第33話 カテリーナとのデート
帝国歴1791年6月4日、隼人達はガリア王国の前線都市、ヴェルダンに到着した。早速マリブールからの交易品とヴェルダンの交易品の売買交渉と宿の確保を行う。ケルンには7日に出発する予定だ。特に武具の破損などもないので、到着した日の内にヴェルダンでの仕事は終わる。
せわしなく働いたその日の夕食の席、アエミリアはさりげなくセオドアの隣に座る。隼人の乾杯の音頭の後、みなが夕食に手を付け始める中、アエミリアはワインで口を湿らせてからセオドアに話しかけた。
「セオドア、明日の予定は空いているだろうか?」
「明日ですか?そうですね…、この街での仕事は終わったので特にないはずです」
「そうか!それじゃあ明日1日、私と2人で色々と見て回らないか?」
「いいですけど…、何か理由でも?」
「いや、その…、セオドア、お前、明日は誕生日だろう?だから日頃の礼に、だな。うん。案内はできないのだが、お祝いに付き合ってやろうと思ってな。私もそれなりに容姿には自信があるから、誕生日に若い女性と2人きりというのも悪くないと思うぞ?」
アエミリアは男の誘いを断った経験はそれなりにあるが、男を誘った経験はないので歯切れが悪い。
「誕生日?ああ、そういえばそうでしたね。しかし、アエミリアさんほどの美人と過ごせるのは嬉しいことですが、私みたいな男と一緒では変な噂が立ちませんか?」
「いや、その程度かまわない。日頃世話になっているから、そのお礼がしたいのだ。…それに、そんな噂ならむしろ歓迎だしな」
最後は小声だったが、ばっちりセオドアには聞こえた。
「年頃の娘さんが噂をされて喜ぶのはどうなんでしょう?」
「い、いや、セオドアとの噂だからいいのであって、他の男との噂は勘弁だからな!?」
思わず赤い顔でカミングアウトしてしまうアエミリア。声が大きかったせいで周囲の注目を集めてしまう。周りに聞こえたことが分かり、赤面するしかないアエミリアだが、毒を食らわば皿までと、漢らしく行きつくところまで行く決心をする。
「セオドア!お前が変なことを言うからだぞ!責任をとって私の恋人になれ!」
「そんな無茶な…って恋人ですか?私と?」
セオドアはあまりの急展開に驚く。周囲も驚いていたが、驚いていたのはタイミングだけだ。いつかくっつくとはセオドアとアエミリア以外は全員予想していた。
「ああ、そうだ!私はセオドアが好きなんだ!だから私と付き合え!」
一方のアエミリアは完全にやけくそで告白している。女子の告白としてはひどいなんてものではない。
アエミリアの告白に呆然とするセオドアの肩をたたく者があった。隣の席に座っていたパウルである。
「美人にここまで言わせたんだ。責任とって付き合わなきゃ男じゃないぞ。もっとも、女にここまで言わせる時点で男としてどうかと思うが」
パウルの言葉にセオドアが再起動する。
「ええと…、アエミリアさん。ふつつかものですがどうぞよろしくお願いします」
「え、ああ、うん。こちらこそよろしく頼む」
どちらもぎこちなく言葉を返し、しばし沈黙が流れる。
「これじゃあ男と女が逆ね」
セレーヌのふと漏らした言葉につられて場が和やかな笑いと祝福の声に包まれる。ここに1組のカップルが生まれた。
「6日がカテリーナの誕生日だったよな?」
夕食も終わりかけたところで隼人が、隣に座らせたカテリーナに声をかける。
「ええ、明後日です。隊長、私のこともよろしくお願いしますよ」
カテリーナが照れくさそうに笑う。
「どこか行きたい所はないか?」
「そうですねぇ…、闘技場は時期を外していますし、特に思いつきませんね」
「闘技場って、また賭けをするつもりだったのか」
「誕生日くらい賭け事をしてもいいじゃないですか。あ、そうだ、夕食はお酒の美味しい店でお願いします」
「全く、お前らしいな」
カテリーナの主張に苦笑する隼人。とりあえず明日の夕方は酒を飲み歩いて店を探すことになりそうだった。
翌5日、セオドアが宿の1階でそわそわしながら待っていると、階段からアエミリアが現れた。普段の地味な、いかにも戦士なパンツ姿と違い、緑を基調とした綺麗なワンピース姿だ。彼女がそのワンピースを着ていた姿は見た覚えがなかったし、ワンピースも新品同様だったので、今日まで着る機会がなくお蔵入りしていたものだろうとセオドアは推測する。
「ま、待たせたか?」
アエミリアが恥ずかし気にセオドアに歩み寄る。
「いえ、それほど待ってませんよ。しかしお綺麗ですね。よく似合っています」
「あ、ありがとう」
アエミリアは顔を赤くしてうつむく。カタンツァーノにいた頃も散々容姿を褒められていたが、思いを寄せているセオドアからとなると話は別だし、ワンピースやスカートなど、女らしい服装は長年着用したことがなかったのだ。
普段の精悍で凛々しい戦士姿も美しいが、今の清楚で知的な姿も美しいとセオドアは思った。
「さて、そろそろ行きましょうか、アエミリアさん」
そう言ってセオドアが手を差し出す。アエミリアは戸惑いがちにその手をとり、セオドアが握りしめて宿を連れ出した。
その夜、2人は酔っぱらって帰ってきた。それも、アエミリアはセオドアの背中で熟睡していた。それを見たカテリーナがアエミリアを背負うのを代わろうとするが、アエミリアは結構な力でセオドアにつかまっており、しかも寝言で「離れたくない……」などと言っている。
セオドアはこれに苦笑してカテリーナに、アエミリアが泊まる女部屋への案内を頼む。翌日、アエミリアは女性陣から昨日の醜態をからかわれて顔を真っ赤にし、セオドアに何度も頭を下げることになった。もっとも、セオドアの方は本心から楽しかったと思っていたので、この時以来、しばしばセオドアの誘いで2人で飲みに行くようになる。
アエミリアが醜態をからかわれていたその日の朝、朝食の後にカテリーナが支度してくるのを待っていると、それなりに時間がたってからカテリーナが降りてきた。普段ははかないスカートをはき、上着は赤、スカートは白を基調とした服装だ。カテリーナは隼人を見つけると小走りに駆け寄る。
「スカートもなかなか似合っているじゃないか。綺麗だぞ」
「そ、そうですか?スカートなんて長くはいていなかったから少し不安で…」
「普段の元気のいい服装もいいが、こうしてみるとなかなかのお嬢様らしいじゃないか」
「そ、そんなにですか?」
隼人の褒め言葉にカテリーナの表情も思わずほころぶ。実はスカートは自分には合わないのではないかと悩んでいて時間をとったのだが、悩んだ価値はあったらしい。
「じゃあ行くか」
隼人から差し出された手を自然にとるカテリーナ。2人は並んで中央の商店街に向かった。
「うーん、なかなかいい品がないな」
2人は早速指輪を見繕うべく、宝飾品店を見て回っているのだが、なかなかお眼鏡にかなう品は見つけられない。全体的に品数が少ないように感じられる。この街はノルトラント帝国とアーリア王国に対する前線都市なので、武具の供給が優先されているようだ。それに、隼人達がいる店は上流階級向けで、そのような人物は大抵後方のサン・ローやロリアンに滞在し、そこで品物を求めるのでこの街では需要がなく、需要があったとしても受注生産だ。
「とはいえ、こんな店で指輪を買っていただくのは気が引けるのですが…」
カテリーナは自分とは縁のなさそうな店と品物に恐縮している。
「仕方ない、別の店に行こう」
その後も数店見て回ったが、カテリーナには妙に合わない品ばかりで、中の上までの店では特にこれといったものはなかった。ついでに言うと、カテリーナが恐縮してしまったのも原因だ。
「隊長、あの店ではどうでしょう」
カテリーナが繁盛している店を指し示す。その店は少し稼いだ傭兵が利用するような店で、上等な店ではない。せいぜい中の下クラスだ。
「別に遠慮はいらないぞ。カテリーナにはいいものを贈りたいからな」
「いえ、別に遠慮というわけではありませんが、私に似合うのはやはりああいう店ではないかと思いまして…。それに、良い店ではあまりいいものはありませんでしたし」
「それもそうか…。しかしケルンまで行けばいい品があるかもしれないぞ?」
「いえ、私は誕生日である今日、いただきたいのです」
「そういうものか。まあ見るだけ見るか」
とりあえずカテリーナの言い分を聞き、傭兵たちでごった返す店に足を向ける。
店内は繁盛していたが、やはり質の悪いものや下品な品物が多い。隼人とカテリーナは、やはりこの店も外れかと、ケルンまで指輪の購入を伸ばすことを検討し始める。
しかし諦めかけていたころ、ふと上品な雰囲気を醸し出す、シンプルな金の指輪が目に留まった。この店の中では高価な品物であり、あまりのシンプルさゆえに他の客の目には留まらない品だった。
その上品さとシンプルさに惹かれてその指輪を手に取る隼人。カテリーナも隼人につられてその指輪に見入る。隼人はしばし指輪を観察した後、おもむろにカテリーナの手をとり、その左手薬指にはめる。なかなかに似合っている。カテリーナも気に入ったようで、満面の笑顔だ。隼人は早速会計を済ませる。
実はこの指輪、この時代で将来宝飾品の大家となる人物の、無名時代の作であった。まだまだ荒削りな部分はあるが、その才能の芽はすでに芽生え始めており、このカテリーナの指輪は後世、彼の代表作の一つに数えられることになる。
2人は上機嫌で店を出ようとするが、やはり客層が悪い店なのだろう。
「おう、姉ちゃん。俺ならそんなちんけな指輪じゃなくてこんな豪華な指輪を買ってやれるぜ」
昼前から酒臭い大男に絡まれた。男は片手にカテリーナの肩をつかみ、もう片手には、宝石のようなものがごてごてとついた品のない指輪が握られている。
「だから俺と遊ぼうじゃねえか。俺ならその男よりいい思いをさせてやれるぜ」
男は酒臭い息をカテリーナに吹きかける。カテリーナは露骨に嫌そうな顔をするが、男の方はお構いなしだ。
「迷惑だからやめてもらえるか?」
隼人は努めて紳士的な言動でカテリーナをつかむ手を離させる。
「ああ!?俺を誰だと思っていやがる。俺はこの街じゃ英雄なんだぞ!殺した盗賊は100から先は数えてねえ。『ヴェルダンの怪物』とは俺のことだ!」
「すまんが聞いたことがないな。で、話はそれだけか?」
「けっ、よそ者かよ。見たところ、お前もそれなりに腕があるようだが、この街では俺に逆らわねえことだな」
男の言葉に隼人はスッと目を細める。
「ほう、その『ヴェルダンの怪物』とやらは『闘技場の殺し屋』より強いのかね?」
「『闘技場の殺し屋』?奴の噂はここのところとんと聞かねえ。死んだんじゃないのか?それともお前がそうだとでも言うのか?冗談言うな。さあ姉ちゃんは俺と遊ぶんだから、行った行った」
「それなら表でその噂の真偽を確かめてみるか?」
カテリーナをしつこく連れ去ろうとする男に隼人は苛立ち、臨戦態勢を整える。店の中では隼人の正体に気づいた者もいるが、肝心の男は酔いと喧嘩を売られた怒りでそこまで頭が回らない。
「お前が何者だろうとかまいやしねえ!表へ出るぞ!」
男は持っていた指輪を棚に投げ捨てて表へ出る。隼人もそれに続き、それをカテリーナが慌てて追う。
男は表へ出るとすぐに剣を抜いた。隼人は普段使いの両手剣は置いてきているが、短剣を持っている。しかし隼人は剣を抜かない。
「今更怖気づいたか!?さっさと剣を抜け!」
男もいきなり斬りかからないだけの分別はあるようで、隼人に剣を抜くように促す。
「ここで殺しはしたくないんでね。それにお前の実力なら剣なしでも十分そうだ」
「何おう!?そのおごり、後悔させてやる!」
男が斬りかかる。その斬撃は鋭い。『ヴェルダンの怪物』の名は伊達ではないようだ。しかし隼人はその斬撃を軽くかわす。男も数度斬撃を放つが、隼人はそれを見極めて避ける。そうして男の癖を見抜き、男の振るう片手剣を持つ腕を殴りつける。
カランと乾いた音を立てて男の剣が落ちる。己が剣を落としたことに驚愕する男の顎に、隼人はアッパーを叩きこんだ。
男は気絶し、そのまま地面に体を投げ出す。その時になって、近くの者が呼びに行った警備隊が駆け付けた。
その日の夕方、警備隊で厳重注意を受けた隼人達は、昨日隼人が目星をつけた酒場に向かっていた。
「…すまない。妙なことに巻き込まれてしまった」
「いいえ、私としては隊長が私のために戦ってくれたのは嬉しいことでしたから」
警備隊詰所に担ぎ込まれた『ヴェルダンの怪物』はほどなく目を覚ました。その時には酔いも醒めており、隼人とカテリーナを見ると、「すみませんでした」と頭を下げた。
どうやら彼は酒癖が悪い以外は人格に特に問題のない人物だったようで、酒さえ抜けるととても常識的な人物だった。『ヴェルダンの怪物』の名声はその意味でも伊達ではなかったようだ。お互いに冷静でなかったことを謝り、警備隊の説教を受けて散会となった。男の方は警備隊の常連らしかったのは言わぬが花だろう。
隼人が選んだ酒場は、気取ったところのない気安い、しかしどこか上品な雰囲気のある店だった。席に着くと、2人はとりあえずビールを、それから川魚の塩焼きや野菜や鶏肉の煮物を注文する。
「カテリーナの誕生日を祝って乾杯」
「乾杯」
2人は杯を合わせて酒を飲み始める。やや高めとはいえ、大衆酒場の類に入る店だから気楽なものだ。すぐに1杯目を空にし、次の酒を注文する。特にカテリーナはご機嫌だ。こんな店の雰囲気が好きなのだろう。酒のペースがいつもよりやや早い。いつしかそれに故郷の歌の鼻歌が混じり始める。隼人も今日はあえてカテリーナの酒を止めようとはしない。ちなみにいつもならここまでになる前に熊三郎が掣肘する。
酒が進み、そろそろカテリーナの呂律が怪しくなってくる。ちなみに隼人は酔いつぶれる前にソフトドリンクに切り替えている。今日は最後までカテリーナの面倒を見るつもりだ。
「だいたい隊ちょーは女性受けがよすぎるんですよー。優しくて、強くて、頼れて、わたしだってもっと隊ちょーと仲良くしたいんですよー。わたしなんて取柄がないから隊ちょーにあまり頼ってもらえないし…。ああー、桜さんの料理の腕が羨ましい。ナターシャとカチューシャなんて隊ちょーを兄あつかいしているし。梅子さんには剣でかなわない。くやしー」
カテリーナが酔いに任せてやきもちを妬き始める。
「おいおい、カテリーナも戦場では1隊を任せられるありがたい存在なんだぞ。そう自分を貶めるな」
「でもでも、最近はその戦いがないじゃないですかー」
隼人がいさめるがカテリーナのやきもちは止まらない。
「しかしカテリーナには感謝しているんだぞ。古くから俺のために働いてくれたじゃないか」
「んふー。実は隊ちょーとはわたしが一番長いんですよねー。これだけは負けません」
今度は一転して上機嫌になる。酔っ払いの相手は大変だ。
そんな楽しい時間もカテリーナが酔いつぶれたところで隼人により切り上げられる。隼人はカテリーナを背負って帰路に着く。背中に柔らかい感触とともに臭い息が感じられる。
しばらく歩いていると、酔いが醒めてきたのか、カテリーナがしっかりした口調でささやきかける。
「…隊長、今夜は一緒に別の宿で泊まりませんか」
「そ、それは…」
隼人はカテリーナの突然の誘いに驚く。
「いいじゃないですか。私は22。隊長は20。誰も咎めませんよ」
「い、いや。宿には帰ると連絡してるし」
「桜さん達が待っているから?」
「そういうわけじゃ…」
「私、このままじゃ隊長に恋い焦がれて嫁き遅れになるんですが…。責任とってくださいよ」
「いや、責任は取るつもりだが、まだ早いよ」
「早いか遅いかの違いだけじゃないですか。この意気地なし」
「うっ…」
カテリーナの押しに押し黙るしかない隼人。
「…冗談です。桜さん達に抜け駆けはできませんよ」
背中から苦笑する声が聞こえる。冗談には聞こえなかったが、冗談ということにしたいのだろう。
「…意気地なしですまん」
「知ってます。そんな隊長のことも好きなんですよ」
そう言ってカテリーナは隼人の肩に頭をのせる。
「隊長の背中、温かい」
カテリーナの呟きを最後に会話が途切れる。
そのまま隼人は歩き続け、宿の前に到着する。
「隊長、降ろして」
カテリーナも酔いが醒めて、よろめきながらも歩けるようになっている。
「隊長、今日はありがとうございました」
カテリーナが隼人の口を唇で塞いで抱き着く。隼人も抱擁を返す。初めてのカテリーナとのキスはとても酒臭かった。




