第123話 ノースグラード 四銭を超えて 後編
お待たせしました!第123話です。今回も主人公勢は出番なし。次回から熊三郎達が再登場します。
今回はいつもよりちょっと長めです。
帝国歴1800年1月17日の夕刻。夕刻とはいえ、ノースグラードは緯度が高いので時間はそんなに遅くはない。先ほど終わった激戦からそれほど時間は経っていない。
にもかかわらず、前哨陣地の方向から太鼓の音と突撃の喊声が上がる。そしてほとんど時を置かずに第2ロマーニ帝国軍の小銃の発砲音。どうやら戦闘が始まったようだ。
第1陣地の後方地帯で待機中のヘインズ上等兵は泥のように眠っていたが、戦闘騒音にきっちり目を覚ます。そして少しの間自分の部隊に命令が下りないか耳に注意を集中させ、自分の部隊への命令がない事を確認すると、再び睡眠に入った。眠る事も仕事の内だ。疲れた体を休ませ、戦闘に耐えられる体力を作る。部隊に新たな命令が下るまでは。
しかしそれもすぐに再び中断される。体を誰かに揺さぶられたからだ。おっくうに目を開けると、昨日からの縁の美少女、レナータが焦った顔で自分を呼んでいた。
ヘインズは彼女を安心させようと、ふてぶてしい笑みを浮かべ、「どうした?」、と要件を聞く。
「何を言っているんですか!?敵襲ですよ!敵襲!」
その言葉に彼女が志願兵である事を思い出す。ヘインズは彼女の頭をポンポンと叩き優しく諭す。
「レナータ、大丈夫だ。落ち着け。あれは俺達とは関係ない。全然だ」
「ヘインズさん!?何を言っているんですか!?敵が攻撃してきたんですよ!?」
「そう騒ぐな。俺達の部隊への命令は?まだ無いだろう?つまり、俺達への命令は『体を休めろ』だ。お前も昨日からほとんど寝ていないだろう?そんな状態で長時間戦えるか?」
「それは……そうですけど……」
「まあ、不安にはなるわな。いつ敵がここまで来るか分からないからな。だから、俺達はいつでも戦えるように体を休めなきゃならない。分かるか?」
「うう……、確かに……そうです……けど……」
レナータは不承不承ヘインズの隣に座り込む。その顔からは恐怖が見て取れる。ヘインズは彼女の頭を撫で、安心させようと試みる。
「まず、味方を信じろ。前線では味方が何とかしてくれる。俺達が戦うのは、前線の連中の手に負えなくなった時か、交代になった時だ。今前線にいる奴らも強い。だから大丈夫だ。俺達の出番が来るまではゆっくり体を休める。分隊長命令だぞ」
『分隊長命令』という言葉に自嘲するヘインズ。しがない上等兵が定員割れの集成分隊の長をやっている。自分達の部隊が酷く消耗している証だ。自分達の部隊が前線に呼び出される事態。それは破滅的な情勢であるだろう。
だが、その自嘲の笑みを余裕の笑みと捉えたのか、レナータの表情から恐怖がある程度取り去られる。
「ま、いざ出撃となったらお前は俺の側から離れるな。絶対に生き残らせてやるからよ。とりあえず今は寝る事だ。お前も疲れているはずだ」
そう言ってヘインズは銃を担いだまま、真新しい塹壕に背を預けて目を閉じ、騒音の中ですぐに寝息を立て始める。
「うう……。理屈は分かるんだけどなぁ……。……って、ヘインズさん?……もう寝ちゃってる。兵隊さんってすごいんだなぁ」
レナータはヘインズの寝入りの良さに呆れつつ感心して、自分も眠ろうと目を閉じる。耳に入るのは銃声、喊声、悲鳴、そして寝息。彼女は中々寝付く事ができなかった。
レナータは肩を揺さぶられて意識を覚醒させる。いつの間にか、あの騒音の中で眠っていたらしい。彼女は自分の疲れを自覚する。目の前にはヘインズ上等兵。何かを怒鳴っている。今度は両頬をはたかれた。彼女はようやく意識を取り戻す。
「……-タ、レナータ!起きたな。出撃命令だ。前線部隊の後退を援護する。俺に続け!」
(起きたらレナータが肩に頭を乗せているんだもんなぁ。それに、あの寝顔に寝起きのトロンとした顔。出撃前にイイモンが見れた。……明日もこの顔を見れるように生き残らんとな)
空は満天の星空で、日付はまだ変わっていなかった。
スゴタイ・ハンは第2波攻撃を属国軍に任せた。騎馬民族部隊が疲れていた事が主な原因だが、損害も無視できなかった。騎馬民族部隊はザーバトヌイ・ハン国の統制の要である。彼らの血を流し続ける事はできなかった。騎馬民族部隊はすでに2割が死傷していた。
そして属国軍は士気は高くなかったが、期待通りとまではいかないまでも、失望はさせない働きをしてくれた。22時になってようやく敵陣地の突破に成功したのだ。まだ敵陣地は2つあるが、敵も疲れている。それに、後ろの2つの陣地は前回の戦闘の損傷が癒えていない事が分かっている。スゴタイ・ハンは属国軍による第3陣へ前進命令を出し、先鋒だった騎馬民族部隊に属国軍を肉付けした部隊を第4陣として攻勢準備に入るように命じた。
モーズリー中将ら北方支隊司令部は重い空気に支配されていた。築城に力を入れた前哨陣地はすでに悲鳴を上げていた。前哨陣地の撤収作戦はすでに策定されている。だが、問題は第1、第2陣地だった。これらの陣地は修復が完全ではない。そもそも、これらの陣地を守れたのは大砲という名の神のおかげだった。今、その戦場の神は力を失っている。
参謀達は前線部隊をどのように損害を最小限にしつつ第1陣地に撤収させるか議論している。沈黙しているのはモーズリー中将と参謀長だけだ。2人の視線は地図の市街地を向いていた。その地図には赤い線でいくつかの防御陣地予定地を示していた。もちろん現地には何もありはしない。
「市街戦になるな……」
モーズリー中将の陰鬱な声が司令部によく通った。参謀達が議論を途切れさせる。
市街戦は市民に被害が出るため、極力避ける方針であった。戦後の統治を見据えてだ。だが、戦況はそんな政治の都合を許容してくれるようには見えなかった。モーズリー中将は立ち上がって参謀達に努めて明るい声で新たな指示を出す。
「諸君、ノースグラード市内の防御陣地の構築と、第1、第2陣地の撤収計画を作ってくれたまえ。前哨陣地の撤収は速やかに実行だ。計画案を裁可する。今出ている分でいいから出してくれたまえ」
18日昼、防御陣地守備隊は敵騎兵の追跡を受けながらも、方陣の援護下でノースグラード市内への撤収に成功。多くの兵が倒れたが、部隊をさらに半分にすり減らされたヘインズ上等兵の部隊と、ヘインズ上等兵自身、そしてレナータも撤収に成功した。
この時点でザーバトヌイ・ハン国の残存戦力11万8千、北方支隊の残存戦力は志願の民兵を根こそぎ集めて3万2300であった。そして戦いはクライマックスを迎えるのであった。
18日夕刻、ノースグラード北側防壁周辺市街は赤い炎に照らされ、銃声と剣戟の音、そして叫び声があちらこちらで響いていた。
ヘインズ上等兵の歩兵第3連隊第2大隊第4中隊第2小隊集成第1分隊は2人の民兵の増援(中年女性と老齢の男性)を得て6人で防御陣地……とある商会の建物の配置についた。ここはノースグラード市内第3防衛線だ。
だが、ヘインズ上等兵の機嫌はすこぶる悪かった。どう見てもここは2個分隊……20人ほどで守るべき陣地だからだ。上はヘインズ上等兵の部隊の活躍を高く評価し、1人当たり3~4人分の働きができると思って計画を変更しなかったようだ。代わりに全員分の銃が割り当てられたが……。
もちろんヘインズは第2小隊の小隊長……本来は先任下士官であるはずの上官に抗議したが、第2小隊で一番マシな部隊がヘインズの部隊で、中隊どころか大隊に掛け合っても兵隊は逆さに振っても出ないと言われたと謝られた。先任下士官は第2小隊のもう1つの部隊、集成第2分隊に応援に行くそうだ。あそこは増援を入れても4人しかいない。生き残った本職の兵隊は1人だけだ。そして第2小隊の部隊はこれが全てであった。さらには第4中隊は第3小隊を丸々1個失っていた。中隊長はあらゆる伝手で部隊の再建に努めたが、大隊から割り当てられたのは会計科の少尉と憲兵隊の准尉、そして輜重科の兵6人に民兵11人の計19人だった。こいつらがお隣さんだ。
ヘインズは撤退と築城で疲れ切っているレナータらの部下に対して、商会の要塞化を指示していく。まず正面玄関以外の出入り口を閉鎖、扉に板を打ち付けてさらに家具で押し破られないように補強する。それができたら全ての窓にも同様の処置を行う。火をかけられた時の脱出に備えて3階の窓を1カ所だけ開けられるようにしておく。ヘインズを含めた6人でこの作業を行う。
何とか作業を終えたのは、第2防衛線で戦闘が激しくなってからであった。それからは銃を扱った事がない民兵に使い方を教えていく。全ては生き残るためだ。レナータには何度も睡眠をとるように勧められたが、「死にたくなければ銃を扱えるようになれ!」と叱咤して鬼のような、自分の嫌いなタイプの教員になって部下を兵隊に仕立て上げた。
ようやく全員が銃を扱えるようになり、少しでも休もうとした時、先任下士官がこっちの防御陣地に向かって戦況を大声で伝える。
「第2防衛線で後退命令が出た!第4防衛線は築城中だ!もうすぐ敵が来る!味方の兵も後退してくるから、誤射はするなよ!」
「了解!……クソッたれ」
ヘインズは敵を呪う。睡眠すらとらせてくれないのか。
「レナータ、今日は何日だ?」
「ええと、19日です。あれから4日目です。それから朝ごはんです。ここの商会にあった保存食ですが……」
「そうか。ありがとう」
ヘインズは乾パンと干し肉を受け取る。かじってみるが、味が分からない。相当疲れているらしい。レナータはヘインズのコップの水が少なくなると、水差しで注いでくれる。味はしないが、何とか水で流し込む。ヘインズは気づかなかったが、みんなチラチラとヘインズの顔を見て心配している。それほど酷い顔をしていた。
味気ない食事を終えると、戦闘騒音が徐々に近づいてくるのが分かる。全員を配置につかせる。3人は正面玄関の階段の先の2階、ヘインズとレナータ、そしてもう1人が2階の窓。ヘインズは2階から敵味方の情勢を見る。少し先の角で遅滞戦闘を行っているようだ。だが限界も近い。徐々に後退してくる味方から秩序が失われていく。潰走して右往左往している民兵にはヘインズと先任下士官が自分の陣地に来るように声をかける。そうしてヘインズの集成第1分隊は13人にまでなった。
遅滞戦闘を行っている味方の部隊が見えた。数は少ないが、統制は保っている。部隊を3つに分けて交互に後退と支援射撃を行っている。その部隊が道路の向こう側の角の建物に入って行く。その隣、ヘインズ分隊の向かい正面は先任下士官の部隊だ。ちなみにヘインズ分隊の側の角の建物が第3小隊だ。
第2防衛線最後の部隊が建物に入って1分もしないうちに敵の兵士が目に入った。属国軍の徴集兵だ。散々数で苦しめてきた連中だ。士気も練度も低いのが救いだが。
「撃ち方用意。俺の発砲に合わせろ。以後は自由射撃」
2階窓部隊のヘインズら5人が銃を構える。少し時間をかけて、ヘインズは冷静に先頭で剣を掲げる指揮官らしき敵に照準を合わせる。発砲。先頭が倒れる。敵の動きが止まる。続いて部下がバラバラと発砲。さらに2人が倒れる。先任下士官の籠る部隊からも発砲。さらに2人が倒れる。右往左往し始めた敵が2つの建物から狙い撃ちされる。第3小隊と第2防衛線殿部隊は角の向こうの道路の敵と戦っているようだ。たまに矢が第3小隊の建物に打ち込まれる。
ヘインズは発砲を続けながら、残弾を気にかけ、いつ戦闘が終わるのかと一抹の不安を覚えた。
スゴタイ・ハンは敵陣地を一気に抜けた事を喜んだが、その後の市街戦の厄介さに機嫌を悪くしていた。
「敵は建物1つ1つ、1部屋1部屋に籠って抵抗しています。民兵も多く、損害が多いです。属国軍も士気が落ちています。……一度引く事も考えては?」
「分かっている!だがもう少し、もう少しなのだ!」
同じ騎馬民族の側近の提言にも耳を貸さない。損害は属国軍は5割近く、騎馬民族部隊も3割以上になっている。だが、ここで引けば再び今の前線まで押せる自信がなかった。時間は敵を利する。すでに西に出した斥候からは3万の第2ロマーニ帝国軍の接近の報がもたらされている。
「……あと少し、今夜まで攻勢を続ける。今夜までに何としてもノースグラードを落とせ!」
「分かりました」
「……ここまで酷い戦は初めてだな」
「ええ、やはり、第2ロマーニ帝国は異常ですな」
2人はそれから黙って燃えるノースグラードを眺め続けた。
モーズリー中将は人口密度の下がった司令部で防衛線の策定作業や部隊の再配置に追われていた。人口密度が下がった原因は、急遽集めた民兵の指揮のために参謀が指揮官として前線に向かわざるを得なかったからだ。
「第4防衛線はこんなところか」
「そうですね。第5防衛線までの構築を考えると、これ以上検討する時間はありません」
「ではすぐに通達してくれ。……もし第5防衛線が破られれば、この城に籠城だな」
「ですな」
作戦畑をかじった人間はもう司令部にはモーズリー中将と参謀長しかいない。司令部も休み無しであった。そこへ物資の状況を自ら確認に行った補給参謀が戻って来る。
「おう!補給参謀、どうだった?」
「武器弾薬の不足と輸送手段の欠如が深刻です。弾薬は持って1カ月でしょう。ですが食糧は3カ月分は確保できています」
「武器弾薬はどうにもならんな。何とか持たせてくれ。それにしても、意外と食糧の備蓄があったのだな」
「ええ、食べる人間が減りましたからね……」
「そうか……」
「輸送手段の欠如も深刻です。前線には弾の1発、パンの1つも運ぶ手段がありません。どの道も激戦区で補給部隊が入る隙がありません」
「そうか……。第4防衛線を策定したから、そこに物資を運び入れてくれ」
「分かりました。全力を尽くします」
補給参謀が陣頭指揮のために司令部を出ると、入れ替わりに通信参謀が入室する。
「マリブールからの援軍ですが、到着は来月頭になるとのことです」
「そうか。間に合うか分からんな。その情報はしばらく伏せておいてくれ」
「了解です」
通信参謀も通信室の監督に戻るために報告だけして司令部を出ていく。
「……持って後1日2日くらいか」
「酷い戦いですな……」
「まあ、仕方ないさ。子供まで志願してくるんだ。我々もできる限りの事をするぞ。一先ずは第5防衛線の策定だ」
司令部の明かりはこの4日間、消えていなかった。
ヘインズ上等兵は最後の1発まで弾を使いきり、2階窓組を連れて正面玄関階段に向かった。正面玄関は敵の死体が折り重なっていた。
「状況はどうだ?」
「入口がないせいで敵さん、向こうの第2分隊からと俺らの射撃でこっちに踏み込めていませんな。上等兵殿は?」
「俺も先任下士官も弾切れだ。ここからは自分らで何とかせにゃならん」
「それは悪い知らせですなっと」
部下の1等兵が建物に侵入を図った敵を射殺する。
「ここからが本番だぞ。生き残るために死力を尽くすんだ!」
ヘインズの激に皆が頷く。皆一様に疲労の色が濃い。ヘインズも障害物を背に銃に着剣した。太陽はすでに沈み、街の火が夜空を照らしていた。
その後も断続的な戦闘が続いたが、夜もだいぶ更けた頃、銅鑼の音が長く、連続して鳴り響いた。ヘインズ達は緊張する。敵の何らかの合図だ。更なる突撃であろうか?
しばらくして、後方から喊声と銃声が聞こえる。敵に後方を襲われたか、と覚悟したが、向かいの建物から先任下士官が大声で怒鳴ってきた。
「敵が撤退しているぞ!後方の部隊は味方の追撃だ!俺達の勝ちだ!」
各所で歓声が上がり始める。ヘインズ分隊でも歓声が上がる。ヘインズは呆然とする。勝ったという事が信じられない。
そんなヘインズにレナータが抱き着く。
「ヘインズさん!勝ちました!生き残りましたよ!しかもみんなで生き残りました!ありがとうございます!」
「ああ、そうか。勝った……のか……」
ヘインズは己の銃を見る。煤だらけで、ライフルは目に見えてすり減っている。銃剣も敵の血に濡れている。
彼が本当に勝利を認識できたのは、補給部隊が運んできた温かいシチューを口にした時であった。
ノースグラードの戦いは19日深夜に終わった。この時点でザバートヌイ・ハン国の残存兵力7万1千、北方支隊の残存兵力1万8千であった。この後、両軍は負傷兵の治療を行いつつ睨み合いを続ける事になる。