第83話 昇爵パーティーと明日への希望
1794年1月中旬、隼人は必死になって招待状を書き続けていた。隼人の伯爵への昇爵祝いのパーティーの準備である。ロリアンに滞在する全ての貴族や大商人に宛てて書く予定だが、パーティー予定日の18日までに間に合うか怪しい。さすがに男爵、子爵らの新貴族へは部下に代筆させ、隼人が確認したうえで署名しているが、それでも量は膨大だし、屋敷の部下はそれほど信頼が置けないので、確認も精密に行わなければならない。すでに(意図されたものかどうかは別として)10を超える大きなミスを発見している。部下の身体検査も教育も追いついていないのだから、仕方ない。
さらに言えば、隼人が直筆している招待状も、大半が無駄になる事が予測されている。旧貴族は隼人に対して強い警戒心を抱いているため、隼人と仲良くしようという旧貴族は少数だ。様々な理由をつけて出席を辞退するだろう。それでも一応招待状を送っておかないと失礼になるので、書かざるを得ない。正直なところ、無駄になる招待状を書く隼人の士気は低い。招待状の配達は、近衛騎士団が好意で行ってくれるので、配達途中に紛失、といった事態にはならない事が救いか。
一方で、大商人への招待状は気合を入れて書かなければならない。彼らは将来の取引相手、あるいは商売敵なのだから。現状、彼らはマリブールとナルヴェクとの交易に高い関心を示している。隼人の強みは金であるから、できる限り彼らを敵に回したくはない。
こういった時に頼もしい味方になってくれる桜は手伝ってくれない。正確に言えば手伝う余裕がない。桜は会場の設営と使用人の雇用、食材の手配その他もろもろを一手に引き受けてくれている。桜も正直なところ、隼人の手を借りたいところなのだ。
エーリカは大抵こういう事には手を貸してくれないのだが、今回ばかりは隼人と桜があまりにも忙しすぎるので、警備全般の立案、計画、準備をしてくれている。エーリカは照れ隠しに「隼人と桜が忙しすぎると夜が楽しめないからな」などとベッドでうそぶいていた。その姿がいじらしかったものだから、その夜は桜と2人がかりでたっぷりとエーリカを楽しませた。
痴話話は横に置くとして、3人で顔を合わせる時間が本当に夜しかない。夕食でさえ集まれない事が多い。
結局、パーティーの準備が整うのは開催日2日前の16日の昼頃だった。
18日の新中島伯爵邸は人でごった返していた。ロリアン中の商人と新貴族、騎士団関係者やアンリ王の文官、それにごく少数の旧貴族が出席したとなると、いくら伯爵クラスの邸宅でも人であふれかえる。旧貴族の中には出席の意を伝えながら当日には連絡なしに出席しないという嫌がらせに出た者もいたが、かえって負担が減って助かった始末だ。
「皆さま、今日は私の昇爵祝いに集まっていただき、まことにありがとうございます。今日、私がこのような地位につけたのは皆さまのおかげです。皆さまのご支援に感謝いたします。本日はそのお礼のため、ささやかながら料理や飲み物をご用意しております。本日は皆さまに楽しんでいただければ幸いです。それでは王国のさらなる興隆を祈って、乾杯!」
隼人は大声で短めの挨拶をする。会場は人で埋め尽くされ、大声でないと後ろの方は聞き取れないだろう。熱気もすごいから、冬であるのに窓も開け放たれている。これほど人が集まる機会もめったにないから、隼人の挨拶が始まる前にそこかしこで挨拶や商談が行われている。隼人も主要な出席者へと挨拶へ向かうため、桜とエーリカを連れて人ごみに分け入っていった。
「ブリュネ元帥、わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
隼人はこの場で最も大物であるブリュネ元帥に挨拶に向かった。
「なんのなんの。一介の行商人が伯爵まで実力で昇りつめたのだ。レ・ソル砦やナルヴェクでも王国に貢献してくれた。招待されたならば顔を出すのが筋だろう。しかしすごい人出だな。新貴族や商人が多いようだが……、縁を結んでおくのは悪い事ではない。旧貴族ももう少し頭が柔らかければいいのだが」
「旧貴族の方々ともいつかは仲良く語らい合いたく思います。私達は共に王国に仕え、盛り立てていく身なのですから」
隼人はブリュネ元帥の言葉に合わせる。正直に言えば、隼人は旧貴族との関係はほとんど諦めている。一部の縁のある旧貴族とのみ上手くやっていけばいいと思っている。旧貴族からの妨害工作は日に日に増えているし、新貴族の希望と旗頭にされている現状では対立状態にならざるを得ないからだ。
「旧貴族と新貴族の懸け橋となり、皆が一丸となって王国を盛り立てていければよいと思っています」
この言葉も、社交辞令だ。隼人の本音では、ガリア王国の未来など、どうでもいい。隼人の優先順位はあくまでも第1位が家族であり、次が仲間、そして自分の領地の発展、自身の利益だ。わざわざ寝返るつもりはないが、忠誠を誓っているからではない。ただ単にガリア王国に所属している事が利益であり、家族の安全であるからだ。
それに、旧貴族と新貴族の間を取り持つなど、よほど政治力があっても困難だ。ブリュネ元帥でも苦労している事がその証拠だ。そんなところにくちばしを突っ込みたくない。もっと言えば、新貴族の旗頭という立場も負担だ。下手に旧貴族に取り入ると新貴族からひんしゅくを買うし、新貴族派のアンリ王の覚えも悪くなる。それに、そもそも隼人と接触しようという旧貴族自体が少数になっている。
隼人としては思う存分領地開発をしたいのだが、煩わしい外交が隼人を安穏としてくれない。とはいえ、嘆いてもしょうがないので、諦めて新貴族のネットワークを最大限に利用する腹積もりではいるが。
「それにしても、アンドラ高原で悪戦苦闘していた男爵が今や伯爵か。とはいえ、王女や侯爵を娶っているならば、ようやくふさわしい地位にたどり着いたというべきか。それにしても美しい妻達で羨ましい事だ」
ブリュネ元帥は隼人の左右に控える桜とエーリカを見て言う。さすがにブリュネ元帥も歳なので桜とエーリカをいやらしい目で見る事はないが、新年会では身の程知らずの旧貴族の子弟が桜やエーリカに粉をかけにきて隼人やエーリカに追い払われていた。新年会でも、この宴でも桜とエーリカの美しさは際立っている。これについては隼人は鼻が高い。
「ありがとうございます。自慢の妻達ですよ」
鼻高々に言う隼人に桜とエーリカが少し赤面する。
「ははは、自慢の妻達ならば、しっかり守るんだぞ」
ブリュネ元帥は隼人の肩を叩いて励まし、他の旧貴族の下へ向かった。主催者である隼人は挨拶しなければならない人々が多い。ブリュネ元帥は気をきかせて挨拶を手短にしてくれたようだ。
その後も隼人はローネイン伯爵などのゆかりのある旧貴族に挨拶に行ったり、ロリアンに地盤を持つ大商人と顔合わせと今後の取引について話し合ったり、新顔の新貴族達と顔を合わせ、出世を励ましたりと食事をする間もなく夜まで人に会い、顔を覚えていった。
「ふう、これで何とかロリアンでの用事も片付いたな」
夜遅くに桜が作った軽食で食事を済ませ、桜、エーリカと寝室の机で語り合う。
「全く、貴族の付き合いとは面倒なものだな」
エーリカが他人事のように言う。エーリカは隼人と結婚するまでまともに貴族社会と接点を持っていなかった。せいぜい親戚とか戦場で会った戦友くらいだ。それを承知しているから隼人と桜は苦笑する。
「でも、何事もなく終わって良かったですね」
「全くだ。桜のおかげだ。桜が居なければ腐った食材やら毒やら暗殺者やらが紛れ込んでいたかもしれん。ありがとう」
桜を抱き寄せ、お礼のキスをする。
「俺も警備、頑張ったんだけどなー」
それが羨ましかったらしく、エーリカがわざとらしくねだる。
「エーリカも、ありがとう」
隼人は苦笑しながらエーリカを抱き寄せ、キスをする。
「それにしても、マリブールとナルヴェクに支店を置かせてほしいという商人が多かったですね。全部許可してましたけど、良かったんですか?」
「それだけマリブールが発展してきた証だな。俺としては技術は独占するが、商売までは独占するつもりはない。そこまでやると軋轢を生むだけだしな。これからは技術開発に商売、造船にその他もろもろ、忙しくなるぞ」
桜の疑問に隼人は明確な方針を答え、将来の事を考えて目を輝かせる。
「ああ、そう言えば今日届いた知らせなんだがな、ケルンにいる家宰のルドルフによると、今年から硝石丘が増えてマリブールへの輸出が増えるそうだ」
「おお、それはありがたい。これでますます鉄砲が増やせるな。軍制改革も進めていかねばな」
エーリカも自分の役割が欲しいと、明日報告する予定だった手紙の件を知らせる。この朗報にも隼人は目を輝かせる。火薬はまだまだ足りないからだ。ナルヴェクを加増されたことで兵の数も増える。これをどう運用して行くかは隼人とエーリカの手腕にかかっている。
「ふふふ、今日はこれくらいにしておきましょうか。夜更かしは肌に悪いですからね。隼人さんもエーリカさんも疲れたでしょう?」
「そうだな。桜も疲れたろう。ゆっくり休もう。後は、後始末をしてマリブールに帰って義人の顔を見るだけだしな」
隼人はマリブールに残した義人を思い、桜とともに緩んだ顔になる。
「全く、親バカだな。……俺もこんな風になるのかな?」
「戦バカに親バカなエーリカか……。見てみたいものだ」
「人をバカ扱いするなよ。……でも、それが幸せなんだろうな」
エーリカが赤い顔で隼人の肩に頭を乗せる。それを見た桜も反対側の肩に頭を乗せる。
「全く、可愛い女房達だ。よし、もうちょっと夜更かししたら寝るか」
隼人は桜とエーリカを抱き寄せて立ち上がりベッドに向かう。
最近は忙しくて夫婦の営みの時間があまりとれなかった事もあり、この日の夜更かしは長くなるのであった。
1794年1月20日、隼人達は『シュトルムヴェント』に乗艦する。ようやくマリブールへ帰れるのだ。その顔は清々しい。隼人の好意で、2番艦にはマリブールに支店を設置したい商会の担当者を乗せている。海運自体が珍しいこの大陸では船に乗る機会などめったにない。それも、中島伯爵家自慢の大型船だ。2番艦の商人達ちょっとした興奮状態だ。
2隻のフリゲートはゆっくりとロー河の河口に向かって北上を開始した。




