第82話 論功行賞
隼人とエーリカの誕生日が終われば、次はロリアンでの新年会だ。年末年始は忙しい。
ただし、今年は海路が使えるので、昨年のように陸路ですぐに出発、といった慌ただしい事をする必要はない。スカンジナビア海から海賊がほぼ一掃された事でとても楽になった。
これは交易でも言える事で、マリブール産の安価な鋼鉄がロリアンへ海路で直接卸されており、ロリアンでの鋼鉄の価格がかなり下がっている。
もっとも、この事で既存のロリアンに鋼鉄を卸していた他の領地の利益が急激に下がっている。元々隼人は商売敵であったとはいえ、鉄を産する領地は隼人に対する警戒を高めている。
とはいえ、富国強兵には金がいくらあっても足りないし、官製企業の中島商会が各地に卸す鋼鉄以外にも、マリブールの民間市場に売り出された鋼鉄でさえ、他の商会の交易ルートで各地に流れている。隼人にとって、鋼鉄の流通を制限することは、意志においても実現可能性においても不可能な事だった。現在も奴隷をこき使って反射炉を増設中で、高炉も小型の実用炉が稼働し始め、問題点を洗い出しながらより大きな実用炉の設計中だ。転炉は現在実験炉を設計している段階だ。
他にも、新型の紡績機と織機が開発され、現在蒸気機関と結合した工場を建設中だ。蒸気機関はいまだ巨大で低出力、高燃費だが、小型化と高出力化が進めば船の動力にしようと、隼人はアントニオをせっついている。アントニオらの技術陣は大忙しだが、工業系の技術は目途が付き始めている。現在は発明から改良の段階に移っている部門が増えてきている。こういった部門はどこをどうすれば改良できるかはだいたい分かっているので、後は素材の改良と予算を待つばかりだ。もちろん小手先の改良もできるが、ほとんどの場合、現状では費用対効果が悪いので実験段階に留められている。
反面、化学部門は苦戦している。実験室段階ではそれなりに成果があるのだが、いざ大量生産となると生産設備と触媒などの素材が大きな壁となっている。また、この分野では隼人の知識もあまり当てにならず、そもそも隼人自身、現在のところ硝酸にしか興味がないので、他の領地と比べて予算が潤沢で自由に研究できる事以外アドバンテージはない。
農業部門、生物学部門はそもそも結果がでるまで時間がかかるので、成果はまだない。だが宗教面でタブー視されている研究ができているので、研究者は喜んでいる。ただ、宗教関係者に知られれば面倒な事になる事は間違いないので、タブーに触れる研究は秘密裏に行われている。
マリブールの現況も大事だが、今年はロリアンの新年会も注目である。何しろスカンジナビア戦役の論功行賞が行われるのだ。そのため戦功を挙げた者、特に隼人は注目株で、ロリアン滞在日数も多くなる見込みだ。
今回隼人に随行する幹部は桜、エーリカだ。一行は旗艦をシュトルムヴェントとする、BC-1型フリゲート2隻に分乗して12月16日にマリブールを出航した。
BC-1型フリゲートは、スカンジナビア戦役の戦訓を受けて破棄されたBB-1型フリゲート計画に代わって新造されたばかりのフリゲートで、初期のフリゲートよりも高速かつ砲門数が増加し、排水量も3割増しとなっている。
快速のフリゲートのおかげで12月28日にロー河に投錨、ロリアンに到着した。
ロリアンに到着した翌朝早く、ブリュネ元帥から登城するようにとの使者が訪れた。おそらくナルヴェクの処遇の事であろう。随員は認められなかったので、隼人は1人登城する。
隼人が1人応接室で待っていると、しばらくしてブリュネ元帥が入ってきたので隼人は立ち上がって礼をする。ブリュネ元帥はそれにうなずいて上座に座り、隼人にも席に着くように勧める。
「そなたを呼び出したのは他でもない、ナルヴェクの件だ」
ブリュネ元帥の言葉に隼人は緊張する。ナルヴェクを取り上げられたら何のために戦ったのか分からない。
「ははは、そう固くなるな。ナルヴェクをそなたに与える事も、伯爵への昇爵も内定しておる。すでに重臣の間では確定事項だ」
この言葉に隼人はホッとする。雰囲気も和やかなものへ変わる。
「じゃが旧貴族の中には反対論も多い。その辺りの調整に手間取っておるから論功行賞にはしばらく時間がかかる。まあ、これはほとんど決まった問題だ。だが旧貴族を少しは黙らせる材料が欲しいのだ」
「と、言うと?」
ブリュネ元帥の言葉に不穏なものを感じて隼人は身をこわばらせる。
「端的に言えば、軍船を2隻ほど、王国海軍に供出してもらいたい。王国海軍は先の海戦で大きな打撃を受けたからな」
ブリュネ元帥は普通の子爵にとっては無茶にもほどがある命令を下す。
隼人はこの命令を受け入れるか考える。ブリュネ元帥の穏やかな顔を見れば、おそらくは断ってもそれほど問題にはならないだろう事が察せられる。だが断ればブリュネ元帥などの好意的な貴族からの評判が落ちる事も十分察せられた。
短い時間の思案の後、隼人は決断する。
「……わかりました。ナルヴェク戦役での旗艦と副旗艦を供出します。お望みであれば海賊からの鹵獲艦も全て供出します」
ガリア王国海軍が増強される事は海の治安の安定を意味する。これは商売で稼いでいる隼人にとっては嬉しい話だ。
それに、これから再編成する艦隊はBC-1型フリゲートで統一する事を目標としている。これまでの軍船、それも海賊から鹵獲したガレー船などは解体する以外使い道がない。初期のフリゲートである「マリブール」もいずれ解体するだろうし、ハルク船である「レ・ソル」も解体か、良くて商船に改造して売却だろう。そう考えれば手間が省けることになる。
さらに言えば、現状では船の建造ペースに乗員の養成が追い付いていない。余剰人員を確保する上でも海軍の整理はいずれ必要だった。
機密に関しても、運用こそ機密の部分が多いが、船自体はいくらか機器を撤去すれば漏洩は最小限だ。速力と砲力を重視するという発想はインパクトがあるだろうが、それを上手く吸収できるかは怪しい。
総合して考えれば、隼人にとってはさして痛くない命令だったのだ。
だがあっさりと供出命令を受け入れた隼人にブリュネ元帥は驚く。
「良いのか?船は結構な財産だぞ?」
「ええ、確かにそうですが、ナルヴェクに比べれば安いものです。それに実際のところ、人員の確保が追い付いていないものですから。あ、先に言っておきますが、人員の供出と養成はさすがに無理なのでお断りさせていただきます」
「ふむ、確かにマリブールには大きな造船所ができたと聞くからな。羨ましい事だ」
隼人の不十分な説明に納得するブリュネ元帥。ガリア王国海軍も先の海戦からの人員の補充に苦労しているから、人員の問題だけで理解できたようだ。ついでに言えば、この時中島海軍も人員面では打撃を受けていると誤解してしまっている。
「それでは回航の準備も必要なので、引き渡しは私がマリブールに帰ってから順次、という事にしていただきたいのですが、それでよろしいでしょうか」
「うむ。ただし、目録だけは新年会までに用意しておくように。では話は終わりだ。屋敷に戻って用意してくれ」
そう言うとブリュネ元帥は上機嫌に退室していった。隼人は立ち上がってそれを見送った後、「鹵獲艦、何隻だったかなぁ」などとぼやきつつ屋敷への帰途へついた。
ちなみに、新年会前日に提出された目録から、さすがに小型ガレーは要らないと、鹵獲艦の小型ガレーを抜いた目録を再提出させられる事になった。
新年会ではアンリ王がスカンジナビア制圧戦を称賛し、隼人を含めて特に戦功のあった子爵、男爵へ話しかけ、その労をねぎらった。
そして新年会から1週間後の1794年1月8日、ようやく論功行賞が行われた。ローネイン伯爵、サムエル伯爵、ビーグリー伯爵を先頭に隼人ら従軍した新貴族が大広間に入室する。大広間にはアンリ王とルブラン宰相、ブリュネ元帥が奥に待っており、大広間の横には王子や重臣、旧貴族や新貴族の大物が控えている。
論功行賞に呼ばれた者達が大広間に全員入室したあたりで先頭のローネイン伯爵がアンリ王にひざまずき、後ろの者達もそれにならう。
「昨年のスカンジナビア戦役は見事であった。諸君らの働きのおかげでスカンジナビアは平穏を取り戻した。この勲功は大である。よってこの者達に褒美を与える」
アンリ王の言葉が終わると、アンリ王の横に控えていたルブラン宰相が羊皮紙を開き、論功行賞が始まる。
まず、ローネイン伯爵はルーレオーに移封の上加増、サムエル伯爵とビーグリー伯爵はそれぞれブリタニア地方に加増、隼人はナルヴェクを加増の上伯爵へ昇爵、他の子爵達もスカンジナビア地方を中心に加増を受け、男爵も何人か新たに領土に封じられて子爵に昇爵した。他にも戦功のあった騎士や兵士達が男爵への叙爵や一時金の支給などで褒美を得た。
さすがに隼人の昇爵は、1代で伯爵まで昇りつめた人物は歴史でもまれなため、衝撃を与えるとともに、ロリアン市中の噂は本当だったかと、並み居る人物をうならせた。それでもこれを当然と思う人物の方が多かった。やはりパウルの宣伝手腕は見事である。パウルがいなければこの人事は波乱どころか、ありえなかったかもしれない。
ルブラン宰相が最後の1人の褒賞まで発表すると、アンリ王が再び謝辞を述べる。
「皆の者、こたびの戦、見事であった。これからも王国への忠勤を期待する」
ちなみに、今回の人事でスカンジナビア地方は新貴族とそれに近い者達、そして王国直轄領の勢力圏となった。つまり、スカンジナビア地方はアンリ王に近い勢力となったのである。他にも、今回の論功行賞で移封になった者も多く、要地の付近はアンリ王派、その周辺がルブラン宰相派、そして外縁が中立派、及びアンリ王派の新貴族領となった。アンリ王とルブラン宰相の暗闘の結果である。日和見をしている連中が割をくっているあたり、対立はかなり激しいものである事が察せられる。態度の保留はこれ以上得策ではないと知らしめる人事だ。
ついでに言えば、アンリ王は新貴族を地盤としているので、隼人は自動的にアンリ王派という事になっている。そもそも、ルブラン宰相派は旧貴族以外には閉鎖的なので、隼人が鞍替えしようにもできないのだが。
隼人達が大広間から退出すると、隼人にローネイン伯爵が話しかけてきた。
「昇爵おめでとう。中島伯爵」
「ありがとうございます」
「これで勢力圏としては隣同士だ。仲良く頼む」
隼人はローネイン伯爵がルーレオーという難しい土地を与えられた、貧乏くじだという事に気が付いた。
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。ルーレオーは木材が豊富なようですから、良質な材木を売っていただけるのならば大歓迎です。良い取引になるようにしましょう」
隼人の強みは金と技術であり、技術はさすがに渡せないので、商談という形でローネイン伯爵を支援する事にする。
「それはありがたい。こちらは反徒も多いので、奴隷も買ってもらえれば助かる」
「ああ、そうでしたね。こちらも労働力は不足しているので、奴隷も大歓迎ですよ」
隼人にとっては造船に建築と需要の多い材木と常に不足気味な労働力の供給先が早速見つかって実に都合がいい。ローネイン伯爵も何をするにも先立つものが必要なので安定した取引相手は重要だろう。
「それは良かった。ロリアンでの昇爵祝いにはぜひ招待してくれ。今回の戦は貴君に大いに助けられたからな」
笑顔のローネイン伯爵に、屋敷の引っ越しとマリブールへの帰還で頭がいっぱいだった隼人に、やらなければならない仕事を思い出さされ、暗い気持ちになるが、それを顔に出さずに応じる。
「おお、ローネイン伯爵がお越しいただけるならば、必ずや満足いただけるパーティーにしなければなりませんね」
「期待しているよ。いや、隣が貴君のような人物で良かった。ではまた」
ローネイン伯爵は肩の荷が降りたように足取り軽く自分の屋敷への帰途についた。
結局、隼人がマリブールに帰る事ができるのは1月も下旬のこととなるのであった。