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第125話 ザーバトヌイ・ハン国の弔鐘 後編

 帝国歴1800年3月1日払暁、太陽も昇る前の薄暗い中、鉄の神、あるいは死神がその首をもたげ始める。大小の神々が彼らの頭脳から指定された角度に調整される。兵士達はただ時を待つ。戦場の神がその壮大で慈悲のないオーケストラを奏でる瞬間を。

 暦では春とはいえ、まだまだ寒さが残る大地にて神はその鉄の体を一瞬にして加熱させる。鉄と血で奏でられるコンサートの幕開けである。その神々の主役は4つの独立野戦重砲連隊に所属していた。


 事前に測距を繰り返してほとんど正確な距離を算出していた砲兵は始めから効力射で残酷な演奏会を開始した。死の卵がザーバトヌイ・ハン国軍陣地の全体に降り注ぐ。10日ほどで形を成しつつあった防御陣地は血と鉄で耕されていく。大砲という土木機械は効率は悪いが、この程度の土木事業を廃墟に変えるには十分な威力と時間を与えられていた。彼らは3時間という後の世にしては短い、しかしこの時代では十分な時間でザーバトヌイ・ハン国軍に対して攻撃準備射撃を実施した。


 ザーバトヌイ・ハン国軍はようやく起きようとし始めたところであった。騎馬民族部隊こそ24時間配置で起きていたが、属国軍はまだ夜警状態から脱していない。騎馬民族部隊も陣地についてからは24時間体制で警戒していたため、疲労が頂点に達しつつあった。

 ザーバトヌイ・ハン国軍は丘の頂上の騎馬民族部隊を要として南に向けて扇状に展開していた。属国軍の騎兵は騎馬民族部隊の前方、そしてさらに前方に属国軍歩兵による縦深陣地だ。騎兵によって翼を援護する事はできない。

 ザーバトヌイ・ハン国軍は度重なる属国軍の脱走と脱走未遂の処刑で数を5万を大幅に下回るまでに減らしていた。騎馬民族部隊5000が24時間体制で脱走を警戒してこの有り様であった。騎馬民族部隊が後方に置かれた理由は彼らの戦力を評価されての事ではなく、彼らの忠誠を評価されての事であった。


 そんな彼らが寝床とする大地を砲弾が揺さぶる。柵を粉砕し、土塁を削り取っていく。

 スゴタイ・ハンは今日を決戦と睨んですでに本陣で待機していた。そして最初の弾着で周囲に向かって「伏せろ!!」と叫んで自らも伏せる。彼の目の前では、彼らにとっての重要な財産である馬が解体されて空中に放り投げられ、人間もそれに続く。血の音楽会が開催が始まっていた。




 砲撃が始まって2時間半が経過した今、眼前の敵陣地はすでにその形を失っていた。隼人は事前の計画通り歩兵に攻撃前進を下令する。砲撃の最後の30分を彼らの援護に当てるのだ。頭上を砲弾が飛び越えて行く中、第2ロマーニ帝国軍の歩兵隊が銃を手に敵陣地へ列を作って前進する。目の前では何かが空中へ吹き飛ばされる光景が見える。それが何ものかは分からないし、考える事を誰もが放棄していた。彼らの任務はこの地獄の大鍋に仕上げのスパイスを加え、鍋の底から具材を引っ張り出す事である。




 3時間の地獄が終わった後も、スゴタイ・ハンはその体をすぐに動かす事は出来なかった。平衡感覚は異常を訴え続け、体は緊張状態で硬直していた。それでも誰よりも早く身を起こす。眼前にはすでに敵歩兵が両翼を騎兵に守られながら接近していた。


 「戦闘準備!!」


 スゴタイ・ハンはともすれば震えそうになる声を励まして甲高く叫んだ。周囲の将兵もようよう立ち上がり、各々の武器を確認して陣地だった場所に陣取る。数は4000を割っているように見えた。あちらこちらで負傷者と戦死者が横たわっている。その光景に近衛兵まで放心気味な様子であった。スゴタイ・ハンはもはやかける言葉も見当たらなかった。震える左手を隠しながら作り笑いで彼らの肩を叩くのみであった。敵歩兵はすでに丘を登り始めていた。




 第2ロマーニ帝国軍歩兵は無人の大地を進むように進軍した。本当に無人と化していた陣地すらあった。生き残りがいる場所でも降伏の意図を伝えられればいい方で、多くの場合放心した敵兵が座り込んでいるだけだ。彼らは後続の歩兵に武装解除され、収容される。

 頂上に近づくにつれ逃げ出す元気のある兵が見受けられ始めた。敵の反撃は未だにない。丘の頂上を半包囲するように、ただ真っすぐに進む。すでに両翼騎兵は後方に進出し、逃走した敵兵を拘束し始めていた。彼らが反撃を受けるのは丘の頂上まであと100メートルの地点であった。




 ザーバトヌイ・ハン国軍は戦わずして属国軍を失い、残るは頂上に陣取る騎馬民族部隊3800余名であった。士気はすでに失われていた。だが戦意まで失われたわけではない。彼らは分かっていたのだ。もはや逃げ道はなく、降伏しても生存できる見込みが薄い事を。彼らは味方を、敵を、兵士以外を殺し過ぎていた。降伏しても待っているのは私刑。最後の血の一滴まで戦う。それが彼らに残された道であった。


 「構え!……放て!!」


 スゴタイ・ハンも陣頭指揮を執る。彼の命令で鍛え抜かれた弓の名手達が矢を放つ。狙わなくとも外れそうもないほど敵の波は迫っていた。しかし3時間の砲撃で揺さぶられた疲労が矢を明後日の方向に飛ばす。その精度は一般的な弓兵を下回るものだった。

 こちらの矢に呼応して敵歩兵が膝撃ちの体勢をとり、ほとんど間を置かずに発砲する。弓を扱うために土塁だったものから大きく身を乗り出していた将兵がバタバタと倒れる。それでもスゴタイ・ハンは次の矢を放つ命令を下す。その前に敵の2列目から立射での発砲。またもや多くの兵が倒れる。続いてこちらの2射目が敵歩兵に向かう。やはり精度は上がらない。敵の2列目が1列目の前で膝を落として装填を始め、3列目が2列目を超越して射撃姿勢に入る。またもや多くの兵が倒れる。

 ふと冷静になると、敵も味方も損害の数にそれほど違いが無い事に気付く。味方の損害ばかり大きく見えるとは、自分も焼きが回ったものだとスゴタイ・ハンは自嘲する。自分の声すら、いつもの物ではない事に気付く。彼は大きく深呼吸する。もう、大丈夫だ。スゴタイ・ハンは晴れやかな心持ちで次の射撃命令を下す。敵の4列目の発砲と同時にこちらからも矢が放たれる。矢の到達を確認する前に剣を振り上げ4射目のために「構え!」と命令する。

 しかしこれがスゴタイ・ハンの最後の声となった。5列目の銃弾が彼の心臓を撃ち抜いたのだ。スゴタイ・ハンの野心は彼の心臓の鼓動とともにその姿を消した。




 6回目の射撃の後、敵の乱れを察知した先頭の歩兵将校が剣を敵陣に向けて「突撃!!」と白兵戦を下令する。周囲の部隊もこれに呼応して丘の頂上への突撃を敢行する。

 動きの鈍い敵兵は銃剣に刺突され、斬り伏せられ、動ける敵兵は弓を投げ捨て剣を手に取り白兵戦を挑んで突撃の奔流に飲み込まれる。

 突撃から15分もたたないうちに丘の頂上に第2ロマーニ帝国軍の旗が翻った。午前11時32分の事である。ザーバトヌイ・ハン国軍の戦死、行方不明者は1万7000余名、捕虜2万8946名、第2ロマーニ帝国軍の線死傷者481名であった。砲兵の弾薬はほぼ払底したが、その分戦死者は僅かであった。




 第2ロマーニ帝国軍は3月3日まで戦場掃除を行い、翌4日午前10時に隼人を先頭に北方支隊、東方打撃軍、主力部隊の順にノースグラードに入城、市民の喝采を浴びた。

 隼人は中央広場で演壇に立ち、数多の将兵、市民の前で勝利の演説を行った。


 「忠勇なる兵士諸君!そして勇敢なる市民諸君!諸君らの英雄的献身によって危機は去った!諸君らに感謝したい!

 諸君は限られた人数、限られた武器、限られた物資でよく耐え抜き、今日この勝利の時まで戦い抜いた。これは大陸史上たぐい稀なる偉業である!これはひとえに諸君らの隣人愛によるものだ!諸君の隣には名も知らぬ兵士がいただろう。諸君らの隣には名も知らぬ市民がいただろう。しかし、名も知らぬ者同士が助け合い、協力する事で、諸君らは強敵に打ち勝ったのだ!

 この隣人愛。この隣人愛こそが諸君らを偉大たらしめたのだ!私はここに誓う!ここノースグラードを模範とする隣人愛を大陸にあまねく広める事を!大陸の全ての民を隣人愛によって結び付ける事を!大陸から戦争の炎を隣人愛によって消し去る事を!諸君らの戦いはまさにその先駆けとなったのである!私は諸君の隣人愛に敬意と感謝を表したい!

 その証として、ノースグラードに英雄都市の称号を贈るものとする!また、今回の戦いに参加した全ての市民、兵士諸君に勲章を授与する!

 兵士諸君!諸君らの部隊には『親衛』の称号を授与する!本日この時をもって、第3、11、12、13師団は親衛第3師団、親衛第11師団、親衛第12師団、親衛第13師団に、第1、2、3、4独立野戦重砲連隊は親衛第1独立野戦重砲連隊、親衛第2野戦重砲連隊、親衛第3野戦重砲連隊、親衛第4野戦重砲連隊に改称する!諸君らも市民同様英雄である!

 兵士諸君!市民諸君!諸君らは私の、帝国の、大陸の誇りである!誇りある忠勇なる兵士諸君!市民諸君!この戦いの勝利は世界平和への第1歩に過ぎない。その偉大なる1歩に私から感謝の言葉を贈らせてほしい!

 ありがとう!」


 プロパガンダが多分に含まれた拙い演説ではあったが、それは熱狂の中にその場にいた人々の心に潜り込んでいくのだった。この演説は時を置かずして市内各所に掲載され、字が読める市民によって広まっていった。


 隼人は手を振りながら演壇を去ると、野戦病院に向かって負傷者を見舞い、軍医、衛生兵と、医者などの市民の手を取ってその労苦を労わった。まだまだ野戦病院は修羅場であったが、この時ばかりは感動に包まれたのであった。




 「お疲れ様です、陛下」


 夕刻、司令部にて先に戦後処理をしていたモーズリー中将が頭を下げる。


 「何を言うか。1番疲れているのも、1番の功労者も貴様だろう。勲章と昇進を楽しみにしておけ。……ご苦労だった。ありがとう」


 「いえ……」


 手を取り、肩を抱く隼人に、モーズリー中将は言葉に詰まった。疲労も相まって感極まり、涙を抑える事ができなかった。

 隼人はモーズリー中将との長い握手を終えると、司令部要員1人1人の手を取って労いの言葉をかけていった。


 「さて、これからザーバトヌイ・ハン国を接収せねばならん。ノースグラードには親衛第3、11師団及び独立野戦重砲連隊を残置する。ザーバトヌイ・ハン国には親衛第12、13師団を警備に残置しようと思う。これらは北方支隊に編入、司令部も北方支隊に合流する。その後、南下してアーリア王国を切り取る。何か質問は?」


 一通り慰労を終えると、隼人は今後の方針について会議を始める。するとすぐさまエーリカが意見する。


 「大まかな方針はそれで良い。だがな、俺達主力部隊は約1年ずっと戦闘行動をしてきた。隼人、お前もだ。そろそろ大休止が必要だ。最後の仕事の前にマリブールで1カ月くらい休め」


 「そうだぞ。隼人も働き過ぎだし、変化した情勢について皆から意見も聞いておくべきだ」


 「マチルダさん達も寂しがっているので、1度帰ってきて欲しいですね」


 梅子と桜も同調する。言われてみれば、その通りだ。将兵も、自身も疲れている。


 「うーぬ……。わかった。ではザーバトヌイ・ハン国を接収した後、マリブールに帰還、1カ月の休養をとる。その後、クルトと合流、アーリア王国の最新情勢を聞いた上でアーリア王国に介入する。出発は……、12日としよう。他には?」


 みな大方異論はないようで、方針が決定する。


 「それでは明後日6日に詳細を決める会議を行う。それまで我々も休暇だ」


 休暇と言っても、次の会議のために準備が必要なので完全に休めるわけではないが、ともかく休める時間はできた。その喜びを嚙みしめて会議は終わった。

 長い長い遠征にもようやく終わりが見えてきた。だが、百里の道を行く時は九十九里をもって道半ばとせよ、だ。休みながらも気を抜かぬように気を引き締める隼人であった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 親衛師団はソ連の親衛軍みたいでかっこいいです。 更新待ってました。更新してくれてありがとう! これからも頑張ってください。
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