第45話 レ・ソル砦の戦い 1
隼人達がレ・ソル砦に入った翌朝、早くも各所の砦がタラント王国軍の攻撃を受けたようで、ガリア王国側の砦から煙が上がっている。レ・ソル砦はまだ攻撃を受けてはいないが、時間の問題だろう。
昼頃には早くも陥落した砦から敗残兵がレ・ソル砦に逃げ込んできた。レ・ソル砦の臨時指揮官となった隼人は彼らを手早く再編成し、レ・ソル砦の防衛任務につける。
生き残っている砦からは救援要請が届いていたが、わずか500ほどの軍勢では救援は無理だ。無理をせず、危うくなったらレ・ソル砦に逃げ込むように伝えて伝令を返す。
隼人がこの地域の指揮官のような位置づけになっているが、これはこの周辺で最も大規模な砦がこのレ・ソル砦であり、しかもこの砦の指揮官は貴族ではなくアンリ王の騎士であったこと。それからこの地域にいた貴族軍はすでに敗走、または退去していたため、必然的に最上位者が隼人になったのだ。
レ・ソル砦の指揮官は指揮権の移譲を、アンリ王の権威を盾に渋ったものの、指揮系統の分立は不利であることは認識していたので、隼人が退去をちらつかせ、現地協定という形でやや強引に指揮権を移譲させた。自分1人の命だけならいざ知らず、桜達の命がかかっていたので隼人はここで妥協はしなかった。
こうして隼人は隼人軍500、レ・ソル砦守備隊300、敗残兵200の計1000余名を指揮下に収めたのであった。
レ・ソル砦は、ガリア王国がタラント王国と戦争になる前に改修した砦だ。石造りの立派な砦であり、周辺の木と土で作った砦とは段違いの防御力を備えた欧風の砦である。名称こそ砦だが、小規模な城と言っていいくらいの砦である。
レ・ソル砦はガリア地方からロマーニ地方に延びる街道に面しており、ちょうど街道が三叉に分かれる部分の丘の上に立地している。街道が作られた時に掘削された切通しの上に建てられており、南面、東面、西面は街道に面していると同時に急峻な崖となっている。唯一北面のみがなだらかになっているが、当然この北面の防備は堅い。
このような好立地はそうそうあるものではなく、当然古くから砦が築かれていたのであるが、タラント王国との戦争が近づいた頃にガリア王国が占領、改修したのである。
レ・ソル砦は一重の高い石壁を巡らせて主郭としており、さらに一段低い石壁で北面の石壁を囲うように巡らし、二の曲輪として機能させている。
欧風の砦であるので高い石壁による防御を主眼にした砦であり、この地域の根拠地になっていたこともあり、武具や矢、食料に水は十分に確保してある。長期間の籠城にはぴったりであった。
その一方で隼人、熊三郎、梅子は特に不満に思うことがあった。その不満を解消するために隼人軍を中心にレ・ソル砦守備隊の応援を得て緊急の野戦築城を行っている。隼人は文献で、熊三郎と梅子は敷島風の城、和城を知っている。和城の特徴は曲輪や城壁を折り曲げ、場合によっては城門の構造を使って敵に十字砲火を浴びせることにある。特に城門付近の構造の工夫はすさまじい。欧風の城が守りの城であれば、和城は殺しの城と言えるだろう。読者諸兄も日本の城に行ったら城門を抜けたところで振り返って欲しい。きっと狭間、要するに銃眼があなたを狙っているはずだ。
そんな和城を知っている3人にとっては北面の大手門の守備がとても心もとなく感じた。そこで馬出を作ることにしたのだ。
馬出とは、門を守るために門の前に作られた曲輪のことであり、これにより門を直接攻撃から守るだけでなく、門に至る経路を曲げることで敵に十字砲火を浴びせることができる。武田の丸馬出や北条の角馬出が有名である。大阪城の真田丸も巨大な馬出であるとも言えよう。
今回は小規模な丸馬出を作る。堅固で大きな丸馬出にしたいところだったが、時間が足りない。土塁と横堀、柵を巡らし、簡単な門を設置するだけで手いっぱいだ。
「馬出にはわしが入ろう。梅子を連れていくぞ」
その日は結局タラント王国軍の攻撃はなく、終日馬出の構築などの防衛準備に全力を挙げることができた。しかしタラント王国軍はすでにレ・ソル砦から至近の砦を落としており、明日一番には攻め寄せてくるだろう。
隼人は敗残兵の収容と再編成に駆けずり回り、馬出の構築には基本構想以外関わっていない。それでも馬出の完成度は不十分と判断せざるを得ない。翌日の戦闘では真っ先に狙われ、最激戦地となるだろう。そんな場所に熊三郎が志願してくる。
「しかし馬出は何とか形になったとはいえ、強化が不十分だ。明日の戦闘の焦点となることは間違いない。俺が陣頭指揮を執ろうと考えていたのだが……」
「だからこそ、じゃ。いずれこの馬出は捨てねばなるまい。後退する時期を隼人殿に計ってもらいたいのじゃ。ゆえに隼人殿には城門の上から全体を指揮してもらいたい。これはわしと梅子の命を預けるということじゃ。しっかり頼む。」
隼人は指揮官は最激戦地で指揮を執るべし、と考えていたのであるが、熊三郎にこうも言われてしまっては我を通すわけにもいかない。
「……わかった。梅子ともども、死んでくれるなよ」
「ははは、わしもひ孫の顔が見たいですからな。簡単には死にはせんよ」
熊三郎は朗らかに、しかし歴戦の戦士らしいどう猛さをもった笑顔を見せる。その笑顔に隼人はどこか安心感を抱いた。
翌朝早くにタラント王国軍がレ・ソル砦に姿を見せる。隼人達は朝食を急いで胃袋に詰め込んで迎撃準備を行う。レ・ソル砦の長い戦いが始まろうとしていた。
「あの砦にはかなりの敗残兵が逃げ込んでいるようだな」
タラント王国元帥ポリーニ公爵が幕僚として司令部に詰めている伯爵に話しかける。
「はい、斥候によると敗残兵だけで100以上が逃げ込んでいるようです。これの他に少なくとも300以上の貴族軍が入城しているようです」
「あの旭日の紋章の軍勢か……。誰か、あの紋章を知っておるか?」
「……」
元帥の問いに沈黙の答えが返る。
「となると、新貴族だな。指揮能力が無能なら助かるが、どうかな? 先鋒に攻撃命令を出せ!」
ポリーニ元帥の命で伝令が走る。レ・ソル砦を包囲したタラント王国軍の攻撃が始まった。
「いよいよだな……」
隼人の眼下では3000ほどの敵勢が前進を開始していた。レ・ソル砦の北面は地籍が狭いのでこれが一度に展開できる最大兵力であろう。攻城兵器の類は破城槌代わりの丸太くらいか。どうやら敵は攻城兵器を準備する時間を惜しみ、短時間でレ・ソル砦を制圧するつもりのようだ。だがその程度の攻城兵器でも不完全な馬出には十分脅威ではある。
そんなことをつらつらと考えていると、隣にいたカテリーナが手を握ってきた。
「どうした?カテリーナ?」
「隊長、足、震えています」
カテリーナにそう言われて隼人は自身の足を見る。確かに震えていた。これが武者震いというやつなのだろうか?
「隊長、大丈夫です。私達はどこまでも隊長にお供します」
「ありがとう、カテリーナ。だが俺は簡単には死なんぞ。だからカテリーナも死ぬなよ」
「ふふ、隊長が守ってくれますから、それについては安心しています」
「そいつは責任重大だな。俺はお前たちが死なないか怖いよ」
カテリーナの言葉に思わず隼人が本音を口にする。それを口にして隼人は初めて自分がカテリーナ達を失うかもしれないという恐怖に震えていたことを思い知る。
「……私達なら大丈夫です。隊長が守ってくれると信じていますから」
カテリーナが隼人の手を強く握る。隼人は自然と体の震えが収まっていくのを感じた。
「ありがとう。どうやら俺は戦場の空気に飲まれていたようだ。もうこれで、大丈夫だ」
隼人はカテリーナの手を力強く握り返す。カテリーナはそれに安心して手を放す。付き合いが古いだけにカテリーナは隼人のことをよく見ていてくれたようだ。
「カテリーナ、城門の前で騎兵隊の準備をしておいてくれ。逆襲と撤退の指示はこちらで行う。桜、俺が射撃を始めたら射撃を始めてくれ。負傷者が出始めたらそちらの救護に向かってもらうからそのつもりで」
「はい!」
「ひゃ、ひゃい!」
カテリーナは元気よく返事を返すが、桜は相当緊張しているようだ。隼人は桜を抱きしめて背中を叩く。
「桜、大丈夫だ。俺たちはみんなで生き残るからな」
しばらく背中をさすっていると桜の小さな震えが収まってくる。もう大丈夫だろうといったところで赤面した桜が隼人から離れる。
「は、隼人さん、ありがとうございます……」
「ああ、桜の働き、期待しているぞ」
そう桜に声をかけたところで隣からの視線に気づく。そちらを振り向けばカテリーナが羨ましそうに見ていた。今度はカテリーナを抱き寄せる。
「カテリーナの働きも期待しているぞ。馬出の運命はお前にかかっている。しっかり頼む」
短い抱擁でカテリーナを送り出す。カテリーナは赤面しつつも満足してくれたようだ。
「男爵閣下、余裕ですな」
その様子を見ていた本来のレ・ソル砦の守備隊長が冷たい目線を送る。見れば女性兵士は羨望のまなざしを向けているものの、男性兵士からの目線は冷たい。
「ま、まあ、戦地において心の余裕は大事だ。みんなも自然体で頼むぞ」
隼人はそう言って誤魔化す。もう敵は目前に迫っていた。
まず隼人が開戦の1矢を放つ。それにやや遅れて桜も矢を射る。隼人の矢は導かれるように上等な鎧を着た人物に突き刺さる。桜の矢も近くにいた良い鎧を着た人物に命中する。遠距離だったので敵も味方も驚いたようで、一瞬ざわつき、敵の足が止まる。そこにさらに隼人と桜が矢を射かける。
それでも矢を射ているのはたった2人。敵もすぐに態勢を立て直して前進を再開する。
「鉄砲隊!打ち方始め!」
100メートルまで敵が迫った時点で隼人は鉄砲隊に発砲を下令する。レ・ソル砦守備隊には少数だが鉄砲が配備されていたのだ。轟音が響き、発砲煙が上がる。敵の兵士達が数人仰向けに倒れる。
さらに敵が50メートルまで迫る。城門の下で熊三郎隊が射撃を開始する。
「弓隊!放てぇ!」
隼人も弓兵、弩兵に射撃開始を命じる。敵兵がバタバタと倒れる。同時に敵からも応射が始まり、こちらにもちらほら負傷者が出始める。
「桜!射撃はもういい!負傷者の救護に当たれ!」
「はい!」
桜が野戦病院と指定された城内へ走っていく。これから負傷者がどんどん増えていくはずだ。軽傷の者はすぐに戦線に復帰できる態勢をつくらねばならない。
ポリーニ元帥は敵の簡易陣地に迫る味方を見守っていた。あの簡易陣地はすぐに陥落するだろう。敵の射撃が思ったより激しいことが気がかりだが、ひょっとすると敵の城門も破壊できるかもしれない。ポリーニ元帥は第2波に攻撃準備命令を出す。ポリーニ元帥は兵力の優位を生かして波状攻撃をかけ、敵を休ませないつもりだ。もっとも、そう何度も攻撃する前に落城するであろうと予測していた。こんなところでつまずいているわけにはいかないのだ。ポリーニ元帥はアンドラ高原からガリア王国を追放しなければならないのだから。最終目標はアストンだ。
そんな中、ポリーニ元帥の予測を裏切る報告が届く。
「ザッカルド伯爵、流れ矢により負傷!」
司令部がどよめく。ザッカルド伯爵は勇猛果敢で名の知れた人物だ。今回も先陣を務めることを強硬に主張していた。彼が負傷したことなど、ほとんどなかった。
凶報は続く。
「イエメッロ男爵、討ち死に!」
「モルラッキ子爵、負傷!」
どちらもザッカルド伯爵の下で数々の武勲を立ててきた名将である。
「将を狙うとは、卑怯者め!」
司令部に詰めている伯爵が吐き捨てる。この時代、将を優先して狙うことはあまりなく、特に旧貴族の間では禁忌に近い扱いを受けている。
「相手は新貴族だ。それだけ相手も必死だということだ。先鋒隊の指揮は今誰が執っているか!」
ポリーニ元帥は伯爵をたしなめ、伝令に現在の指揮官を尋ねる。
「ボッシ子爵です」
司令部に安堵の声が広がる。ボッシ子爵はザッカルド伯爵の配下の中でも沈着で知られる勇将だ。すぐに事態を打開してくれるだろう。
しかしもう少し後で彼らは馬出の真価を知ることになる。
馬出に多くの兵が殺到している。やはりここを弱点と見たらしい。しかし横堀をさけて門に回り込んだ敵兵はそこで十字砲火にさらされ、激しい射撃を浴びる。タラント王国軍の戦死体が折り重なる。攻撃の勢いは完全にそがれていた。
「今だ!逆襲!」
隼人の命令に突撃の合図のラッパが吹き鳴らされる。城門が開き、そこからカテリーナの指揮する騎兵隊が姿を現す。熊三郎達も馬出の門を開け、逆襲に転じる。それを支援すべく城壁からは激しい支援射撃が実施される。
敵の前衛は大混乱に陥った。激しい射撃に無防備にさらされ、士気が低下していたところに受けた突撃だ。何ら為すことなく潰走してしまう。その潰走する敵兵の波に混じるようにカテリーナ達騎兵隊が暴れまわる。
「今こそ好機!逃がすな!追い散らせ!」
カテリーナの激に騎兵隊はタラント王国軍を突き崩していく。兵も騎士も平等に馬に蹴散らされ、槍に突き殺される。
「逃げるな!敵は少数だぞ!押し包め!」
敵の指揮官から激が飛ぶが混乱は収まらない。少数のカテリーナ隊にタラント王国軍の統制はズタズタにされてしまった。ボッシ子爵は手近な兵をまとめながら後退するだけで手いっぱいだった。
隼人は敵が初動の混乱から回復し始めると、すぐに撤退の合図のラッパを鳴らさせた。敵の数を減らすことよりも味方の損害を減らすことと時間を稼ぐことの方が大事だ。敵には十分な打撃を与えられた。
カテリーナ隊は熊三郎隊の支援の下、無事に後退する。ボッシ子爵もこれを見て攻撃発起点まで後退する。タラント王国軍にはすでにカテリーナ隊を追撃する余力は失われていた。
こうしてタラント王国軍の第1波攻撃は失敗に終わったのであった。




