第73話 戦乙女の心
前回は金曜日の午後10時に投稿するつもりだったのに、午前10時に投稿するという初歩的なミスをしてしまいました。恥ずかしい……。
「中島子爵か!よく来てくれた!」
「はっ。参陣が遅くなりまして申し訳なく思います」
「いやいや、来てくれただけでありがたい」
隼人はルーレオー攻囲部隊の指揮所にやって来ていた。指揮官のローネイン伯爵に参陣を報告するためだ。
「聞けばあのナルヴェクを単独で落としたとか。おかげでこちらもずいぶん楽になった」
ローネイン伯爵はそう言って笑うが、心なしか元気がない。ルーレオー攻囲部隊への圧力は多少減っていたようだが、それでもなお積み重なる損害に心を痛めているようだ。
「はい。しかしその後のナルヴェクの統治と防備に時間をとられてしまい……」
「よいよい。中島子爵のおかげで勝機が見えたのだ。これ以上は求められんよ。……それにしても、陛下がナルヴェクを貴殿に与えるとの噂は本当だったわけか」
「はい。陛下に直接嘆願いたしました。もっとも、陛下の耳に達するまで1カ月、移動を含めると3カ月ほどかかりましたが」
「ルブラン公爵か……」
ローネイン伯爵は渋い顔をする。彼は新貴族にも旧貴族にも公平で、アンリ王よりの政治的位置にいるので、ルブラン公爵から一方的に嫌われている。ローネイン伯爵の方は友好的に接していたつもりなのだが、ブリタニア系貴族であるという出自も嫌われ、今では悪感情を持ちつつある。
「まあ、その話はよそう。で、どれだけの兵力を連れてきてくれたのだ?」
「艦が9隻に歩兵500が洋上に待機しています。さらに現在輸送隊の艦砲を陸上に揚陸中です」
「それはありがたい!しかしなぜ歩兵は陸に上げんのだ?」
「ルーレオーの海賊船はあらかた沈めましたので、港に直接揚陸する手もありますから」
「大胆だな……。勝算はあるのか?」
「ナルヴェクは1000の兵で直接港に揚陸して落としました。もっとも、敵の陸上戦力は僅かでしたが」
ローネイン伯爵は隼人の大胆な策にしばし考え込む。
「……さすがに500では少ないな。追加であと何人乗れる?」
「500ほどならば可能です」
「よし、乗船部隊を手配するから乗せてくれ。突入時機はいつがいいか?経験がないからわからんのだ」
「陸上部隊との協調は難しいですからね……。理想は同時突撃ですが、城壁が崩れた時に合図をもらえればそれほど齟齬をきたさないでしょう。それまでは港口に投錨し、艦砲射撃で支援するつもりです」
「よし、それで行こう男爵を3人ほど付ける。上手く使え。攻撃は明日の早朝とする。みな、それまでに準備を整えておくように」
「「はつ」」
ローネイン伯爵の命に隼人を含む実戦部隊の面々が自分の部隊の指揮に飛び出していく。
「……ああは言ったが、大砲で城壁は壊せるとして、揚陸部隊と陸上部隊が合流できるかは不安だな……」
ローネイン伯爵は誰にも聞かれないように不安をつぶやいた。
隼人が艦隊に戻ると、艦砲の揚陸はすでに終わり、射撃陣地への移動を待つのみとなっていた。隼人は臨時砲兵隊に進出地点を伝達するとともに、艦隊と歩兵に交互の半舷上陸を命じてマリブールへ戻った。いくら海の男達と言えども、洋上待機は心身をすり減らす。基本的に陸上部隊である歩兵にいたってはなおさらだ。ゆえにこの命令は当然歓迎された。隼人はゲリラ攻撃に警戒を怠らないように注意を促すが、それでもなお歓迎された。
ちなみに日没後に半舷上陸は交代し、日の出る前に全員の乗艦を完了させる予定だ。ついでに言うと、隼人は夜に上陸して休養をとる。上司が休憩を後でとる事は人心掌握術の1つだ。なにせいつ事態が急変し、休暇が取り消しになるかわからないからだ。さらに言えば隼人はすでにローネイン伯爵への報告のため上陸している。自身の上陸を後回しにする事は当然と考えていた。
そこで自身が上陸中の艦隊の指揮をエーリカに預けようと思っていたのだが、エーリカが隼人と一緒がいいとわがままを言い出した。若夫婦としては当然の希望だろうが、エーリカにしては珍しい。
「どうせ敵さんには艦隊を襲撃する余力なんてないんだ。今夜くらいイチャついてもいいだろう?」
そして隼人はこういう事には流されやすい男だ。あっさり承諾し、夜間の指揮権はアルフレッドがとる事になった。
その日の夕刻にローネイン伯爵から手配された3男爵が顔合わせに訪れたので、マリブールに乗艦してもらう。3男爵は出自が多彩だった。1人はガリア系伯爵家の3男坊、もう1人はガリア王国がブリタニア地方を落とした時に子爵から男爵に落とされたブリタニア系当主、最後の1人は傭兵から実力を認められて貴族の仲間入りをしたアーリア系男爵。共通している事は3人とも抜け目ない印象を与えているところだ。実際に彼らはこの困難な戦いで損害を極限している。
3人に作戦計画を説明し、日の出前の全部隊乗艦まで陸上で休息をとるように命じた。いくら大型船でも居住性は陸上に比べて大きく劣る。揚陸時に船酔い状態では困るからだ。
日が没した後、隼人はエーリカと肩を寄せ合って夕食をとる。艦の上では塩漬け肉か魚に塩漬け野菜や漬物、それに乾パンだった。それが陸上では新鮮な肉と野菜が食べられる。今頃艦の上でも新鮮な食材を使った夕食が食べられているはずだ。
「やはり陸で食べる料理は美味いな」
エーリカがゆっくりと食事を味わって言う。
「食材が違うからなぁ。これが桜の料理だともっと美味いのは確かだが」
「ははは、違いない。それじゃあ今度は俺が手料理を作ってやろうか?」
「えっ、そいつは楽しみだ。その前にエーリカ、料理できたんだ」
エーリカの提案に喜びながら失礼なことを言う隼人。
「まあ武人のたしなみとしての簡単なものならな。さすがに本格的な料理は教えてもらえなかったなぁ。俺はこれでも侯爵だし。桜に習ってみようかな。それにしても王女様が何であんなに料理上手なんだろうな?」
「さあ?本人は趣味だからと言っていたが、あれで結構やんちゃなところがあるから、わがままでも言ったのかな?」
「となると俺の武芸と根は同じか。俺もわがままを言って、侯爵家令嬢としての教育を拒否してひたすら武芸に励んだからな。まあ、おかげで隼人と結ばれたわけだが。令嬢として育てられていたら、どこに嫁がされていたかわかったものじゃない」
そう言ってエーリカは隼人の肩に頭を寄せる。
「そうだよな。俺はエーリカみたいな美人と結婚できて本当に果報者だよ」
「バ、馬鹿!美人とか言うな!照れるじゃないか……。俺だって隼人みたいないい男と結婚できて感謝しているんだぞ。やっぱり夫は俺くらいに強くなけりゃあな。それに、隼人と話していると楽しいしな……。」
エーリカは嬉しそうに、しかし最後の言葉はどこか寂し気に話した。それに気づいた隼人がエーリカに聞く。
「エーリカ?どうした?俺もエーリカと話している時は楽しいし、お前も楽しそうに見えるんだが?」
「俺も隼人と話している時は楽しい。それは間違いないんだ。でも、その後時々怖くなる。俺達は新しい戦争について語り合っている時が多い。それは楽しい時間だ。残酷な話題だがな。だが戦争には残酷さだけではなく美学もある。巧みな用兵、剣を振るう英雄達、自ら先頭に立って白刃を振るい、国の運命を決する将軍。だが、時々俺達はそれを壊そうとしているんじゃないかと思う事がある。それが、怖い。いや、戦争は本来残酷さだけで良いのかもしれない。そうでないとどこまでも戦争にのめり込んでいってしまう。だが、だからと言って戦争から美を全て取り去ってしまって良いものか。ただただ残酷に人命を浪費するだけの戦争なんて、だれが望むものか。隼人、俺達はいったいどこへ向かっているんだろうか?」
エーリカの心情の吐露。それはどこか悲鳴じみていた。武人としてのエーリカのアイデンティティ。それが自らを自己破壊している。エーリカは武人としてだけでなく理論家としても優れている。それは戦術論、作戦術論、戦略論、戦争論を並行して隼人とともに著述しているから分かる。だが、エーリカの本質は武人だ。ゆえにいつ、どこにいても武芸の鍛錬は怠らない。
そんなエーリカの武人としての矜持をエーリカ自身が壊しつつある。それを聡いエーリカは悟ってしまったのだ。
隼人は不安に怯える小娘のような心情のエーリカを抱き寄せ、肩を抱きながら、ウィンストン・スペンサー・チャーチルのWW1についての言葉を思い出していた。
『戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。
アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に
危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。
そんなことはもう、なくなった。
これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、
書記官達に取り囲まれて座る。
一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、
息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や、子供や、
一般市民全体を殺すことになるだろう。
やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、
一度発動されたら制御不可能となるような破壊のためのシステムを
生み出すことになる。
人類ははじめて自分たちを絶滅させることのできる道具を手に入れた。
これこそが人類の栄光と苦労のすべてが最後の到達した運命である』
隼人は、究極的にはそれ以上の戦争を目標としている。おそらく、隼人の世代だけでは無理だろうが、いつかはそうなるだろう。だが、それが中世の武人であるエーリカに耐えられるだろうか?隼人は言葉を選びながら、エーリカに語り掛けた。
「エーリカ、君が感じている事は、おそらく正しい。でも先人達も、今の戦争を見て同じ事を思うだろう。戦争は人類の最も残酷な営みだ。だが、人類に心がある以上、絶対にそこには隠された美があるはずだ。1人の人間が指先1つで何十万、いや何十億の人間を殺せる時代になっても、英雄はどこかで生まれ、美学もどこかに見いだされるだろう。人類から心が失われない限り、あらゆるものに美学が存在する。この世で最も残酷な戦争においても、それはきっと変わらない。
戦争は起こらない方がいい。それは誰でも分かる簡単な事だ。だが人間は争ってしまう。人類には善も悪もある。その両方が失われない限り、世の中の表層は変わって行っても、本質は変わらない。少なくとも俺はそう思う。人は時に愛し合い、憎しみ合い、慈しみ合い、争い合う。これこそが人類普遍の真理なんだと思う。
エーリカ、君はきっと急激な変化に戸惑っているだけなんだ。それなら、心を落ち着けて、広く見渡すと良い。人の本質はきっと変わらない。良い所も、悪い所も、な。それが人間なんだ。俺達は人類の世界を前に進めている。それは確かだ。それが良い事なのか、悪い事なのかは神様くらいしか分からないだろう。
それに、剣を振るう事だけがエーリカじゃないだろう?俺と愛し合う事も出来るし、戦争について意見を交わす事もできる。義人の育児も、まんざらではないじゃないか。戦争も、世の中も変わっていく。人だって変わっていくさ。エーリカはありのままに生きていけばいいさ。もし間違った方向に進みそうなら俺が、いや俺達が止めるさ。俺達は家族なんだから」
隼人はゆっくりと、長くエーリカに語り掛け、それを終えると水を飲んだ。のどが鳴る。下手をするとエーリカへのプロポーズより緊張したかもしれない。それだけ、エーリカの今の心は脆かった。
エーリカは隼人の言葉を飲み込むと、隼人の肩におずおずと腕を回した。
「家族……、か。昔は考えた事もなかったが、俺も変わってきているんだな。それにしても戦争が人類普遍の真理か……。確かにそうなんだろうな。人類とは罪深い存在だ。それに酔いしれる俺も罪深い存在だな。なあ、俺がおかしくなりそうだったら隼人、お前が俺を救ってくれよ。……まあ、俺がお前の暴走を止める方が先になりそうだがな」
「なんだよそれ……」
「おいおい、隼人はセレーヌやセオドア辺りによく暴走を止められているじゃないか」
エーリカの言葉に反論できず、隼人は口を曲げる。
「ふふっ、何にしても、お前が俺の夫で良かったよ」
そう言ってエーリカは隼人に唇を重ねた。そしてより深く絆を確かめ合うように隼人とエーリカは互いの体を抱きしめた。