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第129話 アーリア王国の終わり、ひとときの平和の始まり

 帝国歴1801年2月6日。隼人は自身を総司令官とするアーリア方面軍を編成、近衛軍、第1軍、第1騎兵軍、親衛第1~4独立野戦重砲連隊を主力として指揮下に入れた(なお、第1騎兵軍の各騎兵師団は錬成途上で定数の半分のみ。この時期はまだ旅団規模である)。また副司令官に古賀中将を任じた。


 「さて諸君。我々はようやくアーリア方面を混乱から解放する。他に手を取られて長らく手を出せなかったが、アーリア方面の国民をできるだけ早く苦しみから解放し、復興させねばならん。もちろん我が軍が錬成途上である事は承知している。頭数こそ揃っているが訓練済みの兵の定数は全く満たしていない。だがこれ以上アーリア方面を放置する事はできない。もう1年半も待たせているからな」


 「アーリア方面の民に不信感を持たせるわけにはいかない、という事だな」


 「そうだ」


 マチルダの補足を隼人は肯定する。

 このマリブール城の会議室にはアーリア方面軍の旅団長以上と独立野戦砲兵連隊の司令官、軍司令部以上の幕僚、そして隼人とその妻達が参加している。


 「作戦概要は?」


 「これから説明する」


 エーリカの期待の声に隼人も得たりと差し棒を持って地図に近づく。

 とはいえ作戦は隼人、エーリカ、梅子、古賀中将、各軍司令官及びその参謀連中で策定したので、その下の指揮官への説明と言ってよい。


 「現在、ケルンを本営とするバウアー公爵旗下の軍がアーリア王国のかなりの部分を接収している。だいたい大陸海の西側半分と北側3分の2だ。アーリア王国の残余は東部と南東部だな。我々はバウアー公爵軍と合流して西から進み、南から北へと進む。北側は味方のアーリア貴族とノルトラント軍管区から応援の歩兵第14師団が守備して警戒する。北の金床に我々が南からのハンマーを振り下ろすだけだ。作戦自体は単純だ。参加兵力は訓練済みの兵のみを連れて行く」


 「この作戦には問題点はないのですか?」


 「軍事的側面では余程の問題が突発しない限り容易なはずだ。問題は政治だ」


 古賀中将の質問、というよりも確認に隼人が応える。


 「諸君も知っての通り、アーリア王国は現在内戦の真っ最中だ。バウアー公爵の下へ東から難民が押し寄せている。接敵すれば鎧袖一触ではあるが、敵が誰だか確定しない。すでに降伏の意を伝えてきている貴族もいるが、他はどう動くかわからん。我々を見て降伏するか、逃亡するか、徹底抗戦するか……。徹底抗戦もまとまった数で軍勢を揃えてくるか、個々が城塞に籠城するか……。ともかく敵の全貌が未知数だ。我々にとっても敵自身にとってもな」


 「敵対されないように軍規を厳正にする事。後方も反乱などに注意する事が必要ですね」


 古賀中将の捕捉に隼人は頷く事で肯定する。同時に会議の出席者からため息が出る。軍事的勝利は約束されていても、それを政治的勝利にまで昇華させるには困難だという現実に今から参っているのだ。彼らは軍人としての道を選んだ人間であり、政治、行政には疎い人種であった。


 「マリブール出陣は20日。それまでに出動人員と留守、訓練人員の選定、軍規の徹底教育と士気の維持、向上を行うように。俺はエーリカ、マチルダとともに近衛軍の先頭に立つ。以上だ。質問は?」


 「……ま、行き当たりばったりという事だ。作戦というのもおこがましい。おそらく今までよりも楽な戦いになるが、何が起こるかわからん。各部隊は連隊以上の規模で進軍、連隊長以上が責任を持ち、軍規の範囲で行動し、配布した交戦規則に則って貴族と交渉、降伏受諾、交戦を判断するように」


 隼人が質問を求めても大抵は誰も聞かないのでエーリカが補足する。隼人は部下達の不安顔が多少緩和したのを見て解散を宣言する。

 これから出陣まで各級指揮官は人事調整と教育に苦労することとなった。




 帝国歴1801年2月20日朝。アーリア方面軍はマリブールを出立した。歓呼の声に兵達は士気を上げてケルンに向かった。


 帝国歴1801年4月11日。アーリア方面軍はケルンに到着した。ここで臣従貴族達に忠誠を誓わせ、バウアー公爵と現地の情勢、行動方針の共有を行った。これには(主に事務手続きのために)20日間の時間を要した。特にアーリア方面軍の到着を知って慌てて臣従に来た貴族達の事務手続きが遅れたのである。

 その間に情勢も変化しており、あくまで独立にこだわる貴族、敵対貴族とは別の陣営に入りたい貴族、他の貴族の策謀で第2ロマーニ帝国に臣従できなかった不運な貴族、単に領地が独立派貴族に囲まれており、臣従ができなかった不憫な貴族などがアーリア王国首都、ケーニヒスベルクに集結しつつあった。

 彼らにも徹底抗戦を主張する者から1戦交えて有利な条件で臣従を目論む者、逃亡の算段を模索している者など同床異夢であった。しかし隼人達には明確な目標が生まれた。ケーニヒスベルクを陥落せしめる。これによって不穏分子を粉砕し、さらに首都を落とす事で臣従に迷いを見せる貴族の意志を挫き、アーリア地方の早期安定化を図る。敵の動きによってようやく隼人は戦略目標を見出したのであった。




 帝国歴1801年5月31日。アーリア方面軍はケーニヒスベルクに到着した。その兵力はアーリア方面軍のみで6万を下回っている。バウアー公爵以下恭順した貴族軍は領地の接収と後方連絡線の維持を行っている。


 一方でケーニヒスベルクの軍勢は4月には10万以上だったが、貴族と兵の逃亡が相次ぎ、今は4万2千でしかない。当然、士気も低い。

 アーリア方面軍はすぐに野戦重砲の射撃陣地の構築に入ったが、それは無駄に終わった。逃亡し、隼人に臣従した貴族が城下街の門を開いたからだ。帝国歴1801年6月3日夜の事である。隼人はすぐさま夜襲を決断。近衛騎兵第1師団を先頭にケーニヒスベルク城に突撃。独立歩兵第20旅団の工兵大隊が城門を爆破してしまった。

 兵舎も次々に無血占拠され、城にいた貴族や従士達は着の身着のまま玉座の間に退避した。その数145人。他の貴族、従士は突入部隊によってほとんどが殺害され、少数が捕虜となった。

 彼らは玉座まで利用してあらゆる物で玉座の間の扉が開かないように塞いだ。だが彼らにできるのはそれまでだった。完全武装の者はごく僅かで、剣を持ちだせた者は運がいい方。武器すら持ち込めなかった者も多かった。

 そして口論。


 「もう臣従するしかないようですな」


 「何を言うか!誇りあるアーリア貴族がどこの馬の骨とも知れぬ奴に頭を下げられるか!」


 「武器すら持ち込めないような“誇りある貴族”とやらはどう戦うつもりか!?」


 「ならばその剣を寄越せ!」


 このような口論が巻き起こった。そしてその口論の果て、剣が身内に抜かれようとした。


 だが彼らはその剣を抜くことすらできなかった。最初の1人が剣に手をかけたところで轟音とともに玉座の間の側面の壁が崩れ落ちたからである。彼らはそれが何かを理解する時間もなく吹き飛ばされた。


 この光景を客観的に見るとこうなる。歩兵第19師団のある歩兵中隊長が玉座の間の付近に一番乗りした。その中隊長は壁から聞こえる口論に、玉座の間の壁が薄い事に気付き、同行していた工兵小隊長に壁の爆破を命令。

 工兵が合計7kgの各種爆薬を壁に積み上げ、導火線に点火。30秒後に爆薬が炸裂して空気を揺るがし、壁を吹き飛ばした。そして即座に開いた穴に投げ込まれる歩兵の手榴弾。17個の手榴弾は黒色火薬を用いた4.5秒の遅延信管に点火して壁があるべき場所を通り過ぎる。

 これらのうち16個の死の卵が完全に作動した。破片と爆風が玉座の間にいた者を肉片に変え、不発であったもう1つの死の卵も爆発させた。


 その結果、玉座の間にいた者は全て死傷者となった。負傷者も全てが重傷であり、意識を保つ事すら困難であった。

 そして第2ロマーニ帝国軍の将校は義務を果たした。意識がある者さえ治療の見込みはないと見えた。つまり、この世の最後の苦痛を終わらせたのだ。銃声や剣が肉を切る音、ほとばしる血の音が断続的に続いた。


 これがアーリア王国の最期であった。軍事強国でありながら指導者に恵まれなかった国の終焉。実際には自領で抵抗した貴族との戦闘、盗賊と化した貴族との不毛な争いが続くが、歴史書はここでピリオドを打った。




 隼人は6月7日までケーニヒスベルク郊外の陣幕で戦後処理の手続きを行い、8日になってケーニヒスベルク城下町の政府庁舎の1つに本営を移した。その日からアーリア王国貴族達に軍人になるか、行政官になるか選ぶように通告。さらにアーリア軍管区の司令官に、軍人を選んだバウアー大将に補任。副司令官に古賀中将を転任させた。そして実戦部隊として貴族軍を統合して4個師団(歩兵第22~24師団、騎兵第8師団)を編制、アーリア軍管区の指揮下に編入した。

 さらにアーリア州知事にザイフリード・フォン・ディートリヒ公爵を任命しその他にも行政官を選んだ貴族に代官領の管理を命じた。


 これらの事務手続きが終わったのは帝国歴1801年7月3日。盗賊退治を行っていたアーリア方面軍とともに隼人がマリブールへの帰途についたのは実に8月14日の事であった。

 マリブールへの帰還が9月10日。帝国歴1799年6月2日から帝国歴1801年9月10日までを後の歴史書は第1次統一戦争と呼ぶ。

 隼人はこの2年近い戦役を終え、ようやくしばしの平和を楽しむのであった。


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