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第21話 戦女神の夜

 ケルンでの5日目は再び訓練だった。今日はケルン郊外で人数を集めての訓練だ。部隊対抗での模擬戦も予定されている。まずは自由に相手と組んで1対1の模擬戦だ。エーリカは当然のように隼人を相手に指名する。これは隼人も望むところだ。エーリカとは実力が拮抗しているからやりがいがある。

 エーリカの合図で模擬戦がそこそこで始まる。互いに木剣を振るい、受け流す。あるいは体当たりをし、握りの部分で突く。気付けば模擬戦とはいえ、ずいぶん実戦的になっている。

 幾度も剣戟を交わしていたが、エーリカが少々無理な姿勢で斬撃をする。それを隼人は見逃さず体当たりをかけ、エーリカの体勢を崩し、喉元に木剣を当てた。周囲でどよめきが起こる。どうやら監督すべきエーリカと隼人が模擬戦に熱中してしまったため、エーリカの側近であるパイパー・フリッツが適当なところで模擬戦を切り上げさせていたらしい。これは指揮官として失格である。


 「すみません。少し熱中しすぎました」


 隼人はそうエーリカに謝る。


 「あ、ああ、そうだな。俺も少し夢中になっていた」


 エーリカが顔を赤らめて言う。そこまで恥じることはないのに、と隼人は思う。


 「隼人、そろそろ退いてくれないか。ここでは人目がある」


 隼人は意味がわからずなんとなくエーリカを見下ろす。上気した顔は相変わらず美しい。平原に広がった美しい金髪はまるで麦の穂を思わせる。そして目を下ろすと、左手が急に柔らかな感触を伝えてきた。隼人の左手がエーリカの大ぶりな丘を押さえつけている。

 隼人は慌てて手を退け、エーリカを助け起こす。


 「す、すみません。気付きませんでした」


 隼人が頭を下げる。


 「隼人…お前でなければ手討ちにしているところだぞ。この責任、いずれ取ってもらうぞ」


 「せ、責任って…はい!とらせていただきます!」


 隼人はエーリカの眼力に逆らえずに返事をする。


 「そ、そうか。では身を固める気になったら来るのだぞ」


 どうやら言質を与えてしまったらしい。桜達は羨ましそうに見ている。この世界ではまともな男が不足しているため、例外扱いではあるものの、一夫多妻が普通だ。だから隼人がとられる、ということはないが、羨ましいものは羨ましいらしい。熊三郎はこのありさまを見て、「誰が正室になるかでもめるじゃろうな」と思った。



 そんな事件はあったが、訓練は続く。しかしフリッツなどは、主君の相手が決まったとえらく上機嫌だ。一方の当事者であるエーリカは訓練が始まるとすぐに気分が切り替わっている。やはり戦闘狂という人種なのだろう。一番心穏やかではないのは隼人らしい。

 それはともかく、次の訓練は陣形を組む訓練だ。横陣を組んだり、傘型隊形をとったり、そのまま行進したりする。騎兵に歩兵が対抗するには列を乱さないことが必要なので、かなり重要で、それなりに難しい。このあたりは錬度の差がはっきり出て、隊商の片手間に訓練と戦闘を行ってきた隼人隊がもたつく間に、専業で訓練と戦闘を行うエーリカの正規兵は整然と陣形を組んで行進始めている。

 隼人がテルシオを組ませていると、エーリカがやってきた。


 「隼人、その陣形は?」


 「テルシオです」


 「テルシオ、聞きなれないな。しかし前に見たことがあるような…。ああ、お前と戦った時か。あの戦いはなかなかだったぞ」


 どうやらこの世界ではテルシオはまだ発明されていないらしい。


 「ありがとうございます。騎兵にはめっぽう強い陣形ですよ」


 「だろうな。騎兵で崩すのは苦労しそうだ。しかし一方で機動力がなく、それゆえ射撃からも逃れづらい」


 「その通りです」


 「しかし有用なのは確かだ。よし、今回の訓練で試してみるか。しかし隼人よ、俺達はその、婚約者みたいなものなのだから他人行儀な話し方は止めてくれ」


 「し、しかし侯爵様に敬語を使わないというのも…」


 「では侯爵として命令する。俺に敬語を使うな」


 「そんな…。わかりましたよ、いやわかった。他の貴族のいない場でなら敬語は使わない」


 「むっ、まあそんなところか。よろしくたのむぞ、隼人」


 「こちらこそ、エーリカ」


 エーリカは上機嫌で自分の部隊に戻って行った。上機嫌な理由はテルシオを知ったからか、それとも隼人と親しく話せるようになったからか、それとも両方なのか。

 この後隼人は隼人隊の訓練にエーリカ隊へのテルシオの指導と忙しく駆け回った。




 午前の訓練が終わると昼食と休息をとり、いよいよ部隊対抗の模擬戦だ。平原にお互いが距離をとって対峙する。数は同数、歩兵100に騎兵42だ。中央に歩兵を置き、両翼に騎兵を配置する。とはいえ隼人隊が錬度で大幅にエーリカ隊に劣ることが明らかになっている。このまま普通にぶつかれば負けは目に見えている。

 そこで隼人は左翼に25、右翼に10、予備に7騎の騎兵を置き、歩兵は中央に70、右翼に15、予備15を置いた。右翼騎兵を歩兵に支援させることで時間を稼ぎ、その間に左翼騎兵で突破し、包囲してしまう計画だ。左翼騎兵には熊三郎、梅子、カテリーナなどの精鋭を配置する。



 エーリカの合図で戦闘が始まった。こちらはほぼ横陣、エーリカはどうやら斜行陣のようだ。どうやら左翼を強化、つまりこちらの右翼を喰い破ろうとしているらしい。

 両翼で騎兵同士の戦いが始まる。左翼騎兵はこちらが押しているが、右翼騎兵は歩兵が接触するころには半分が戦死を自己判定して戦線を離脱していた。やむなく歩兵5を右翼に増援し、急ぎ右翼騎兵を救援するように命じる。これで敵左翼の攻勢は緩まった。

 ところが頼みの左翼騎兵は敵歩兵の増援に遭い、攻勢がとん挫仕掛けている。左翼の攻勢がうまくいかなければ右翼か中央が喰い破られるだけなので、すぐに予備騎兵7騎全てを左翼に投入することにした。

 しかし再興しかけた左翼の攻勢も敵の猛烈な抵抗で突破はできなかった。いよいよ後がなくなってきた。冷や汗が垂れる。勝てないまでも、エーリカに無様な姿をさらしたくない。

 予備兵力がほとんど消耗し、打つ手がなくなってきたころ、右翼騎兵・歩兵連合部隊と中央歩兵右翼の間に間隙が生じてきた。おそらくエーリカはここに予備隊を投入し、隼人隊を分断してくるだろう。隼人は最後の予備兵力である歩兵10を直率して間隙に急いだ。



 はたしてそこでは10騎の騎兵が間隙から中央歩兵隊に襲いかかろうとしていた。隼人達予備隊は全力で救援に向かう。しかしその結果隊列が縦に伸びてしまい、打撃力を発揮できなかった。ようやく隼人が1騎戦死判定をくらわしただけだ。そこを反転したエーリカ予備隊に襲われる。


 「隼人か!その首、もらった!」


 エーリカ予備隊はエーリカが直率していた。当然、彼女もここが勝敗分岐点と理解しての行動だろう。馬上で槍が振るわれる。落馬の危険が大きいので突きはなしだ。


 「そうはさせん!」


 そう言って隼人も槍を振るうも、あっという間にエーリカを含めて5騎に囲まれる。隼人は散々に打ちすえられ、早々に戦死判定を宣言させられる羽目になった。

 そこから隼人隊は士気が崩壊し、次々に戦死判定、降伏を宣言し始め、あっけなく負けが決まった。 隼人隊は全滅判定となった。エーリカ隊は右翼でそれなりの被害をだしたものの、戦死判定は騎兵11、歩兵13にとどまった。




 周囲では桜を中心に負傷者の手当てが行われている。軽傷ばかりだが、後の行動に障りがあっては困る。その様子を眺めながら部下をまとめていると、エーリカが近づいてきた。


 「エーリカか、今回はこちらの完敗だったな」


 「そうだな。まあそうでないと、こっちは正規兵なんだから困る。隼人は良くやった方だ」


 「そう言ってもらえると嬉しいな。だがあんなに寄ってたかってぶつことはないだろう」


 「ははは、そうでもせんとお前はくたばらんだろう」


 エーリカは愉快そうに笑う。しかしあれは本当に痛かった。桜の治療第1号になったくらいだ。あるいは桜が心配性だったからかもしれないが。

 そのあと熊三郎、梅子、カテリーナを交えて反省会をしていると桜が戻ってきた。負傷者の治療が終わったらしい。


 「桜、みんなの様子はどうだった?」


 「みんな軽傷でしたから、一番怪我がひどい人でも明日になれば治るくらいですね。あと、みなさん少し悔しそうにしていましたよ」


 「そうか、それは良かった。負けたのは俺の責任だから、俺が反省しないとな」


 そう言って隼人は頭をかいた。




 6日目は明後日に迫った隊商の出発の準備に追われた。商業ギルドと調整し、これから向かう南方の情報収集と分析を行う。どうやらこのあたりはエーリカが頻繁に盗賊狩りをするので治安はいいらしい。交易品は鉄と鉄製品を中心に積み込む。そんな仕事を2日かけて行った。




 7日目、いよいよ明日は出発だという夜に、隼人の部屋を訪ねる人物があった。やや遠慮がちなノックが聞こえる。


 「どうぞ」


 「入るぞ」


 入ってきたのはエーリカだった。


 「エーリカか。呼んでくれたらこっちから行くのに、こんな時間に何の用だ?」


 「なに、明日でしばらく会えなくなるだろう。だから最後に一緒に酒でも飲もうと思ってな」


 エーリカの手には白ワインが2本握られている。


 「白ワインか。赤ワインは正直なところ苦手だが、白ワインなら多少飲めるな」


 「そうか、お前も白の方が好きか。同じだな」


 エーリカが嬉しそうにほほ笑む。こうして見ると歳相応の少女だ。戦女神と呼ばれるほどの猛者とはとうてい思えない。

 2人は同時にテーブルに着く。つまみは隼人が仕入れていたチーズと小魚の干物だ。


 「こうして2人で飲むのは初めてだな。俺は実は酒はそれほど強くなくてな。だから隼人、俺の分も飲んでくれよ」


 「俺もそこまで強くないんだ。エーリカも飲んでくれ。部屋までは送るからつぶれてもいいぞ」


 「なにおう、それなら下戸同士、酒の飲み比べでもやるか?」


 「それは負けられないな。でも一気飲みだけはするなよ。危険だからな」


 「一気飲みはさすがに無理だな。そこまで飲めん」


 「じゃあ安心だな。それじゃあ、この出会いに乾杯」


 隼人がグラスを掲げる。


 「俺達の未来に乾杯」


 エーリカも上品にグラスを掲げる。そして2人同時にグラスに口をつける。2人ともそれほど酒に強くないので、少し口に含むだけだ。それをじっくり味わって飲む。


 「なかなか飲みやすいな」


 「だろう?だから俺は気に入っている」


 エーリカが自慢げに言って、チーズを口に放りこむ。


 「このチーズも美味いな。どこのだ?」


 「ロリアンで買ったものだ。結構いい値段がしたから美味しいはずだ」


 そう言いながら隼人は小魚を口に入れる。隼人としてはチーズより小魚の方が好みだ。ちなみに小魚は大陸海でとれたものである。そうやって静かに談笑していると、思いつめたようにエーリカが切りだした。


 「隼人、お前は俺のことをどう思っているんだ」


 「どう…とは?」


 「その…女としてだ。自分から言うのもなんだが、俺は女性的魅力に欠ける。容姿はともかく、俺は戦闘しか能がない女だ。そんな女と一緒になるのは迷惑じゃないかとふと思ったんだ」


 「……」


 隼人はエーリカをまじまじと見つめる。よもやエーリカからこんな言葉を聞けるとは思えなかった。隼人は考えに考え、答えを思考する。


 「別に、女の魅力はそういう女性的魅力ばかりではないと思う。エーリカの女性的でない性格もまた、魅力と言っていいと思う。それに、まだ仮にだが、夫婦になればお互い補いあうこともできるだろう。まあ、その、なんだ、俺はエーリカに対して好意は抱いている。俺も男女関係の経験がないから恋だの愛だのはわからないが、嫌いじゃないことだけは確かだ」


 そこまで言って隼人はグラスをあおった。


 「それを聞いて安心した。俺も少し不安だったんだ。隼人は欲しいが、隼人には好かれていないのではないかと、まるで年頃の娘のように不安がっていた」


 「今まさに年頃の娘じゃないか」


 「う、うるさい!話しは最後まで聞け!…もし隼人が俺に好意を持っているとしても、下衆な貴族どものように容姿目当てかも知れないと特に最近不安になってきてな。そのあたり、どうなんだ?」


 エーリカがいくぶんすわった目で隼人を見つめる。嘘をつこうなら殴り倒しそうな雰囲気だ。


 「…俺がエーリカに持っている好意のいくらかはその容姿に由来するな。これは間違いない。俺達は会って間もないからな。だがエーリカの率直で勇猛な性格も気に入っている。その容姿に似合うだけのいい性格をしていると思うよ。…うん、俺はエーリカに外面にも内面にも惚れた、ということになるのかな」


 隼人は言っていて恥ずかしくなる。この世界に来る前は女とは無縁の人生だったのだから、女の口説き方なんてわかるはずもないし、そもそもエーリカをそういう対象として見ていたのかもよくわからない。ただ1つ言えるのは、隼人にとってエーリカは大切にしたい女性である、ということだけだ。


 「そうか、俺のことを好いてくれるか。そうか、そうか」


 エーリカは喜びをかみしめる。戦闘狂の彼女にも乙女心くらいはある。


 「ならばいつか必ず婿に迎えよう。反対はこの俺がさせない。だからその日まで壮健であってくれ。そして強くなってくれ。俺は強い男じゃないと嫌だからな。危険を冒すなとは言わんぞ」


 そう言ってエーリカはグラスをあおった。もう2人ともかなり飲んでおり、ワインボトルも2本目に突入している。


 「ああ、約束する。それに、侯爵の婿にふさわしいくらい偉くなろう」


 「ははは、お前ならやりそうな気がするよ。ひょっとしたら俺が嫁入りすることになるかもな」


 2人は笑ってグラスをあおった。



 2本のワインボトルが空になった後も、2人は水を飲みながら談笑していた。すでに夜は更け、日付をまたごうとしている。


 「そろそろ帰るか。隼人、今日は楽しかったぞ」


 そう言ってエーリカは席を立つが、足元が覚束ない。


 「危ない危ない」


 隼人がすぐに肩を貸す。


 「はは、柄にもなく飲みすぎたらしい。思えばここまで深酒したことはなかったな」


 「ボトルを2本も持ってくるからだ。1本でも十分だったな」


 「それじゃあお互いに本音を言えなかったかも知れんぞ」


 エーリカが隼人の言葉に苦笑して返す。


 「それもそうかもしれないな。さあ行くぞ」


 2人は覚束ない足取りでエーリカの自室へと向かった。




 「ありがとう。もう大丈夫だ」


 自室の前でエーリカはそう言うが、肩は借りたままだ。


 「エーリカ?本当に大丈夫か?」


 隼人は心配してエーリカの顔を覗き込む。

 そこへエーリカが隼人の唇に己の唇を重ねてきた。軽く、ついばむようなキス。隼人は驚き、硬直する。エーリカは唇の感触をじっくりと味わって唇を離す。


 「…これが俺のファーストキスだ。受け取ってくれるな?」


 「あ、ああ。俺もこれが初めてだ」


 「そ、そうか。それは嬉しい」


 そう顔を赤らめて言うエーリカが可愛らしくて、今度は隼人から唇を奪う。


 「んっ、今日はもうだめだ。少し気分がおかしい。続きは今度会った時にしよう」


 そう言ってエーリカは名残惜しげに隼人から離れる。


 「そ、そうだな。おやすみ、エーリカ」


 「ああ、おやすみ、隼人」


 エーリカが自室に入った後も、隼人は少しの間立ち尽くしていた。唇の柔らかな感触が忘れられなかった。


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