第3話 戦女神との邂逅
思えばおかしなところはいくらでもあった。まずあのチュートリアルクエストはなんだ?あのクエストで得た装備も、報奨金も、ゲーム中盤以降に相当する。日常生活もそうだ。たしかにトイレMODは入れたが、排泄MODは入れていない。なのに何度もトイレを使用した。傭兵に加入するMODだって入れていないのに勧誘された。
「ここは、異世界なのか……」
異世界。それはオタクと呼ばれる人種ならば誰もが一度は憧れる世界だ。しかし、隼人の口調には喜びはなかった。大学もまだまだ楽しみ切れていないし、親孝行だってしていない。それに、故郷から切り離されることがこんなに寂しいものだとは思わなかった。自分もいっぱしの愛国者だったのだなと自嘲する。
「それよりも、これからどうするか、だな」
ここがゲームの世界でないなら、死肉を求めて危険な獣が接近してくるだろう。早く死体から装備と金品を剥ぎ取って移動すべきだ。NPCではなく、“初めて”人間の死体から所持品をあさる。それはこの世界における通過儀礼であり、部下に裏切られたという事実とともに、確実に隼人の精神を蝕んでいった。
移動したおかげか、その夜は襲撃を受けることは無かった。翌朝、彼はロリアンに向けて出発する。本来なら途中の村々で護衛を雇うべきであったが、先日の裏切りのせいで軽く対人恐怖症になったようで、信頼できない赤の他人などを雇う気は全く起きなかった。隼人は街で捕虜を奴隷商に売り、戦利品と交易品を売り払う以外に、人と接触を持とうとしなくなっていた。
2週間後の夕刻、無精ひげで顔を満たした男が、ガリア王国首都、ロリアンの城門に現れた。中島隼人である。革鎧は返り血で黒ずみ、その目は生気があるとはとても言えないものになっていた。
隼人は入市税を支払うと、商業ギルドに向かった。行商の交易品は、その隊商が商会自前のものでない限り、全て商業ギルドで卸すのが決まりになっている。というのも、約450年続く戦乱により、治安が極度に悪化、盗賊が跳梁跋扈する一方で、領主の軍は戦争か、さもなくば戦闘による戦力の消耗の回復で手いっぱい。さらには行商人が軍の従軍商人として徴用されたり、大規模な隊商がそのまま傭兵として、護衛ごと国に雇われたりする。このため流通網が壊滅しており、行商人が少ないのだ。よって、商品の安定供給と値段の抑制のため、一度商業ギルドが購入し、それを適正価格で各商会に卸すのがこの大陸の商慣行となっている。
ちなみに、有力者を除けば、商人をはじめとする町人の多くは女性だ。理由は簡単で、ほとんどの男は“名誉ある職業”である軍隊にとられてしまうからだ。しかも軍人として大成するのは少数で、その多くは戦場の露と消えるか、脱走兵となって傭兵団や盗賊団を組織することになる。そして捕虜となって身代金が支払われなかったり、盗賊として生け捕りにされると、安値で奴隷として売却され、ガレー船の漕ぎ手や鉱山奴隷として一生を終えることとなる。
そんなわけで大陸全体で男手が不足しており、その結果として、不足する労働力を補うために女性の社会進出が進んでいるのだ。近年では“名誉ある職業”であるところの軍人も、都市の警備隊を中心に女性の進出が進んでいる。また、当然の結果として、まだまだ重労働である家事労働との両立は不可能であることから、サービス業がかなり発達している。ただし、その弊害として、故郷の味、おふくろの味とは食堂の女将の味を指すほど、家庭文化が衰退してしまっている。
さて、商業ギルドを出た隼人は、街一番の娯楽施設である闘技場に向かう。観客としてではなく、選手として稼ぐためだ。馬車一台の稼ぎでは限界があるし、チート能力を得た彼にとっては稼ぎやすい場所であった。もっとも、練習用の武器を使う方式ではなく、本物の武器を使う殺し合いに好んで参加するあたり、隼人は死にたがっているのかもしれなかった。
行商と闘技場で稼ぐ、そんな隼人は2カ月もすると、大陸西部ではちょっとした有名人となっていた。曰く、「一人で行商する無謀な商人」、「闘技場の殺し屋」、「盗賊の返り血を浴びる男」。そんな生活を続けていたある日、ガリア王国の東にあるアーリア王国西部で、隼人はある軍勢と出会った。
その日もバイエルライン・フォン・エーリカは盗賊狩りに精を出していた。彼女はアーリア王国北西部に領地を持つ女領主だ。青い瞳を持ち、美しい長い金髪を雑然と、しかし美しく背中に流している。いまだ16歳でありながら、母性の象徴はかなりのものだ。その容姿と軍事的才覚と剣術の腕から、“戦女神”とも呼ばれている。一方で戦にしか関心がなく、日頃から「剣と戦で勝った者しか夫として認めない」と公言し、家臣を困らせていたりする。そんな彼女は気まぐれに、路肩に馬車を停めて軍勢の通過を待つ、ひげ面の男に目を向けた。
軍勢を率いる女は遠目から見ても美少女だったが、近くで見るとまるで戦女神と見紛うばかりの美しさだった。そんな彼女に見惚れていた隼人だったが、たまたまその美少女と目があった。彼女は馬を止めて問う。
「お前はもしや『闘技場の殺し屋』、中島隼人ではないか?」
「はい。その通りです」
「そうか。俺はバイエルライン・フォン・エーリカだ。お前、俺と勝負しろ」
「はい?」
困惑する彼をおいてエーリカは続ける。
「武器は木剣でいいな?おい!木剣を持ってこい!」
そう言ってエーリカは馬を降りる。あれよあれよと言う間に模擬戦が決まった。こうなったらやるしかない。隼人は木剣を両手持ちに構えた。
先に仕掛けたのはエーリカだった。重い一撃を剣先で逸らす。これは全力でないとやられるな。
「ほう。なかなかやるな。勝てば褒美をくれてやる。今度はお前から掛ってこい」
その言葉に隼人は雄たけびをあげて斬りかかった。斬撃は軽くいなされたが、そのまま体格差を利用して体当たりする。エーリカはその衝撃を斜め後方へ受け流す。
「さすが『闘技場の殺し屋』だな。だがまだまだ!」
それからは斬撃の応酬だった。隼人が打ちこむとエーリカが受け流し、エーリカの反撃を隼人が紙一重でかわす。だんだんと熱くなる戦いにエーリカの軍勢はかたずをのんで見守っていた。その一方で当人たちの熱気は、特にエーリカの瞳から情熱が失われていった。
どれほどの時がたっただろうか。エーリカの最後の一撃を隼人が受けた時、隼人の木剣が折れた。
「…俺の勝ちだな。迷惑をかけたな。迷惑代だ」
そう冷たく言ってエーリカは中銀貨2枚を隼人に投げ渡した。
「前進!」エーリカは軍勢を手早くまとめるとすぐに西進していった。
「エーリカ様、先ほどの男、なかなかやりますな。我が軍に迎えても良かったと思いますが、なぜ声をかけなかったのですか?」
エーリカの側近であるパイパー・フリッツが問いかける。ちなみに大陸での名前の並びは氏、名前の順で統一されている。
「フリッツ、あいつはだめだ。あいつは確かに強い。だがあいつと剣を合わしてわかった。あいつに何があったか知らないが、心が死んでいる。あれは死に急いでいるな。ああいう奴は、俺は嫌いだ」
「…確かにあの男、目から生気が感じとれませなんだな。出すぎたことを申しました」
「構わん。腕が良いのは確かだからな。再び会った時、心が生きておれば我が軍に迎えよう。あいつが生きていればの話だがな」
隼人は過ぎ去って行く軍勢をぼんやりと見つめていたが、やがて東に向かって進みだした。目的地はアーリア王国首都、ケーニヒスベルク。そこで鉄を買い、北上、ノルトラント帝国首都、ノースグラードを目指すつもりだ。アーリア王国より東の盗賊は騎乗の者が多く少数では危険で、南のバクー王国は砂漠で環境が厳しく、盗賊もラクダに騎乗した者が多くさらに危険が大きいためだ。
中島隼人の人生に転機が訪れるのは3カ月後、年が明けて帝国歴1790年、その2月。ノルトラント帝国とアーリア王国の国境近くでのことだった。