第6話 再戦
実戦と訓練を続けて1カ月、出陣が命じられた。目的はアーリア王国の村々の略奪。どうやら部隊の再編成で資金繰りが厳しくなっているらしかった。戦争とは政治目的を持って行われるべきものではあるが、今回の戦いはなかば軍隊そのものの維持を目的としていた。
行軍して1週間、ノルトランド帝国勢力圏内にもかかわらず、ボルガスキー軍はアーリア王国軍と接触した。旗印はつい2か月前に見たばかり、赤地に黒槍2本が交差している。前回戦った部隊と偶然にも再戦の機会を得たのだ。兵力はボルガスキー軍が1000にアーリア王国軍が800、ただし騎兵はこちらが100に対して相手は200ほどいるようで、劣勢だった。
隼人は敵の旗印を見て、もっと前に見覚えがあるような気がして、記憶をあさった。そうだ、あれは諸国を旅していた時のことだ。バイエルライン・フォン・エーリカなる美少女に勝負を挑まれた時だ。彼女の旗印があれだったはずだ。やれやれ、あんな強者と戦うのは勘弁してほしいな、と思った。だが隼人の願いもむなしく、両軍ともに戦闘態勢にはいった。
戦場は平原で、両軍ともにオーソドックスに中央に歩兵、両翼に騎兵、前衛に射撃部隊を配置した。こちらは騎兵で劣勢なのに特に対策をとっていないのが気がかりだったが、平民の5番隊隊長ごときでは意見することもできない。仕方なく命令通りに右翼騎兵の隣に配置につく。テルシオを組みたいところだったが、それをすると機動力が失われ、味方との連携が取れなくなるので、普通に前方に射撃部隊、後方に槍兵を置いた。
戦闘はまず射撃戦から始まる。こちらは数の有利をたのんで弩で攻撃するが、錬度が不十分で十分な戦果を挙げることができない。一方で敵は弓を主体に、少数のマスケット銃を持ちこんでいるようだった。弓は訓練が大変である代わりに弩に比べて速射性が高い。そのうえ敵は錬度も良好らしかった。そのため数の有利にかかわらず、こちらはたちまち劣勢になり、歩兵や騎兵にも被害が出始める。
これにしびれをきらしたボルガスキーが全軍に攻撃前進を命じた。これで射撃戦は終わりだ。以後射撃部隊は側面に移動して友軍の支援に当たる。こちらは騎兵で劣勢であるため、騎兵の支援は期待できない。中央の歩兵による中央突破しか勝機はない。隼人はやや悲壮な決意で5番隊に前進を命じた。あとはこちらの中央突破が先か、敵の騎兵戦での勝利が先かの勝負だ。
戦いの勝敗はあっけなかった。こちらの騎兵はしばらく持ちこたえていたものの、中央の歩兵の攻撃がうまくいかなかったのだ。装備でも錬度でも劣っていたため、5番隊以外は逆に圧迫される始末だった。隼人も部隊指揮のかたわら、10人ばかり斬り捨てたが、それでは何の足しにもならなかった。
持ちこたえていた騎兵が敗走すると、勝敗は決まった。この時騎兵の敗走を見た左翼歩兵が裏崩れを起こしたので戦線は急速に崩壊した。裏崩れとは、直接戦闘に参加していない後方の兵が逃げ出すことで、これが起こると士気が急速に崩壊する。この時同時にボルガスキーも逃走したため、軍の指揮を執る者がいなくなり、混乱に拍車をかけた。
事態を把握した隼人は、目的を軍の勝利から部隊の生存に変更する決心をした。
「5番隊!テルシオを組め!全集防御!右翼後方に前進、突破する!」
隼人は士気を維持するために退却や後退といった言葉を使わずに命じる。そのおかげか、それともここ2カ月の訓練のたまものか、5番隊はさしたる混乱もなくテルシオを組み上げることに成功した。
「2か月前よりあっけなかったな」
そうエーリカはつぶやく。ここしばらく彼女はノルトランド帝国領内で遊撃戦を展開していたのだが、どの戦いもあっけなく勝ってしまっていた。今回も、予備として50の騎兵と同数の歩兵を用意していたのだが、それを使うまでもなかったので、戦闘狂の彼女はいささか退屈気味だった。
「しかし左翼は少々楽しいことになっているな」
戦闘中にもかかわらず、陣形変更を成し遂げてしまった隼人の5番隊を楽しげに評論した。戦闘中に陣形を変更することは容易ではない。指揮官と兵が優秀で、一体となっていなければできることではない。現に左翼歩兵は攻めあぐね、左翼騎兵は5番隊を無視して隣の3番隊を追撃している。
「面白い。少し試してみるか」
「あまり危ないことをされては困るのですが…」
エーリカの発言からその意図を察し、フリッツが苦言を呈する。
「ここのところの戦は退屈すぎる。多少の冒険がないとやる気がでない」
フリッツにそう答えると、エーリカは予備騎兵に命じた。
「予備騎兵!敵右翼歩兵に対して左から襲撃する!ただし、敵が乱れなければ突撃を中止するから心得ておけ!俺に続け!」
エーリカはフリッツたち予備騎兵の戦闘に立って突撃を開始した。
「左から騎兵が来るぞ!列を乱すな!槍を揃えろ!怖がったら蹂躙されるぞ!生き残りたければ恐れるな!槍で串刺しにしてやれ!」
5番隊の殿で陣頭指揮を執っていた隼人は騎兵の突撃に気付くと、そう叫んで後衛から左側面に移動して自らも槍をとる。
「さあ来たぞ!我々が恐れる以上に馬は我々の槍を怖がる!絶対に槍を乱すなよ!」
迫りくる馬に対する恐怖で動揺しかかる兵を叱咤激励し、自らも指揮官としての責任感で恐怖を抑え込む。しかし状況は隼人の予想外の展開を見せることになる。
「突撃中止!左に離脱!
」
エーリカは少しあせって号令を下し、馬首をめぐらせた。さすがに騎兵突撃に敵がほとんど動揺を示さないとは思わなかったのだ。同時に是非自分の軍に欲しいと思った。
彼女は部隊を停止させると、一人つかつかと5番隊に馬を寄せる。それにフリッツがあわててついてきた。その悠然たる彼女の姿に敵味方とも見とれ、戦いが止まった。
「俺はバイエルライン・フォン・エーリカだ!先ほどの戦い見事!そちらの指揮官は誰か!」
エーリカの名乗りに隼人も名乗る。
「5番隊隊長、中島隼人!」
「ほう。中島隼人か。久しぶりだな。ひげを剃ったから見違えたぞ。うむ、いい顔つきだ。よし、俺と勝負しろ。お前が勝ったらお前達全員を見逃す。俺が勝ったらお前達全員我が軍門に下ってもらう」
この提案に隼人はしばし考えた。これを断れば戦闘は再開されるだろう。そう簡単に負けはしないだろうが、追撃から引き揚げた敵部隊が合流すればどうしようもなくなる。脱出は目指してこそいたが、機動力のないテルシオでは敵部隊から離れることは困難なのは間違いなかった。
「……わかった。その勝負、受けよう」
隼人は剣を抜きエーリカに歩み寄った。エーリカも馬をフリッツに預け、剣を抜いて歩み寄る。
どちらからともなく駆けだし、剣が交わる。
「太刀筋は鈍ってないらしいな。心も強くなっている。いいぞ、実に気に入った」
「それはそれは、ありがとうございます」
隼人はエーリカを押し、いったん距離をとる。そこにエーリカがさらに打ち込んでくる。それを隼人が受け流し、反撃すれば、エーリカはそれを避けて距離をとる。まるで演武のような一進一退の攻防に、周囲は魅入られていた。しかし一方で二人にはすぐに終わりが訪れることが分かっていた。隼人の剣がこの演武に耐えられそうもないのだ。隼人は馬車を所持金ごと接収されてから、給料も安く、タンポフの武器屋に良い品がなかったせいで、賊からの戦利品の剣でしのいでいたのだ。隼人の剣が折れるのが先か、エーリカに勝利するのが先か。エーリカにしても、剣を折って勝利するよりも、隼人に参ったと言わせたかった。
「次で勝負を決めよう」
「かたじけない」
距離をとったエーリカの提案に隼人が答える。二人は互いに駆けだした。二人の剣が交差した時、隼人の剣が折れた。そのまま隼人はエーリカにのしかかる。隼人の左手にはナイフが握られ、エーリカの首筋に突き付けられていた。
「……参った。完敗だ」
「いえ、剣が折れなければ、勝負はまだ分かりませんでした」
隼人はそう言ってエーリカを助け起こす。周囲にはどよめきが起こっていた。
「謙遜をするな。ナイフも体術も剣と同じだ。見落としていた俺の負けだ。とはいえ腕に見合った剣を持っていた方がいいぞ」
「すみません。いまだ良い剣に恵まれないのです」
「そうか……。フリッツ!俺の予備の両手剣を持ってこい!」
呼ばれたフリッツが我に返り、あわてて両手剣を持ってくる。
「どうぞ、エーリカ様。さすがは『闘技場の殺し屋』ですな、エーリカ様が負けるところを見るのは久々です」
「フリッツ、お前に負けたのはもう何年も前のことではないか。それより隼人、今日の記念にこれをお前にやる。両手剣の方がお前に合っていると見た。大事に使え」
「ありがとうございます。しかしよろしいのですか?」
「よいよい、それよりお前がろくな剣を持っていない方が腹立たしい」
「それではありがたく頂戴します」
「ああ、それからお前達……5番隊だったか?しばらくはここにいろ。今動いたら我が追撃隊の攻撃を受けかねんからな」
それから両軍戦闘状態を解き、戦場の後片づけをはじめた。その間、隼人はエーリカに呼ばれ、隣り合って草むらに腰を下ろした。
「なあ、お前達全員、俺のところに来ないか?どうせろくな扱いをされてないんだろう?」
エーリカは水筒から水を飲みながら勧誘し、隼人にも水を勧める。
「いただきます。たしかにそのことについては否定できません。しかし、私にはまだ彼女達を故郷に帰す義務があります。少し時間をください」
隼人はボルガスキーに当初から良い感情を持っていなかったが、せめて奪われたものを取り返すまではと考えて働いていた。しかし前回と今回の敗戦で愛想が完全に尽きた。帰ったあとで誘い合わせて行商でも再開しようかとでも考えていたが、エーリカの下で働くのもいいかもしれない。そんなことを考えていると、エーリカが爆弾を投下した。
「……お、お前さえよければだが、その、愛人にしてやってもいいぞ」
「はい!?」
そんなことを顔を赤らめて言い出すエーリカに、隼人は心底驚いた。同時に意外な言葉に隼人の顔まで赤くなっている。
「そこまで驚くこともないだろう!俺は剣と戦で俺に勝てる男としか結ばれるつもりはないんだ。お前のことをまだ全部知っているわけではないが、俺の勘だとお前が一番ふさわしい。だがお前の全てを知ったわけではないからな。だから愛人として、お前を見極めさせてもらう。男女の仲というのはよくわからないが、これでもそれなりに男どもから言い寄られたこともあるんだぞ」
そんな妙なことを言い出すエーリカを、隼人はまじまじと眺める。背中に流した美しい金髪、澄んだ青い目、小さな鼻に整った顔つきはまさに戦女神そのものだ。体つきは出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる、ほどよく肉のついた理想的な体つきをしている。特に胸のあたりは、まだ17歳だというのに男を惹きつけてやまない大きさだ。隼人の目線に気付いたエーリカはバッと胸を隠すが、腕では隠しきれないものがさらに強調される結果となる。
「そんなに見るな!バカ者!……他の男の視線は気にならないのに、何でこいつだけ」
抗議の声の後に続く言葉は小声で隼人には聞き取れなかったが、さすがに女体をまじまじと見るのは失礼であると今更ながら気付いた隼人は顔をそむけ、「すみません」とあやまる。
そんな二人を見ていたフリッツは、ようやく主君にも春が来たかと、うれしいような、さびしいような気持ちになった。当然、うんざりした目で二人を見つめる目も多かったが。
しばらくすると、エーリカの追撃隊が帰って来たので、別れることになった。愛人の件は、あまりにも性急すぎるということで断ったが、のちに再会することを約束した。寝返りの件はその時に結論を出すということで先送りだ。別れ際、多くの捕虜達を見捨てることになったが、捕虜をとるのは勝者の権利であるので、これはどうしようもなかった。
この日の2日のちの夜、5番隊残余100余名はとある村にたどり着くのだが、そこで見たものは隼人の人生を大きく変えることになる。