第66話 開発会議と共通規格
大変お待たせしました。お待たせした割には前半はただの現状説明になってしまいましたが……。今後は予定通り更新できるように努力していきます。
帝国歴1793年4月下旬の、定例のマリブール開発会議。科学技術担当のアントニオが報告する。
「製鉄に関しては反射炉は順調に稼働を続けています。高炉と転炉はまだ実験炉を試運転している段階です。まだまだ試運転をするたびに不具合が見つかっている状況で、開発完了までは時間が必要でしょう。
蒸気機関に関しては開発は順調です。先日実験機の試運転に成功しました。もうすぐお披露目できると思います。ただし、生産には鉄を大量に使用するためかなり高価になっています。予算と鉄の供給量の関係ですぐに実用化する事は難しいでしょう。
ハーバー・ボッシュ法とオスワルト法に関しては実験室段階では成功しております。ただし、こちらも予算、設備開発、資材の調達で難航しており、大量生産までは時間が必要でしょう。
コンクリートに関してはすでに実用化されていますが、一方で鉄筋を通した方が頑丈になる事が分かっています。鉄の価格、供給量から重要な施設にしか鉄筋は使えません。代用資材を研究中です。
主要な研究はこんなところですね」
「ありがとう、アントニオ。次にエレナ、農業関連の報告を頼む」
隼人の議事進行にアントニオが着席し、代わってエレナが立ち上がる。
「農法に関しては三圃式農業も輪栽式農業も予想通りの成果を上げています。もう数年様子を見て比較し、優れた方を普及させることになるでしょう。家畜と作物の交配に関してはまだまだ成果が表れるのは先の事です。引き続き、予算の範囲で大陸中の家畜を集めています。
それから千歯扱きと備中鍬は補助金のおかげもあって全ての村にいきわたりました。その便利さゆえに早速畑を広げ始めているようです」
「ありがとう、エレナ。次はセオドア、経済、財政について頼む」
「財政については鉄製品の販売、職人ギルドからの千歯扱きと備中鍬、それから銃剣の特許料、そして隊商の利益により黒字を維持しています。しかし初期の技術開発によって蓄えはかなり少なくなっております。大きな計画はあと1つか2つが限度ですね。技術開発への追加予算も厳しいものがあります。あれもこれもと手を出していたらあっけなく赤字に転落するでしょう。
マリブールの経済については、安価な鉄製品を求めて商人が集まりつつあります。治安の向上も経済に良い影響を与えています。流民の流入と奴隷の増加により人口も増え、食料や生活必需品を扱う商人も増えております。一部は内側の新城壁と外側の旧城壁の間で居住と経済活動を始めています。ですが流民が住み着いた地区がスラム化する恐れがあります。対策が必要でしょう」
「ありがとう、セオドア。次はエーリカ、陸軍について頼む」
「戦技の教本があらかた完成し、印刷して各部隊に配布している最中だ。漫画というやつか?隼人が導入に積極的だったあれを採用した結果、読み書きできない者も簡単に兵士として訓練できるようになった。先に出版した、読み書きができる者向けの戦法の教本には漫画を使っていないんだが、教育効率が悪い。こちらも漫画化する事で隼人と合意している。戦術の教本についてはまだ完成していない。
それから砲兵に関しては、20門の軽砲が沿岸要塞で重砲と交換されて陸軍砲兵に引き渡された。これにより300人規模の砲兵を新設した。沿岸砲兵は軽砲から重砲へ装備転換中で、以後に余剰となる軽砲は予備兵器として倉庫に保管する。
あと、旧城壁の改修を急いだほうがいい。このままマリブールが大きくなればあの城壁では住民を守り切れん。近い将来、さらに外側に城壁を建てる必要も出てくるだろう。以上だ」
ちなみに戦技の教本はこの世界で初めての体裁の整った漫画になるのだが、隼人もエーリカも絵の才能がなかったので、パウルの伝手で女絵師を雇って描かせた。彼女はこれからも教本の漫画を描き続けるが、後に文学作品も漫画化し始め、大陸の漫画文化の母になる。
「ありがとう、エーリカ。次はアルフレッド、海軍について頼む」
「先日完成した輸送船で目標としていた軍備は整った。造船所は民需用の商船の建造を始めているが、他の商会からは商船の注文は入っていない。それから三段櫂船の更新用の大型帆船のために船台を1つさらに拡大している。それから艦隊の訓練にあと2、3カ月は時間が欲しい」
海軍は結局、三段櫂船5隻、武装帆船8隻、輸送用帆船4隻にまで膨れ上がった。船員を集めるだけでも苦労したのはもちろんの事、練度の向上にも苦労している。もちろん経費もすごいことになっている。将来大型帆船で更新する計画を立てているのは、質の向上で数を減らして経費削減と戦力維持を両立させるためだ。余った船員は中島商会の商船に乗せるつもりだ。
「ありがとう、アルフレッド。次に梅子、諜報と防諜の報告を頼む」
「最近、近衛兵の連中が増えていますが、増えた人員は技術職らしい。監視対象がセレーヌの他、我々の技術も加わったようです。技術者は特に機密の扱いに注意してください。人員と練度の不足で把握し切れていませんが、大きな商会や大貴族、周辺の領地持ち貴族はだいたいは情報収集、特に技術情報を狙って活動している形跡があります。
外の新しい情報としては、ガリア王国の新貴族を中心として、また懲りずにスカンジナビア地方へ陸路で侵攻する計画が始動しているようです。すでに食料や武器などの物資が動いています。
それからスカンジナビア地方の海賊の戦力に関する情報ですが、陸上拠点の防備は比較的貧弱であるようです。これは海上戦力で優越しているため、半島の付け根の北部以外は戦力を海上に集中しているためです。海賊の海上戦力は、小型ガレーが中心ですが、120隻以上にも及ぶとのこと。中でもナルヴェクの海賊は30隻前後を擁し、ガレアスを2隻持っているとのことです。ただし、他の海賊から警戒されており、孤立気味です。他の海賊もいくつか海賊連合を作っていますので、このナルヴェク海賊団が最大の敵集団となります。
外国については新しい動きはありません。ノルトラント帝国は内紛中のタイハン国と小競り合いを続けており、タラント王国はバクー王国と聖戦を続けています。アーリア王国は沈黙を守っています。こんなところです」
「ありがとう、梅子。最後にマチルダ、外交関連を報告してくれ」
「相変わらずポツリポツリと婚姻の要請が来るが、全てこちらで断っている。後はモラン伯爵から流民の返還を求める書状が来ている。まあ先の紛争で軍事力も影響力も失っているから無視しても構わないだろう。
あとは、スカンジナビア地方にそろそろ派兵しないと新貴族からの目が厳しいな。近いうちに手伝い戦をするべきだろう。旧貴族に関しては……、味方は少ないが、ロリアンで比較的友好的な貴族のパーティーに出席してもらうしか手がないな」
「あ、ありがとう、マチルダ。努力するよ」
パーティーが苦手な隼人にとって痛いところを突かれ、隼人は目を逸らしながら報告を終わらせる。
「他に、何か報告がある者はいるか?」
主要な報告が終わり、隼人は出席者達に報告がないか確認する。すると普段は口を挟まないナターシャが手を上げる。
「あの、梅子さんにも報告したのですが、城の使用人に応募してくる人に妙な人達が増えています。スパイのようですが、すでに採用してしまったり、あとから取り込まれた人達もいるようです。城の中でもある程度注意してください」
「そうか、気をつけよう。梅子、そんなにひどいのか?」
「見つけ次第排除しているからそこまで神経質になることはないが、マリブールは好景気で人手不足だ。防諜の人材に関しても、使用人に関しても数も質も足りていない。中枢部以外では機密情報の扱いに留意してくれればありがたい」
「わかった。みんなも注意してくれ。他にはないか?……無いようだな。では今後の方針を決めよう」
隼人は中央の席でぐるりと出席者達を見回す。
「まず、ナルヴェクへの侵攻は決定事項だ。ナルヴェク攻略後は海賊団を各個撃破しつつ味方のスカンジナビア地方攻略を援護する。ナルヴェクは攻略後にもらえるように陛下に一筆したためてもらうつもりだ。近いうちにロリアンに向かう。アルフレッドは俺がマリブールに帰るまでに海軍の訓練を完了させておいてほしい。ロリアンへの同行者はエーリカを考えているが、他に来たいものは?」
「兄さん、私も行きます。向こうのお屋敷が気になるので」
「お兄ちゃん、あたしも」
「私も行きます」
ナターシャ、カチューシャ、カテリーナが志願する。
「かまわないが、向こうに行くとパーティーにも出席することになるぞ?」
「その件でも、マチルダさんから今のうちに慣れておけと釘をさされまして……」
「確かにな……。じゃあ一緒に頑張ろうか」
ナターシャの言葉に納得し、ナターシャ達をフォローすることを心に決めて同行を許可する。
「ロリアン行きはこれでいいとしてだ。蒸気機関が完成間近で用途が乏しいなら、これを使ってもう一儲けしようと思う」
隼人の言葉にアントニオが期待に目を輝かせ、セオドアが予算を思って不信な顔をする。
「マチルダ、この辺の織物は麻だったよな?」
「え、ああ。織物は麻が主力だな。羊毛や皮もあるが。綿はバクー地方、絹は金地方まで行かないと入手が困難だ」
いきなり話が飛び火してきたマチルダが少々困惑気に答える。
「よし、アントニオには蒸気機関を動力とした紡績機と織機を作ってほしい。紡績機は1つの糸車で複数の糸を紡げるようにしてほしい」
「わかりました。しかし隼人閣下、そう言うからには考えがあるのでしょう?開発に協力してもらいますよ」
「うん。まあ、な。協力しよう」
紡績機の件は思い付きだったのだが、隼人はネットで調べて構造を頭に叩き込む。
「これが完成すれば織物を安価に大量生産できるぞ。これで資金力が強化されるはずだ」
隼人は自信満々に言う。軽工業は工業化への基礎だ。
「ちょ、ちょっと待って!そんなことしたら他の領地の織物産業が壊滅しかねないですわ。やり過ぎるとまた孤立しますわよ」
暴走しそうな隼人とアントニオをセレーヌが慌てて止める。
「それもそうか。生産量を調節してぼったくり価格で売れば影響は最小限で済むかな?それで様子を見ながら生産量を段階的に増やして価格も下げていけばいいか」
「……作るのはもう確定なんですわね」
セレーヌはあきれたように言う。
「だってせっかくの蒸気機関、使わないともったいないじゃないか」
隼人の言い分にセレーヌはため息をつく。思い付きで無計画な技術開発をするのはいただけない。
「蒸気機関はそれでいいとして、他に必要な事業はあるか?」
「それではスラム対策を」
「城壁の改修だな」
隼人の言葉にセオドアとエーリカが急ぎの課題を提示する。
「セオドア、両方できるか?」
「……内容にもよりますが、少し厳しいですね。織物産業もどれほど資金が必要か分かりませんし」
「なら、城壁が先だな」
エーリカが決まった事のように自分の主張を通そうとする。
「いや、スラム対策が先ですよ。市内の治安や衛生に悪影響が出かねません」
セオドアも譲らない。実際に治安はすでに悪化の兆候を見せ始めているからだ。それに国境とも遠いのでセオドアは城壁に必要性を感じていない。
「セオドア、スラム対策はどんな事が必要だ?」
「職は今のところ人手不足なので問題はありません。流民がこれ以上増えるなら新しい農村の開拓も必要でしょうが。喫緊の問題は住居と治安です。住宅の整備が民間では間に合っていません。警備隊も拡充する必要があります」
「そうか。俺は城壁は喫緊の課題ではないと思うのだが、エーリカ、どうだ?」
「確かに急ぎではないが、城壁はそんなに短期間でできるものでもない。早めに手を付けたいんだ」
「それもそうだが……。だがマリブールが籠城を強いられる情勢では援軍は見込めないと思うのだ。籠城しても援軍がなければ勝算なんてほとんどないだろう」
「反論できないな……。しかしそうなると野戦に全てを賭けるか、マリブールを放棄するしかなくなるぞ」
「いざとなったらマリブールを一時的に放棄することに抵抗はないさ。奪われたら、取り返せばいいだけの事だ」
「……そこまで言うなら城壁は後回しでも構わんか」
エーリカは不承不承自分の提案を取り下げる。
「すまんな、エーリカ。セオドア、公営住宅の建設と警備隊の拡充、農村の開拓が必要なのだな?」
「その通りです」
「ではアントニオはコンクリートを使った集合住宅の設計を頼む。エーリカは警備隊の募兵を、エレナは開拓地の選定を頼む」
「「「了解」」」
隼人は仕事をまるごと任せて始末をつける。後は彼らの部下たちが仕事をしてくれるだろう。
「これで議案は片付いたな。他に何かないか?」
会議が終わりそうなところで隼人が確認する。
するとアントニオが挙手したので隼人は話すように促す。
「実は隼人閣下に会って欲しい人物がいるのです」
隼人は会議の翌日、ブレストにある官営造船所の会議室に来ていた。アントニオの他にエレナ、エーリカ、セレーヌ、セオドアが同席しており、アントニオは自身が隼人達に紹介した人物と口論している。紹介された人物の名前はマッカラム・バートラム。ブレスト造船所の所長だ。所長とはいえまだ30代だ。中島家は新興勢力なので幹部クラスでも年齢は若い。
「だから、帆柱の構造と金具の形状を船ごとに少し変えれば強度が向上したのです!それなのにあなたは全部同じにしてしまって!これは背信行為ですよ!」
「そんなものを多少いじっても効果は小さいだろうが!そんなことをすれば工期も遅れるし、値段も上がる!予備部品の準備と管理も馬鹿にできないんだぞ!」
2人は延々と口論を続けている。アントニオがここまで激昂する場面は珍しい。
話を聞いていると、事の発端は、アントニオが送った設計図から造船用の図面を起こす際、バートラムが共通化できる材質と構造は徹底的に共通化した事らしい。バートラムは工数を削減して工期と予算の圧縮を図ったのだ。その試みは成功し、最終船は1番船に比べて工数で半分、工期と予算は3分の2にまで削減に成功したのだ。
しかしこの成功を知ったアントニオは勝手に設計を「改悪」されたので激怒、喧嘩になったのだ。そしてその仲裁を隼人に依頼したのだが、今は口を挟める状況ではない。
「……この件、どう思う?」
隼人は終わりの見えない2人の口論を脇に置き、同行者達に意見を求める。
「私はアントニオの設計図に改変を加えた事は良くないと思います。ですが夫の事なので、あまり強くは言わないでおきます」
「俺はどっちも偉いヤツだと思うな。2人がいたからこそ手早く強力な艦隊が出来上がったんだ」
「私としてはマッカラムさんの存在はありがたいです。思ったより安く船が揃ったので、疑問に思いつつもありがたく思っていましたから」
「わたくしはマッカラムのやり方に問題があると思いますわ。成果は上げたとはいえ、アントニオに了承を取らなかった事は問題ですわ」
エレナ、エーリカ、セオドア、セレーヌの弁。賛否両論といったところか。
「隼人はどう思うんだ?」
「俺はどっちも捨てがたい逸材だと思うな。仲良くさせて協力するように仕向けたいのだが……」
「この状態では難しいですわね」
その後も小1時間ほど口論が続き、双方が疲れてきたところで口論を止めに入る。最後の方は技術的な口論ではなく感情的な罵り合いになっていた。
「それで?ある程度事情は察したがマッカラムの言い分はまだ聞いていない。アントニオの実績はそれなりに理解しているつもりだが、君もそれなりにやっているのだろう?」
「はい、閣下。一言で言えば、私は効率化進めてきました。具体的には……」
この後さらに小一時間ほど専門的な説明が続いた。内容としては台帳をつけての倉庫の管理、納入される資材、部品の規格化、統計による工数の管理などであった。先進的ではあるが、それゆえに隼人達の理解が時々追いつかないこともあった。
バートラムの説明が終わったところで隼人はアントニオに尋ねる。
「アントニオ、マッカラムの功績、どう思う?」
「……確かに、彼の功績は優れたものです。それは認めましょう。しかし、少しでも優れた物を作ることこそが技術者の本分だと思います」
「私はその『優れた物』の中には納期が短い物、安価な物も含まれると考えています。品質が優れた物も当然含まれますが」
そうして再び睨み合いが始まりそうになる。
「待て待て待て。2人とも落ち着け。2人とも、お互いの能力と実績に関しては認めているのか?」
「「ええ、まあ……」」
2人は不本意そうに同意する。
「ならば2人で協力して質の良い物を早く安く作ることはできないだろうか?」
隼人の提案に2人は顔を見合わせ、嫌そうな顔をする。
「マッカラムはアントニオに設計変更の同意を得なかった非があるし、アントニオは上に立つものとしてマッカラムの功績を認めない態度は問題だ。俺としても生産性を要求してこなかった非がある。お互い様ということで矛を収めてくれないだろうか」
「隼人閣下がそう言うならば……」
「……私も閣下にそう言われれば従わざるを得ません」
2人は渋々対立を水に流す。後は時間をかけて対立を解消させるしかないだろう。
「頼むぞ。これからもマリブールの発展のために力を貸してくれ。それはそうとマッカラム、マリブール全体の生産管理と製品の規格化に取り組んでみる気はないか?造船所の所長職は君が推薦してくれていい」
仲裁が成ったところで隼人が性急なことを言い出す。
「ええ!?確かに現在の取り組みは造船所だけでは手詰まりになりつつありますが、だからと言って急にそんな事を言われましても……。それに私はまだまだ若いですし……」
「そんなことを言ったら、アントニオは君よりも若いぞ。もちろん俺もだ」
「それはそうですが……」
バートラムは困り顔だ。そこに以外にもアントニオが隼人に同調する。
「……癪ですが、私も隼人閣下に賛成ですね。せっかく機会があるのに造船所だけでチマチマやっていくなんて感心しません。造船だけ好き勝手されても困りますし」
バートラムはますます困惑する。アントニオがそこまで自分を評価しているとは思わなかったのだ。
「まあこちらもマチルダなんかと相談しなければならん。この話、考えておいてくれ」
結局、バートラムは、隼人がロリアンからマリブールに戻った直後に、マリブールの産業を統括する担当者に就任する。彼によりマリブールの生産性は急速に向上していく事になる。それとともにアントニオと共同して共通規格も策定していく。この時代は技術が急速に発展していったため、この共通規格は頻繁に更新されていく事になるが、この規格はマリブール規格と呼ばれ、後の帝国規格の原型となるのであった。




