表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/135

第70話 ナルヴェクの統治

 帝国歴1793年9月5日夕刻、第1戦隊と第2戦隊に支援された、輸送隊に搭乗していた陸軍部隊がナルヴェクの政庁である城に突入したことでナルヴェクは陥落したわけだが、市街各地で未だ敵残存戦力との交戦が続いていた。

 それでも隼人はナルヴェクを迅速に確保すべく、日が落ちる前に城に向けて馬を進めていた。隼人の後ろを馬に進ませるセレーヌは市内の様子に違和感を感じていたようだが、隼人はそれに一向に気づかなかった。何せ隼人の隣で馬を進めるエーリカが市街戦に参加できなかったフラストレーションでイライラしていたからだ。隼人はエーリカをなだめながら、これは『夜戦』で鎮めるしかないかな、などと品のない事を考えていた。




 城の中は、戦闘跡を除けば意外と小奇麗であった。隼人は旗下の部隊に略奪を禁じていたため、いわゆる『土産物あさり』の被害を受けていなかったが、それでも海賊の首領の拠点としては下品さがなく、むしろ気品を感じるほどであった。しかし隼人はその事を深く考えることなく文官を従えて執務室に入った。

 執務室は血で汚れてはいたが、無駄のない洗練された部屋だった。隼人はそこで振り返り、連れてきた文官達に命じた。


 「ナルヴェクはほぼ制圧できた。次は諸君の仕事だ。行政文書……、といったものを海賊が使っていたかは分からんが、それに類する文書を至急集め、ナルヴェクの行政を掌握してくれ。ああ、それと金庫は軍が押さえているから心配しなくていい。頼むぞ」


 隼人の命に文官達が散っていく。文官とはいえ、軍や警備隊から引退した者達ばかりなので戦闘跡を見ても取り乱す者はいない。

 隼人は執務机の椅子にどさりとすわり、とりあえず適当な引出しをあさる。するとすぐに「ナルヴェク年鑑」と題された、そのものズバリの物を発見する。それにざっと目を通すと、ナルヴェクのおおよその人口や税収、ナルヴェクの勢力圏内の村の人口と出来高が簡潔にまとめられていた。


 「……、海賊にしてはずいぶん行政がしっかりしているな」


 「そうね……」


 隼人の呟きに、いつの間にか隼人の横で一緒になって年鑑を覗き込んでいたセレーヌが答える。隼人はその声に少し驚いてセレーヌの方を向く。美しいブラウンのセミロングの髪を梳く仕草に見とれてしまう。ちなみにエーリカは応接用の椅子にだらしなくもたれかかって座っている。美人が台無しだ。


 しばらくセレーヌの横顔に見とれていると、セレーヌは至近距離で隼人の方を向いて見つめる。セレーヌは顔も美形だからその瞬間、隼人の心拍数が上がる。しかしセレーヌはそんな事には気づかず、もっと重大な懸念を口にした。


 「隼人、わたくし達はナルヴェクを海賊から『解放』したのですわよね?」


 「あ、ああ、そうだ」


 「じゃあナルヴェクの民がわたくし達を見ていた目は何?あれは新しい征服者を不安に思う目ですわ。それにこの年鑑……、ここの海賊は相当な善政を敷いていたと見るべきですわ」


 そこまで聞いて隼人はハッとする。善政を敷かれていた街の民衆は必ずしも新しい支配者を歓迎しない。統治には細心の注意を要するだろう。下手な施政をして反乱を起こされれば厄介だし、何よりアンリ王にナルヴェクを取り上げられかねない。マリブールの時は隼人はマリブールの英雄だったし、マチルダと結ばれたことでスムーズに民心を掌握できた。

 そう言えばアルフレッドが捕らえた女頭領は若くて美人だったな、などと思考が逸れたところでこれまで黙っていたエーリカが急にこちらを向いた。


 「隼人、浮気は許さんからな」


 「う、浮気なんて全く考えていないよ。俺はすでに十分に果報者だ」


 「ならいい」


 隼人に釘を刺したエーリカは再び暇そうに天井を眺め始めた。隼人は脳裏に浮かんだ邪心をすぐに抹殺する。見ればセレーヌも冷たい目をしていた。その気まずい雰囲気を打ち払うように隼人はひとつ咳ばらいをしてからとりあえずの方針を打ち出す。


 「とりあえずナルヴェクを完全に掌握するまでは、税制、法体系は現状維持、奴隷は刑事犯以外は解放、捕虜は牢獄か収容所だな」


 「それがいいでしょうね。早速お触れを出すように指示してきますわ」


 セレーヌはそう言って足早に部下を捕まえに行った。




 翌日の早朝、隼人とエーリカが寝室とした領主の部屋の扉を叩く者があった。隼人はおっくうに入室を命じる。


 「失礼しますわ……、って!なんて格好をしているんですの!服くらい着なさいよ!」


 入室したセレーヌが顔を真っ赤にする。隼人もエーリカも全裸だったのだ。エーリカの海戦での昂ぶりと市街戦不参加のフラストレーションはかなりのもので、『夜戦』は激しく、長く続いていたため、寝付くのも起きるのも遅くなってしまったのだ。


 「ああ、すまん。すぐ服を着るから待っていてくれ。ほら、エーリカも」


 「んー、今日は朝はしないのか?」


 「いや、どうも早速問題が起きたようだからな。あ、セレーヌ、出て行っていいぞ。執務室で待っていてくれ」


 「!!失礼しますわ!緊急事態なので手早くお願いしますわよ!」




 セレーヌが赤い顔でイライラしながら待っていると、それほど時を置かずに隼人とエーリカが姿を現した。


 「お待たせ」


 「待たせたな。セレーヌ、まだ顔が赤いぞ」


 エーリカがセレーヌをからかう。


 「お、大きなお世話ですわ!そんな事よりもこれを見てくださります!」


 セレーヌが紙の束を隼人に押し付ける。


 「これは?」


 隼人はざっと書類を確認しながらセレーヌに問う。


 「海賊団の女頭領、マンネルヘイム・シーラに対する助命嘆願書、釈放嘆願書ですわ。海賊全体に対するものもありますわ」


 「……これ、血判書まであるじゃないか」


 「ええ、それに、マンネルヘイム・シーラの助命と釈放を求めて市民が城門に集まっていますわ」


 「なんだと!?」


 隼人はマンネルヘイム・シーラの人望に驚く。


 「しかし安易に解放するわけにはいかんぞ。解放したら間違いなく神輿に担がれてもう一戦交える事になる」


 「まあ、それでもいいけどな」と小声でつぶやきつつエーリカが口を挟む。


 「うん。城の客間に軟禁がせいぜいだろうな。それで何とかなだめすかすとして、だ。他の海賊はどうする?」


 「抵抗活動をしそうな連中は収容所に留めて、それ以外は順次、それもできるだけ早く解放するしかないでしょうね。間違っても鉱山送りは無理ですわ。身代金も止めておいたいいでしょうね」


 「全く、厄介だな」


 「ええ。でもとりあえずの方針は決まったのですから早く城門へ行って民衆を鎮めてきてくださいね」


 「ええ!俺がやるのか?」


 「隼人以外誰がやるというのですか?さ、早く行ってくださいな。わたくしも付き合いますから」


 「なら俺も行くぞ」


 セレーヌもエーリカも隼人に付き添ってくれると言う。逃げ道を失った隼人はひとつため息をついて、しかし足早に城門に向かった。




 城門にはかなりの人だかりができていた。門番が何とか押しとどめているが、限界が近そうだ。民衆側もいつ投石を始めてもおかしくない雰囲気だ。時間がない。隼人はすぐに民衆に呼びかけ始めた。


 「我こそはナルヴェクの新たな統治者、中島隼人である!マンネルヘイム・シーラの命はこの中島隼人が保証する!ただし!彼女の身柄は城の客間で軟禁させてもらう!他の海賊達については収容所に移し、取り調べの後、身代金無しで順次解放する!ナルヴェク海賊団の名誉を傷つけない事を誓う!だから諸君は安心して解散してほしい!」


 隼人の言葉に民衆は徐々に落ち着きを取り戻す。だがここで隼人の悪い噂が足を引っ張る。民衆の誰かが隼人が『女狂い』の悪評を知っていたようで、再び動揺が広がる。「シーラ様を手籠めにするつもりか!」、「シーラ様を守れ!」などと、熱気が上がっていく。


 「マンネルヘイム・シーラの命と貞操はこの中島隼人が神に誓って保証する!だから安心してくれ!」


 隼人は再び民衆に呼びかけるが、民衆の熱気は治まらない。その様子を見てセレーヌは対策を打つべく城門を離れる。そしてエーリカが隼人の前に立つ。


 「静まれぇ!!俺は中島隼人の妻、エーリカだ!隼人にはこのエーリカが絶対に浮気をさせない!もし浮気するようなら俺が隼人のイチモツをもいでやる!」


 エーリカの物言いに隼人の股間が小さくなる。民衆はエーリカの強い言葉に困惑する。この世界では女性の社会進出が進んでいるとはいえ、あくまで男性優位の社会だ。普通なら妻がこんな事を言っても実現可能性が疑問視される。だがエーリカの目は本気だった。その目は中島家の家庭内の男女の力関係をにおわせるものだった。だからこそ民衆の間に動揺が走った。


 エーリカが目力で民衆を抑えている間に、セレーヌが1人の女性を連れてきた。マンネルヘイム・シーラだ。


 「セ、セレーヌ!?」


 「大丈夫ですわ。事情も、これからの扱いも伝えてありますから。それに、なかなか聡明なお方ですわ」


 隼人の心配をよそにセレーヌはその貧相な胸を張る。

 シーラが民衆の前に立つ。捕らえられて1日もたっていないのでシーラは元気そうに見える。そんなシーラの姿を見て民衆は歓声を上げる。


 「みんな……。まずは武運拙く敗れてしまったことを謝罪したい。それから、ありがとう、と言いたい。みんなのおかげで俺は牢獄から城の客間に移されることが決まった。部下達も牢獄からより快適な場所に移される事が決まった。みんな、ありがとう」


 民衆は静かにシーラの声に耳を傾ける。


 「ここナルヴェクの新たな統治者となる中島隼人殿は善政を敷くお方だと聞く。内政でも功績がある。きっとナルヴェクを、みんなを豊かにしてくれるだろう。みんな、これまでありがとう」


 シーラが頭を下げる。その目には涙がたまっている。


 「シーラ様、ありがとうー!」


 民衆の中から声が上がる。その声につられてシーラへの感謝の言葉が続く。その声は昼前まで収まらなかった。




 民衆が静まった後、隼人達はシーラを交えて早めの昼食をとっていた。全員今朝の騒動で朝食を食べ損ねていたのだ。


 「マンネルヘイムはずいぶん領民に慕われていたんだな」


 沈黙を守っていたシーラに隼人が話を向ける。


 「ええ、自分では当たり前の事をしていただけのつもりなんですが、これほどまでとは思っていませんでした。それよりも部下達を牢獄から出していただける事、ありがとうございます」


 「この乱世で当たり前のことを当たり前にできる事はすごい事だぞ。あと、申し訳ないが、収容所ができるまでは捕虜達には牢獄にいてもらうぞ。さすがに奴隷鉱山夫の収容所を使うわけにはいかないからな」


 「それでも、ありがとうございます」


 「部下想いなんだな……。そうだ、貴女さえよければナルヴェク統治の顧問になってくれないか?」


 「ちょっと、隼人。それは性急すぎるわよ」


 隼人の提案にセレーヌが苦情を入れる。


 「いや、彼女は信頼できると思うんだ。それに、マンネルヘイムが統治顧問になるとなれば民心も収まるだろう」


 「確かに、それはそうですけど……」


 「どうだろうか。マンネルヘイム、俺に仕えてはくれないだろうか?」


 シーラは天井を仰ぎ見て、しばらく考える。そして数分経って答えを出した。


 「……お気持ちは嬉しいのですが、今は時間をください。昨日の戦いで多くの部下を失いました。ナルヴェクの民の事を思えば、顧問に就任するべきなのはわかってはいるのですが、心の整理がつかないのです。すみません」


 「そうか。いや、こちらも事を急ぎ過ぎた。急かしたりはせんよ。だが、心の整理がついたら、きっと俺の門を叩いてくれ。いつでも待っているからな」


 「ありがとうございます」


 シーラはそう言うが、表情は硬い。それを見てエーリカが横から口を挟む。


 「まあそう固くなるな。別に隼人の妾になれと言っているわけではないんだしな。まあ隼人がいやらしい事をしてきたら俺に言え。俺がぶん殴ってやる」


 「お、おい、エーリカ。俺は別にそんなつもりじゃ」


 「おやおや?俺には口説いているように見えたがなぁ」


 「口説いていない!いや、仕官してくれとは口説いたが、男女としては口説いていない!」


 「あらあら、それじゃあシーラさんは魅力的ではないというの?」


 セレーヌまで隼人いじりに参戦する。


 「いやいや、マンネルヘイムさんはすごく美人だと思う。だがこれとそれとは話は別だ!」


 「ふふ、はっはっはっは。中島家というのはずいぶんと楽しそうなのですね」


 いじられている隼人を見てシーラが笑う。


 「ああ、隼人といれば忙しくなるが、退屈はしないぞ」


 エーリカがにっと笑った。




 その後は民間船を雇ってマリブールとロリアンにナルヴェク陥落の連絡をしたり、フィヨルドの要所に築かれた要塞に輸送隊に積み込んだ軽砲を運び入れたり、周辺の村や鉱山を回って実態調査を行ったりと忙しい日々を過ごした。もちろん海軍もスカンジナビア地方の友軍支援のために補給や整備を行っている。陸軍もナルヴェクの警備に人員を割かれないように警備隊の募集を行っている。


 そんな忙しくも平穏な日々の中、9月16日の早朝、フィヨルドの監視所から急報が入る。


 「沖合に海賊船団を発見!直ちに指示を請う!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ