第94話 ナルヴェク視察2
アルフレッドとシーラの結婚を認め、結婚式の日取りまで決めた事は良いとしても、その影響で隼人達のナルヴェク視察が過密スケジュールになってしまった。
ナルヴェク視察が終わるとすぐにケルンへ視察に行かねばならないし、マリブールでも行政書類の決裁にアントニオらへの技術面での助言、妻と子供達とのふれあいと仕事は多い。ナルヴェクに長々と逗留するわけにはいかないのだ。アルフレッドとシーラに意趣返しをしようとして完全に自分の首を絞めている。短慮であったと後悔するが後の祭り、移動中はのんびりできるのだから、数日くらいは頑張ろうと気合を入れる。
そんな隼人とは正反対に、マチルダ、カテリーナ、ナターシャ、カチューシャ、川西氏綱は大張り切りだった。カテリーナ、ナターシャ、カチューシャは張り切って式場の準備の指揮をとり、マチルダは式の詳細をアルフレッドとシーラと詰め、川西氏綱は異国の結婚式と隼人の部下との接し方に興味深々だった。
もちろん当初の予定通り、隼人、マチルダ、アルフレッド、シーラ、川西氏綱でナルヴェクの現状把握と今後の統治方針、軍備整備、防諜体制、開発方針を確認する。
ナルヴェクとその周辺は中島家の勢力圏ではあるが、中島家の直轄地はナルヴェクを含めても全体の3割5分くらいだ。他は中島家傘下の子爵達の領地という事になっている。僻地という事で全て直轄地として封じられたマリブールの例が珍しいのだ。もっとも、マリブールはアンリ王の直轄地であるセダンの衛星都市なので、名目上はアンリ王の直接指揮を受ける立場にある。
ここで厄介な事は、この時代、正確な勢力圏が確定されていない、というよりも出来ないという点である。何せ正確な測量ができないのだから。不可能ではないのだが、隠し畑やら村共有の土地やら地主、領主などの中間搾取層の抵抗で事実上不可能なのだ。それに加え、この大陸全域に跋扈する盗賊のおかげで測量斑につける護衛の戦力も馬鹿にならない。
これらの問題が少ないマリブール周辺では陸軍の測量斑がセダン、ロストフなどとの境界線を確定しているが、それでも南のモラン伯爵領のモンソーとの境界線は確定できていない。モラン伯爵とは1種の冷戦状態にあるため小競り合いはほとんどないが、たまに領民同士のトラブルは起きている。
これがナルヴェクになると、領民同士のトラブルから始まって、それを口実に勢力圏拡大のために領主が出兵する事態がそれなりの頻度で起きている。ナルヴェク周辺に封じられた子爵達には、隼人の名前で領地争いはナルヴェクに談判する事で解決するように通達を出してはいたのだが、領民、領地の保護は領主の義務であり、権利であるから武力衝突は絶えない。そのため武力衝突で負けた側が談判にやって来る事が恒例となっていた。アルフレッドも苦労するはずだ。
ちなみに、隼人がナルヴェクに滞在している間、多くの子爵達が隼人に領地安堵の書状をもらおうとしていたが、下手に発行するとそれを口実に他の領主と紛争を起こしかねないので、多忙を理由に全て断っている。その代わり、領地争いは全てナルヴェクの代官が裁判で公平に解決すると口を酸っぱくして言い聞かせた。もっとも、隼人には子爵達を改易する権限はなく、ナルヴェクの陸軍で紛争地を占領するしか手立てがないので、裁判の強制力については隼人ですら自信がなかったが。
ここは一通り確認した後、「ここはだいぶんやり易い領地ですな」などと剛毅な事を言った川西氏綱の手腕に期待するしかない。
ちなみに他の領地では自力救済が一般的らしく、大貴族はおろか、王でさえ介入できないのが普通らしい。ナルヴェクはアルフレッドの仲裁のおかげで戦火が他の領地に広まらなかった分、随分とおとなしい方のようだ。
ナルヴェクの軍備に関しては、マリブールからの新式装備への更新を急ぎつつ、陸軍を4000まで拡充する事で決まった。旧式武器は湾内要塞の沿岸砲や、ナルヴェク警備隊の装備に充てられる。これまでの2000では紛争の仲裁で手一杯だったようだ。海軍の方は砲の更新を急ぐ事に決まった。ナルヴェクは山地のため、陸軍の砲兵は、いかに馬で曳く野戦砲と言えども運用は難しく、砲の更新は海軍優先、銃の更新は陸軍優先と決まった。
防諜体制については、マリブールの防諜で手一杯のため、ナルヴェクの防諜は最低限にとどめて、その代わり技術開発とその成果である生産設備をマリブールに集中する事にした。これにより、開発方針が鉱山に注力する事に決まった。ナルヴェクは製鉄と鉱山の街だったが、この方針により純粋な鉱山街に変貌していく事になる。このような内容の会議業務がナルヴェクを発つ直前まで続くのであった。
帝国歴1795年3月18日、アルフレッドとシーラの結婚式が挙行された。この結婚式は現地の宗教であり、ロマーニ帝国時代から続くとも言われている多神教のスカンジナビア教派に、海賊風味をブレンドした形式で行われる。要は愛の神に捧げものをして誓いの言葉を交わし、祝福を受けたら飲んで騒ぐだけだ。
だから神に祝福を受けるまでは荘厳な雰囲気であり、真っ白な古代の服を着たシーラに見とれてしまい、隼人はカテリーナに足を踏んずけられる事になった。
司祭からアルフレッドとシーラが祝福を受け、お色直しに下がると、早速参列者が酒に群がる。
「さあ隼人様、奥方様方、川西様、我々も飲みましょう!飲んで飲んで祝福を大きくして新郎新婦の門出を祝い、我々も祝福のおこぼれを頂戴するのです」
禿げ頭の副官が飲みに誘う。どうやらこの地の宗教は海賊の影響を大きく受けているらしい。
隼人が3杯目のエールを杯に注がれた時、アルフレッドとシーラがいつもの恰好で姿を見せた。それを見つけたカテリーナが真っ先にシーラの下へ飛んでいく。
「シーラさん、おめでとう」
カテリーナに続いてナターシャ、カチューシャ、マチルダもシーラの下へ行き、祝いの言葉を述べる。
隼人の方は副官と川西氏綱を伴ってアルフレッドの方へ向かう。
「アルフレッド殿、おめでとう」
「アルフレッド様、シーラの嬢ちゃんの事、よろしく頼みます」
川西氏綱が祝いの言葉をかけ、副官がシーラを頼むと頭を下げる。
「ありがとう。シーラの事は必ず幸せにする。海の男の約束だ」
アルフレッドは副官の手を握る。副官は目に涙を浮かべてもう一言「頼みます」といい、アルフレッドの手を両手で強く握り、手を離す。
「おめでとう、アルフレッド。綺麗な奥さんで羨ましいよ」
「ありがとう、大将。でもシーラが綺麗なのは当たり前としても、綺麗どころを7人も女房にしている大将には言われたくねえよ」
「確かにそうだが、いきなり惚気るなよ」
隼人も祝いの言葉をかけるが、余計な一言を付け加えたせいで惚気られる。ただ、副官と川西氏綱から見ればどちらも惚気ているので、どっちもどっちだ。ちなみに両人とも妻帯者なので目の前で惚気られても苦笑で済ませられる。
その後は街を挙げての大宴会となり、ほどほどのところで新郎新婦と隼人達が引っ込んでも、宴は朝まで続くのであった。
3月20日昼、いまだ結婚式の余韻醒めやらぬナルヴェクで何とか必要な業務を終えた隼人達はマリブールへ帰還しようとしていた。桟橋にはアルフレッド、シーラ、川西氏綱、副官が見送りに来ていた。
「みな、ナルヴェクを頼むぞ」
「お任せください」
隼人の短い別れの挨拶に川西氏綱が答える。船上の人となった隼人達にアルフレッド、シーラ夫妻はいつまでも手を振り続けるのだった。
27日になって隼人達はマリブールに帰還する。
「おかえりなさい、隼人殿。ナルヴェクはどうだった?」
「ただいま。ナルヴェクはどうにかなりそうだよ。それよりも、アルフレッドとシーラが結婚したよ」
「おお、それはめでたい。ようやく2人も腰を落ち着けたか」
迎えに出てきた梅子と挨拶をする。梅子もシーラの恋心は知っていたので安堵の表情を見せる。しかしたまたま梅子とともに迎えに出ていたパウルの反応は違った。
「ええ!あのアルフレッドが結婚!!それもシーラさんと!女を見つける時は一緒だと約束していたのに!裏切り者―!」
そう言ってパウルはがくりと地面に手をつく。そんなパウルにいろんな意味で憐れむ視線が集まったが、隼人と梅子は知っている。パウルが才能ある女流吟遊詩人や画家、女優などと肉体関係を持っている事を。そしてその内1人が身元調査で黒と判明して闇に葬られ、パウルには密書という形で警告が届けられた事を。
幸い、黒と判明した女も間諜活動はこれからという時期で、情報漏洩はほとんどなかったし、パウルも女遊びは慎重になったからよかったものの、場合によってはパウルには機密情報に接触する事を禁じる事になるところだった。
「……めでたいと言えば隼人殿に報告がある。執務室いる桜とエーリカの所へ来てくれ」
梅子にそう言われ、隼人達は執務室に移動する。
「ただいま、桜、エーリカ」
「おかえりなさい、隼人さん」
「お、おかえり、隼人」
隼人の扉を開けての挨拶に桜は嬉しそうに、エーリカはどこか落ち着きがなく挨拶を返す。いつも堂々としているエーリカらしくない返事だ。そもそも、エーリカが執務室にいるという状況も珍しい。普段なら練兵に、指揮官の座学、実習にと楽し気に、しかし忙しく外で働いているはずだ。しかし隼人がそんな失礼な内容の質問をする前に桜がエーリカに言葉を促す。
「ほら!エーリカさん、隼人さんに報告する事があるでしょう?」
「あ、ああ。えっとだな、隼人。2人目の子供ができたみたいなんだ」
このエーリカの発言に隼人はしばし硬直する。そしてエーリカだけ避妊に無頓着だったことに気づく。しかしそのしばしの沈黙がエーリカの気分を害したようだ。
「な、何だよ。俺だって隼人の子ならいくらでも欲しいさ。確かに隼人との肉体関係も魅力的だが、子供もたくさん欲しいんだよ。ちょうど今は平穏だしな」
どうやら平和なうちに子供を作ってしまうつもりらしい。とはいえ、2人目の子供以降は動乱が続いて子供を作る機会がなくなり、産む子供の数では他の妻達に差を作られてしまう運命にあったが。
「あ、いや、すまん。突然の事に驚いていたんだ。……おめでとう、そしてありがとう、エーリカ」
隼人はそう言ってソファーに座るエーリカの頭をなでる。
「そ、そうか。喜んでもらえるなら良かった。でもこれでケルンには行けなくなっちまったな。悪いが俺はマリブールに残るよ」
「そうだな。子供に何かあったら困るからな。それで、何カ月くらいなんだ?」
「桜によるとそろそろ3カ月は過ぎているらしい。しばらくはおとなしくしておくよ。剣の腕が鈍らないか心配だがな」
エーリカらしい言い分に苦笑する隼人。
「おいおい、剣の腕も大事だが、領主が何年も国元を空けている事も心配してやれよ。家宰のルドルフが苦労するぞ」
「なに、苦労させるために家宰にしたんだ。子供が生まれて落ち着いたら戻ると伝えてくれ」
「ひどいな、全く。まあ俺にも責任はあるからエーリカの分もしっかり働いてくるよ」
そう言って隼人はエーリカの隣に座り、エーリカの、よく見れば大きくなっている腹をなでるのであった。
帝国歴1795年4月3日、4月1日の統合士官学校や海軍下士官学校の創設式などを終え、隼人達はナルヴェク視察と同じメンバーでケルンへと出発するのだった。
ようやく次話でケルン……。内政チートはそれが終わってからですね。お待たせしてすみません。




