第64話 国境紛争
「なあ」
隼人があきれたようにぼやき始める。
「なんでガリア王国軍同士がにらみ合っているんだ?」
帝国歴1793年2月3日、隼人は兵力500を連れてマリブールの南にあるダラザック村の近郊に陣を敷いていた。その南には、マリブールの南隣の都市、モンソーを領地に持つモラン伯爵軍が同じく500の兵力で陣を敷いている。両者はそれぞれダラザック村の南の小高い地点に布陣したまま動かない。そのまま3日が過ぎていた。
どうしてこんなことになったかというと、話は1週間前にさかのぼる。
まだまだ寒く、積雪の残る1月の終わりのマリブールの城門に1騎の早馬が駆け込んできた。早馬はそのまま城に向かう。伝令が報告したのは情報担当の梅子だ。梅子は報告書に目を通すと、すぐに隼人に連絡して幹部の招集をかけてもらう。
「梅子、報告を」
隼人はすぐに幹部会議を開き、梅子に報告させる。
「うむ。新年会の直後、モラン伯爵がダラザック村、……ええと、マリブールから南に2日の距離にある我々の村だ。ここの帰属に関して陛下に異議を申し立てたらしい。なんでも、ノルトラント帝国が支配する前はモンソーに帰属していた、という主張だ。ちなみにダラザック村が廃村から復興したのはマチルダの父の代だ。当然、この主張は却下された。だがこれを不服としたモラン伯爵は実力行使に出るそうだ。数は500。すでにモラン伯爵軍は出陣している」
梅子の報告に皆の表情が険しくなる(エーリカは戦の雰囲気を嗅ぎつけて嬉しそうだったが)。隼人は盗賊狩りに方々に放った軍勢の集結にかかる日数とモラン伯爵軍の到着予想日を頭の中で突き合わせる。猶予は2日ほど、その間に集められる兵数は……、
「300だな。マリブールに駐屯する300しか間に合わない。他は逐次集結だな」
隼人の代わりにエーリカが答えを言う。その顔はどこか楽しげだ。
「300で抑えられるか?」
「ああ、俺と隼人がいれば楽勝だ」
マチルダの不安をエーリカが笑顔で拭い去る。
「じゃあすぐに行動すべきね。先に村に入られるとアンリ王も追認せざるを得なくなるわ」
「うむ。ではエーリカ、すぐに軍勢の手配を頼む」
セレーヌの進言に隼人はうなずいて返し、エーリカは隼人の指示を聞いて伝令を飛ばすために部下を駆けさせる。いくら300でも楽勝と言い切っても、数は多いほうが楽だ。外に出ている部隊にも非常呼集をかける。
「我々は今日中に出陣、ダラザック村に強行軍で向かう。エーリカ、梅子、セレーヌ、カテリーナは同行してくれ。俺も出陣する」
こうして方針は決まった。これが隼人達がダラザック村にいる理由だ。
「セレーヌ、こういうことはよくある事なのか?」
あきれたように前方のモラン伯爵軍を見つめながら隼人はセレーヌに問いかける。
「よくある事よ。むしろ今まで平穏すぎたのよ。新しく領地を持って、紛争が起こらない方が珍しいですわ」
「だが同じガリア王国軍同士だぞ」
「でもその前にわたくし達は貴族であり、1個の領主ですわ。領地を持つことは貴族の慣習的な権利であり、それを争うことも正当な権利ですわ。むしろダラザック村だけを狙ったモラン伯爵は欲が少ない方でしょうね。いずれマチルダさんの親戚あたりを系図をねつ造して詐称して、マリブールそのものを狙ってくる貴族が現れるかもしれませんわよ」
ぴしゃりと言い捨てるセレーヌに隼人は複雑な顔を返す。隼人にとっては、アンリ王に異議申し立てを却下されてなお武力をもって己の領土欲を満たそうとする行為を理解できなかった。
「隼人の誠実さは好ましいものですけど、これがこの世の中の決まり。弱肉強食は同じ国の貴族同士でも当てはまるものですわ」
「そんなものか……」
隼人は納得できないものの、何とか理解しようと努める。
そんな隼人の様子に梅子が苦笑しながら馬を寄せる。
「隼人にいい事を教えよう。モラン伯爵領はかつてノルトラント帝国との最前線であり、軍税が高かった。そしてノルトラント帝国との戦役で大して活躍できなかった故に加増はなく、戦費を賄うために軍税は据え置きされたままだ。それに連中、あまり食糧を持ってきていないようだ。略奪で賄う予定だったのだろう」
「?連中が持ってる食糧が多くない事以外、どこがいい事なんだ?」
「こう言われれば、ダラザック村を守ろうという気になるだろう?」
「た、確かに……」
どうやら梅子なりの激励のようだ。確かに重税に苦しむ領民を見たくはない。
「……ありがとう、梅子」
隼人の言葉に梅子は隼人の肩を叩くことで答える。隼人も段々この対陣にやる気が出てきた。
もう1度、今度はやる気を出して敵軍の様子を観察していると、次はエーリカが馬を寄せてきた。
「なあ隼人、攻撃しないのか?……連中、緩んでるから夜襲をかければすぐに追い払えるぞ」
戦闘の催促だ。夜襲を小声で主張するあたり、殺す気に満ちている。わざわざ小声にしたのは情報漏洩を危惧したためだ。万事抜かりないところがエーリカらしい。
「馬鹿を言うなよ。こっちから攻撃をかけたりすれば、こっちが悪者にされかねん。爵位はあっちの方が上なんだ。宮廷工作の恰好の種になる。それに全面抗争もごめんだ。全面戦争でないだけに、この戦いは政治的なんだ」
「ちぇっ、昨日も同じことを聞いたぞ。昨日よりも味方が増えてさらに負ける要素が減ったのにこれだ。つまらんぞ」
「つまらんと言われてもなあ。戦争は外交の1手段だ。軍事は政治の従属物に過ぎん。ここはこらえてくれ」
「それは理解しているが……。やっぱり敵の攻撃が近いのにこちらから手出しできないのはもどかしいぞ」
「……やはり近いか」
「ああ。今日の増援で時間がこちらに有利であることは理解したはずだ。敵の士気も下がりつつある。下がるか、戦うか。この2つしかない。たぶん、明日か明後日には来るな」
「わかった。警戒しておこう」
戦バカの気はあるが、やはりエーリカは頼もしい。戦場で背中を任せるなら彼女以上の人物はいないだろう。
果たして2日後の2月5日早朝、敵が動き出した。当直のカテリーナが隼人達を起こす。彼我の距離は500メートルほど。隼人達を半包囲するように進んでくる。重騎兵を先頭に歩兵が続いている。
隼人隊は丘の敵側斜面に歩兵を準備し、反対斜面に騎兵を伏せている。歩兵で敵の攻撃を引き受け、騎兵で敵を叩くつもりだ。
「エーリカ、騎兵を任せる。戦闘が始まったら任意の時期に攻撃をかけろ。ただし、戦闘が始まるまで動くなよ。俺は歩兵の指揮を執る」
「了解」
エーリカは隼人の命令を承知し、そのまま隼人の隣でともに敵を観察する。敵の動きを見なければ突撃の時期を計れないからだ。
そうして観察していると敵の先頭が100メートルの位置まで迫った。鉄砲の射程内である。
「隼人さん、撃ちますか?」
カテリーナが緊張して問う。
「だめだ。この戦い、相手に先に撃たせねばならない。少し待っていてくれ」
隼人は軽い調子で「行ってくる」と言って完全武装で1人馬を進めて全軍の前へ出る。そして声を張り上げて口上を述べる。
「モラン伯爵の軍と見受ける!ここはマリブールを預かる私、中島子爵の領地であり、諸君らは我が領地に不法に侵入している!今すぐに立ち退かれたい!」
要求が通らない事は承知している。だが、あくまでも交渉を試みたというポーズが必要だったのだ。これに対して敵は1度立ち止まり、1人の男が馬を進める。
「モラン伯爵が臣、スピラである!この地は古くよりモンソーに帰属してきた!故に不法に領有しているのはそちらである!ただちに立ち退かれたい!」
敵方からも口上が返される。
「その義は陛下より否定されたと聞き及んでいる!陛下の御心に反する行動はいかがなものか!この地は私が陛下より賜った土地である!」
「この地は現陛下より前に我らの土地であった!大義は我にあり!前しーん!」
相手の口上が隼人に対するものから味方に対するものに変わり、前進命令が下る。それを見て隼人は自陣へ帰還した。
「隼人さん!危ないじゃないですか!肝が冷えましたよ!」
帰還するとカテリーナが隼人を心配して駆け寄る。
「カテリーナ。あれは必要な事よ。戦いの前の儀式みたいなもの。隼人、よくやったわ。相手の口上が下手だったみたいだけど」
そんなカテリーナをセレーヌがいさめる。
「でもでも、1人で敵の前に出るなんて、危ないじゃないですか!陣の中からでもいいでしょう!」
「おいおい、それじゃあ俺が臆病者扱いされるじゃないか」
「でも!隼人さんに何かあったらと思うと!」
珍しく狼狽するカテリーナ。そんな彼女に隼人は微笑みかけ、それから目を見据えて真剣な顔でカテリーナに語りかける。
「カテリーナ、俺は死なん」
「えっ、あ、はい」
カテリーナは赤い顔をしてうつむく。ちょっと卑怯な気もするが、許してくれたらしい。セレーヌはその様子を見てうへっ、という顔になった。
「睦事はその辺にしておけ。そろそろ来るぞ」
エーリカが張り詰めた声で隼人に警戒を促す。見れば敵はもう50メートルほどに迫っている。
「槍隊構え!」
隼人は慌てて命令を下す。そしてチラッとエーリカの方を見る。やはり戦闘中のエーリカは美しい。生気がみなぎっている。だがそれを観賞するわけにもいかず、敵に目を戻す。敵は矢を放とうとしていた。
「矢が来るぞ!注意しろ!」
隼人が注意を促す。とはいえ隼人の槍隊の槍は両手持ちだ。盾はない。できる事はスコップで作った応急の土塁に身を寄せる事だけだ。矢が飛来し、数人が負傷する。
しかしこれで敵に先に撃たせることには成功した。後は正当防衛で無制限に応戦できる。この時代に過剰防衛なるものは存在しない。
「弓隊構え!」
隼人の声で弓の弦が引かれ、弩と鉄砲が敵に向けられる。
「放てぇ!」
無防備なモラン伯爵軍に飛び道具が襲い掛かる。ある者は板金鎧を銃弾に貫かれて落馬し、ある者は膝に矢を受けて地面にのたうつ。ボルトが馬に命中し、馬が立ち上がり、背中の騎兵を落馬させる。だがそれでも敵の前進は止まらない。いや、全力で丘を駆け上ってきている。次は白兵戦だ。白兵戦になると飛び道具は誤射の危険があるので使えない。
「槍をしっかり構えろ!穂先を乱すな!敵を串刺しにしてやれ!」
隼人は兵に檄を飛ばす。槍衾に敵の重騎兵が突入した。
馬に、人に槍が深々と突き刺さる。隼人隊の長槍はモラン伯爵軍の馬上槍よりも長かった。騎兵が苦手とする槍兵にまともにぶつかった結果、敵の重騎兵は一瞬で壊滅した。なまじ訓練された軍馬であったために馬が突撃を止めずにまともに突っ込んだのだ。
馬上槍が長ければ先に歩兵が串刺しにされていたかもしれない。隼人隊が訓練されていない雑兵ばかりであれば槍衾は乱れ、隼人隊の陣形をズタズタに引き裂いたかもしれない。だがそのどちらでもなかった。そしてズタズタにされた重騎兵の後から歩兵が突っ込んできて白兵戦が始まった。
「防げ!」
隼人はそう命じて自身も戦いに身を投げる。両手剣を自在に操り、敵を両断する。梅子は刀を鋭く振り、敵兵の得物ごと敵兵を切り伏せる。カテリーナは短槍を振り回し、敵を寄せ付ける事すらさせない。セレーヌも片手剣を流麗に扱い、3人には劣るが敵を切り伏せていく。味方の兵達も彼らの鬼神の如き働きに勇気づけられて奮戦する。
そんな様子を丘の頂上から眺めていたエーリカは笑みを隠さなかった。
「これはもういつ突っ込んでも大丈夫だな。というより早く行かないと俺の分の獲物がなくなりそうだ」
エーリカは急いで丘を駆け下りる。
「騎兵隊!右翼より敵の側面を突き崩すぞ!俺に続け!」
エーリカの騎兵隊の一撃が敵にとどめをさした。エーリカの突撃に敵左翼は狼狽し、何の対処もできぬまま食いちぎられた。エーリカは槍を振り回して敵兵を何人も討ち取る。後に続く騎兵隊もエーリカに導かれ、敵の最も弱い部分を突き崩していく。
敵左翼から広がった動揺はたちまち全軍に広まり、潰走へと変えていく。
「全軍突撃!1人も生かして帰すな!」
戦闘によって頭に血が上った隼人が檄を飛ばす。ガリア王国軍同士の衝突に戸惑っていた当初の姿は全く見当たらない。隼人の指揮下、激しい追撃が行われ、モラン伯爵軍は全て捕虜となるか、さもなくば戦死者として屍を野原に横たえた。捕虜の中にスピラの名前はなかった。
「ちょっとやりすぎたかな」
戦闘後の戦場掃除の最中に隼人が漏らす。今回の戦いはガリア王国軍同士の戦い、つまり味方同士の衝突だったのだ。味方に大損害を与える事は目的ではなかったはずだ。
「ま、まあいいんじゃない?こちらは完全に正当防衛でしたし、それに今回の事でマリブールに手を出したら酷い事になる喧伝できますし……」
隼人を慰めるセレーヌも目を逸らしている。他の3人はこの話題に触れようとしないし、話題が出ると顔を逸らしてしまう。
「これは……、やらかしたよなぁ」
隼人は頭を抱える。だが過ぎてしまったことは仕方がない。激しく後悔しつつも次は気を付けようと気持ちを新たにしようとする隼人であった。
なお、マリブールに帰還すると5人はマチルダや桜に厳しく説教されたこと、捕虜の身代金と遺棄された武具の売却益がそれなりの額になり、セオドアがホクホク顔になったことを追記しておく。
この戦いの後、隼人は「敵のも味方にも容赦しない男」と恐れられるようになり、面目を完全につぶされたモラン伯爵は反隼人の急先鋒として隼人と対立していくこととなった。




