第57話 鉄鋼帝国
「私には夢がある。マリブールの民が安心して豊かな生活をおくるという夢がある。マリブールの兵を強大に育て上げ、全ての敵を打ち倒すという夢がある。マリブールの金庫を金貨でいっぱいにするという夢がある。マリブールを大陸で一番の偉大な都市にするという夢がある。私には夢がある」
「……結構な夢だが、急に何を言い出すんだ?」
突然キング牧師の悪質なパクリ演説を始めた隼人にマチルダがツッコミを入れる。
帝国歴1792年3月27日、マリブール開発会議の席でのことだ。軍務、政務の担当者の選定と引継ぎ、調整が終わったのがつい先日だ。この会議には主要な責任者が集結している。
宰相マチルダ
陸軍担当エーリカ
海軍担当アルフレッド
財務担当セオドア
科学技術担当アントニオ
農林水産業担当エレナ
諜報担当梅子
宣伝担当パウル
この他に隼人の妻枠で桜、カテリーナ、ナターシャ、カチューシャ、それから特別参与として熊三郎とセレーヌが参加している。ちなみに梅子の近衛家は重臣の家でかつ諜報担当だったので、彼女もそれなりの知識があった。本当は熊三郎に担当してもらいたかったのだが、「若い者に譲る」と固辞されたのだ。
「おほんっ……、とりあえず今現在の資産の確認から始めようか」
隼人はマチルダのツッコミを誤魔化して議事を進行する。
「……まあいい、我々の領地はマリブールとブレストを含む周辺の農漁村だ。貧しいが子爵の領地としては大きいと言っていいだろう。兵力は警備隊が500に陸軍が1000だな。海軍は大型のガレーがようやく3隻といったところだ。他に荷馬車10台と100人の護衛隊を持つ大規模隊商が3つ。それから4年前から農村を1つ開拓している。それから去年炭鉱が見つかった。大きな資産はこんなところか」
「資金は隊商を2つ3つ新設できるくらいには余裕があります。領地の開発や人員の募集を考えれば無理ですが、開発資金にはかなり余裕があると考えていいでしょう」
マチルダとセオドアが現状を報告する。隊商は儲けが大きいので余剰資金はかなりあるようだ。
「それで、方針はどうするんだ?隊商の拡張か?軍拡か?開拓か?」
マチルダが隼人にこれからの基本方針を提示するように求める。
「うん。当面は戦には駆り出されそうにないし、軍備は現状維持でいいだろう。ひとまずは領地の開発だな。俺としては技術開発をしたい。具体的には鉄の増産と農法の改革だな。鉄はとりあえずはケルンにあった反射炉をマリブールでも建造したい。それから燃料として石炭を乾留してコークスを生産したいな。農法は今開拓中の農村を実験場にしてエレナに任せて色々と試したいが、どうだろう?」
「どちらも金がかかりそうですね。とはいえ現状の財政は大幅な黒字ですから、よほど無茶をしなければいけますよ。製鉄を始めるとなれば、鉄鉱石の輸送コストを考慮してもかなり利益が出そうですね」
隼人の方針にセオドアが賛成する。財政に影響がないならと他の出席者も好意的だ。ただし、軍備が現状維持と聞いてエーリカは面白くなさそうな顔をしている。
ちなみにこの世界の鉄は極めて高価だ。製鉄自体が手間がかかるだけでなく、戦乱の時代であるから需要は天井知らずだ。下手をしなくても金よりも高価になる。
生産については設備不足を除けば問題はない。マリブールで石炭の産出が始まり、ケルンでは鉄鉱石の産出が盛んとなれば、原材料にも不自由せずにすむ。ついでにこの2都市は大陸海とマリ河で結ばれている。舟を使えば輸送コストも下がるはずだ。石炭が見つかったのが去年の事であり、今まで鉄鉱石の産地とのアクセスがなかったために製鉄業は盛んではないが、今や状況が変わった。製鉄業が繁栄する地盤は整っている。
「農法に関してですが、新しい農法があるのなら他の村でも宣伝して実施した方が良いのでは?」
パウルが農法改革について疑問を発する。
「新しい農法だからと言って必ずしも優れているわけでもないし、ここの土地に合うとは限らないからな。貧しい土地で収穫を増やす農法と豊かな土地で収穫を増やす農法は違ってくる。できれば二期作、二毛作をやりたいがマリブールは北過ぎるからまずは三圃式農業と輪栽式農業を試すことになるだろうな。それから、土壌によっては深く耕す方がいい土地もあれば浅く耕す方がいい土地もある」
「ちょっと待ってください!三圃式農業は学んだ事がありますが、輪栽式農業なんて聞いたことがありませんよ!」
パウルは隼人の言葉に納得したが、エレナの方は未知の単語に困惑する。
「ああ、三圃式農業は小麦、豆、牧草地の順番で育てるだろう?輪栽式農業は小麦、カブ、豆、クローバーの順に育てるんだ。三圃式農業に比べては輪栽式農業は麦の収穫が減るんだがその分飼料が増えて家畜を育てやすくなるんだ」
「そんな農法があるんですか……、博識なんですね。しかしどちらが効率がいいかは調べるだけで10年くらいかかりそうです」
「……ちょっと文献で読んだことがあるだけなんだがな。そうそう、家畜の交配もエレナに任せるぞ」
すでに未来の農村の姿に思いをはせるエレナに対して、隼人は情報の出所を誤魔化す。まさかネットで調べたなんて言うわけにもいかないし、言っても理解できないだろう。この世界に飛ばされた時に得たインターネット閲覧能力、それがこれからようやく役に立ちそうだ。
ちなみに家畜の交配はエレナがコンキエスタ教皇領を追われた主因なのだが、それをサラッと任せるあたり、ソラシス教教皇派に喧嘩を売っているのだが、隼人はその辺り無頓着だ。この態度が後々大きな戦乱を生むのだが、それはまだ誰も予想していない。
「そうだ、アントニオにも先日資料を渡した高炉と転炉について研究してもらうぞ」
高炉とはコークスを還元剤として、炭素含有率の高い銑鉄を生産する背の高い炉であり、転炉とは溶けた銑鉄に空気を送り込むことによって炭素含有率を下げ、鋼鉄にする炉である。どちらも19世紀に登場したもので、この世界では影も形もない。
この2つが完成すれば一気に鉄の生産量が増えることになり、鉄価格の低下と用途の拡大が可能になる。この世界を根底から覆すことになるのだが、逆に言えば隼人は結婚したことでこの世界で好き勝手に生き、家族を守る事を決断したと言える。もはや異世界人ではなく、ちょっと変わった能力を持ったこの世界の人間になる事を決意したのだ。
「予算と時間さえもらえれば、必ず実現しましょう。しかし、石炭と燃焼させることで鉄の融点が下がるなんて聞いたことがありませんよ。私もコンキエスタでも読書家だったつもりですが」
「それについては明日フーゴと実験してみるつもりだ。マリブールには古い溶鉱炉しかないが、鉄を溶かすくらいはできるだろう。それから、手が空いたらコンクリートの研究も頼む」
「えっ、高炉と転炉の研究だけで手一杯になりそうなんですが、コンクリートもですか?」
隼人の無茶ぶりにアントニオが顔を青ざめさせる。
「ああ、コンクリートはロマーニ帝国時代に使っていたようなものでかまわない。改良は人を見つけて引き継いでおいてくれ。当時のコンクリートは石灰と火山灰と、骨材に軽石を使っていたことは文献からわかっているんだ。なに、実際に昔使われていたんだから何とかなるさ」
隼人はのん気な事を言う。そこまで言うなら自分でやれとも思うが、アントニオは隼人も隼人で忙しいことを知っているので我慢する。
ついでに隼人が文献で確認した事は事実でもある。コンキエスタに立ち寄った際に密かに図書館でその手の文献を見つけることに成功していたのだ。
「……技術者の増員をお願いします」
「わかった。パウル、予算をつけるから錬金術師や学者、技術者なんかを集められるように宣伝を頼む。お尋ね者でもいい、ちゃんとした研究者なら受け入れるようにする」
「了解です。やってみましょう」
アントニオの要請をパウルにスルーパスする隼人。マリブールなんていう片田舎にまともな学者が集まるとは思えないが、やらないよりましだ。
だがパウルの腕により、マリブールには多くの破門された学者や、政争に敗れた学者が集まり、政治的、宗教的に厄介なことになるのだが、そんな可能性はまだ隼人の考慮にはなかった。
「エーリカとアルフレッドにも仕事があるぞ」
技術開発の話が一通り終わり、今度は暇そうにしているエーリカとアルフレッドに声をかける。
「盗賊狩りか?陸の方は十分だが、海賊退治は無理だぞ。兵力が少なすぎる」
「ああ、盗賊退治は当然やってもらうが、俺がやりたいのは教本作りだ。戦技、戦法、戦術を教本にして配布する。特に戦技を挿絵付きで木版画で印刷すれば訓練校率は高まるはずだ」
「しかしそれでは軍事技術が流出するのではないか?それに戦技といっても剣術や槍術など、絵を使ったからといって簡単に教えられるものではないぞ」
「いや、隼人が言っているのは雑兵に訓練する時の戦技だろう。密集隊形での槍の構え方や弩や鉄砲の撃ち方くらいならすぐに教え込めるだろう。紙で配布するのは盲点だったな。問題は識字率だが」
隼人の教本作りに梅子が防諜面と実施効果について疑問視するが、エーリカは賛成のようだ。
「識字率に関しては、戦技は挿絵だけで理解できるようにすれば何とかなるさ。戦法と戦術はそもそも字を読める奴にしか必要はないだろう。防諜に関しては梅子に頑張ってもらうが、この分野はある程度あきらめざるを得ないだろう。一般兵士に配る物だし、いつかは広がる。それに、戦法や戦術に関してはそれなりの教育と才能が必要だから、漏れても活用されるとは限らん。その代わり、技術情報の秘匿には注意してくれよ」
「わかった。だが防諜に限っても人が足らん。予算がもらえても上手くいくとは限らんからその点注意してくれ」
隼人の方針に梅子は渋々同意する。諜報に関しては中島商会の影響の及ぶ範囲ではそれなりに成果を挙げる自信はあったが、防諜は全くの素人ばかりだ。これまで必要がなかったとはいえ、梅子は前途多難を予想する。
「よし、決まったなら隼人も教本作りに手伝え。俺1人では手が足りん」
「あっ、ずるいですよ、エーリカさん。私の分も手伝ってくださいよ」
エーリカが隼人を占有しようとしてアントニオも便乗する。
「……言い出しっぺは俺だが、俺も俺で忙しくなるからあまり時間は取れないぞ」
「「それで十分だ(です)」」
エーリカとアントニオは隼人をしっかりと抱きこむ。これから先、隼人とアントニオの共同研究で多くの技術が開発され、隼人とエーリカの共著でそれなりの数の本が出版されることになる。
この後、1つ隊商の新設とその他細々とした方針の決定を行ってこの日の会議は終わった。この会議はこれからも週1回の割合で定期的に行われることになり、情報の共有と方針の決定が行われることになる。
開発会議の翌日、隼人はアントニオと連れ立ってフーゴの準備中の鍛冶屋を訪れた。護衛と称してエーリカと梅子も同行している。エーリカはただ単に面白そうだからついて来ており、梅子は防諜の責任者として同行している。
「よう、兄ちゃん。っと、今は子爵様だったか。ご用件はこの間の件で?」
「ああ、そうだ。それから口調は前のままでいいよ」
「じゃあそうさせてもらうぜ。鉄鉱石をコークスと一緒に坩堝に入れて溶かすんだったな。しかし上手くいかなかったら坩堝の方が先に駄目になるぜ?」
「だから試すんだ。鉄を坩堝で溶かせるとなったら鉄の利用が広がるだろう?」
「まあ、鉄が鋳造できるなら色々できるようになるけどよ。費用が兄ちゃん持ちでなかったらやらないぜ」
「準備はできているんだろう?始めてくれ」
「はいよ」
隼人達はフーゴを先頭に溶鉱炉へと向かう。溶鉱炉には既に火が入っており、周囲に熱を振りまいている。
「よし、じゃあ坩堝を入れるぞ」
フーゴが坩堝を溶鉱炉に入れてしばらくすると反応が始まる。熱によりコークスの炭素が鉄鉱石の酸化鉄から酸素を奪い、二酸化炭素となる。
さらに無言で反応を待つ。そしてこれ以上は坩堝が持たないと判断したフーゴが坩堝を溶鉱炉から取り出す。そのまま鋳型に注ぎ込むが、内心驚いている。
「……兄ちゃん、これはすごいぞ。鉄の革命だ。これで鉄の生産量がかなり上がるぞ。」
「これはよそには見せられないな……」
「鉄の武具が鋳造で作れるようになるのか……」
フーゴ、梅子、エーリカが感想を述べる。
「だがまだ硬すぎて脆いはずだ。これを炉で熱してさらに空気中の酸素と結合させることで炭素を減らすことで鋼鉄になるはずだ」
「つまり、銑鉄、というわけか」
隼人の解説にフーゴが端的に答える。
「じゃあ3日後くらいに鋼鉄に鍛えなおしてみるよ。その時に価格も報告するよ」
フーゴの言葉に隼人はうなずき、鍛冶屋を後にする。
後に届けられた良質な鋼鉄のインゴットは、鋼鉄としてはかなりのお値打ち価格であり、マリブールが工業都市として成長していく第1歩となるのだった。
57話にしてようやくタイトルのネタが登場。……長かった。これからはまったりと内政チートですので物語内時間が一気に進むかもしれません。