第22話 吟遊詩人と亡命者
ケルンを出立する日の朝。城門までエーリカが見送りに来ていた。隊商の全員が城門を抜け、隼人はエーリカに別れの挨拶をする。
「エーリカ、世話になった。しばらくは会えなくなるが、また必ず来るよ」
そう言って隼人は握手に右手を差し出す。エーリカはその手を取ると、そのまま隼人を抱き寄せた。
「しばらくは寂しくなるな。だが絶対に帰って来いよ。俺はここで待っているからな」
そう言ってエーリカは人目も気にせず隼人を強く抱きしめる。隼人もおずおずと抱擁を返し、右手でその美しい金髪を漉く。女体の柔らかな感触と甘いにおいが隼人の理性をすり減らそうとする。
「ああ、必ず戻ってくる。その時はまたワインでも飲もう」
「模擬戦もだ。鍛練を怠るんじゃないぞ」
そう言ってエーリカは隼人の背中を叩いて体を離す。温かな体温の残り香が寂しい。
「あ、ああ。じゃあ元気でな」
いつまでも立ち尽くしているわけにもいかないので握手してそう答える。
「ああ、隼人も元気で」
エーリカの答えに隼人は馬上の人となる。途中何度か振り向き、手を振りあった。
「出発!」
隼人が先頭に立ち、南へ向けて出発する。目指すはケルンから南に1週間、バクー王国とアーリア王国の国境をなすビハール山脈の麓、アルゲン河沿いの都市、メドラーツだ。
と、そこで隼人は背中に冷たい視線を感じる。ふと振り返ると女性陣がいかにも不機嫌です、と表情をあらわにしていた。熊三郎はそれを面白そうに見ており、セオドアは明らかにこの雰囲気にしり込みしている。
「な、何か不満でもあるのか?」
隼人は馬首を並べて問いかける。
「別に、何でもありません」
桜がそれに答えるが、口と表情が真逆である。
「それにしても、まるで恋人同士のようなやりとりでしたわね」
セレーヌがそう言ってからかってくる。
「なっ!」
隼人は顔を真っ赤にするが、反論できない。考えてみれば、自分でもドン引きするくらいのリア充っぷりである。その様子に桜達はますます機嫌を悪くする。
結局、その日は桜達の機嫌は直らなかった。その日の隼人の食事は量が少なかったことを明記しておく。
1週間後、隼人達は予定通りにメドラーツに到着した。メドラーツ周辺には、通行困難なビハール山脈に居を構える盗賊団がたびたび出没し、治安が悪いと聞いていたのだが、さすがに約150人にのぼるキャラバンを襲う盗賊団はいなかった。
メドラーツに入り、さっそく商業ギルドで交易品の売買の交渉をする。この際、婉曲に麻薬の取引を勧められたが、これは断った。この時代、大陸では麻薬は禁じられていないのだが、高価でかつ忌避される商品であったし、現代日本の感性を持つ隼人にとっても扱いたくない品であった。なので無難に銅などを取引する。
ちなみにビハール山脈は、アーリア地方とバクー地方を隔てる、軍の通行が困難な地形であるため、両者を支配する国同士の衝突はまれではあるのだが、治安警備が行き届いておらず、帝国分裂期から無法地帯になっている。それで麻薬の栽培や奴隷取引が両者の麓の都市で活発なのだ。
交渉を終えた隼人達は夕食後、酒飲みメンバーを連れて酒場で情報収集を行う。この街は麻薬取引が活発なだけに治安が悪く、非酒飲みメンバーには宿で休息を取るように固く言いつけ、部下達にも外出はなるべく控えるように通達している。
店主との情報交換を終え、テーブルで談笑しながら辺りの会話から役に立ちそうな情報を集めつつ情報の分析をしていると、1人の男が近づいてきた。先ほどから酒場に娯楽を提供している吟遊詩人だ。
「こんばんは、みなさん。何かご希望の詩はありませんか?」
視線が隼人に集中する。隊長である隼人が注文しろと目が言っている。
「…すまない。詩にはあまり関心がなくてな。何かいい詩を知らないか?」
隼人は仲間達に問いかける。隼人は芸術にはそれほど関心はなかったし、この世界に来て1年とちょっとしかたっていない。この世界の詩の知識を求めるのは酷だろう。
「じゃあ、マルクス皇帝の即位を」
隼人に代わって梅子が希望を出す。マルクス皇帝とはロマーニ帝国の初代皇帝のことだ。
「梅子は子供の頃から好きじゃったのう」
熊三郎が梅子の昔に思いをはせる。顔を赤らめた梅子が「いいじゃないですか」と顔をふくらませる。
「ではマルクス皇帝の即位、歌わせていただきます。
弾圧者 そは元老院 搾取者 そは大貴族
人民を 誰か守らん 弱き者 誰か助けん
護民官 その名マルクス 人民を 擁護せる者
ユリウス家 長のマルクス 戦うは 共和国のため
総督を ガリアに持つは 文明を 広げんがため
人民は 口々に言う マルクスは 第一人者
マルクスは 民を守らん 守護者 人民の星
……」
マルクス皇帝がロマーニ共和制を打倒し、ロマーニ帝国を打ち立てる歴史を歌った詩らしい。彼の偉業を讃える詩を静かにグラスを傾けながら聞く。声はいまいちだが、彼の詩には何かしら心を踊らされるものがあった。
熱中すると、存外時間は短く感じるものだ。気がつけばマルクス皇帝が元老院を解散させ、帝位について詩が終わった。酒場のあちこちから拍手が起こる。
「私はシュタイナー・パウルと申します。見ない顔ですが、ひょっとして今日来られた隊商の方ですか?」
吟遊詩人が自己紹介をしながら、断りも入れずに椅子を熊三郎と梅子の間にねじ込んで席に加わる。梅子との距離が近かったが、梅子は黙って反対側の隼人の方に椅子を寄せ、今度は隼人と肩が触れ合わんばかりとなる。隼人はそれに少し胸が高鳴るのを感じた。梅子の様子をそっと窺うと、梅子も少しばかり顔の赤みが増しているように見えた。
そうしてばかりもいられないので、隼人も自分と仲間達を紹介する。
「その通りだ。俺は中島隼人で、こっちは梅子、カテリーナ、熊三郎にセオドアだ」
するとパウルは興奮して隼人と梅子の手をとって言った。
「おお!あなた方が『闘技場の殺し屋』に『異国の剣士』ですか!いや、ともに行商をしていると風の噂に聞きましたが、このようなところでお会いできるとは!特に隼人さん!短期間に大キャラバンを率いるようになるなんて!一度お会いして、あなたの詩を作ってみたかったんです!」
ついには両手で隼人の手を握り、大きく振って感激を伝えてくる。隼人はその興奮について行けず、ただ「そ、そうか」とうなずくことしかできない。
「そうだ!私を隊商に雇ってくれませんか?剣の腕は並ですが、みなさんの憮興を慰めることはできますよ。この街に着く前はいろんな隊商について旅をしていましたから、迷惑はかけません」
仲間達はパウルの突然の態度と要望に面喰っている。特に彼の隣の梅子は彼から身を離そうと、今では隼人にピッタリとくっついている。鍛えているが、しなやかな体の感触が服越しにも伝わる。
そんな雑念と戦いながら隼人はパウルの要望を吟味する。
隊商そのものには彼は大して寄与しないだろう。しかし護衛の中にも戦いが上手でない者もいる。それに、これほどの大キャラバンとなれば、1人くらい足手まといが増えたところで大勢には影響はないだろう。むしろ娯楽要員の存在は隊商の士気を高揚させ、良い影響の方が大きいだろう。
「わかった、わかった。うちで雇おう。明日出発だぞ。だがこの街はもういいのか?」
「ええ、実はコレの問題で少しこの街に居づらくなっていまして…」
そう言ってパウルは右手の小指を立てて見せる。男女関係のトラブルらしい。
「はぁ、うちでそういう問題を起こされたら困るぞ」
「そ、それはもう気をつけます。ですからどうか、雇ってください」
そう言ってパウルが頭を下げる。しかし梅子へ接近したところを見ると、どうもまたその手のトラブルを起こしそうな気もする。隼人は、「どうする?」、と目で仲間達に問う。
梅子とカテリーナの顔には反対と書いていた。セオドアは賛成のようだ。そこに熊三郎が口をはさんだ。
「わしに任せてはくれんか?吟遊詩人を入れることには反対ではないし、こ奴は吟遊詩人としては有能な部類じゃ。じゃが問題とやらは詳しく聞かねばなるまい。わしが酒を酌み交わしながらじっくりと聞いてやろうじゃないか」
そう言うと熊三郎は断りもせずにパウルを連行してカウンター席に向かった。ここは年の功に任せていいだろう。熊三郎を欠いた隼人達は再びゆったりと酒を飲みなおし始めた。
翌朝、集合をかけると、熊三郎の隣に元気のないパウルがいた。どうやらあの後熊三郎にこってり絞られたらしい。
そんなパウルを加え、隊商は国境を越え、教皇領のコンキエスタに向かう。コンキエスタまでは2週間の道のりだ。それを途中の街や村で交易を行いながら進む。道中ではパウルの詩は好評を博した。懸念された女癖に関しては熊三郎が目付役になっていてくれていたので特に問題は起こらなかった。
こうして隼人達は、時折襲ってくる無謀な盗賊を返り討ちにしつつ、コンキエスタに進む。パウルは戦闘が得意でもないのにも関わらず最前線に躍り入り、後でその光景をスケッチしたり、自作の詩にして隊商を慰め、好評を得た。パウルはなかなか得難い吟遊詩人だと隼人は思った。パウル自身も戦闘を生で描写できることに喜びを見出しているようだった。
隼人達は一層にぎやかになった旅も終り、コンキエスタの中心にそびえる巨大聖堂の尖塔が見えてきた。時に帝国歴1790年11月半ば、大陸でも温暖な気候であるここ、コンキエスタでも、だんだんと肌寒くなってくる頃だった。
コンキエスタでは3日間滞在することにする。途中の街や村では隊商の規模に対して宿の収容能力が不足し、十分な休養をとれなかったので、大都市で英気を養わせる必要があった。
今回も隼人達は先行して街に入り、商業ギルドで積み荷の交易と宿の手配を行う。商業ギルドでは積み荷の売買交渉の前に免罪符の購入を強制された。どうやら教皇領ではバクー王国との戦争での戦費を賄うため、商業ギルドや隊商に免罪符の購入を『要請』し始めたらしかった。安くない出費であったが、やむなく払う。メドラーツといい、コンキエスタといい、復路では交易ルートを再検討すべきかもしれない。
コンキエスタはウェル河沿いの都市で、およそ300年前、ロマーニ地方を治めるイベリア王国とバクー地方を治めるバクー自治部族連合が和議を結んだ時、バクー地方領内の聖地奪還を諦めないソラシス教主戦派が両者の緩衝地帯に建設した宗教都市だ。この小さな宗教国家が今なお存続し、戦争を続けているのは、他ならずソラシス教徒からの寄付金と志願兵、そしてバクー地方での内紛のおかげである。
さらには多くのソラシス教徒の知識人が集まる学術都市でもあり、そしてバクー地方と聖戦を続ける軍国都市である。過去に何度も聖戦をソラシス教国家に呼びかけており、その度に人々が訪れ、コンキエスタの街を発展させている。
その反面、免罪符の発行が横行しており、教会関係者の世俗化も激しい。その一方で教会の教義に反する聖職者や学者が宗教裁判にかけられ、奴隷とされたり、死刑になったりしている。そのため特にこれを嫌った聖職者達が築いたのが、ブリタニア、ガリア、アーリアで信仰されるソラシス教清教派である。コンキエスタは活気のある街というだけでなく、軍事、学術、宗教において常に緊張にさらされている都市でもあった。隼人達はそんな街を散策しながら休日を過ごした。
そんな休日の最終日の夕方、隼人達を訪ねる、フードで顔を隠した2人の若い男女の姿があった。何事かわからないので、とりあえず隼人は幹部に招集をかける。内密の話と言うので隼人の部屋に案内する。隼人は隊長ということで部屋は多少大き目だが、所詮1人部屋なので全員が集まると少し手狭だ。いや、はっきり言って狭い。両隣りの桜とナターシャにいたっては肩がくっついていて少し居心地が悪い。
「まあ、とりあえずそちらの素性を明らかにしてもらおうかな?」
こちらの出方をうかがう2人に穏やかに話しかける。とはいえこちらは全員帯刀しているのでかなりの威圧感があるだろうが。
2人は顔を見合わせ、決心したようにうなずくと、フードを下ろした。すると茶髪の20代半ばの男と黒髪の20代前半の女の顔が現れた。どちらの顔つきも整っていると言っていい。
「私はフランコ・アントニオと申します。学者です」
「私はサモラーノ・エレナと申します。修道女です」
2人は堂々たる態度で短い自己紹介をする。
「フランコ・アントニオにサモラーノ・エレナ…、ああ、そういえば指名手配にそんな名前があったな」
梅子が思い出したように口にする。
「ええ、その通りです。私達は教会に追われています」
「そうですか…。いったい何をやらかしたんですか?」
白状したアントニオに隼人が問う。
「私は地動説を擁護した罪で」
「私は植物と家畜の交配……それによる近親相姦幇助の罪です」
アントニオとエレナがそれぞれ答える。
「それに、私達は日ごろ教会の行いを批判してきたので、それも追われている理由だと思います」
アントニオがそう付け加える。
「それで?指名手配犯が私達に何の御用ですかな?」
「亡命を…、あなた方の隊商に参加させていただきたいのです」
「断ると言ったら?」
「…禁忌ですが、心中するしか…」
ここでしばらく重たい沈黙が流れる。隼人が水を一口飲む音がことさら大きく聞こえた。
「…隊商に参加するなら、何ができますか?」
「!?では、参加を認めさせてくださると!?」
「待って下さい。まだ認めたわけではありません。あなた方を助ける価値があるかどうか、それを見極めなければなりません」
「そ、そうですよね。エレナは生物学を学んでいるほか、薬学にも長けていますので、薬草の調合でお役に立てるかと。それに治癒魔法の技量もかなりのものですから、連れていけばきっと役に立つはずです。せめてエレナだけでも」
「アントニオ!アントニオは工学系の学者で、技師としての腕もありますから馬車の整備などでお役に立てるはずです。アントニオの方を連れて行ってあげてください」
2人は互いの長所を褒め合い、相手だけはと助けようとする。
「わかりました、わかりました。指名手配犯を1人抱えるのも2人抱えるのも同じです。お2人の価値をもって決めさせていただきます」
そう言って隼人は仲間達に目線で意見を求める。
「免罪符のことを考えれば、コンキエスタでの商売ができなくなっても、それほど損にはなりませんね」
セオドアが経営面から意見する。
「私は参加させた方が愉快ですね。いい詩の題材になりそうだ」
とはパウルの弁。
「私は、できれば助けてあげたいです。判断は隼人さんにお任せしますが…」
桜が上目遣いで意見してくる。あまりの破壊力に胸が高鳴り、気恥ずかしくなって顔を反対に向ける。
「私も、助けてあげたいです。兄さん、どうにかしてあげられませんか?」
ナターシャも上目遣いだ。思わず目を泳がせ、他の者達に意見を求める。
「…わたくしはいやだ、なんて言える立場ではありませんわ」
セレーヌがあきれ顔で言う。
「あたしは助けてあげたい!」
こういうのはカチューシャ。
「拙者はあまり危ない橋を渡って欲しくはないのだが…。まあコンキエスタから出られさえするのなら別にかまわない」
「私は隊長に従うまでです」
とは梅子にカテリーナの意見。
「ふむ、荷物にまぎれれば何とかなるじゃろう。露見すれば見捨てざるを得んがの」
熊三郎が密航の提案をする。
「まとまったな。私としてもあなた方の才能は世の中から消えるべきではないと思う。歓迎しよう。その代わり、今から俺が君らの上司で、隊長だ。俺の指示に従ってもらうぞ」
隼人が手を打って締める。
「「ありがとうございます、ありがとうございます」」
2人は隼人の手を握って感謝する。なかなかに追い詰められていたようだ。
「今日のところはここで宿をとり、明日に備えてくれ。明日の脱出が本番だぞ」
「拙者が手続きしてくる」
隼人の言葉に梅子が行動を起こす。どういう教育を受けてきたのかは知らないが、梅子はこういう非正規な分野も得意としている。
翌朝、アントニオたちには木箱に隠れてもらい、検問に並ぶ。事情を知る者達は緊張したが、どうやら出る方は入る方よりも警戒が薄いらしく、案外簡単に突破できた。案ずるより産むが安しだ。
西に向かい、コンキエスタが遠くになってから2人を木箱から出す。すると2人は密着する体勢になっていたせいか、顔を真っ赤にしていた。




