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第124話 ザーバトヌイ・ハン国の弔鐘 前編

やっと、やっと書けた……

騎馬民族の知識がなかったから筆が進まず、文章の構想&過去の分との整合性確認→体調不良をループしておりました……長らくお待たせして申し訳ないです。これからはペースが上がる……はず

 帝国歴1800年1月20日、ノースグラード市民と第2ロマーニ帝国軍北方支隊は、満身創痍ながらも勝利の感慨に浸っていた。しかし、モーズリー中将以下司令部にはまだ休みはない。新たな防衛線を策定し、部隊を再編成し、市民の志願兵から増強計画を立て、遺棄された兵器の回収と戦死体の処理計画も順次策定していく。ザーバトヌイ・ハン国軍も疲弊しきっている事がこれらの余裕につながった。

 だが司令部は忙しいが、睡眠をベッドでとれるようになっただけマシだ。医療部隊は17日以来、休息という言葉を取り上げられ続けていた。軍医はようやく、順番に3時間の仮眠を取る事が、「計画上」できた。だが、次々と運び込まれる負傷者の前に、その「計画」は机上のものだった。軍医は重傷者の応急処置と助からない者の選別に移り、治癒魔術の心得がない衛生兵や、医術を僅かに知っている志願衛生兵が軽傷者の応急手当をして前線に復帰させる。軍医は30分程度の居眠りで休息を賄っていた。そのつかの間の休息も、しばしば重体患者を運び入れる部外者の治療要求という名の脅迫に邪魔をされる。彼らの対処は、比較的余裕のある衛生兵、もしくは急派された憲兵(彼らも一般には負傷者に分類される)によって行われる。

 病院の外には戦死者と、これから戦死する者が放置され、廊下には重傷者が溢れかえっていた。病床数などという数字はとうの昔に意味を失っていた。

 これでも昨日19日までよりもマシになったのだ。昨日までは生きた死体のような軍医が衛生兵に重傷者の負傷した腕や足の切断を指示する事が精一杯の治療であった。骨折程度では衛生兵に負傷個所を固定されて戦場に送り返されていた。軍医にお目にかかる事すらできなかったのだ。

 軍医がベッドで休み始めたのは26日から、通常の医療行為が行われ始めるのは30日からであった。支隊病院は2月中旬まで地獄の釜の中そのものであった。


 ノースグラードの防衛緯は前哨陣地が放棄され、第1次攻撃で野戦重砲連隊らが活躍した第1陣地と第2陣地に縮小された。動ける者は正規軍、民兵、市民を問わず陣地の補強と遺棄兵器の回収に駆り出された。戦死者の回収は23日まで余裕がなく、行われなかった。




 ザーバトヌイ・ハン国軍の陣営でも戦闘後の処理は長引いた。医療物資も、医療従事者も、兵器や糧食さえ、何もかもが不足していた。救いがあるとすれば、重体、重傷患者がほとんどいなかった事だ。彼らは第2ロマーニ帝国軍支配領域に放置されていた。北方支隊でもリソースがなく、彼らの救命は後回しにされ、そして多くの場合間に合わなかった。

 この点で後世の歴史家はモーズリー中将を批判する事もあるが、北方支隊はまだ勝利したわけではない。後世の価値観による断罪、あるいは後知恵という類のものである。北方支隊、ザーバトヌイ・ハン国軍ともに、今なすべきことは救命ではなく、戦力の回復であった。




 熊三郎以下3万、正式名称「東方打撃軍」、通称「熊三郎支隊」が戦場に姿を現したのは、帝国歴1800年2月10日のことであった。彼らはノースグラード南方15キロの丘陵を中心に布陣する。その時期の北方支隊の兵力は2万1千、ザーバトヌイ・ハン国軍の兵力7万5千と言われている。


 この事態にスゴタイ・ハンはノースグラードの包囲に3万を残置し、4万5千の兵力で熊三郎支隊の北西方に布陣する。


 だが、両軍はすぐには戦端を開かなかった。熊三郎支隊は野戦築城を急ピッチで進めつつ、ノースグラード包囲陣地に幾度となく夜襲をしかけ、ノースグラードとの連絡を試みた。ザーバトヌイ・ハン国軍も決戦のために兵力の回復に努めた。


 16日朝、4万8千まで兵力を増強したザーバトヌイ・ハン国軍は熊三郎支隊への攻撃前進を開始した。スゴタイ・ハンにとって、熊三郎支隊の早急な撃破は自分の戦略の為に必須であったし、しかも被害を局限しなければならなかった。熊三郎支隊には中島隼人皇帝はいない。つまり、第2ロマーニ帝国軍主力との戦闘も後に控えているのである。

 ザーバトヌイ・ハン国軍は北西から属国軍により圧迫しつつ、騎馬民族部隊1万が熊三郎支隊の後背に迂回を始めた。




 「ふむ……。弓騎兵が1万か……。これでは騎兵戦は出来んな。南に伏せている騎兵連隊全てを防御陣地に入れて、下馬戦闘の準備をせよ」


 熊三郎は騎兵戦の不利を直ぐに理解し、陣地防御による火力戦に切り替える。機動戦は兵力でも練度でも敵に1日の長がある。所詮「東方打撃軍」は新兵の寄せ集めでしかない。勝利よりも、敗北を避ける事が東方打撃軍の重要任務である。あくまで隼人率いる主力の到着まで持ちこたえる事が任務なのである。


 東方打撃軍の騎兵部隊は全員騎兵銃を持って、馬ではなく胸壁に身を預ける。目前にザーバトヌイ・ハン国軍騎馬民族部隊が現れたのは、配置完了から3分後の事である。




 「!!……」


 スゴタイ・ハンは第2ロマーニ帝国軍の後背に出て歯噛みする。事前の偵察では、敵は後輩に騎兵を隠していた。それは勝敗分岐点で投入される決戦兵力である事は間違いなかった。だから属国軍を前に出して精鋭で迂回、これを撃滅する作戦であった。

 だが眼前では歩兵が胸壁の後ろで銃を構え、馬が丘の頂上に移動している。


 敵はこれまでのような騎士ではなく、我々のような騎兵を用意している。騎士は野戦で下馬する事はほぼない。騎乗がステータスだからだ。だが騎兵は単に馬に乗った兵士に過ぎない。だから下馬をためらわない。


 目論見は大きく外れた。騎兵戦のつもりが、ちょっとした攻城戦に変化した。だが攻撃を中止する事もできない。作戦はすでに動いている。そして君主である自分が敵に背を向けると、国内の忠誠が維持できない。

 幸い、胸壁は高くはなく、柵も堀もない。強襲が成功する可能性は十分にあった。


 「突撃!!」


 スゴタイ・ハンは先頭に立って強襲をしかける。前方から白煙と銃声。側の近衛兵2人が落馬して、後続に踏みつぶされる。さらに後ろでは同じ事が拡大して起こっているが、気にする者はいない。足を止めたら敗北と死しかないのだから。

 弓の射撃開始を命じる。同時に再び発砲煙。今度は周りでは倒れる者はいない。後ろからは落馬の音が聞こえるが、数は先ほどより少ない。敵も焦っている。返礼とばかりに矢がこちらから飛ぶ。敵は頭を下げるが、命中はほとんど無い。敵の指揮官の怒声が聞こえる。胸壁に槍が生えた。パイクほどは長くない。騎兵槍だ。スゴタイ・ハンは少し安堵する。

 胸壁が目の前に迫った。敵が再度射撃。多くの馬の悲鳴が聞こえる。だがあと少しだ。スゴタイ・ハンは槍を構えて胸壁を飛び越えた。




 3時間の戦闘で後背の敵騎兵は突破を諦めて撤収した。追撃の余力はない。予備歩兵全力の増援で突破は阻止したが、一時は司令部から敵騎兵が目視できるほどであった。その時は熊三郎が刀を抜くほどであったが、桜の護衛で司令部に詰めていた近衛兵の咄嗟の射撃により指揮官が腕を負傷、辛うじて司令部蹂躙は防がれたのであった。しかし、後背の守備をしていた騎兵は損耗4割で戦闘続行は不可能。予備歩兵ですら損耗2割5分だ。どちらも再編成が必要であった。

 30分後には前方の敵歩兵が撤退を開始。これに東方打撃軍は陣前出撃を行って追撃、大なる戦果を挙げたが、敵騎兵の側面攻撃に追撃は頓挫。こちらも損耗が3割に達した。




 ザーバトヌイ・ハン国軍の損耗も深刻であった。騎馬民族部隊は損耗5割に達し、その全てが戦死者と捕虜となった。属国軍も損耗4割。こちらも戦死者と捕虜で埋まっている。スゴタイ・ハンも腕に負傷して残余、2万8000。包囲軍と合わせてようやく6万であった。包囲の続行には兵力不足だ。ノースグラードと東方打撃軍両方を包囲する事はできない。騎馬民族部隊の損耗を見ると、戦後の統治にすら支障が出かねない。

 スゴタイ・ハンは国の命運を賭けた戦いに負けたのだ。だが、スゴタイ・ハンは諦めなかった。否、諦める事ができなかった。このまま撤退しては第2ロマーニ帝国軍の追撃を受け、属国も反乱を起こし、国が瓦解する事は目に見えていた。第2ロマーニ帝国軍の主力との決戦での勝利。皇帝隼人との決戦での勝利以外に活路はもはや存在しない。

 5日後の21日、ザーバトヌイ・ハン国軍は包囲を解き、ノースグラード北方8キロの丘に撤退、築城を始めた。だが、脱走者が増え始め、その数を徐々に減らして行くのだった。


 これを見て、東方打撃軍はノースグラードに入城、北方支隊と合流して食糧、武器弾薬を運び入れてノースグラード市民の歓迎を受けた。これが22日午後の事である。ノースグラードは司令部以外、全市が2日間にわたってお祭り騒ぎとなった。

 また、隼人軍主力が到着する27日までザーバトヌイ・ハン国軍の属国軍からの脱走者、脱走部隊がノースグラードに合流、その数は3000余名を数え、『特設東方連隊』として編成された。




 隼人隊主力はノースグラードに入城せずに決戦に備え、1800年2月29日には北方支隊、東方打撃軍と合流した。それに先立って27日から隼人の本陣に東方打撃軍と北方支隊司令部、つまり桜、熊三郎、モーズリー中将が合流した。


 「おかえりなさい!」


 そう言って桜が一番に隼人に抱き着く。隼人も久しぶりの桜の姿に、多くの目にも関わらず受け止める。


 「ただいま、と言うにはまだ早いかな?まだ仕事があるからな」


 そう言う隼人は苦笑を浮かべるが、喜びの感情も隠せていない。エーリカ、梅子、熊三郎もその姿に苦笑を禁じ得なかった。

 抱擁が終わると、隼人は熊三郎の手を取って肩を叩く。


 「熊三郎も久しぶりだな。せっかく引退したのに戦場に引っ張り出すはめになってすまないな」


 「なに、老骨の最後の舞台としては十分じゃ。むしろ感謝したいほどじゃ」


 熊三郎も老い故か、去年よりも武人の雰囲気が緩んでいるように感じたが、それは熊三郎の老いなのか、隼人の成長故か。だが覇気と精気は未だに健在である。


 最後に控えていたモーズリー中将にも同じように手を取り、肩を叩く。


 「北方支隊の活躍、見事である。その活躍に報いるために、忙しいところすまないが、報告書を早めに頼む」


 「了解です、陛下。ただ、北方支隊のみではなく、ノースグラード市民の活躍もあっての事でした。報告書は早めに上げますので、市民にもご高配を賜りたく」


 「わかった。そのためにも詳細が知りたいから報告書を頼む」


 「承知しました」




 「さて、私はようやく6万を連れてきたが、ノースグラードの兵力と状態はどうだ?」


 一通り司令部要員を労った隼人はザーバトヌイ・ハン国軍の撃滅のための会議に移る。


 「北方支隊とわしの東方打撃軍を合わせて動かせるのはおよそ歩兵4万じゃな。一応民兵と負傷兵が2万ほどかき集められるが?」


 「さすがにそれはノースグラードで警戒にあたってもらおう。士気や武器弾薬、体力に問題は?」


 「士気は最高潮です。装備も熊三郎様が運び入れてくれたので万全です。野戦重砲も動かせます。ただし、砲兵もかなり消耗してしまいましたので砲の全ては動かせません」


 熊三郎とモーズリー中将の報告に兵員の消耗が、特に北方支隊に大きい事を理解して頭痛がする。特に技術職の砲兵を消耗しているところが痛い。とはいえ、ノースグラードを見ただけで激戦であった事は理解できるので責める気は起らないが。


 「砲が健在であるだけでも助かるな。では明朝より本隊で敵前3キロの地点で陣地を構築、29日までに北方支隊と東方打撃軍は合流し、3月1日をもって敵陣地を攻撃、これを撃滅する。敵兵力は5万を割っており、士気も落ちているようだが油断せずに砲兵で陣地を崩してから騎兵と砲兵の援護を受けた歩兵で敵を追い落とす」


 「正攻法、といったところかの?数、士気でも有利であれば基本が1番じゃな」


 「まさしく、ですな。砲の整備を急がせます。何せ、攻城戦初日に弾薬を使い切ってからは倉庫にほったらかしですからな。さすがに錆びてはいませんが」


 モーズリー中将の北方支隊の自虐に笑いが漏れる。最も未熟な東方打撃軍の司令部要員ですら笑みを浮かべているところから、かなりの激戦で鍛えられたと察せられる。


 「敵が撤退する可能性は?」


 「それはほぼないな。撤退するには遅すぎる」


 梅子の確認を込めた質問にエーリカが即答する。真の理由こそ判明していないが、撤退できない理由があるのだろうという事は共通認識だった。




 攻撃陣地の選定、攻撃計画の策定に指揮系統の確認などを終わらせると夕刻となり、桜と炊事部隊の作った食事が運ばれる。マリブールで製造が始まっている醤油と味噌、みりん、煮干しに海藻などをふんだんに使った肉じゃが、味噌汁、それに米か白パンを選ぶ。これらの材料は東方打撃軍が運び込んだものだ。隼人や梅子は補給の都合で長く食べられなかった和食に舌鼓を打つ。

 食後に今日最後に大きな笑いを取ったのは桜の言葉だった。


 「医療部隊はまだ大忙しですからね。皆さんまで治療する余裕がないので、皆さんまで負傷しませんように!」


 この冗談に明るい笑いが漏れ出て、同時に損耗を局限する必要に身の引き締まる思いをしたのだった。この冗談を飛ばした桜の目は隼人を見つめて止まっていた。


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