第53話 マチルダの降伏
「マリブールへ追撃をしたい?」
追撃戦が一段落したころ、隼人はアンリ王の本陣を訪れていた。先の戦いで突破を果たした事をひとしきり褒められた後で本題を切り出す。
「ええ、マリブールの領主であるスペンサー子爵とは懇意なのです。厚かましいのですが、スペンサー子爵とマリブールの領地を、せめてスペンサー子爵の身柄だけでも私に任せていただきたいのです。認めていただけるのであればすぐさまスペンサー子爵を追撃し、捕虜としてマリブールを開城させたいと思います」
「領地はともかく、捕虜の身柄は捕虜にした者の自由だ。……元帥はどう考える?」
隼人の要求にアンリ王はブリュネ元帥に軍事面での意見を求める。
「今はセダンの攻略が第1ですが、マリブールへの牽制もしておいて越したことはないでしょう。もし開城させることができるのなら攻略に兵と時を費やさずに済みます。中島男爵に任せてみてもよろしいかと思います」
ブリュネ元帥もアンリ王の意図を察して軍事面のみから意見を述べる。政治面の事はアンリ王の判断に任せるべきだ。
というのも、この戦いでの隼人の活躍がかなり目立ってしまっている。事前にセダンで軍行動の兆候があることを知らせたこと、この戦いで敵陣を突破したこと、さらには突破後に1人の公爵、2人の伯爵、2人の子爵、さらに1人の男爵を討ち取るか捕虜にしている。
ノルトラント帝国軍はこの戦いで4万8000の損害を被ったが、この中で隼人の功績は相当なものだ。新参の若者ながら子爵にしても十分な功績を上げている。これ以上活躍させる事は貴族関係の問題で望ましくはなかった。
だがこの若者の才覚は惜しい。子爵に叙爵し、それなりの領地を与えて遇するべきだ。
アンリ王はマリブールの地理を思い出す。北は山脈により、南は湿地帯により季節によってはセダン方面以外から切り離されてしまう。産業はありきたりな農業と漁業関係、それに最近見つかった石炭か。広いだけに潜在能力は否定できないが、流通の末端で、貧しい領地であることは間違いないだろう。
考えてみれば新任の子爵には相応しい土地なのかもしれない。旧貴族にはその貧しさから欲しがる者はいないだろうし、新貴族には功績を上げればそれに報いる事を示すいい機会になるだろう。中島男爵は多少嫉妬を受けるだろうが、それは彼が対処するべき事柄だ。
中島男爵本人にも希望をかなえてやれば忠誠を期待できる。ここで無理に従軍させ、さらに活躍させて誰からもいい顔をされない褒美を与えるよりもずっといいだろう。他の者に活躍させる機会を作る点でも渡りに舟な要求だ。
デメリットとしては、新貴族から活躍した新人を左遷したととられる可能性があることか。そこは中島男爵からの要望であることを喧伝すればよいだろう。
「……わかった。スペンサー子爵への追撃を許可しよう。マリブール攻略に成功すれば下賜していた4村を召し上げ、マリブールとその周辺に封じ、子爵に叙する。しっかり励め」
「ありがたき幸せ。では早速出発いたします」
隼人が礼をして足早に去っていくのを見ながらアンリ王は戦後の落としどころを考え始める。
この戦乱の時代でも絶滅戦争というものはほとんど無い。初めから絶滅戦争を目的にして起こった戦いにいたってはほぼない。全ては領土や賠償金を狙った制限戦争だ。戦局次第で絶滅戦争になってしまうことはあったが、それでも旧王族は旧貴族として遇される事がほとんどである。
ひとまずは都市をできるだけ多く取っておき、交渉を有利にするべきだ。しばらくはブリュネ元帥の活躍次第になるだろう。
「さて、次はセダンだな。諸君、よろしく頼むぞ」
戦いはまだ始まったばかりだ。
部隊に戻った隼人は早速幹部を集め、命令を発する。
「これよりマチルダ子爵を追撃すべくマリブールに進軍する。マチルダ子爵を捕虜とし、マリブールを無血開城させる。何か質問は?」
「あの……、マチルダ子爵を捕らえた後はどうするのですか?」
桜がみんなの気持ちを代弁して問いかける。
「……まだ決めていないが、少なくとも処刑したり身代金を請求したりはしない。俺としてはマチルダ子爵を保護するために捕虜にするつもりだ。悪いようにはしない」
隼人の言葉に場の空気が和らぐ。マチルダとは知り合いの者ばかりだし、マリブールには親しくしている人々がいる者も多かったからだ。
「他に質問は無いようだな。ではこれよりすぐに追撃に移る。疲れているだろうが、よろしく頼む。解散」
隼人隊は強行軍でマリブールを目指した。
退却行の殿にいるマチルダは焦っていた。退却の速度が思うよりも遅いのだ。理由は明らかだ。まず士気が低いこと。それから負傷者を1人残らず連れてきており、死者が出るたびに埋葬していることが原因だ。士気の問題はどうにもならないし、後者の理由は改める気は毛頭ない。
それでも余分な武器や防具を捨てさせて何とかそれなりの速度で退却ができている。後はセダンがどれだけ敵の目を引いてくれるかだろう。マリブールははっきり言って田舎だ。無視されることを祈るしかない。
マチルダ隊は散発的に襲い掛かる盗賊を退けながらマリブールへの道を急いだ。
そんな逃避行を続けて5日間、あと2、3日でマリブールに着くといったところで後方に放った斥候から凶報が入った。ガリア王国軍迫る!数500!旭日の紋章!
隼人だ。よりにもよって隼人が見逃してくれなかった。マチルダは天を仰いだ。こちらは激戦で400まで兵力が減少している。うち半分が負傷者だ。邪魔になる武具も捨てている。勝ち目はないだろう。だがマチルダにも子爵としての矜持がある。それに、どうせなら知らない者の手にかかるくらいなら知り合いの手にかかる方がましかもしれない。マチルダは戦闘準備を命じた。
隼人達がマチルダ隊の行方を追う事は簡単であった。死者や負傷者は遺棄されていないものの、武具があちらこちらに散乱していたからだ。しかし退却戦となると死傷者は見捨てられることが多いのであるが、マチルダは死者はちゃんと埋葬しているし、落伍者もいない。尊敬すべき指揮官だと言えよう。しかも退却戦にしては意外と足も速かった。もう少しでマリブールに逃げられるところだった。
今目の前にマチルダの陣がある。全員が悲壮な決意を固めているのが遠くからでも分かる。隼人も戦闘態勢をとらせ、マチルダの陣に近づいていく。
適当な距離で軍を止め、隼人はただ1騎で戦場の真ん中に進む。意図を察したのか、マチルダ隊からも1騎が近づいてくる。見間違えようもなくマチルダだ。
「お久しぶりです、マチルダさん。ご無事で何よりです」
「……本当に久しぶりだな。前に会った時から半年は過ぎているじゃないか。だがこのような場所では会いたくなかったな」
「それについては同意しますよ」
世間話でもするように明るく話す隼人にマチルダも緊張を解きほぐされる。
「……見逃してはくれないよな?」
「そういうわけにはいきません。ですが私はあなたとあなたの軍勢、そしてマリブールを好きにする権利を陛下から与えられました。決して悪いようにはいたしません。どうか降伏してください」
「……」
隼人の言葉にマチルダは考え込む。もしこのまま開戦しても一方的に敗北するだけだろう。隼人の言が本当なら、降伏するのが最善だ。だが、貴族としての矜持がそれを許さない。
マチルダはしばらく悩んでいたが、決心した。兵の命と自身の矜持に折り合いをつけた。
「……隼人、降伏が最善だというのはわかった。しかし私にもノルトラント帝国貴族としての矜持がある。ゆえに決闘を申し込む」
「分かりました。では私が勝てばマチルダさん以下全員が捕虜となり、マリブールは開城する。マチルダさんが勝てばマチルダさん以下全員がマリブールに帰還するまで手出しはしない。これでよろしいですか?」
「ああ、結構だ。部隊に伝えてから決闘を始めよう」
2騎は分かれ、それぞれの部隊に戻り、再び中央に足を運ぶ。2人は下馬し、互いに両手剣と片手剣を構える。
勝負は一瞬だった。鬨の声を上げて突貫するマチルダの剣を隼人が弾き飛ばして決着がついた。実力差からいって当然の結果であろう。マチルダも吹っ切れた顔をしている。
「これで、気はすみましたか?」
「ああ、これでノルトラント帝国への義務は果たせただろう。それにしても、やはり隼人にはかなわないな」
マチルダは隼人と握手して苦笑する。
その後は混乱もなくマチルダ隊の武装解除と桜とエレナによる治療が進んだ。一般の兵の間でも知り合い同士の者達がいたようで、その夜は彼らを中心に敵味方関係なく酒を酌み交わす姿が見られた。
2日後の12日の昼過ぎ、隼人達はマリブールへ到着した。
「私とマリブールは中島隼人男爵の軍門に下ることとなった!開門!」
城門は固く閉ざされていたが、マチルダの宣言に混乱を生みつつも城門が開く。そのまま隼人とマチルダを先頭に城に向かって城門をくぐる。城門での混乱を見て取ったマチルダは城に伝令を走らせる。いきなり降伏するだなんて言ったら混乱するのは当然だ。それに気づかなかったあたり、マチルダ自身も状況の急変についていけていないらしい。
城の城門でも兵達は困惑気味であった。治安維持のために武装解除はできないが、すぐに要所を掌握する必要性を痛感させられた。
隼人はマリブールの城に着くとすぐにアルフレッドの海兵隊を歩兵と騎兵で増強してマチルダ隊の兵士とともにブレストの海軍の接収に急行させた。それとともに各城門にも兵を配置し、セダン攻略に向かった本隊に向けてマリブール陥落を告げる伝令を放つ。
最低限の処置をとった頃には日没が近づいており、政務に関する引継ぎは明日行うことになった。
夕食を終えると隼人はマチルダの部屋を訪れた。明日の引継ぎの調整のためでもあるが、純粋に久しぶりにマチルダと飲みたかった事も理由である。その手には白ワインを3本も持っている。
「おお、隼人か。入ってくれ」
マチルダが笑顔で迎え入れる。しかしその笑顔にはどこか影があった。
「景気の悪い顔をしているな。隼人は勝者なのだからもっといい顔をしろ」
そう言われて隼人は自身がマチルダを訪ねた理由を知る。隼人はマチルダを降伏させた事に対して申し訳なく思っていたのだ。今回の訪問は贖罪のようなものだった。
「そうですね……。でもマチルダさんも顔色があまり良くありませんよ」
「まあ、な。色々と考えてしまってな。さあ、かけてくれ。飲もうじゃないか」
マチルダに席を勧められるがままに隼人は席に着き、2人のグラスにワインを注ぐ。
「さて、何について乾杯する?隼人の出世祝いか?」
「いえ、今日はそんな気分になれませんよ」
「そうか、じゃあ乾杯は無しだな」
そう言ってマチルダはグラスに口をつけ、隼人もそれにならう。
それからしばらく2人は話題もなく無言で飲み続けたが、沈黙に根を上げた隼人が口を開く。
「……マチルダさんを捕虜にしたこと、少し後悔しています。本当にこれで良かったのか、もっと他に方法があったのではないかと」
「私はむしろ感謝しているよ。隼人の捕虜になったおかげでこうして牢にも入れられずにいるのだからな。そもそもセダンが陥落すれば私が捕虜になるのは時間の問題だ」
隼人の言い分にマチルダは苦笑する。
「だがいざ捕虜となるとなぁ。身代金を要求してくれない事は助かったが、いざ解放されたところでノルトラント帝国に私の居場所はないだろうからな。領地はなし、爵位も格下げ、良くてどこかの貴族の側室だろうな」
そう言ってマチルダは首から提げた指輪を握りしめる。
「いっそ平民なら良かったと思うこともある。そうであれば隼人と旅をできたかもしれないからな。この指輪、実は隼人がマリブールを出た後すぐにネックレスにしてもらったんだ。それからずっと肌身離さずだ」
「マチルダさん……」
寂しそうに苦笑するマチルダにかける言葉を隼人は持ち合わせていなかった。どうにかマチルダを救う手立てはないものかと考えるが、さっぱり思い浮かばない。2人は沈黙して景気の悪い顔でワインを飲み続ける。
そしてとうとう3本目のワインも空になる。どうやら今日はここまでのようだ。マチルダは立ち上がり、隼人の傍に歩み寄る。
「隼人、今日はありがとう。今日はもう遅い。明日からも忙しいから今日はもう寝ろ」
しかし話しかけられた隼人は思いつめた様子で沈黙を保っている。
「隼人、どうしたんだ?気分でも悪いのか?」
マチルダが心配して隼人の肩をゆする。すると隼人は急に立ち上がり、マチルダの唇を奪った。マチルダは突然のことに目を見開いて驚く。マチルダにとって初めてのキスであったが、かなり酒臭かった。
「は、隼人、一体どうしたんだ?」
「マチルダ!好きだ!愛している!」
マチルダが言い終わらないうちに隼人はそう叫び、マチルダを強く、強く抱きしめる。
「マチルダは誰にも渡さない」
「……ありがとう。だが私たちは敵味方に別れ……きゃ!」
マチルダが何かを言いかけたところで隼人に抱きかかえられる。そのままベッドに運ばれ、押し倒されて再び唇を奪われる。
「は、隼人……?」
マチルダは隼人の豹変に驚いて隼人を見上げる。するとそこには隼人の座った目があった。
「マチルダ、愛している。マチルダは俺のものだ」
隼人は三度マチルダの唇を奪い、今度はマチルダの豊満な胸に指をうずめる。
「は、隼人!一体何のまねだ!いくらお前でもこんなことは……」
「俺はマチルダを愛している!マチルダを愛していいのは俺だけなんだ!誰にも渡すものか!」
暴れるマチルダを隼人は強く抱きしめる。マチルダの抵抗も隼人の愛を受け入れた故か、それとも単に酔いによる気の迷いなのか、弱まっていく。
隼人は翌日の朝食の時間になるまでマチルダの部屋を出ることはなかった。




