第47話 レ・ソル砦の戦い 3
明けて19日、隼人達は馬出の強化に追われていた。敵の動きはまだない。ならば今のうちにできることはやってしまうべきだった。汗の1滴は血の1滴を減らす。兵の疲労と引き換えに堀を深く、広くしていく。同時に門や柵も思いつく限りの強化を施していく。
兵達の中には不満を漏らす者もいるが、みな元気だ。昨日の2波に及ぶ敵の攻撃を僅かな損害で切り抜けたことは彼らを楽観的にしていた。
昼食休憩後も築城作業に務める。
そうしているとようやく敵が前進を始めた。もう午後も3時頃になろう頃である。今度ははしごを用意しているようだ。隼人はすぐに築城に出ている兵に撤収を命じる。今回からは厳しい戦いになるだろうな。隼人は唇をかみしめ、唾を飲み込んだ。
ポリーニ元帥はいらだっていた。道路の混雑ではしごの到着が遅れたからだ。おそらく投石器も遅れているだろう。後方でガリア王国の敗残兵がゲリラや盗賊と化してタラント王国軍の移動、補給を妨害しているのだ。その間にも敵はあの小癪な簡易陣地を強化している。全く面白くない状況だ。
ポリーニ元帥が日没までそれほど時間がないにも関わらず攻撃を命じた理由はこのいらだちと焦りにあった。あの簡易陣地や城壁を抜いても日没とともに撤収せねばならないのではという意見も出たが、その場合は夜間攻撃を続行することになった。幸いにも今日は快晴で月も出ている。夜間攻撃は十分に可能だった。
第3次攻撃隊を任されたスコーラ伯爵は鼻高々だった。スコーラ伯爵はザッカルド伯爵やフゼール伯爵と折り合いは良くない。ゆえに今回は彼らの鼻をあかす好機だと考えていた。彼らが苦戦した理由など、彼らの戦意不足だとしか思っていない。
スコーラ伯爵の旗下には旧貴族が3人付けられている。彼らはスコーラ伯爵らが参加する派閥の人間だ。新貴族はいない。彼らは新貴族を猜疑の目で見ていたからだ。彼らはこの度の戦役で旧貴族の権勢を増大させようともくろんでいた。
隼人はいつも通り距離150で射撃を開始する。狙うは先頭の派手な鎧をつけた騎士だ。命中。敵の歩みが止まる。すぐに別の騎士に狙いをつける。これも命中。敵の前衛に混乱が広がる。
とはいえ、混乱している部隊は中央だけで、左右の部隊は混乱を見せない。指揮系統が違うのだろうか。隼人はそんな疑問を感じながら目についた騎士を片っ端から狙撃していく。
前回と同じように距離100で鉄砲隊が射撃を始め、距離50で弓、弩が射撃を開始する。馬出からも激しい射撃が敵勢に浴びせられる。敵からも応射が始まるが組織だったものではない。射撃した者は逆に目をつけられ、守備隊に射殺されていく。
激しい射撃を浴びながらも敵は前進を続けていく。中央の部隊は馬出の前で立ち往生しつつあるが、左右の部隊は城壁にとりつき、はしごを城壁にかける。
「白兵戦用意!」
隼人の下知に射撃武器を持たない兵がはしごをかけられた場所に集まる。彼らは射撃部隊の援護の下はしごを押し返そうとする。敵勢も激しい射撃にさらされながらはしごを支える。他にも斧を持った兵がはしごそのものを破壊しようとする。敵も射撃部隊がそれを妨害しようとする。
はしごが落とされ、壊される。はしごを登っていた兵士たちが落下する。城壁で砦を守る兵士達も膝に矢を受けて負傷する。
そしてとうとう始めの1人がはしごを登り切ることに成功する。その者は城壁に達すると同時に切り伏せられたが、後から後から兵士たちが登ってくる。あっという間に城壁の上は乱戦になった。
同時に中央でも馬出の堀にはしごが架け渡される。馬出でも白兵戦が始まる。隼人は射撃を止めて状況判断に務める。手薄になった場所に逐次戦力を投入し、敵が城壁を登ったところでそれ以上進めない状態を維持する。
馬出では熊三郎や梅子がはしごを渡ってくる敵を突き殺し、薙ぎ払っている。カテリーナも下馬してすでに城壁の上で剣を振るっている。アルフレッドも、パウルも、戦闘に慣れないアントニオでさえ剣を振るっている。白兵戦に巻き込まれていない場所からは射撃部隊が射撃を続ける。消耗戦は好むところではないが、このままだと多少の損害で何とか撃退はできそうだった。
膠着状態に陥っても敵は執拗に攻撃を続けた。城壁の下、堀の底が敵の死傷者で埋まっていく。
日が没して1時間は過ぎた頃、ようやく敵は諦めた。まず中央の部隊が引き上げはじめ、それに続いて東側、西側の部隊が撤退する。部隊間の統制はとれていないことが感じられたが、一方で部隊そのものの統制はしっかりとれていた。統制のとれた相手への追撃は危険だ。そもそも疲労していて追撃すべき部隊は存在していなかったが。隼人は敵の遺棄したはしごの回収を命じると戦闘終結を宣言した。隼人達守備隊の損害は戦死43名、負傷者131名、タラント王国軍の損害は戦死263名、負傷者は658名であった。
隼人はしばらくぼんやりと緩慢な兵士たちの回収作業を眺めていたが、ふと負傷者を見舞うことを思い出す。戦闘が始まってから1度も見舞っていない。隼人はレ・ソル砦の指揮官に指揮を預けると桜達のいる野戦病院に向かった。その背後では城壁や堀の底でうめいているタラント王国軍の負傷者の声が聞こえたが、疲労した隼人達には彼らの救出を思いつく者はいなかった。
野戦病院はもう1つの戦場であった。辺りは負傷者でいっぱいであり、桜やエレナなど、治癒魔法を使える者達が走り回っていた。隼人は忙しそうに走り回る彼女たちに声をかけるか戸惑ったが、状況は把握しなければならない。
「桜!」
「あっ!隼人さん!」
隼人が呼びかけると桜は疲労を隠せない顔で、しかし嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ずいぶん疲れているようだが、大丈夫か?」
そんな桜の様子に隼人は負傷者の状況確認よりも先に桜の心配をしてしまう。
「私なら大丈夫です。でも夕食は用意できそうにありません。ごめんなさい。誰か別の人に用意してもらってくれますか?」
こんな状況でも隼人達の食事心配をしてくれる桜。こんな優しい彼女だからこそ隼人は彼女に惹かれたのだろう。
「いいや、それはかまわないんだ。それより桜も少しは休め。桜に倒れられたらみんなが困る。それに倒れられたら俺も心配で指揮がとれそうにない。ここらで報告がてら休憩をとってくれ」
「お気持ちは嬉しいのですが、まだ負傷した方がいますし、私だけ休んだらエレナさんたちにも悪いですよ」
「桜さん、あなた1度も休憩してないでしょう?せっかくですから今日はもう休憩なさい。明日もきっと忙しくなりますから」
休憩を渋る桜をエレナが後押しする。
「桜、お前休憩していないのか。それは駄目だ。隊長命令で休憩だ」
「あっ」
隼人が桜に休憩を命じ、外に連れ出すために多少強引に手を引くと桜は隼人の胸に倒れこんだ。どうやら相当疲れているらしい。
「やっぱり疲れているじゃないか。俺が抱えてやろう」
隼人は苦笑して桜を抱える。いわゆるお姫様だっこの状態になっているが、隼人にはそんな意識はない。一方で桜は恥ずかしそうに顔を赤らめ、エレナは苦笑する。負傷者の中でも周囲を気にする余裕がある者達がうんざりした顔をする。隼人が自身がお姫様だっこをしていたことに気づくのは外に出てからである。
「……ありがとうございます」
城の中庭のベンチに降ろされた桜は赤い顔で若干の抗議を込めて隼人に感謝の言葉をおくる。
「あーうん、すまん。無意識だったんだ」
「もう、恥ずかしかったんですからね。嬉しかったですけど」
桜は隣に座った隼人にもたれかかって言う。普段の桜なら目立つ場所でこんなことはしないが、やはり疲れているようで頭が回っていないようだ。
「…梅子達は大丈夫でしたか?」
「ああ、みんな無事だ。負傷もしていない。 負傷者の方はどうだ?戦闘に復帰は可能か?」
「それは良かったです。負傷者の8割は明日には復帰できると思います」
「さすが桜とエレナがいたら早いな。明日からも激戦が続くだろうが、よろしく頼む」
「ええ、任せてください」
隼人と桜は運ばれてきた夕食を食べ終わるまでともに時間を過ごした。
「まことに申し訳ございません」
スコーラ伯爵はポリーニ元帥の前でひざまずき、地につけんばかりに頭を下げていた。
「ザッカルド伯爵、フゼール伯爵に続きスコーラ伯爵まで敗れるとは……」
司令部に詰めている貴族がうめく。
「それだけ敵が強力だということか……。しかしスコーラ伯爵、勝敗は兵家の常なれど、はしごを放棄したことは我々にとって痛手だぞ」
「申し訳ございません。回収する余裕がありませんでした」
ポリーニ元帥の詰問にスコーラ伯爵は悔しそうに答える。
「そうか……。もうよい。今日はゆっくり休め。 ところで次のはしごはいつ届く?」
スコーラ伯爵を下がらせるとポリーニ元帥ははしごが撤去されたレ・ソル砦の城壁を睨みつけながら問いを発する。
「明日には届くと思いますが……。何分今日も遅れましたし、明日のいつ届くかまでは……」
補給担当の貴族が申し訳なさそうに答える。
「もういっそレ・ソル砦は無視して先に進んでは?」
「いや、それではだめだ。街道が封鎖されたまま軍を進めることは危険だ」
「しかし無為にこの砦の攻略に時間をかけることもないだろう」
他の貴族がレ・ソル砦の迂回を進言し、司令部で議論が始まる。
それを聞いていたポリーニ元帥だが、しばらくしてすっくとして立ち上がる。
「明日からはレ・ソル砦の周囲の砦を攻める!レ・ソル砦は明日のはしごの到着を待って明後日の朝に攻撃する。明日の午前は軍使を出して戦死者を回収せよ」
「「ははっ」」
ポリーニ元帥は再びレ・ソル砦を睨みつけた。