。
「じゃあ、その、付き合ってくれるか? 」
帰宅後に待っている夕飯に思いを馳せていると、彼は無邪気に言葉を紡ぎながら私に一歩近寄る。付き合う? ああ、そうか。一般的には異性同士が好き合うと恋人という関係にならなければならないのか。
「付き合うって何するの? 」
思考を巡らせていると勝手に口から言葉が洩れた。意表を突かれたのか、彼はその女性的な目を瞬かせる。彼は分からないことをしようと私に持ちかけてきたのだろうか。そうだとしたらなんて滑稽なんだろう。
「俺、彼女とか出来たことないから正直よく分からない、な」
少し恥ずかしそうに俯いて彼は言う。ああ、やっぱりか。話にもならない。私はまた明るく主張するオレンジ色へと目を向けた。お腹減ったな、早く帰りたい。
「……でも、そういうのってやっぱり、二人で決めていくことなんじゃないかな、と、俺は思うよ」
模範解答を述べる彼に、私は細く震えた溜息を吐いた。彼は私のどこに目を付けて、それが彼の脳のどこに刺激を与えて、好意というものを感じるまでになったのだろう。私にはどうにも分からなかった。
「私、あなたのことは確かに好きだけど、付き合う気にはなれないわ。ごめんなさい」
彼が小さく息を飲んだのが分かった。私の回答はやはりお気に召さなかったらしい。それでも暫くの沈黙の後、今にも泣き出しそうな顔で精一杯笑顔を私に向けた。
「分かったよ、これからも友達としてよろしくな。ありがとう」
私は、なぜ彼がお礼を言ったのかが分からなくて、その思っていたより広い背中を見送った後も体育館裏に佇んでいた。
2009.9.16