第58話 近代化学工業の勃興
さて、前回は農法、製鉄、コンクリートの開発、近代化を開始した。だがそれだけでは工業化には不十分であるし、これらだけで戦乱の世を渡っていく事は難しいだろう。が、とりあえずは目途の立っている鉄の増産である。反射炉の技術はこの世界には既に存在していた。後は反射炉を建造し、鉄鉱石と石炭の生産と流通を増やすだけで巨万の富と優れた軍事力を約束してくれるだろう。
隼人はこれらの処置を迅速に行うために奴隷を集中投入することに決める。隼人が動員する奴隷の多くは周辺で討伐された盗賊の内、生きて捕らえられた者達である。
この時代は戦乱の時代なので盗賊の主要な供給源である敗残兵、脱走兵には事欠かない。国家間の戦争がなくとも、国内で貴族たちが領地の帰属をめぐって武力衝突を起こすことはままあったから敗残兵も当然出る。捕虜たちも身代金が払われなければ奴隷に身分をやつすことになる。
また、この時代は自らの経済力を超える兵を強制徴募する領主も多かったため、給料の遅配、欠配も珍しくない。当然兵の士気は低下し、略奪や脱走につながる。そして盗賊化した連中は討伐され、奴隷としてこき使われるわけだ。ついでに言うと徴募される兵の多くは男なので、盗賊も奴隷も男が多い。結果として大陸全土でまともな男手が不足しており、一夫一妻制の崩壊と女性の社会進出につながっている。
この他にも借金で奴隷になった者や、悪人にさらわれて奴隷になった者、騙されたり、口減らしに売られた者もいるが、それほど多くはない。
そんな奴隷達の境遇に隼人はどう思っているのかというと、盗賊や脱走兵に関しては全く同情していない。彼らは本来死刑が相当であり、奴隷は減刑扱いであるからだ。他の境遇の者達には同情的だが、犯罪に巻き込まれた被害者でもない限りは積極的に救済する気はない。その他の奴隷は境遇によって待遇に差をつけている。
隼人は奴隷制は良い制度とは考えていないが、かといって変革するには1子爵の手に余る。隼人はそう自分の心に折り合いをつけて奴隷制経済を活用している。隼人もこの世界に来て2年半ほど。すでにこの世界の価値観になじみつつある。支配者となった今、某文明ゲームで言うところの奴隷制で緊急生産の感覚だ。
次の開発会議までの1週間にあちこち視察していた隼人だったが、ここにきて難題が露呈した。マリブールの面するマリ河は流れがゆったりしているのだ。これはケルンとの交通の面では都合がいい。ケルンからマリブールへはマリ河の流れに任せ、マリブールからケルンには帆に偏西風を受けて進めばいいのだ。
なにが問題なのかというと、水車の動力が限られてしまう事だ。初期の産業革命の動力は急流によってもたらされる水車動力に依存していた。マリブールでも使えない事もないのだが、すぐに動力不足になる事が目に見えていた。高炉と転炉で動力を必要とする部分は蒸気機関に頼る必要がありそうだ。アントニオには負担をかけるが、仕方がない。
この他にも手をつけなければならないことは多い。特に一朝一夕でいかないことはすぐにでも始めておく必要がある。鋼鉄の他に戦争に必要なものは何だろうか?
そう、火薬だ。黒色火薬は硝石7、硫黄2、木炭1で作られる。硫黄はマリブール北方の山脈からとれるのだが(ついでに温泉もでる)、硝石の入手が難しい。この世界ではバクー地方などの一部で硝石が天然でとれる。他の地域では古民家の床下の土や家畜の糞尿が染み込んだ土から硝石を得る古土法の他、糞尿や木の葉を土に混ぜて積み上げ、定期的に尿をかけて硝石を得る硝石丘法も広まりつつあった。
例によってケルンではすでに硝石丘法が行われていたのでマリブールでも導入することにする。ただし、硝石丘法は採取まで5年の期間を必要とするため、古土法も併用することにする。
隼人はそんなことを考えながらエーリカが連れてきた人材のリストを眺めていた。そこで3人の錬金術師の名前を目にする。隼人は何というご都合主義かと思いながらもインターネットで検索をかけ、調べた概要を紙に書き写していく。そして件の3人の錬金術師達を呼び出した。
「ご足労ご苦労。諸君には水と石炭と空気からパンを作ってもらう」
「「「……はい?」」」
隼人の言葉にハーバー、ボッシュ、オスワルトの3人の錬金術師達は目を点にした。そう、隼人はハーバー・ボッシュ法とオスワルト法で硝酸を得ようと考えたのだ。だから3人の名前を見つけた時、ご都合主義も極まると思ってしまったのだ。
「正確にはパンではなく硝酸を作ってもらう。火薬の原料になるし、肥料にもなるはずだ。肥料になるからパンを作ると言ったのだな。詳細はこの紙に書いてある。これを実験して大量生産できるように開発してほしい」
そう言って隼人は自らが書き記した資料を渡す。3人はそれを食い入るように読む。
「……わかりました。すぐに施設と材料を取り揃えて実験にかかります。ところで子爵閣下、このような知識をどこで?」
若い錬金術師達の中でも年かさの(といっても30代だが)ハーバーが隼人に問いかける。
「……大陸をめぐっている間に図書館で古い書物を読む機会がよくあってな、その時にたまたま見つけたんだ」
隼人は自身のインターネット閲覧能力をそう誤魔化す。この時代はロマーニ帝国時代に回帰しようという運動が学界を中心にあり、古文書を持ち出せば大抵誤魔化しがきく。3人もどこか釈然としないものを感じながらも納得はしてくれたようだ。
ここでハーバー・ボッシュ法とオスワルト法について簡単に説明しておこう。
ハーバー・ボッシュ法は4酸化鉄を触媒として高圧下で200度、または400度付近で水素と窒素を反応させてアンモニアを作る方法であり、科学肥料と火薬の生産を飛躍的に増大させた重要な発明である。
オスワルト法は、まずアンモニアを白金を触媒として900度まで加熱して1酸化窒素を作り、それをさらに140度で酸化させ、2酸化窒素を作る。これを水と反応させると硝酸と1酸化窒素ができるのだ(1酸化窒素は再利用される)。そしてこの硝酸こそが火薬と科学肥料の重要な材料となるのである。
翌日の4月3日の第2回開発会議にこれらの予算を要求したところ、セオドアが頭を押さえながら予算を出してくれた。その代わり隊商の新設が遅れることになったが、やむを得ない。
ついでに言えば、ハーバー・ボッシュ法とオスワルト法についてアントニオが異様に食いつき、開発メンバーに加わることになった。アントニオは主に設備の開発に活躍することになる。
そして6月、早くも反射炉が完成した。昼夜問わずの突貫工事だったので建設に当たった奴隷にそれなりの死傷者が出たが、「あんたのひどい迫害は忘れないよ!」とは言われないレベルだろう。きっと。
他にもマリブールの街では早くもコンクリートを使った公共建造物の建設が始まっている。この世界にも石膏くらいはあるので、膨大な比率を組み合わせ、最適な比率を割り出せればコンクリートの開発もそれほど難しくはない。
問題はコンクリートの質と建設方法だが、これはこれからの研究に任せることにする。そのために公共建造物で実験しているのだ。すでに開発はアントニオの手から離れ、アントニオの部下達が改良にあたり、アントニオ自身は高炉と転炉、それから蒸気機関の開発に注力している。この内高炉と転炉はすでに小型の実験炉の建設が始まっていたりする。
15日、隼人は珍しくセレーヌと2人きりでマリブールを視察していた。今日はセレーヌの誕生日でもある。妻達はみんな仕事があると言って隼人との同行辞退している。彼女たちには隼人とセレーヌの仲を進展させてみようという思惑があったりするが、2人は気づいていない。2人はいまだ友人関係に近い関係を維持している。
「うーん、ロリアンに比べればマリブールは田舎ですけども、活気があって、風も気持ちいいですわ。久しぶりに外に出られて気分がいいですわ」
セレーヌが伸びをしながら言う。セレーヌはその立場上、ガリア王国近衛兵の監視から離れることはできない。そのため必然として外出の機会が少なくなる。隼人達は盗賊退治や視察、訓練、散歩でマリブール市外にも何度か出ているが、セレーヌは何度か監視付きでマリブール市内を散歩した程度である。現に今も近衛兵の監視が周囲に付いている。
ちなみにセレーヌには内政、外交面において法務、国内政治の観点から助言を出す役割を担っている。伊達に宮廷内で自身を守ってきたわけではない。時には法で、時には対抗派閥の力でルブラン家に嫁に出されることを避けてきたのだ。今はアンリ王と新貴族派閥の庇護下で生きていると言っていい。
「それにしても、政争に敗れた学者や破門された錬金術師を集めるとは、大胆ですわね」
「まあ、他に当てがないからな。それに彼らも結果を出しつつある」
「はあ……、わたくしとしてはいつ貴族や教会から文句が来ないかと戦々恐々なのですけれども」
胸を張って答える隼人にセレーヌは深々とため息をつく。
今のマリブールにはパウルの巧みな宣伝によって異端学者の聖地となりつつある。多数の宗教が混在しているため、今は宗教的に無風状態だが、そうでなければ確実にコンキエスタから異端審問官が飛んでくるであろう。貴族領から追われた学者達も、今は無視されているが、このまま成果を挙げ続ければ旧貴族あたりが返せと言ってくる事も予想される。
もちろんセレーヌは最初からそれを警告していたが、隼人は無い袖は振れないと、警告を無視して雇い続けている。
「周囲から憎悪を買うのもほどほどにしてくださいますと助かりますわ」
「……善処しよう。だが今は技術開発と経済発展が大事だ。いつどんな時に戦争に駆り出されるか分からないからな。今のような平和な時間は大事だ」
「それなら今のうちに貴族のパーティーに顔を出して人脈も作っておいてほしいものですわね」
「うっ……」
隼人はセレーヌに痛いところを突かれて沈黙する。元々隼人は人付き合いが苦手である。だからこそこの世界に来るまでは交友関係に乏しかった。この世界で上手くいっているのはひとえに仲間達との接触が濃密で長く、いやが上にも親密になれたからである。隊商を作っていなければボッチのままだっただろう。こんな男が7人もの女性を妻に迎えられた事はほとんど奇跡である。
「……マリブールでパーティーを開いたら貴族は来てくれるかな?」
「新貴族ならば来るかもしれませんわね。新貴族派閥では隼人は期待の星ですもの。でも商人の方が多いでしょうね。彼ら、利益に敏感ですから。ロリアンでのパーティーに出席した方が絶対いいでしょうけど」
「でも忙しいからなあ。ロリアンまで行く時間がなかなか取れん。しかし期待の星って、いつの間に俺はそこまで偉くなっているんだ?」
「それはもう男爵叙爵から半年程度で領地持ちの子爵に成り上がったのですから、出世頭になっていますわ。みんな隼人を目標にしていますわよ。反面、旧貴族からは既得権益を脅かさないか警戒されていますけれども」
「……結構厄介なんじゃないか、それ?」
セレーヌの言葉に冷や汗が流れる隼人。今まで無頓着だったが、貴族界では割と厄介な立ち位置にいることを自覚する。
「それはもう!戦争に従軍しても厄介事ばかり押し付けられると見ていいですわね。アンリ王の庇護がなければとっくの昔に警備任務で使い潰されていますわ」
「……今は忙しいからマリブールからそう簡単に動けないが、ときおりパーティーを開催した方がよさそうだな」
「ぜひそうすることを勧めますわ。わたくしは顔を出せませんけれども」
隼人は適当に口実を設けて月1程度の頻度でパーティーを開こうと決める。領主になっても大変であることを今更ながら自覚する。
そんな政治談議をしていると腹が減ってきた。もう昼過ぎだ。適当な店に入ることにする。適当と言ってもこの時間帯でも込み合わない少し高めの店で、昆布と煮干しを使った和風出汁のスープを出すと聞いた、適切妥当な店だ。そこに隼人とセレーヌに続いて仏頂面の近衛兵達が入店する。近衛兵の皆さんたちもお仕事なのでここは近衛兵の分も含めて隼人がおごることにする。
注文した料理が出される。サラダに和風スープ、小さな牛ステーキに魚の塩漬け、それからパンだ。近衛兵達の分までとなるとちょっとした出費だが、小遣いは多めにもらっているので何とかなる範囲だ。
近衛兵達は慣れない和風スープとそれに入っているワカメに戸惑うが、どうやら口にはあったらしく、美味しそうに食べていく。隼人も和風スープに懐かしいものを感じながら食事をする。
マリブールに来てからというもの、このような和風スープはたびたび食事に出てきており、隼人達にはそれほど珍しくはなくなっているものの、やはりマリブールの街全体への定着は時間がかかりそうだ。
「最初は海藻を食べるなんて考えもつかなかったものですけど、慣れると美味しいですわね」
王女様であるセレーヌは高評価を下す。ガリア地方で和風の味付けが浸透するのも時間の問題だろう。そうなれば昆布と煮干しの生産地であるブレストの儲けは大きくなるはずだ。
「まあ俺もカエルやカタツムリを食べたのはこっちに来て初めてだったよ。今は慣れたけれども」
食文化も様々である。ゲーム時代からあちらこちらの地域でいろんなものを食べてきた隼人だが、VRで食べるのと実際に食べるのとでは大違いだ。やはり未知の食材には抵抗があるものだ。それさえ乗り越えてしまえば広まるのも早いのだが。
「とにかく、食事にしても内政にしても、俺達に必要なのは時間だな」
「そうですわね。時間は有効に使わなくては」
2人は世の平穏を祈る。物語的にはフラグが立っているが、現実には隣国には戦争を仕掛ける余裕はなく、ガリア王国も派閥争いに忙しい。この平穏は今しばらく続くことになる。
筆者は文系ですので化学分野ではツッコミどころがたくさんあるかもしれません。もしツッコミがあれば容赦なくお願いします。……内政チート2話目ですでに中世とかローファンタジーとか吹っ飛ばしそう。
それからこっそりと1、2章のあらすじと2章人物紹介を投下。お待たせした割にはすごく短い……。




