第79話 スカンジナビア始末記
帝国歴1793年11月12日、ビーグリー伯爵の猛攻を受けていたトロムセーは、サムエル伯爵とガリア王国海軍の来援によりついに陥落した。この日をもってスカンジナビア地方の海賊支配は終わりをつげ、完全にガリア王国の統治下に入ったのだ。
ロリアンがその知らせを受け取ったのは10日後の22日の夕刻。翌日になって、これまで何度も行われてきたスカンジナビア戦役の戦後処理に関する会議が再び開かれた。
「ようやく、始末が付きましたな。全く、厄介な土地でした」
ブリュネ元帥が肩の荷が降りたように言う。
「しかし厄介な事になりましたぞ」
ルブラン宰相が苦い顔で発言する。
「厄介、とは?」
「中島子爵の事だ。よもや本当にナルヴェクを単独で攻略してしまうとは。あの地はさすがに子爵には与えられん」
「ならば陛下の約束通りに伯爵に叙したら良かろう」
「しかし1代で伯爵にまで出世するなど、前例がない。このような事を許せば王国全体が混乱しかねない」
「では陛下がした約束を反故にすると?」
「そういうわけではないが……」
ルブラン宰相は隼人へのナルヴェク加増を渋るが、ブリュネ元帥の反論に押し黙る。ブリュネ元帥も別に隼人にナルヴェクを渡す事にこだわっているわけではないが、実力と信義を重視するブリュネ元帥としてはアンリ王の約束を反故にする事は自身の主義に反した。
「……別の道を探る事も1つの手ですな」
ここで財務大臣が発言する。
「別の道、とは?」
ルブラン宰相が尋ねる。
「例えば、ナルヴェクの代わりに別の土地を加増するとか、あるいはマリブールからナルヴェクへ転封してしまう、という手もありますな」
マリブールからの転封、という言葉に出席者の目の色が変わる。以前はマリブールはどこにでもある辺境の領地だったが、今や王国でも屈指の豊かな土地となっている。その領主の座が空白になれば、誰でも狙う。
「……だが少し気になる事がある」
ここで1人難しい顔をしていた内務大臣が口を開く。彼も財務大臣同様、アンリ王の直属の側近である。
「ここ最近になって吟遊詩人どもが新しい詩を歌い始めている。それも、全て中島子爵、特にマリブール領有に至った経緯とナルヴェクでの活躍、そして陛下との約束に関するものだ。ロリアンの市民はもう完全にマリブールとナルヴェクは中島子爵のものだと思っているし、中島子爵に倣って立身出世を目指した志願兵も増えている。マリブールとナルヴェクを取り上げればロリアン市民が動揺しかねん。いや、市民だけではない。貴族達の忠誠にも悪影響が出るだろう」
「なっ!?中島子爵はすでにここまで手を伸ばしているのか!?その吟遊詩人どもを取り締まる事はできんのか!?」
内務大臣の報告にルブラン宰相が狼狽する。
「不可能だ。いくら何でも理由もなく市民から娯楽を取り上げる事はできん。それに、吟遊詩人は1つの例でしかない。あらゆる娯楽で同じような宣伝が行われている。現在警備隊の特別局が金の流れを追っているが、さっぱり足取りがつかめん。出来の良い詩だから自然に広まっているとしか考えられん。音頭をとっている集団までは特定したのだが、完全に娯楽集団として活動している」
「ではその者達を捕らえれば良いのではないか?」
「いや、手遅れだ。それだけでもロリアン市民が動揺するだろう。それに、彼らはある商会に属している」
「その商会とは?」
「……中島商会だ」
「くそっ、やはりか」
内務大臣の言葉にルブラン宰相が歯噛みする。
中島商会は隼人を指導者とする半官半民の商会だ。一般の隊商よりも大規模な護衛による盗賊被害の少なさと、安価で良質な鉄、鋼鉄の供給で勢力を急拡大している。本店所在地はロリアンだが、本店機能はほとんどマリブールに移っている。ガリア王国の主要都市の多くと、アーリア王国の一部に支店を広げている。
急拡大しているがゆえに人材が不足しており、間諜が入りやすくはなっているが、それでもわかる事は少ない。製鉄はマリブールの完全な官製事業であり、その他固有技術も同様で、こちらは商会と違って機密保持に神経質で、ほとんど技術情報を得られていない。
また、商売とは別に情報収集と宣伝を行っている事はわかっているが、機密情報に当たるところまでは手を出していないので取り締まりも難しい。むしろ中島商会の情報収集とそれに連動した隊商によって物資の供給が安定しているのだから王国にとって利益が大きい。さらにその情報も商業ギルドや王国とも積極的に通報しているのだから、ますますもって手を出しづらい。宣伝によって庶民に人気がある事も手出しが難しい要因だ。
そもそも、約束を反故にしようとしているのは自分達である。いくら無法がまかり通る戦乱の世でも、いや、戦乱の世だからこそ王と家臣の信頼関係は重大である。中島商会の取り締まりも、約束の反故も、ガリア王国と隼人との信頼関係だけでなく、ガリア王国と全貴族の信頼関係に影響するまでの大事となってしまっているのだ。
その事に気づいた会議の出席者達は渋い顔になる。
「やはり、約束は守るしかありませんな」
「しかし前例が……」
気楽なブリュネ元帥の言葉にルブラン宰相が未練たらしく食い下がる。ルブラン宰相としてはいたずらに新貴族を旧貴族の列に加える事は容認できなかった。それが1代で成り上がったというならなおさらだ。
「しかし前例と言うならば、ナルヴェクのような難攻不落の都市を1子爵が陥落せしめた、という事も前例があるまい。前例のない功績なのだから、前例のない褒賞を与えても問題なかろう」
「それは……」
ブリュネ元帥の畳みかける言葉にルブラン宰相は言葉を失ってしまう。他の出席者も同様に押し黙る。
「……結論は出たようですな。陛下、いかがなさいますか?」
ブリュネ元帥がアンリ王の裁可を求める。
アンリ王の求心力は強い。クーデターで王権を手に入れたと言っても、彼にそれだけのカリスマがあったからだ。そうであるからこそ、アンリ王はいかなる裁定も下せる。たとえ出席者の大半が納得できない事柄でも鶴の一声で決めてしまえるのだ。だからこそ、会議ではこれまで沈黙を守ってきた。
「余は約束を違える気はない。そもそも、あやつの戦功がなければスカンジナビア戦役は後10年、いや、後何10年続いていたか分からん。ナルヴェクの加増と伯爵への昇爵くらいではケチくさいと言われかねないほどだ。中島子爵にはナルヴェクとその周辺を与える。マリブールも現状のまま領有させる。伯爵への昇爵は近く、ロリアンに呼んで行う」
「「ははっ」」
出席者一同が頭を垂れて従う。アンリ王の決定に抗弁できるのはブリュネ元帥と、クーデターの盟友でかつ現在の政敵であるルブラン宰相くらいだが、ブリュネ元帥はもちろん、ルブラン宰相も今回は抗弁できなかった。その様子を見てアンリ王は満足気にうなずく。
もっとも、約束を信頼せず、宣伝という手法で会議に間接的に影響を及ぼした隼人に対していささかの不満を感じていたが。
会議はまだまだ続く。スカンジナビア戦役で得られたものはナルヴェクだけではないのだから。
「……では、他の領地について議論しましょう。まず、ベルゲンは王国直轄領とするべきと思いますが、いかがでしょう?」
今度は財務大臣が議題を提示する。とはいえ、これはベルゲン陥落の報が届いた頃にはすでに決まっていた事だ。ベルゲンはスカンジナビア海峡の北の要衝。海峡の南の都市も王国直轄領なので、これでスカンジナビア海峡はガリア王国が押えた事になる。
「……異論はないようですな。では他の地域の事ですが……、まず陛下の方針をお聞かせ願いたく存じます」
「うむ。余としてはスカンジナビアに公爵を置くつもりはない。ベルゲンの他は全て伯爵と子爵に分け与えるつもりだ。スカンジナビアはそれほど豊かな土地ではないから、ルーレオーとトロムセー、それから西岸中央に伯爵を置けばよかろう」
「ではそのように。今回戦功があったのはローネイン伯爵、ビーグリー伯爵、サムエル伯爵ですが、彼らには加増か転封が妥当でしょう」
「ローネイン伯爵はルーレオーに転封で良いのではないか?むしろあの者でなければルーレオーは治まりますまい。あそこはスカンジナビア地方でも豊かな方ですが、民心の掌握が大変なようですからな」
財務大臣の言葉にルブラン宰相が続ける。ルブラン宰相の言葉は事実ではあるが、新貴族と仲の良いローネイン伯爵を遠くに飛ばし、あわよくば力を削ごうという考えも透けている。とはいえこの場に特にローネイン伯爵と親しくしている者もいなければ、ルーレオーの統治を考えれば良い案なので誰も反対しない。結果としてローネイン伯爵が苦労する事がすんなりと決まる。
「ビーグリー伯爵とサムエル伯爵もスカンジナビアに転封でよいのではないかな?」
ルブラン宰相がさらに提案する。ビーグリー伯爵もサムエル伯爵もブリタニア系の貴族なので、ルブラン宰相としては遠ざけておきたいのだ。
「しかしそれでは2人とも納得するまい。あの2人はブリタニア地方での加増を望んでおる。スカンジナビア地方などを与えれば反乱の火種となりかねまい」
しかし内務大臣がルブラン宰相に反論する。内務大臣としては国内の平穏が第一だ。
「ではどうするのだ?」
「内政で功績のあったブリタニア地方の子爵を昇爵させてしまいましょう。それで空いた土地に加増すればよい」
「ふむ……、調整は必要だが、大まかにはその方針で問題ないか……」
内務大臣の案にルブラン宰相も大枠で合意する。
「陛下、これでよろしゅうございますか?」
「うむ。こんなところであろう」
アンリ王も内務大臣の案を裁可する。
「では、誰を伯爵にするか、誰を子爵にするか、詳細を詰めねばならんな」
アンリ王の言葉とともに詳細な人選についての会議が続いていくのだった。この時に一挙に家臣団の加増、転封が行われる事になったので、会議は年をまたいで続く事になるのであった。




