第20話 ケルンの街並み
ケルンに着いて2日目。隼人は桜や梅子、カテリーナを連れたって武具店を見て回っていた。戦利品の売却がまだであったし、あわよくば自身の装備や仲間の装備を更新しようと考えていた。ちなみになぜかエーリカも一緒だ。
武具店に行くと隼人が言うと、エーリカが喜んでついて行くと言ってきたのだ。話を聞けば、暇な時は鍛練をするか、そうでなければお忍びで武具店を見て回っているらしい。その様子をいちいち家宰のルドルフに伝えるので、ケルンでは腕の良い職人が優遇されるようになっている。武具店もいろいろと知っているようで、自ら案内を買って出たのだ。
「隼人はどんな武器を使うんだ?」
エーリカが隼人と腕を組みながら聞く。街ゆく人々からは好奇の視線が、彼女の正体を知る者からは驚きの目線が注がれる。
言うまでもないが、隼人に会うまでのエーリカは色恋沙汰など全く眼中になかった。それがまるでカップルのようにふるまっているのだ。おまけにエーリカはとびきりの美少女だ。デートスポットとは間違いなく言えないが、この世界に来る前の隼人が見たら「もげろ」と言うこと間違いなしである。
それに続く形で後を追う桜達も同じことをしたいと考えてはいるが、そこまでの勇気はない。そのため、なんでもないように表面上振舞いながら、内心焦りや、どす黒い思いが渦巻いている。
「そうだな、今は弓、槍、両手剣だが、前は刀やメイスも使っていたな。片手剣も得意ではないが、一応使える。メイスは手加減がしやすいから結構好きだったな」
「そうか、刀はここらでは品質の割に高価だから止めた方がいい。メイスならあの店がお勧めだな。弓はもう少し行ったところ、槍なら向こう、両手剣はいくらかはしごする必要があるな」
「そうなのか。ところでエーリカはどんな武具が得意なんだ?」
今回はお忍びなので敬語、敬称は無しだ。エーリカを呼び捨てにする時、少し気恥ずかしくなる。決して腕に柔らかなものが当たっているからではない。決してない。
「俺は両手剣と槍だな。片手剣は少々軽くてな。あと弓はあまり得意ではないんだ。飛び道具は部下に任せているからな。馬鹿な騎士みたいに飛び道具を馬鹿にしているわけではないぞ?」
「それはわかるよ。なにせ鉄砲まで仕入れているんだから。ノルトランド軍にいた時に受けた射撃はきつかった。いつ部隊が崩壊するか、ビクビクものだったからな。そうだ、ついでに鉄砲も見ていっていいか?さすがに高価すぎて手が出ないだろうが、見るだけ見たい」
「いいぞ。ただ高価で需要がなさすぎて俺専用の店みたいになっていて、数は作ってないから仮に注文しても買えるかわからんぞ」
「それでもかまわないさ。それからカテリーナやセオドア用に片手剣や盾も見ていきたいな」
隼人とエーリカは和気あいあいと楽しげに会話を楽しんでいる。会話の内容はアレだが、雰囲気は恋人そのものだ。後に続く3人はこの時初めて嫉妬という感情を感じた。それは裏を返せば隼人に対する恋心であり、それをはっきり自覚する最初の機会であった。
まず、賊からの戦利品で、隊商の人員で使用しない物を売り払う。それから隊商の一般兵向けの装備を物色する。ケルンは鉄が豊富で、腕の良い職人も多いので品質も良く、値段も手ごろだ。部下の中でも特に優秀な者への褒美となるような武具をいくらか確保した。
そうしているうちに時間はもう昼だ。エーリカの案内で一行はエーリカ行きつけの店に入店する。なかなか高級そうな店で、その名は『ヴィーキング』といった。店員はエーリカを見とめると、すぐに特別席に案内した。どうやら正体が割れているらしい。エーリカはさして気にもとめずに席に座り、隼人を隣に座らせる。丸テーブルの席で、桜と梅子がどちらが隼人の隣に座るか互いに牽制しているうちにカテリーナが隼人の隣に座ってしまう。2人はそれに気づき、しぶしぶといった風情で席に着く。
「コーヒーを5つ。それからランチセットを5つだ」
「承りました」
全員が席に着くとエーリカが隼人達の意見も聞かずに注文する。この店は隼人達にとって初めてなので、結局はエーリカのお勧めに決めただろうが、一言聞いて欲しかったものである。
しばらく今回の収穫と今後の予定について談笑していると、コーヒーが運ばれてきた。濃いめで香り高いブラックコーヒーだ。ちなみにコーヒー豆は大陸南のバクー王国から運ばれてくるので、結構高い。エーリカはそれに多めに牛乳と砂糖を入れる。ちなみにてん菜の栽培と製糖方法は確立されているので、砂糖はそれほど高くない。
隼人達もそれにならう。隼人は紅茶党であったし、桜と梅子は抹茶派だ。カテリーナにいたってはコーヒーを飲んだことすらない。
「ここのコーヒーはちゃんとした豆を使っているから美味しいんだ。香りもいいしな。だから気に入っている。下手な店だとコーヒー豆ではなくタンポポなんかで代用していたりするからな。まったくもって嘆かわしい」
エーリカが自慢げに話すが、コーヒーがそれほど好きではない隼人達は軽く聞き流す。カテリーナにいたっては高価なコーヒーに委縮してしまっている。
ここのコーヒーもなかなか美味いが、紅茶ほどではないな、などと思いながらコーヒーを飲み干すと、食事が運ばれてきた。ソーセージにベーコンやジャガイモ、玉ねぎ、豆などの野菜の入ったアイントプフに、茹でたソーセージが2本、それにザワークラウトと黒パンだ。
「ソーセージ、ベーコン、ザワークラウトは自家製らしい。アイントプフを出す店は少ないんだが、これが美味い。城で食べるのも美味いが、この店で食べるのもなかなかのものだ」
エーリカがこれも自分のことのように自慢してくる。事実、アイントプフはソーセージやベーコンの味がスープにしっかりと滲んでいていい出汁がとれている。ザワークラウトも酸味がそれほどなく食べやすい。ソーセージもナイフで切ると肉汁があふれ出てくる。味には文句のつけようがない。しいて文句があるとすれば、昼食にしては量がいささか多いというくらいか。特に黒パンが腹に膨れた。
一行は『ヴィーキング』を出ると再び武具店を見て回った。何軒か見て回り、カテリーナとセオドアの片手剣と盾、隼人の予備の両手剣とメイス、それに3人の槍を購入したが、梅子の刀と槍、それと桜の弓については現状を超える品がなかったので買わなかった。思えば桜は王女で、梅子はその乳母姉妹なのだから相当な業物を持っている。今更買うまでもない。
日が西に傾いた頃、隼人達は最後にと、鉄砲を扱う店に冷やかしに行った。
「いらっしゃい。エーリカの譲ちゃんか。注文の品はまだできてないぞ」
「いや、今日はこいつらに親父の鉄砲を見てもらいたくてな」
「おう、そうかい。まあ好きに見てくれ。とはいえ鉄砲は品数が少ないし、ほとんど受注生産だから売れるものはほとんどないがな」
エーリカと店主の親父が親しげに話す。エーリカはこの店にも結構足を運んでいるようだ。
「火縄式も、火打石式もあるんだな。おっ、これはライフルが刻んである」
隼人は興味深そうに店に並ぶ品を見る。
「おう。軍用には火打石式が人気だが、狩猟用には火縄式がまだまだ人気だからな。ライフルは狩猟用に一定の需要があるがまだまだ発展途上だ。命中率をさらに上げることはできると思うんだが、まだまだ俺も技術不足だな」
親父が頭をかきながら言う。
「ライフルは発射速度が落ちるからな。軍用にはまだまだ技術開発が必要か」
「まっ、そういうことだな」
「しかし見ていると欲しくなってくるな」
「ちょ、ちょっと待て。玉薬はどうするんだ?火薬はなかなか高価だぞ」
隼人の発言に梅子が慌てて止めてくる。
「むっ、それもそうか。でも鉄砲は男の子のロマンだからなあ。1挺くらい欲しいぞ」
「まあここにあるやつはだいたい納品先が決まっているがな。ああそうだ、こんなのはどうだ?こいつは買い手がついてないし、俺が趣味で作ったようなものだから弾と火薬はサービスしとくぜ」
そういって親父が1挺の短銃を取り出す。
「これは…、火打石式の短銃、ライフルつきか!また妙なものだな」
「ああ、だが短銃だから馬上でも使えるし、ライフルがついているから短銃にしては命中精度がいいぞ」
「…とはいえ、馬を鉄砲の発砲音に慣らすのは大変で、そもそも短銃には命中精度はそれほど求められない。ついでにライフルがついているから装填も厄介、といったところか」
「その通りだ。だから売り先がない。兄ちゃんがロマンだって言うなら安くするぜ」
「確かにロマンあふれる逸品だ。よし、ポケットマネーで買うぞ」
「毎度あり。兄ちゃんとは気が合いそうだ。そうそう、俺はトート・フーゴってんだ。これからもよろしくひいきしてくれよ」
「ああ、中島隼人だ。隊商を率いている。大陸中を回る予定だから今度はいつ来れるかわからないが、そのときはよろしく頼む」
「あんた隊商長だったのか。じゃあ面白い銃を見つけたら買っておいてくれるか?俺も他国の技術にも興味があってな。こっちに持ってきてくれたらそれなりの値段で買い取らせてもらう」
「ああ、わかった。まああまり期待しないで待っててくれ」
そう言って隼人とフーゴが握手する。この奇縁が後にフーゴの運命を大きく変えることになるが、この時は誰も予想していなかった。
その日の夕食のメインはハンバーグだった。もちろんアーリア王国らしくビールもついてくる。この日は、先日まで公務で夕食会に出席できなかったレーダー・ルドルフもいる。48歳らしいが、主に毛髪の色や量で彼が相当な激務をこなしていることが察せられる。普通に見れば50代半ばに見えるだろう。そんな彼が隼人に声をかける。
「あなたがエーリカ様の婚約者ですか…。あれだけ大きな隊商を運用しているとは、若くしてそれなり人物、ということですか。どうです?アーリア王国に仕えてみては。子爵くらいならなんとかエーリカ様の婿として面目が立ちますし」
いきなり結婚することを前提とした話をしてくる。
「そ、その話はひとまず保留ということになっていまして、私もまだ行商を続けたいのですよ」
隼人は必死に否定する。
「面目なんてどうでもいいだろう。文句を言う奴は俺が黙らせてやる」
エーリカも違う方向で反対意見のようだ。
「はあ、バイエルライン家の血筋は残さないといけないし、統治ができそうな婿ならば大歓迎なんですがね。しかしさすがに平民を直接婿に取るのは貴族に侮られますぞ」
「はん、あんなダンスしか能のない名ばかり貴族など放っておけ」
「エーリカ様はこれだから…」
ルドルフが頭を抱える。気の毒だが今の隼人は結婚する気はないし、今結婚しても迷惑なのだろう。
ルドルフは先に夕食を食べ終えると、残った仕事を片づけてくると席を立った。本当に忙しそうだ。聞けば家宰の仕事と領主の仕事の両方をこなしているそうだ。エーリカに手伝うか新しく人を雇うべきでは、と提案したが、エーリカは自分にそっちの才能がまるでなく、仕官してくる奴もほとんどその適性がないと困り果てていた。ルドルフの未来に幸あらんことを。
3日目は熊三郎を交えて隼人、エーリカ、梅子、カテリーナで鍛練だ。特にエーリカは昨日鍛錬ができなかったこと、熊三郎が隼人以上の強者であることから闘志を燃やしている。セオドアは見学しており、桜は騎射の練習、ナターシャとカチューシャは部下とともに相手に槍術の訓練に参加している。
素振りを終えると、エーリカが早速熊三郎に模擬戦を申し込む。これには隼人達もエーリカの部下達も興味深々だ。互いに木剣と木刀を構える。
「いつでもかかってきてよいぞ」
「そうか、ならば先手を打たせてもらう」
エーリカが駆けだす。エーリカが振りかぶった剣は熊三郎に軽くいなされ、逆に熊三郎の鋭い斬撃がエーリカを襲う。それを紙一重で回避したエーリカがそのまま距離をとる。
「さすがは隼人が教えを請うだけのことはある。これはよく学べそうだ」
「エーリカ様こそ、隼人殿が苦戦するだけの腕前を持っているようですな」
互いに不敵な笑みを浮かべる。再びエーリカが駆けだす。若さを武器にたたみかけるつもりだ。一方の熊三郎は己の技量と経験を駆使し、後の先を狙う。熊三郎はその豊富な経験と、老いてなお衰えぬ剣技で、エーリカの若さと才能を翻弄する。エーリカの動きはだんだんと熊三郎に制御されてゆき、エーリカの顔に汗が流れる。
それでもお互い一歩も譲らずに剣戟が続くが、ついに熊三郎の木刀がエーリカの喉元を捉える。
「…参った。さすがだ。さすがに学ぶところが多かった。良ければもう1戦願いたい」
「よかろう。隼人殿、見学ばかりしていないで梅子とカテリーナを同時に相手をしてやれ。隼人殿ならその程度がちょうどよかろう」
その言葉に見入っていた隼人達がハッと気づく。隼人は「無茶をいうなあ」とぼやきながら木剣を握った。
結果はエーリカは4戦して1勝、隼人は5戦して勝ち星はなかった。反面エーリカも隼人も得るところが多かった。しばらく休息をとる。
「いやぁ、さすがに2人相手はきついな」
「私なんて、隊長に1本入れたのは初めてですよ」
「拙者も強者と組むというのはなかなか良い経験になった」
「俺も、熊三郎ほどの強者は初めてだ。なあ、隼人、熊三郎をうちに貸してくれないか?熊三郎がいてくれれば鍛練がはかどる」
「ははは、それは無理じゃ。わしは隼人殿について行くと決めておるからの」
昼食はこの時に城の中庭でとり、午後からはそれぞれの部下達を交えた、半ば交流目的の訓練を実施した。
4日目は幹部連中と共にケルンの観光に出かけた。案内はまたもやエーリカ自らお忍びで名乗り出る。領主がたびたび仕事せずにお忍びで街中をうろついて大丈夫なのかと心配になるが、やはりルドルフに政務を一任しているため、影響はあまりないらしい。護衛についても、エーリカ本人が強いので不要としているようだ。もちろんいつもは万一に備えて裏から警備しているそうだが、今回は隼人達が腕が立つため、それも不要と断ってきたらしい。ルドルフの胃に平穏あれ。
ケルンはロマーニ帝国時代からの重要な都市であるが、発展と開発が続いたため、ロマーニ帝国時代の建造物はそれほど多くない。ケルンの見どころはソラシス教清教派の大聖堂と、なんといっても広大な大陸海である。大陸海は大陸の中央、そしてアーリア王国の中央に位置する巨大な淡水湖である。 アーリア王国は大陸海の湖上通商でその強大な軍事力をまかなっていると言っていい。その反面、湖上を行き交う商船を狙った湖賊も多く、これの対策として湖上海軍も多く抱えている。
午前中に大聖堂を見物し、早めの昼食とった一行は大陸海で舟遊びをしていた。夏場なら水泳ができるのにとエーリカが残念そうに言っていた。その言葉に隼人はエーリカの水着姿を想像し、覚えず顔を紅潮させる。桜達の艶めかしい水着姿も記憶に新しい。その桜に感づかれたのか、白い目線を送られ、慌ててその想像を頭から追いやる。男は常に紳士であらねばならないのだ。
ちなみに、くじ引きの結果、隼人と同じ舟に乗っているのは桜だ。桜はここぞというところで運がいいらしい。他の舟には梅子と熊三郎、エーリカとカテリーナ、ナターシャとカチューシャ姉妹、セオドアとセレーヌが乗っている。
「平和ですね」
「そうだな。できれば毎日こうのんびりしていたいものだ」
「そうですね…。私は隼人さんに会うまでは窮屈な思いをしていましたから、こんな平穏な日々がつい夢のように思えてしまいます」
「夢じゃないぞ。実際にのんびりしている」
「ふふ、そうですね。でもこれからものんびりできるかは隼人さん次第です。いまや隼人さんは私達の帰る場所なのですから。でも私たちはどこまでも隼人さんについて行きますよ」
桜が顔を赤らめながら笑顔で言う。
「そうか…。じゃあみんなが笑顔でいられるように俺も頑張らないとな。桜は笑顔が似合うしな」
「まあ、そんな…」
桜が顔を赤くし、隼人も自分が恥ずかしいことを言った自覚があるのか、頬を紅潮させる。
桜は一瞬迷ったようなそぶりを見せた後、隼人に顔を近づける。桜のいいにおいが近づく。その何度見ても美しい大和撫子な顔は赤く染まっている。その美しさに隼人は硬直する。唇と唇が触れそうだ。
そんな時、後ろから声がかかった。
「おーい、隼人!俺と競争しよう!そこから向こうの桟橋までだ!」
エーリカである。ちょうど桜からは隼人の顔に隠れてエーリカ達は死角になっていた。隼人と桜は慌てて距離をとる。顔はまだ赤い。そこへエーリカとカテリーナの舟が寄せてきた。カテリーナは2人の顔を見て「邪魔をしましたか?」と声をかけてくる。
「い、いや。そんなことはない」
そう言って隼人は舟を漕ぎだす。
「あっ、待て!」
エーリカも負けじと漕ぎだす。結果はエーリカの勝利だった。




