第87話 軍備改革とエーリカの出産
帝国歴1974年7月、隼人はエーリカと額を突き合わせていた。この2人が話し合うことなど、話題は1つしかない。軍備に関する事だ。
「なあ、隼人。騎士の突撃とテルシオくらいが決定打じゃあこの先物足りなくならないか?」
「それは俺も常々思っていたところだ。鉄砲の装備率も徐々に増えつつあるし、銃剣も行き渡っている。そろそろ新しい戦術に挑戦するべきかもしれないな」
あいかわらず妊婦と父親がするとは思えない会話である。
「全ての歩兵に鉄砲を装備させてもいいんだが、やはり現状では騎兵の突撃に耐えられないよなぁ」
隼人はナポレオン時代の三兵戦術を念頭にして発言する。三兵戦術は兵科を歩兵、砲兵、騎兵に分類する戦術で、ライフル銃普及以後の編制だ。いまだ射程、命中率、威力の面で劣るマスケット銃の時代ではさすがに無理がある。野戦砲もまだ発達段階で、こちらの面でも無茶ぶりだ。
「それはそうだ。騎兵の突撃力は侮れないからな。もっとも、テルシオで無力化できるようにはなったが。とはいえテルシオは機動力がないからな。機動力を高めるとすれば部隊を小さくするか、あるいはテルシオの防護力を下げるかだが……」
エーリカが現状の問題点を列挙する。そこに隼人は頭に引っかかっていたものを思い出す。それを久しく使う場面のなかったインターネットで検索する。検索ワードは『オランダ式大隊』だ。
オランダ式大隊は、歩兵の槍と銃装備率をテルシオの2:1から1:1.2にまで増やし、マスケット兵を槍兵の両翼、又は後方に配備する。人数は550人で、これを5個集成して連隊とした。
同時に調べたスウェーデン式大隊はさらに小型化され、人数は150人。槍兵を全面に押し出し、中央にマスケット銃兵、さらに後方に予備として両翼に展開できるように2つのマスケット銃兵を置く。これを8個で連隊とし、さらに上位組織として旅団を編制した上で旅団と旅団の間に小型野戦砲を配備した。
だが隼人は悩む。これらはテルシオ、あるいは鉄砲によって騎兵、それも重騎兵の脅威が低下した後に現れた戦術だ。
現在の主流の戦術は、歩兵を横隊に配置し、両翼の騎兵の突破、包囲で勝利を決定づけるものだ。そのためどこも騎兵の育成に注力している。歩兵は大抵徴集兵で、常備兵ですらない。農民が農具を武器として徴集される事もあるくらいだ。テルシオでさえ、一般的ではないのだ。
もっとも、騎兵は多くの場合は騎士以上の上流階級なので、社会システム上も歩兵を軍の主力とすることは難しい。それに、歩兵を主力とする場合でも騎兵の突撃力、衝撃力は戦勢を変える決定打になるほどの威力がある。
この結果に隼人は渋い顔をする。先進的な戦術が時代に適合するとは限らないと思い知らされた気分だ。
だがエーリカはその隼人の様子を見て何かあるのだな、と勘づく。
「隼人、何か思いついたな。駄作でもいいから俺にも教えろ」
この言葉に隼人は渋々オランダ式大隊とスウェーデン式大隊の概要を紙に書いて解説する。
「うーん。確かに機動力が向上しているから攻勢にも使いやすいな。だが騎兵の突撃には耐えられそうもないな」
「俺もそこで悩んでいたんだ。だがこのままテルシオに甘んじるのはあまりにももったいない」
「そうだよな。テルシオは鈍重だし、後方の兵が遊兵になる」
エーリカは腕を組んで後頭部に回し、背もたれにもたれて考え込む。
「……どちらも案そのものは悪くない。問題は時代に合っていない事だ。マスケット銃の比率を上げる事は異論がない。あとはうちは大砲が軽量で数も多いからその利点も生かそう。500人単位の大隊に編制して、大隊に2~4門の野戦砲を付属させて大隊の両翼に配置する。兵の配置はスウェーデン式大隊だな。これなら騎兵の突撃にもある程度対処できるし、火力も発揮できる。こんなところでどうだろうか?」
「ふむ、悪くはなさそうだな。だが500人は少し多すぎる気もするな。野戦砲には余裕があるし、大隊の数は300……は若干少ないか、350くらいが妥当じゃないか?その方が機動力が増す。いくら野戦砲が車輪付きで馬で曳けるとはいえ、砲が鈍重なのは変わらないから、少しでも機動性を確保したい」
「確かに隼人の言葉にも一理あるな。よし、それでいこう。まあ、他の貴族達と共同作戦となると連中に合わせざるを得ないのだがな」
「そんな身もふたもない事を言うなよ」
2人してからからと笑う。領地の国境紛争以外に中島家が単独で戦う機会なんてそうそうないのだから、ここでの会話も机上の空論である。結局はこの時代の戦の作法に従うしかないのだ。だがその先走った会話も楽しいのだ。
「ところで隼人、最近新しい銃と火薬の開発を指示しているそうじゃないか」
「ああ、その事か。フーゴにはマスケット銃よりも射程と威力、命中率が向上する前装式ライフル銃を試作させている。マスケットに比べて速射性は少し劣るがな。銃弾は椎の実型で、後ろにくぼみを設けて銃身のライフルにピッタリ食い込ませるつもりだ」
「ほう、ライフル銃自体は狩猟用に存在するが、その手の銃弾は初耳だな。どういう利点があるんだ?」
エーリカが興味深そうに身を乗り出す。それを見て得意げに隼人は語る。
「まず、従来の丸型の銃弾では火薬の威力を十全に発揮できていないんだ。どうしても弾と銃身のすき間から火薬の爆発力が漏れる。ついでに言うと、丸型の銃弾は真っすぐ進むんじゃなくて、不規則に回転しながら進んでいるんだ。だから頑丈な鎧相手だと弾かれる事もあるんだな。そこで新型の銃弾は、後ろをへこませることで、火薬が爆発したときにへこませた部分が広がって銃身に張り付くんだ。これでライフルによって規則的な回転が与えられることになる。こうなれば弾は遠くまで飛ぶし、弾かれる可能性も低くなる」
「ふむふむ。だがこれは実物を見た方が早そうだな。子供が生まれたら視察しよう。火薬については?」
エーリカは納得したような、そうでないような顔をしている。それに隼人は苦笑しつつ話を続ける。
「火薬の方は、煙の少ない無煙火薬を目指している。後は起爆用の雷管だな。無煙火薬は簡単には爆発しないから、起爆用の火薬が必要なんだ。ハーバー、ボッシュ、オスワルトらの錬金術師に依頼しているが、やはり難航しているな。硝酸と硫酸で綿を処理したニトロセルロースと、油脂からとれるグリセリンを硝酸と硫酸で処理したニトログリセリンの混合でできるそうなんだが……、主に安全性と大量生産方法の確立で行き詰っているらしい。雷管の方も同様だな」
「ふーん。しかしまあよくもそんな知識があるものだな」
あまり要領を得ない隼人の解説にエーリカが猜疑の目を向ける。
「ま、まあこれでも学生だったからな(文系だけど)。色々と本を読み漁ったんだよ」
そう言って隼人は自分の異能力を隠す。
「ふーん。まあそう言う事にしておこう。だが隼人だからこそ信頼しているんだぞ。他の奴の言葉なら拳の1つや2つくらわしている所だ」
「あー、うん。すまん。いずれ機会が来れば話すよ」
勘のいいエーリカはそろそろ隼人の異能に気づき始めているようだ。だがその上で隼人を受け入れてくれている。その事にはいくら感謝しても足りない。だが微妙に悪い雰囲気になって、お互い黙ってしまった。
しばらくして耐えきれなくなった隼人がエーリカに質問する。
「そう言えば、マリブールに帰還してすぐのあたりに俺が部隊を回って勲章を授与してきたが、評判はどうだ?階級制度はどの程度進んでいる?」
「勲章の評判は上々だな。早くも新兵の憧れの的になっている。階級制度については導入まで最終段階だ。全兵員の評価が確定するまで時間がかかってな。まあ、俺の子が生まれるまでには実施できるだろうさ」
そう言ってエーリカは大きくなったお腹をさする。エーリカも気まずい雰囲気に話題転換をしたかったようだ。
ちなみに、スカンジナビア戦役に参加した全将兵には、スカンジナビア半島をあしらった銅の『スカンジナビア戦功章』を、特に戦功のあった者には旭日に槍と銃をあしらった金、銀、又は銅の『旭日戦功章』を授与している。とはいえ、現状で最も高位の勲章を受けたのは、シーラを捕縛したアルフレッドで、それでも銀章なのだからかなり出し惜しみをしている。ちなみに隼人とエーリカは銅章を佩用している。
階級章はシンプルに兵科を示す下地の色に星と金の線を使った意匠だ。もっと分かり易く言えば、日本陸軍のパクリである。
隼人はエーリカの返事に「それは良かった」と返しつつ席を立ち、エーリカを後ろから抱きしめる。
「元気な子、産まれると良いな」
「何を言うか。俺と隼人の子だぞ。元気どころかやんちゃな子が生まれるに決まっている」
エーリカは嬉しそうに隼人の手を取り、自分の腹に導く。その後は普通の若夫婦らしい触れ合いが始まるのだった。
10月21日、ついにエーリカが産気づいた。エーリカには何か予感があったようで、その時には桜とともに清潔な部屋で待機していた。隼人にもそれとなく伝えており、隼人は執務室で上の空になっていた。
そしてエーリカの出産が始まってから1時間ほどの昼頃、元気な産声がこだました。知らせを受けた隼人はすぐに速足でエーリカの下へ向かう。
「おう、隼人。元気な男の子だ。なかなか可愛いぞ」
扉を開けるなりエーリカが隼人に元気そうに声をかけるが、隼人にはどこか疲労感がある事が感じられる。
「エーリカ、よく頑張ったな」
そう言って隼人はエーリカにキスをして頭をなでる。
「て、照れくさいな。俺の事はいいから、この子に名前を付けてくれ」
「そうだな。男の子だから……、エーリヒ。エーリヒだ」
「エーリヒか……。悪くないな。エーリヒ、大きくなったら俺と隼人でしっかり鍛えてやるぞ」
「ふふふ、ほどほどにしてあげてくださいね」
桜がエーリカの野心を諫めるが、後にエーリヒはエーリカと隼人の薫陶厚く、軍人として数々の逸話を残す事になるのであった。
そんな忙しい日々も一段落した11月初め。1人の異国風の使者が。正確に言うと敷島風の使者がマリブールに到着した。