第68話 吉報と出航
日曜日に投稿したかったけど間に合わなかったでござる。
帝国歴1793年8月14日、隼人達はマリブールに帰還した。
隼人が城に入ると、義人を抱いた桜がパタパタと迎えに来た。
「隼人さん、待っていましたよ!」
「ありがとう。義人も待っていてくれたのか?可愛くなって」
「でしょう?でも隼人さんに似てかどんどんやんちゃになっていってて。でもそこが可愛いんですよね。……いえ、それだけではなくって、もう一つ嬉しい知らせがあるんです!」
「嬉しい知らせ?」
隼人は桜にそう聞き返すが、視線は桜の腕に抱かれた義人のままで、会話中もずっと義人をあやし続けている。かまってあげると笑顔を見せてくれる事が嬉しい。3カ月の間、顔を見る事もかなわなかったので、ずいぶん大きくなった気もする。
そうして隼人は義人をあやす事に夢中で、セレーヌに気遣われながら、ゆっくりとした足取りで現れた梅子とマチルダにも気付かない。
「梅子とマチルダさん、それにエレナさんとアエミリアさんにも子供ができたんですよ!」
桜が嬉しそうに隼人に言う。その言葉に隼人ははっとして桜の顔を見つめる。その時に初めて梅子とマチルダの姿を確認する。2人とも少しばかり腹が膨れている事が見て取れる。
隼人は義人に指をしゃぶられながらしばらくぼんやりしていたが、桜の言葉の意味を頭が理解すると、義人から離れ、梅子とマチルダを抱き寄せる。
「……おめでとう。それから、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
隼人の感極まった言葉に、マチルダが微笑んで返す。
「……それから、お帰りなさい」
「……ただいま」
梅子に言われて「ただいま」の挨拶もしていなかった事を思い出す。マリブールを改めて自分の家だと思えるひと時だ。そのまま幸せな気分で抱擁を続ける。
「……隼人、気持ちは嬉しいが、桜様が待っているぞ」
振り返れば桜が顔を膨らませている。隼人は慌てて梅子とマチルダを離し、桜を抱擁する。
「ただいま、桜」
「もう、私だって寂しかったんですからね」
セレーヌはその甘い光景に砂糖でも吐きそうになる。それと同時にどこか羨ましさを感じている事も自覚していた。
セレーヌは子を成す事も結婚も諦めている。どちらも国を揺るがす政争に発展しかねない事が分かっているからだ。セレーヌはこの「友人」達との関係がずっと続く事を願っていた。
帰宅の挨拶が終わったところでカテリーナがおずおずと桜に話を切り出す。
「あのー、桜さん。私達も子供ができているかもしれないので、一応診てもらえますか」
その言葉に桜は満面の笑みを浮かべ、隼人は驚いた顔をする。
桜は義人を梅子に預け、カテリーナの下に駆け寄る。
「それでは診てみますね」
桜はそう言ってカテリーナの腹に手を置き、神に祈りを捧げる。すると桜の手の先がボウっと光る。隼人は専門外なので理解はできないが、ともかく神々しい光景だ。
「桜様はああやって敷島の神々に祈ることで治癒魔法を行使されるのだ。宗教によって祈る対象は違えど、治癒魔法の行使の方法はほとんど同じだ。まあ、治癒魔法と言っても自然治癒力を活性化するだけだから、一瞬で治癒されるわけではないんだがな。おとぎ話のように大怪我を一瞬で癒したり、炎を出したりはできんよ」
実は隼人は桜やエレナ達の治癒魔法をじっくり見る機会は初めてだったりする。これまでは戦闘中の部隊の指揮や、戦場掃除の指揮監督に忙しく、負傷者の治療は任せっきりだったのだ。それに自分自身が治癒魔法を必要とするほどの怪我をしたこともない。それを察した梅子が解説してくれる。だが解説中も義人をあやし続けており、その顔は緩んでいる。
桜はカテリーナ、ナターシャ、カチューシャ、エーリカの順に診察すると、嬉しそうにその結果を告げた。
「カテリーナさん、ナターシャさん、カチューシャさん、おめでとうございます。確かにお腹の中に新しい命が芽生えています。エーリカさんは残念ですが、できていないようです」
申し訳なさそうにエーリカに告げる桜に、エーリカはむしろ獰猛な笑みを浮かべて言った。
「当たり前だ。むしろできてなくてほっとしたぞ。何しろこれから大戦なのだからな。そんな時に妊娠していて参戦できないなど、あってたまるか」
実にエーリカらしい言葉である。実際、ロリアン滞在中、隼人達5人はたいてい寝床を共にしていたのだが、エーリカは子供ができそうな日になるとキッパリと別の部屋で寝ていた。よほど次の戦が楽しみらしい。これには一同苦笑するしかなかった。
隼人達がマリブールに帰還して翌日の会議の席で、ロリアンでの根回しの結果が報告された。ナルヴェク領有はともかく、伯爵への昇爵は驚きを持って迎えられた。1代で伯爵への昇爵はないわけではないが、普通は3世代以上かけて昇爵していくものである。ましてや隼人は貴族に取り立てられてから2年ほどしかたっていない。ナルヴェクが攻略できれば、その功はそれほどまでに大きいということだ。
もちろん、理由はそれだけではない。アンリ王は共に王位を簒奪した盟友であるルブラン家と対立し始めていた。そしてルブラン家の支持基盤は旧貴族にあった。アンリ王は新貴族を旧貴族の仲間入りをさせることでルブラン家の支持基盤に風穴を開けようとしていた。これまでも多くの新貴族が伯爵に昇爵しているが、この中島家の昇爵はその政策の目玉である。
そこに思い至ったセレーヌが喜びに沸く出席者に釘を刺す。
「こんなに短期間で伯爵まで昇爵する事は確かにめでたい事ですわ。しかし新旧両貴族からの嫉妬に、新貴族から神輿に担がれる可能性がありますわ。それに何より、これはアンリ王がルブラン家の勢力を削ぐための布石でしょうね。これからは相当忙しく、それに危険になりますわよ」
セレーヌの言葉に一同がハッとする。ロリアンの屋敷の管理すらできていなかったほど、人材が不足しているのだ。もちろん人材の育成は進めてはいるが、その効果が表れるのは数年後だろう。
人材だけではない。兵員も不足している。エーリカの部下たちが必死に訓練していたが、陸軍全軍をナルヴェク攻略隊に回すため、マリブールに残る陸軍は新たに徴募された500のみ。これまでほどの治安の良さは維持できまい。ナルヴェク攻略隊も、砲兵隊を除いて、その全てがナルヴェク駐留部隊となる予定だ。しかもその中からスカンジナビア地方制圧に用いる部隊を抽出しなければならないのだ。
そして何よりも不足しているのが人脈だ。アンドラ高原の戦いで救援したマイヨール男爵、セダンの代官エモン子爵、セダン騎士団長ベルニエ男爵、ロストフ代官ブルザ男爵ら新貴族とはそれなりに良好な関係を持っているが、旧貴族とはブリュネ元帥や、アーリア王国のバウアー・フォン・クルト伯爵以外とはほとんど縁がない。アンリ王に気に入られている事が唯一の救いか。あとは中島商会の縁で商人や職人達と縁が深い事が好条件になるか。
隼人が成り上がりである事の弊害がこれから照らし出されようとしているのだ。沈黙が一同を支配する。
「……まあ、ナルヴェク攻略は既定路線でしたし、昇爵もめでたいことですわ。あまり固くならず、やれるだけの事をしていけばそれなりに何とかなるでしょう。ここが踏ん張りどころですわ」
誰もが目を背けていた図星を突いてしまったセレーヌがフォローに回る。それに、隼人ほどの出世は前例がないが、成功した貴族達は誰もが通ってきた道だ。セレーヌは隼人達を信頼している。きっと何とかしてくれるだろうと、心の中では楽観していた。今は皆、心の準備ができていないだけなのだ。
「そ、そうだな。みんなには苦労をかけるだろうが、改めて俺を支えてほしい。この中島家は俺だけのものだけじゃない。みんなで作り上げてきたものだ。これからも力を合わせて、みんなで居場所を守っていこう」
セレーヌに励まされ、隼人は改めて仲間達に頭を下げてお願いする。隼人の言葉に励まされて、中島家を盛り立てる決意を新たにする一同。その日の会議はこれまでにない熱意を持って始まるのだった。
「アルフレッド、ナルヴェク攻略船団の編成状況はどうなっている?」
「ああ、その事なんだが、大型帆船の建造を前倒しできた。2層の甲板に片舷14門の重砲を搭載するフリゲートだ。これが4隻あるんだが、訓練に後1,2週間欲しい。海兵隊の方は陸軍が乗船してくれているので問題はない。輸送船の方もフリゲートのおかげでお役御免となったハルク船4隻で賄えそうだ」
ここでアルフレッドが言う海兵隊とは、現代地球の水陸両用部隊の事ではない。敵艦への接舷斬り込みを主任務とし、同時に船内の治安維持にあたる部隊の事を指す。
「フリゲート4隻による第1戦隊の指揮は大将が、ハルク船4隻による第2戦隊は俺が指揮することでいいんだよな?輸送船団の指揮官は適切な人材を充ててある」
「それで頼む」
隼人はアルフレッドの報告に満足する。
「しかし大将、射距離表示盤、だっけか?あれ、役に立つのか?」
「さあ?ものは試しだ。1度使ってみて駄目なら降ろせばいいよ」
「おいおい、大将が自信を持たない発明品なんて初めてだぞ」
アルフレッドは少し頭を抱える。
ここで言う射距離表示盤とは、時計の文字盤のようなもので、短針と長針がついている。時計との違いは、数字が0~9であることだ。短針が100メートル代の数字を示し、長針が10メートル代の数字を示す。これを艦尾に掲示することで後続艦に旗艦が目標としている的の距離を知らせる事ができるのだ。
なお、これはWW1とWW2の間の戦間期に一時期流行ったのだが、WW2に入るまでには廃れている。だから効果のほどは隼人もそれほど期待していない。
その後も様々な報告が寄せられたが、特に進捗と呼べるものは少なかった。たったの3カ月程度ではこんなものだろう。それでもせっかくだからと、隼人はアントニオに船舶用蒸気機関とスクリューの試作開発を依頼する。蒸気機関の実験機はすでに稼働し、麻織物の製糸、紡績機に利用されているので、それほど負担ではない……はずだ。ちなみにマリブールの麻織物はこのおかげで品質、生産量ともに大きく向上したが、蒸気機関の開発費用の回収、製造、整備費用のおかげでそれほど安くはなっていない。だがマリブールの財政を支える大きな柱へと成長しつつある。
帝国歴1793年8月28日朝、ブレストの港町は多くの人で賑わっていた。ブレストは要塞が整備され、造船所が拡張されたおかげで、名目上こそは漁村だが、すでに軍港と化しつつある。城壁で囲ってしまう計画が出始めているほどだ。
この日は何を隠そう、ナルヴェク攻略船団の出航日なのだ。見送る人々が朝早くから詰めかけている。第1戦隊旗艦マリブールには総指揮官中島隼人の他、エーリカとセレーヌが副将として座乘している。第2戦隊旗艦レ・ソルには指揮官アルフレッドの他に、プロパガンダ作成目的でパウルも便乗している。
ちなみにブレストには防備用にガレーと武装商船を残していく。
「ご武運を」
桜が妻達一同を代表して言う。
「ああ、必ず勝って、生きて帰ってくるよ」
隼人は妻達と短い抱擁を交わしてからカッターに乗り込む。
沖合の旗艦に到着すると当直の兵がサンドパイプを吹き鳴らす。出航の準備が整った事を確認すると、出航を命じる。旗艦のマストに出航を命じる信号旗が上げられる。
ナルヴェク攻略船団はゆっくりと動き出した。
戦闘シーンまでたどり着かなかった……。次回は久しぶりの戦闘シーン。それも初めての海戦。頑張ります。




