第25話 カタンツァーノの女隊長
宴の翌日のロマーニ滞在の最終日、隼人達は出発の準備に追われていた。ロマーニは文化の中心地であるので、各種工芸品が特産だ。それらを注意深く荷馬車に積み込んでいく。部下たちも土産物や転売目的で小物を買っていく。
作業が一段落した隼人も土産物屋を見て回る。上等な宝飾品から、ロマーニ帝国の遺産と称する破片や陶片など、見て回るだけでも面白い。
隼人はふと、指輪を売る露店で足を止める。安物の指輪であるが、それを見て、指輪を桜達に贈ったらどうなるのだろうと考えた。ひょっとして左手の薬指につけてくれるのだろうか?そんな想像をし、自然と顔が紅潮する。
しかし7人の女の指に指輪をはめさせるとは、なんとも後ろめたい気分になる。この大陸では重婚が容認されているとはいえ、さすがに申し訳なく感じる。この世界に来る前の自分が聞きつければ、助走をつけて殴りかかって来るに違いない。
「あのー、旦那。買わないならどいてもらえますか」
店の主人に声をかけられる。隼人の身なりから客層が違うと理解していたので、売り込みはしなかったのだろう。しかし店の前に突っ立てられると営業妨害だ。
「す、すまん」
隼人は慌ててその場を離れる。
隼人はその後もあちらこちら見て回ったが、最終的に中の上、上の下あたりの宝飾品店の前で立ち止まる。散々迷った末、結局桜達に何か贈ることにしたのだ。
店の中でも隼人は散々悩み抜き、桜にはピンクの真珠をあしらった銀の腕輪を、梅子には白真珠をあしらった銀の腕輪を、カテリーナにはルビーをあしらった銀の腕輪を、ナターシャにはサファイアをあしらった銀の腕輪を、カチューシャにはエメラルドをあしらった銀の腕輪を、エーリカには凝った装飾が施された金の腕輪を、マチルダにはダイヤモンドをあしらった銀の腕輪を贈ることにした。さらに迷った末、セレーヌにもオパールをあしらった銀のネックレスを贈ることにした。他はもうきりがないし、エレナにはアントニオが何か贈るだろうから、これで終わりだ。
隼人が店を出たとき、すでに夕食が近い時間になっていた。隼人はこれらを贈るときのことを考え、いささか緊張気味に宿へ急いだ。
夕食は特に目立ったもののない、ごく普通の夕食だった。隼人の優勝祝いは一昨日やったし、明日は出発なので深酒もなしだ。
皆が食べ終わった頃合いを見て隼人は奮起して声を出す。
「さ、桜、梅子、カテリーナ、ナターシャ、カチューシャ、セレーヌ。渡したいものがある」
隼人は緊張気味に1人1人の手を取って右腕にそれぞれに買った腕輪をはめ、セレーヌの首にネックレスをかける。
「隼人さん、これは?」
桜が嬉し気に問う。
「ええと、これは日頃のお礼だ。たまたま色々見ていたらお前たちに何か贈りたくなってな」
隼人は恥ずかし気に答える。
「隼人さん、ありがとうございます」
「隼人殿、ありがとう」
「隊長、ありがとうございます」
「兄さん、ありがとうございます」
「お兄ちゃん、ありがと」
5人は嬉しそうに、しかしどこか気恥ずかし気に礼を述べる。
「…気持ちはもらっておくわ。ありがとう」
セレーヌは場違いな居心地の悪さを感じながら礼を言う。
「う、うん。喜んでもらえたなら何よりだ」
隼人も頭を掻いて恥ずかしそうに答える。
そんな光景を見ていたアントニオが覚悟を固めて立ち上がる。
「エ、エレナ!」
素っ頓狂なアントニオの呼びかけに、呼ばれた本人を含めて全員の注目が集まる。
「こ、これを、受け取ってほしい」
アントニオはエレナに小さな箱を手渡すが、その手は震えている。
「これは?」
受け取ったエレナは不思議そうに箱を開ける。中には黒真珠をあしらった指輪が入っていた。
「こ、これは…!?ありがとう、アントニオ。今度あなたの分の指輪も買いに行きましょう」
「やった!ありがとう、エレナ!」
アントニオは感極まってエレナに抱き着く。
「もう、アントニオったら」
エレナも優しく腕をアントニオの背に回す。
「おめでとう、アントニオ、エレナ(末永く爆発しろ)」
「おめでとう」
「おめでとうございます」
隼人達からも祝福の声が飛ぶ。その声に我に返ったアントニオが赤面してエレナから離れる。
「よし、今日は祝いだ。もう一品頼もうじゃないか」
隼人の提案で全員に焼き菓子が注文される。場は完全にお祝いモードになる。
そこへ隼人の下に熊三郎が近づいてきた。
「隼人殿も腕輪ではなく指輪にすればよかったのではないか?」
「ば、馬鹿を言え。そんな真似できるか!」
「しかし桜様達は羨ましそうに見ておるぞ」
「そ、そんなことを言われてもだな…」
「わしもひ孫の顔を見たいのじゃがな」
「お、お爺様!?」
熊三郎の言葉に今度は梅子が動揺する。
明朝出発だというのに、お祝いムードで楽しく夜は更けていった。
隼人達の隊商はロマーニを出立し、ロマーニ半島を南下、半島南岸の沿岸都市、カタンツァーノに向かう。1週間ほどの旅路だが、道中散発的な盗賊の夜襲以外はほとんど何事もなかった。せいぜいアントニオとエレナがいちゃつくところを見せられたくらいである。
カタンツァーノは、南端で2股に分かれるロマーニ半島の南湾の中央に位置する都市で、東のバクー王国と西のイベリア半島をつなぐ海運の要衝である。もっとも、ロマーニ帝国崩壊以来の海賊の跳梁跋扈で海運は停滞気味なので、少々活気が足りない。それでもタラント王国海軍の拠点として、そして南ロマーニ地方の中心地として栄えている。ここも北ロマーニ同様、工芸品の生産が盛んだが、北よりも農業、漁業が盛んであることが特色となっている。
隼人達はこの街で3日間滞在し、今度はタラント王国発祥の地、北ロマーニ地方西部のタラントを目指すことになる。
カタンツァーノ滞在初日の情報収集(という名の飲み会)のさなかのことだ。酒場の客がパウルの詩に聞き入っている時のことだ。
セオドアは、カウンター席でうかない顔をして酒をあおっている黒髪の若い女性を見かけた。すでにずいぶん飲んでいるようで、顔がだいぶん赤い。1度気にするとなんだかもやもやして放っておくことができず、いくぶんか迷った末に声をかけることにした。
「隣、よろしいですか?」
「…好きにしろ」
セオドアは許可を取って隣に腰かけ、酒場の主人に自分の分の酒を注文する。
「ずいぶんと景気の悪い顔ですが、何かあったんですか?」
「…お前には関係ないことだ」
「確かにそうですが、話せば楽になることもありますよ。それに私はよそ者です。よそ者相手だからこそ話せることもあると思うのですが…」
セオドアの言葉に女性は座った目でセオドアを見つめ、酒をあおる。
「…飲みすぎは体に毒ですよ。すみません、彼女にオレンジジュースを」
赤黒くなりつつある女性の顔にセオドアは危機感を覚え、ソフトドリンクをおごる。
「…何が目的だ」
女性は警戒感もあらわに鋭い目でセオドアを見据える。
「いえ、ただ何となく心配になりまして…」
「…おせっかいな奴だ」
セオドアの目を見て偽りなしと見た女性が面白くなさそうに目線を飲み物に向ける。
その後はソフトドリンクに切り替えた女性は無言で飲み続けた。セオドアもあえて口を出さず、女性が口を開くのを待つ。
夜も更け、隼人達が引き上げた後も2人は飲んでいたが、やがて女性は席を立つ。
「今日はもう帰らせてもらう」
「そうですか。私は明後日までこの街にいますから、付き合いますよ」
「…ありがとう」
そう言って女性は酒場を出ていく。
「そうだ、まだ名乗っていなかったな。私はセネカ・アエミリアだ」
「ああ!これは申し遅れました。私はスミス・セオドアです。セネカさん、また会いましょう」
「…アエミリアでいい。スミス、また明日飲もう」
「私のこともセオドアでいいですよ。明日もここで飲んでますから、ア、アエミリアさん」
セオドアの反応にアエミリアは微笑んで酒場を後にした。
「…マスター、彼女のこと、何か知りませんか?」
「セネカか?あいつは普段飲まないんだが今日はやけに飲んでいたなぁ。いやな、あいつはカタンツァーノ警備隊の中でも優秀なやつでな、あの若さですでに小隊長だ。最近じゃあ盗賊とつるんでいた商会を検挙したって話だ。元々孤児だったのに大したやつだよ」
「そうなんですか。ありがとうございます」
そういってセオドアは小銀貨を3枚ほど渡す。
「おいおい、こんな話、この街じゃあみんな知ってることだぜ。まあ嫌な噂は聞くけどよ」
「嫌な噂?」
「…ここだけの話だが、検挙された商会、領主の息子とつるんでいたそうなんだ」
「それは…厄介ですね」
「まあ本当かどうかはわからねぇんだけどよ、この話を知っている奴はみんな心配しているんだ。あいつは公平で優しいし、腕もたつ。何より美人だ。小さい時から知ってるからなおさら心配なんだよ」
「そうなんですか…。オレンジジュースを1杯」
「あいよ。兄ちゃんも飲みすぎるなよ」
「気を付けます」
オレンジジュースを飲み干したセオドアはややふらつき気味に宿の部屋へと向かった。
翌日の夜、隼人達がまたもや情報収集していると、酒場にアエミリアが入ってきた。セオドアは一言ことわりをいれて彼女の隣に座る。
「また会えてうれしいですよ、アエミリアさん」
「…ああ」
アエミリアはあまり元気がないようだ。昨日は酔いでごまかしていたのだろう。2人は静かに飲み始める。今日はセオドアが自身の生い立ちや近況について話し始める。硬かったアエミリアの表情もセオドアの話術に思わず緩む。彼女自身の事情はまだ話す気にはならなかったが、聞いているうちに気分が楽になるように感じられた。そして、外の広い世界への憧れも生まれていった。
「そうか…隊商もなかなか楽しそうだな」
「ええ、楽しいですよ。私を拾ってくれた隼人隊長には感謝してもし足りませんよ」
そこでしばらく会話が途切れる。アエミリアは何か逡巡しているようだったので、セオドアはしばらく待つ。
「…少し場を変えて、奥の席に行かないか?」
「いいですよ」
アエミリアの覚悟を決めたような言葉にセオドアはにっこりと肯定の言葉を返す。2人は注文した酒を受け取ってから酒場の隅の人気の少ないテーブル席に移る。
「…1週間前、この辺りを荒らしていた盗賊団とつながっていたある商会を捕まえたんだ」
アエミリアは緊張した面持ちで話し始める。
「するとそこでは領主の息子と商会主、盗賊の頭が密談していたんだ」
「そ、それは…。それで、どうしたんですか?」
「もちろん全員拘束した。無辜の民衆を苦しめていたんだからな」
アエミリアはだいぶん恐い物知らずのようだ。セオドアの顔が引きつる。
「詰所に連れて行ったら大騒ぎだったよ。でもな、警備隊長、領主の息子をその場で解放したんだ。警備隊長、公平な人物だったから尊敬していたのに!」
アエミリアは悔しそうにジョッキを握りしめる。
「その後警備隊長からは街を出るように勧められたよ。でも私は恥じることは何もしていない!それに外に出ようにも伝手がない…。私はこの街の平和が守られればそれで満足だったんだ」
そう言ってアエミリアはジョッキをあおる。
「…連中の処分は盗賊の頭は処刑、商会は解散になった。だが領主の息子はお咎めなし。しかも商会主はいつの間にか領主の息子の側近に収まっていたんだ!これが公平と言えるか!?」
アエミリアは顔を真っ赤にしながら続ける。
「しかもだ!私にこの街から追放されるか、領主の息子の愛人になるかどっちか選べと迫ってきたんだ!こんな理不尽があるか!」
アエミリアは悔し涙をこぼす。そんな彼女をセオドアは肩を叩いて慰める。
「…聞いてくれてありがとう。だがこの話は内密にと言われている。言いふらさないでくれ」
「わかりました。でも、それならうちの隊商に入ったらどうですか?私から隼人隊長に頼めばきっとうまくいきます」
「ありがとう。でもこの街に愛着もあるしな。どうしたものか…」
アエミリアは考え込む。
「…アエミリアさん。あまり言いたくはありませんが、このままだとあなた、殺されるか、良くて投獄されますよ」
「何故だ?」
セオドアの言葉にアエミリアはキョトンとした顔になる。その顔が可愛らしく、セオドアは顔をさらに赤らめてしまう。しかしアエミリアのために真摯に言葉をつづける。
「これは領主にとって大きな醜聞です。緘口令が出ているのは当然として、関係者を闇に葬ることは十分考えられます。領主の息子が関わっていることを知っているのは何人ですか?」
「いや、領主の息子はあまり顔が売れてないからな。それがわかるのは私と警備隊長くらいだ。…まさか!?」
アエミリアの顔が青くなる。
「警備隊長も危ないでしょうね…。それに、我々の仲間になってくれるのなら秘密裏に、迅速に行動した方がいいでしょう」
「…でも、それならお前たちに迷惑がかからないか?」
アエミリアはうつむきがちにセオドアに問う。
「そこはもう私が頭を下げて何とかしますよ」
セオドアはアエミリアを安心させるように笑顔で言う。
「ふふ、ありがたい話だな。…少し付き合ってくれないか。警備隊長と相談したい」
「いいですよ」
セオドアは気のいい返事を返し、隼人にことわりを入れてからアエミリアとともに酒場を出た。
「警備隊長!何故です!」
詰所の1室でアエミリアの声が響く。
「…私にも家族がいる。家族を置いていくわけにはいかん」
警備隊長は初老の男性だった。
「それでは…!」
「…私は家族のために信念を曲げるつもりだ」
「…!?」
想像もしなかった警備隊長の言葉にアエミリアは絶句する。
「お前はまだ若い。お前は信念を曲げずに生きろ。こんな誠実な青年がいるんだ。いい隊商なんだろう。せっかくだから世界を見てこい」
「そんな…、そんな!」
アエミリアは父のように思っていた人物の思いがけない言葉に悲嘆にくれる。
「アエミリアさん…」
セオドアもかける言葉が見当たらない。
「セオドアと言ったな。君は誠実な人物のようだ。なに、私ほど経験を積めばわかる。不器用な奴だが、どうかアエミリアを頼む」
「…わかりました。私が責任をもってアエミリアさんを隼人隊長の隊商で働かせます。隼人隊長も誠実な人ですから、きっと上手くいきます」
「セオドア!私はまだ行くとは決めてないぞ」
「アエミリア、これは運命だ。これほどの好機はない。もしこの街に未練があるなら偉くなって帰ってこい。信念を曲げずに済むくらい偉くなって帰ってこい!」
「警備隊長…、わかりました。ですが必ずここに戻ります。それまでお元気で」
「ああ、それじゃあな」
アエミリアも警備隊長もこれが今生の別れになるであろうことはわかっていた。それでも再会を約して敬礼する。
「セオドア、これから世話になる。これからよろしく頼む」
アエミリアはセオドアに頭を下げる。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。とはいえこれから隼人隊長に頼みにいかなければならないんですがね」
セオドアはアエミリアと握手し、警備隊長に頭を下げて退室する。警備隊長は2人が退室した後もしばらくドアを見つめていた。
セオドア達が酒場に戻ると、すでに飲み会は佳境に近づいており、皆だいぶん出来上がっていた。
「隼人隊長、少し頼みがあるのですが…」
「頼みってなんだ?」
隼人は赤い顔でセオドアに続きを促す。
「彼女を、アエミリアさんを隊商に加えていただけませんか?ただ、彼女はこの街で厄介事に巻き込まれていまして、今後しばらくはこの街での商売はできなくなると思いますが…」
セオドアの言葉に隼人は少しばかり思案する。
「…まあコンキエスタ教皇領でのこともあるし、多少厄介事が増えても構わないだろう。それにセオドアが連れてきたんだから悪人ではないだろうし。ところでお嬢さん…アエミリアさんだっけ?君は何ができるんだ?」
「私はこの街の警備隊の小隊長です。盗賊討伐も何度か経験があります。小規模な歩兵隊の指揮と訓練なら出来ます」
隼人の質問にアエミリアは姿勢を正して正直に申告する。
「ふむ、じゃあ護衛隊の一部なら任せられるか。それほどの人材なら歓迎だ。よろしく頼む、アエミリア」
酒に酔った隼人はその場の勢いでアエミリアを部下にすることを快諾する。
「あっ、隼人隊長、彼女は訳ありなので出発直前まで内密に願います」
「そうか、みんな聞いたな。今度このアエミリアさんが我々の仲間に加わるが、出発まで内緒だぞ」
隼人の言葉に桜達が頷く。
「よし、アエミリアさん。出発は明後日の朝だ。それから先は俺の部下として扱う。遅刻するなよ」
「ありがとうございます」
隼人の気のいい言葉にアエミリアが頭を下げる。ちなみに翌朝、酔いがさめた隼人はセオドアから詳しい事情聞き、頭を抱えることになるのだが、受け入れを撤回しなかったのだから隼人もそれなりに度量がある。
2日後の朝、前日に荷造りと、世話になった孤児院などへの挨拶を終えたアエミリアが合流する。
「隼人隊長、これからお世話になります」
「うむ、アエミリア、今日からお前は俺の部下だ。よろしく頼むぞ」
「はい!」
アエミリアはまず隼人に挨拶する。
「セオドア、チャンスを与えてくれてありがとう。これからもよろしく頼む」
「アエミリアさん、こちらこそよろしくお願いします」
アエミリアはセオドアと馬を並べて故郷を後にした。




