第52話 ヴェルダン解囲戦
時は遡って12月、隼人は補充兵の徴募に奔走していた。徴募予定数は約200。総数で550名の軍勢を作り上げる予定だ。セオドアの情報が正しければノルトラント帝国は近くガリア王国に対して軍事行動を始めるだろう。
急ぐ必要があった。徴募した兵の訓練は熊三郎に託し、隼人はロリアンとその周辺の村々を回って兵を集める。
2週間後にようやく人員の補充が済むと、休暇明けの兵を含めた厳しい訓練の日々が始まった。幾度か実戦を経験した兵の訓練はそれほど厳しくはなかったが、新兵達の訓練は過酷であった。例によって個人の戦技は重視されなかったが、行軍、行進、陣形変更など、集団行動に関わる訓練が厳しく行われた。新兵達はそれを呪う言葉を吐く元気すら奪われていた。だがこれも新兵達が次の戦で生き延びるためである。隼人と熊三郎は容赦なく訓練を実施した。
そんな最中の1月12日、隼人は王城に参集の命を受けた。そこでノルトラント帝国の宣戦とヴェルダンの包囲を知らされる。
「みなに集まってもらったのは他でもない。ノルトラント帝国が我が国に宣戦を布告し、ヴェルダンを包囲してきた。タラント王国との戦争での疲弊しているところを狙ったのだろう。幸い、陛下の事前の采配により多くの軍がすでにロリアン近郊に帰投している。我々は軍の集結を待って18日にヴェルダン救援に向かう。みなはそれまでに軍を整えているように」
ブリュネ元帥が参集した貴族、騎士団長、傭兵隊長に指令を発する。それが終わるとアンリ王が立ち上がる。
「今回の戦、余も出陣する。卑劣なノルトラント帝国を追い払い、セダン地方を奪還する。活躍したものには恩賞は思うままに与える。みな励め」
アンリ王の言葉に特に新貴族と傭兵隊長がどよめく。恩賞のことはもちろんだが、アンリ王が直接出陣することはほとんどなかったのだ。意外とガリア王国に余力がないのかもしれない。
王城から兵の訓練場に戻ると、早速部下達に出陣の予定を知らせるとともに、16、17日を休暇にすることを知らせる。休暇と聞き新兵達は喜んだが、隼人は休暇までの間に訓練をさらに強化するつもりだった。それを察した幹部達が新兵達に哀れみの視線を向ける。新兵達はずいぶんさまになってきていたとはいえ、まだ訓練が十分とは言えなかった。だがもう時間がない。殴ってでも体に覚えこませるしかないだろう。でなければ死ぬのは彼らなのだから。
18日、隼人達はロリアン郊外に集結する。他の軍勢も集まりつつあり、その数は4万6000ほどだ。まだタラント王国方面から帰投していない軍勢があることを考えると、ずいぶんとひねり出したものである。
各軍勢の指揮官がアンリ王の陣幕に参集する。
「陛下、軍勢が集まりました」
代表してブリュネ元帥が報告する。
「うむ、各人の勇戦敢闘に期待する。出陣!」
アンリ王の命に一同が礼をして自分の軍に散っていく。ノルトラント帝国との戦が始まった瞬間である。
「報告!ヴェルダンは依然健在なり!ノルトラント帝国軍は森林出口に布陣しつつあり!」
斥候からの伝令がアンリ王やブリュネ元帥の詰める司令部に報告したのは帝国歴1792年2月5日朝のことであった。
「敵の数は?」
「およそ6万!うち4万がわが軍の迎撃に展開しつつあります!」
「よろしい!ご苦労だった」
ブリュネ元帥は追加の情報を得て伝令を下がらせる。
「ヴェルダンは頑張っておるようですな」
「余が警戒するように命じておったからな。兵力をそれなりにため込んでいたのであろう」
ブリュネ元帥の発言にアンリ王が上機嫌に答えを出す。実際、アンリ王の警告が届いてからヴェルダンの領主は2万の軍勢を動員していた。ヴェルダンは元来強固な城塞都市であるから、適切な数の軍勢が居れば防衛はそれほど困難でもない。
「して元帥、如何にして敵を打ち破る?」
「そうですな…、北側が開けた土地であるのでそこに主力をぶつけようと思います。陛下には中央で敵に対する助攻と全般支援をお願いしたく思います」
「うむ。よろしく頼むぞ」
アンリ王は自身の軍事に関する才覚が優れていないことを知っているので軍の指揮はブリュネ元帥に任せている。今回の指揮もブリュネ元帥に任せるつもりだ。
「では戦場に急ぎましょう」
ブリュネ元帥の言葉でガリア王国軍は強行軍で森林の出口を目指した。
ガリア王国軍とノルトラント帝国軍が布陣を終えたのはほぼ同じ時刻だった。ノルトラント帝国軍はどうやら動きが鈍いらしい。それが指揮の混乱を意味しているのか、士気の低さを意味しているのかは分からない。だがガリア王国軍にとっては歓迎すべきことだ。
戦場はヴェルダンと目と鼻の先、森林の出口であった。南西から北東にかけて勾配がついている。しかしノルトラント帝国軍は地形には無頓着にガリア王国軍を半包囲する態勢で均等に兵力を配している。
これに対してガリア王国軍は北側に主力を集中している。定石通り片側から突破する態勢だ。
隼人隊は北側の主力の先鋒に配置されていた。男爵にしては兵力が多く、練度も高いからだろう。
「全般的な兵力は劣勢のようだが、どうやら勝てそうだな」
隼人は敵陣を見てそうつぶやく。
「ヴェルダンが思いのほか敵を引き付けているな。敵の指揮官もそれほど優秀ではなさそうだ」
梅子も隼人の言に同意する。
「この地形だとどうしても北側が弱くなるのじゃが敵はそれを理解していないようじゃな。この態勢だと両翼が突破されやすい。さらに北側は地積が広く、標高も低い。定石なら北側、南側、中央の順で兵を配するべきなのじゃが。じゃが油断はするでないぞ。数が少なくとも精鋭でないとも限らんからな」
熊三郎が解説しつつ注意を促す。その方面の知識がない桜やカテリーナなどがなるほどとうなずいている。
「まあブリュネ元帥はちゃんと敵の弱点を理解しているようだし、勝てはするだろうさ。あとはどれだけ戦果を挙げるか、死なずに勝つかだな。みんな!戦闘準備だ!歩兵隊は右翼へ!騎兵隊は左翼へ展開せよ!熊三郎、歩兵隊を頼む!」
隼人の号令で戦闘態勢を整える。他の部隊もそれぞれ陣形を整えている。後は本陣からの前進の合図を待つばかりだ。
それからほどなくして前進を命じるラッパが鳴り響く。突撃は各自の判断で開始することになっている。ガリア王国軍は全面攻勢に移った。
隼人は前進しつつ敵の部隊と部隊の結節点を見極める。その間隙に部隊をねじ込むのだ。
両隣の部隊が突撃を開始するが、隼人はまだ観察を続ける。すると両隣の部隊の攻勢に呼応して敵が動き、隼人隊の目の前に間隙が生じる。そこを隼人は見逃さなかった。
「突撃!」
隼人は騎兵隊の先頭に立って間隙に向かって突き進む。それに熊三郎の歩兵隊とアルフレッドの海兵隊が続く。隼人隊は敵の間隙に躍り込み、敵の第2陣に突撃をかける。
敵の第2陣はいきなり攻撃を受けるとは思っていなかったらしく、まともな戦闘態勢をとる前に粉砕された。それを見た第1陣にも動揺が広がる。結果として隼人隊を中心に敵部隊に動揺が広がっていくことになる。
隼人は後方を熊三郎達に任せ、敵陣の突破に専念する。両隣の部隊も隼人隊の戦果に勇気づけられ、敵第1陣を敗走させる。
そして戦闘開始から1時間後、とうとう隼人隊は敵陣の突破に成功した。熊三郎達だけでなく、他の部隊も隼人隊に続いている。後は無防備な敵陣の背後を襲うだけだ。
スペンサー・マチルダ子爵は戦いの高揚感に包まれながら、同時に不安感にも襲われていた。別に味方の士気の低さや陣形の悪さを気にしているわけではない。いや、戦についての知識をさほど持たない彼女にとっては陣形の良し悪しが分かるわけではなかった。
不安というのは隼人と戦うことについてだ。隼人と隼人隊の強さを知っていることも原因だが、隼人と殺し合いをするということが何にもまして恐ろしかった。勝つイメージもつかなかったが、戦うことをイメージすることさえ恐ろしかった。
やはり自分は隼人のことを好いているのだなと再確認する。思わず鎖で首に提げた指輪を握りしめる。無論隼人から「預かった」指輪だ。隼人がマリブールから去ってすぐに鎖を通していつも首から提げている。マチルダにとって1番の宝物だ。
マチルダは戦場を見渡し、敵の旗印を探す。どうやら目の前には隼人隊の姿はない様だ。彼女の隊は標高の高い南側にいるから敵味方の様子が分かりやすい。隼人隊が目の前にいないことに安堵する。ひょっとしたら隼人はこの戦いに参加していないかもしれない。そんな淡い期待を寄せて敵陣を再び観察する。
マチルダの目線が1点で止まる。旭日の紋章。間違いなく隼人からの手紙にあった中島男爵の紋章だ。彼女は不安と安堵が混じったため息を漏らす。自分はどうやら隼人と殺し合いをせずに済みそうだ。だがそうなると敵である隼人の命が心配になってくる。あの隊には隼人の他にも親しい人がいるはずだ。
そこまで考えて敵を心配している自分に気づき、苦笑する。まずは自分と部下たちの心配をすべきなのだ。そしてどれだけ活躍できるかを。彼女は旭日の紋章から極力目をそらして正面の敵に視線を向ける。
敵陣からラッパが鳴り響く。敵が前進を始めた。マチルダは身震いする。盗賊との戦いは何度も経験しているが、正規軍との戦いは初めてだ。
「総員、戦闘準備!」
マチルダの命に部下たちがいつもの盗賊退治と同じように戦いの準備を始める。その様を見てマチルダは少し安心する。盗賊が相手だろうが、正規軍が相手だろうが大して変わらないではないか。相手は手強いだろうが、こちらも実戦で鍛えられている。何も心配することはないはずだ。
敵は思ったよりも強くはなかった。もちろん盗賊相手のように楽に勝てる相手ではなかったが、何とか支えることはできる。これは勝てるかもしれない。時間がたつごとにマチルダはその思いを強くした。
両隣の部隊と連携しながらガリア王国軍の攻撃をしのいでいたマチルダはふと隼人がいる北側に目をやった。彼女は言葉を失った。旭日の紋章が味方を食い破り、その背後を襲っていたからだ。彼女は勝ちを失ったことに気が付いた。あれではどうにもならない。すぐに援軍を送らなければ。隼人が相手ではどうにもならないかもしれないが、何とかしなければ戦線が崩壊してしまう。
だが味方の動きは鈍い。それどころか北翼が崩壊しつつあった。まだマチルダ達のいる南翼までその動揺は伝わっていないが、中央まで混乱しつつあった。彼女は焦って督戦するが、それは小さな勝利と引き換えに真っ先に勢いに乗った敵軍の波に追いやられる結果となるのであった。
「陛下、左翼に予備戦力の全力を投入しましょう」
ガリア王国軍の本陣ではブリュネ元帥が勝利を確信していた。彼は自信をもってアンリ王に進言する。
「うむ、任せる」
アンリ王も安堵してブリュネ元帥に全てを任せる。ブリュネ元帥はうなずいて伝令を出す。
予備隊が投入されるとノルトラント帝国軍は右翼から急速に崩壊していった。これを見たヴェルダン守備隊も出撃し、ノルトラント帝国軍は挟撃を受ける状態になる。勝敗は決まった。あとは追撃あるのみだ。
ノルトラント帝国軍の敗残部隊が生き残るためにセダン方面に敗走を始める。隼人はその中に見慣れた紋章がセダン方面よりも西よりに敗走する姿を見た。マチルダの軍勢だ。それを見た隼人は無事を祈らずにはいられなかった。
だが、それと同時にひとつの疑問が浮かぶ。果たしてこの後マチルダはどうなるのであろうか?このままいけばセダンはまず陥落するだろう。セダンよりも北の都市も同様だ。するとマリブールは孤立することになる。いや、孤立するだけならまだいい。マリブールが陥落すればマチルダはどうなる?
マチルダの未来に関して隼人は暗い予想をせざるを得なかった。どうにかしてマチルダを救うことはできないだろうか?隼人は追撃を続けながらそれだけを考えていた。




