第41話 アンドラ高原出兵
「それじゃあ行ってくる」
「ご武運を」
「ちゃんと帰ってきてね」
隼人は城門近くでナターシャ、カチューシャとしばし別れの抱擁を交わす。隼人達はこれより戦場に向かう。多くを連れ帰るつもりだが、あるいは帰ってこれない者達もいるかもしれない。そしてその中には隼人達の名前も含まれているかもしれない。そんな思いで2人を強く抱擁する。
桜、梅子、カテリーナも、そして残留組のセレーヌも抱擁する。この6人は共同生活を送っているだけに特に仲が良い。隼人の未来の妻として務めを果たそうと団結しているのもその一因かもしれない。
6人の抱擁は隼人の抱擁に比べれば軽いものだ。絶対に生きて帰れる自信があるのだろうか。その理由が隼人が守ってくれるからという確信からくるものであれば嬉しいと同時に、身が引き締まる思いだ。
「出発!」
隼人の号令で旭日の旗の下、500余名の軍勢が動き始める。いよいよ出陣である。予定では2週間と少しでアンドラ高原北側の根拠地、アストンに到着する予定だ。その間に行軍と個人戦闘の訓練を行う。物資は途中の都市や村々から購入する予定だ。新造した馬車10台も輜重隊として同行する。盗賊もこんな軍勢は襲ってはこないだろう。隼人は行軍を楽観視していた。
結果を言えば、隼人の楽観は過ちであった。盗賊の痕跡を見つけるとしばらくは戦闘態勢をとらざるを得なかったし、訓練の時間をとるために行軍の時間が短くなった。そして何より行軍の訓練を怠ったツケが回ってきた。
500余名もの行軍には時間がかかる。まず朝に野営地をたたみ、集結し、整列する。そして行軍して、小休止や大休止をとる。そしてまた野営地を片付け、集結し、整列、そして行軍開始。練度や士気に問題がなかったために脱走などはなかったものの、それでも集結に時間はかかるし、慣れない長距離行軍に時間の割に距離を稼げない。後半にはずいぶんとましになったものの、当初の想定よりもかなり時間がかかった。
結局、アストンに到着したのは、ロリアンを発って3週間以上過ぎた、10月に入って始めの頃であった。
アストンはアンドラ高原北部に築かれた城塞都市である。アストンの歴史を紐解けば、その始まりはロマーニ帝国がまだ共和制であった頃に、ロマーニ人がガリア地方に進出するために築いた前線都市になる。ロマーニ人がガリア地方とブリタニア地方を併呑してからはその軍事的地位をいくらか失わせたが、陸上交通の要として商業的地位は逆に上昇し、交易都市として発展を遂げることになる。
これがロマーニ帝国分裂以後になるとその質的重要性は劇的な変化を遂げる。
アンドラ高原はロマーニ、イベリア、ガリア、ブリタニアの各地方に接する、山脈に挟まれた隘路だ。その北側出入り口となれば、その軍事的価値は極めて大きい。南からガリア、ブリタニア両地方をうかがうための前線拠点として。あるいはロマーニ、イベリア両地方からの攻撃を食い止める防衛拠点として。
もちろんその商業的価値も衰えてはいない。むしろ海賊の跋扈で海上交通が麻痺しつつあるこの時代では陸運の価値は極めて大きい。南北にひと時の平和が訪れるとこの都市は行商人の馬車でごった返すことになる。ただし、それを狙う盗賊や脱走兵達の危険も大きいのだが。この時代の平和とは次の戦争までの準備期間に過ぎず、平時に治安維持に割く兵力などなく、仮に存在しても勢力圏争いなど、新たな紛争の引き金になりかねないからだ。
軍事都市と商業都市、2つの側面を持つこのアストンだが、現在はもちろん軍事都市としての側面が大きく、街は張り詰めた活気に包まれている。ちなみにアンドラ高原南側の城塞都市であるアスティはタラント王国領である。タラント王国としてはここを失陥すると領土を東西に分断されかねないので、アスティの防御はアストン以上であったりする。
隼人の予定よりもずいぶん遅れて到着した隼人隊は早速兵を街の兵舎に入れ、隼人は城に出頭する。城に出頭するとそれほど待つこともなくブリュネ元帥の下に案内された。
「ようやく増援が来たか。待ちわびたぞ」
「お待たせして申し訳ありません」
ブリュネ元帥は背の高い、頭髪の多くが白くなっている初老の公爵であった。家柄も良いが、その軍事的才覚にも恵まれた逸材だ。家柄よりも能力重視した評価を下すため、旧貴族でありながら新貴族からの評判も良く、アンリ王も人柄と能力を高く評価している。その立場からアンリ王、旧貴族、新貴族の間で折衝役になることも珍しくない。
「そなたは新しく陛下が叙爵した男爵であったな。もとは行商人であったそうだが」
「はい、中島隼人と申します」
「おお、思い出したぞ。あの『闘技場の殺し屋』か!あの戦い、わしも見ておったぞ」
最初、いぶかし気に隼人を値踏みしていたブリュネ元帥だが、隼人の名乗りに思い出し、嬉しそうに隼人の手を握る。
「ついにそなたが我が王国に仕官してくれたか。これほど心強いことはない」
ちなみに隼人は忘れてしまっているが、かつてロリアンでアンリ王に勧誘された際に断ったことを隼人に問い詰めた貴族の1人でもある。
「はっ、微力ながら全力で務めを果たす所存です」
「それは良いことだ。では早速中島男爵の兵を閲兵しても問題ないかな?」
ブリュネ元帥は隼人がどれほど兵を鍛え上げたか興味があるようだ。
「はい、問題ありません。ただ、兵も行軍で疲れておりますので、短めにしていただければ幸いです」
「そなたは部下想いだな。まあ良い。早速準備してくれ」
「ありがとうございます。では兵を整列させてきますので、失礼いたします」
「女が多くないか?」
隼人隊を閲兵したブリュネ元帥が開口1番、隼人にそんな不満を漏らす。ブリュネ元帥は、戦争は男がするものと信じているため、女性兵士にはあまりいい顔はしない。それ以前に、女性兵士は男性兵士が足りない場合の数合わせとして連れてこられる場合が多いので、練度が不足していることがほとんどであったから、能力主義の観点からも懐疑的になる。
そんなブリュネ元帥に隼人は反論する。
「確かに女性兵士は多いですが、全員最低1カ月は訓練しております。訓練期間を多くとるために募兵期間短縮を狙って女性を多く採用したのです。それに幹部連中は行商時代からの古兵がほとんどですから、女性でもかなり腕が立ちます。徴兵されたばかりの男性兵士よりは役に立ちます」
「訓練期間をそんなにとるよりも、わしとしては1日でも早く連れてきて欲しかったものだがな。今日の100の兵は明日の1000の兵に勝るものだ。そうだろう?」
「……」
ブリュネ元帥の正論に隼人は沈黙する。
「まあ良い。そこの者前へ!」
ブリュネ元帥は適当な女性兵士を指名する。
「木剣を持て!わしに打ちかかってこい!」
どうやら練度を見るため、自ら模擬戦をするようだ。指名された女性兵士は戸惑いながらも木剣を受け取る。
「やああああ!」
「ふん!」
勝負は一瞬でついた。女性兵士の甘い太刀筋をブリュネ元帥が木剣ごと弾き飛ばしたのだ。
「中島男爵。そなたは兵に甘すぎはせんか?装備はよく整えられておるが、これでは素人に毛が生えた程度ではないか」
「集団戦闘の訓練を優先していたため、個人の戦闘能力はあまり訓練しておりません。ですが実戦ではきっと有能な兵士になるでしょう」
ブリュネ元帥の厳しい評価に隼人が反論する。隼人は実戦での動きについては自信を持っていた。
「個人の戦技は兵の基礎だ。基礎がなってないようではな。まあそこまで言うなら実戦に期待しよう。3日後には哨戒に出てもらう。それまでに英気を養うように」
ブリュネ元帥は言葉とは裏腹に期待と興味を失って城に戻っていった。場に無念な空気が流れる。
「…諸君!実戦の時は近い!実戦ではこれまでの訓練がきっと役に立つことはこの俺が保証する!元帥閣下に我々の力を示すのだ!」
「「「おう!!」」」
隼人は部下たちを鼓舞する。これは自身に向けてでもあった。これまでの訓練が否定されることは隼人にとっても極めて残念なことであったからだ。
3日後の出陣まで隼人隊は休暇ということになったが、このことが悔しかったのか、多くの兵が訓練に精を出した。集団戦闘の訓練が最近あまりできていなかったので、ちょうどよい訓練となった。兵たちはブリュネ元帥を見返すんだと、心を1つに団結していった。
ただ、隼人はこの訓練にほとんど参加できなかった。アストンの街に駐留する貴族や騎士団の関係者に顔つなぎをしなければならなかったからだ。
とはいえ、公爵、伯爵クラスともなると半分は本人と面会できず、その部下の騎士と挨拶することになった。これには彼らの旧貴族としての特権意識とも無関係ではないが、彼らも彼らでいろいろと忙しいのである。いつ断絶するとも知れぬ新貴族の男爵に割く時間はなかなか取れないのである。
それに対して新貴族ばかりの子爵、男爵、そして王国の騎士団関係者や傭兵団長との顔合わせは和やかに行われた。彼らは新たな同志として歓迎してくれているようだった。また、旧貴族にはある程度いた、無能そうな、あるいは愚鈍そうな人物はほぼいなかった。考えてみれば当然である。新貴族は自らの能力で成り上がったのであるから、無能はそもそも新貴族にはなれないのである。
「出発!」
短くも忙しい3日間を過ごした隼人達は士気も高くアストンを出陣する。目的は敵陣営の強行偵察と、同じ任務を帯びた敵小部隊の撃破である。すでにいくつかの部隊がローテーションでこなしている任務だ。隼人達が貴い身分になってからの初めての戦いが迫っていた。




