第117話 セリニュ会戦 金床とハンマー
第2ロマーニ帝国軍は、最も敵の圧力が低いと予想される、湿地帯に面した左翼に、数の割に戦力の劣る貴族軍を配置し、中央、右翼には直轄軍を配した。特に敵の攻撃が集中すると予想される、北西方面突出部には古賀中将が指揮する最精鋭の近衛歩兵師団を配置し、砲兵も他の方面に比べて増強している。そして右翼には騎兵の3分の2を集中させ、さらに丘の背後に残りの騎兵と、歩兵第1師団より抽出した旅団規模の歩兵を予備戦力として置き、エーリカの指揮下に入った。
そして堀、土塁などで陣地を強固なものとしているが、右翼より西には陣地は最低限しか築いていない。戦線が固定される防御戦は他に任して、右翼では機動戦を行う余地を残す形だ。
南は河なので、南の防御は気にしなくても良い事が有利だが、反面、敵に全周包囲されると背水の陣になる危険もはらんでいる。士気が比較的低い貴族軍などは背水の陣が長期にわたると戦力を喪失しかねない。しかし第2ロマーニ帝国軍はすでに周辺の村で現地調達によってかなりの量の食糧を集積しており、長期戦自体には耐えられる。
一方でこの事はコンキエスタ教皇領、タラント王国連合軍が現地調達できる食糧が激減する事を意味し、連合軍は短期決戦を挑む必要に迫られる。明朝帝国歴1799年8月12日からでも攻撃が始まっても不思議はない情勢であった。
そして12日昼過ぎ。隼人は昼食を終えて本陣を出て、今日何度使ったか分からない望遠鏡を覗き込んだ。
「……敵は動かないな」
連合軍は砲兵の射程外に陣を敷き、微動だにしない。長期戦に備えている様子もない。周辺の村々から食糧を収奪しているようだが、陣地を構築している様子は見られない。むしろ末端の将兵は戦勝気分で浮かれているのか、河で水浴びをしている姿さえ見受けられた。
「……なぁ。夜襲でちょっかいかけてきてもいいか?」
エーリカが連合軍の規律の緩さについそんな言葉を発してしまう。
「……敵さんはもう勝った気でいるようだな。連中に戦争というものを思い出させてやるのもいいが、授業料はできるだけ吹っ掛けたいものだ」
「そうだな。夜襲をかけるとなると、全軍出撃で敵を打ち破る事になる。危険度が高すぎるな。今は決戦時期ではないか」
隼人の言葉から意図をくみ取ってエーリカは夜襲案を取り下げる。
「おそらく敵は我々をどう攻めるかで揉めているのでは?間諜の報告では敵の総指揮官はガメロ枢機卿とのことだが、枢機卿だけでも他に7人が従軍しているし、タラント王国軍はタラント国王が総指揮官だが、敗戦続きで求心力が落ちている。今まで戦らしい戦をしていなかったせいで、主導権争いが発生しているのだろう」
梅子が敵の現状を予測する。これは大当たりで、連合軍は3つの派閥に別れ、分裂していた。攻城兵器を集めて突出部を叩き潰す事を主張する派閥、地形障害を無視して弱体な第2ロマーニ帝国軍左翼を叩く事を主張する派閥、陣地の弱い右翼に回り込んで攻撃する事を主張する派閥。そのどれもが誤った主張ではなく、連合軍の実体が貴族と傭兵の寄せ集めである事から、これといった方針はまだ決まっていなかったのだ。
「またかよ。敵が無能である事は嬉しいが、あまり兵を長く緊張状態には置けんぞ」
隼人は敵の無能を嘆く。隼人は接敵してすぐの戦闘を考えていたため、将兵のコンディションを今日最高になるように調整していたのだ。今は陣地の強化工事を進めて誤魔化しているが、疲労と緊張の長期化は間違いなく士気低下につながる。そもそも防御側はその行動が積極的ではないので士気、規律の維持が難しい。短期決戦のお膳立ては整えたはずであり、両陣営ともに短期決戦を望んでいながら、その動きは緩慢そのものであった。
15日昼前になって連合軍はようやく重い腰を上げた。下馬騎士を含む歩兵が左翼から右翼北部に展開し、右翼北西には騎兵を中心とした部隊が近づく。これに対して隼人は右翼の騎兵を東方に延翼させて戦闘に備える。連合軍は夕刻になって布陣を終え、両者の間で緊張が高まって一夜が明けた。
そして明朝、連合軍の本陣に太陽の意匠が施されたモニュメントが掲げられた。ソラシス教の信仰のシンボルである。全軍突撃の合図であり、これは聖戦であるとの激励でもある。大砲、トレバシェット、カタパルトが突出部に射撃を開始するとともに敵歩兵が前進し、左翼には湿地に足をとられながら敵歩兵が接近する。
これに対して第2ロマーニ帝国軍はお得意の砲兵射撃によって応じた。攻城兵器が四散し、歩兵が吹き飛ばされる。連合軍は多大な犠牲を払いながらも陣地に取りつき、各所でライフル銃が発砲煙を上げ、白兵戦も開始された。
右翼でも両軍の騎兵が激突。激しい騎兵戦がしばらく続き、数に劣る第2ロマーニ帝国軍が押されて南東に向けて敗走を始める。ここで連合軍は勝ったと思ったに違いない。さらに勢いを強めて追撃する。だが彼らは、第2ロマーニ帝国軍が敗走と称するには統制がとれ過ぎている事に気づいていなかった。
「畑中将め、上手くやったな」
エーリカは畑中将の指揮する右翼騎兵の偽退却の成功に獰猛な笑みを浮かべる。
「みんな聞けー!畑中将の敵誘引により敵は我々にその弱体な側面をさらしている!我々はこれを打ち破り、敵後方へ迂回、敵を撃滅する!我々の働きこそが我が軍の勝利をもたらすのだ!全軍突撃!」
エーリカは騎兵と歩兵の混成である予備隊1万2千を率いて、3万を超える敵騎兵の側面に突撃を敢行する。
勝ったつもりでいた敵騎兵から悲鳴が上がる。側面を奇襲されたのだから混乱は当然だ。そしてその混乱はどんどん拡大し、ついに先頭のエーリカが敵騎兵隊の側面を突き抜ける。畑中将の騎兵1万5千も反転し、敵騎兵を一気呵成に攻めたてる。昼までに敵騎兵は散り散りとなって敗走し、雲散霧消してしまった。
エーリカ隊と畑中将隊が合流した2万7千は敵後方に急進、敵の背後から突撃した。
その頃隼人は、次々と殺到する救援要請に、本陣に残していた予備兵力を割り振っていた。特に左翼の圧力が酷い。隼人は地形を見て敵の主攻方面にはならないと見て、防備の戦力、特に直轄軍砲兵の割り当てを減らしていた。
それがどうだ、敵の攻撃は3カ所。右翼、北西突出部、そして左翼に攻撃が殺到した。
最初、隼人はどれか1つが主攻で、他2つが助攻だと判断して敵情の把握に努めた。だがそれは無駄な努力であった。連合軍は議論の妥協案として数を頼みに3つとも主攻として突撃をかけていたのだった。軍隊も人が作る組織である。そうである以上、常に合理性をもって動くとは限らないのだ。
連合軍では枢機卿らと貴族らが右翼への攻撃と突出部への攻撃で揉めに揉め、傭兵は貴族が左翼に集中している事を見て、功績稼ぎに左翼への攻撃を主張した。さらにいえば、傭兵は独自の情報網で第2ロマーニ帝国軍直轄軍が精強である事を知っており、保身に走った面もある。
この事に隼人が気づいたのは昼前。事前に防備を固めていた突出部はともかく、左翼は防衛陣地が崩れかかっていた。
「クソッ、敵は大馬鹿だ!残存予備兵力を全て左翼に送れ!急げ!」
「というと、敵の主攻は左翼なのか?」
「違う。3つとも全部主攻正面だ。連中、数に頼って軍議で妥協して全面攻勢に出てきやがった。敵に合理性を求めた俺が馬鹿だった!」
隼人の罵りに梅子が確認をとり、隼人は己の失策を嘆く。左翼は地形障害に驕って防御陣地すらおろそかだった。このまま貴族軍が突破されれば側背が攻撃を受ける。政治面でも貴族軍に犠牲を強いたとなれば国内統制に支障が出る。そして貴族軍が活躍すれば恩賞も与えねばならず、中央集権化にも影響が出る。
要は左翼は第2ロマーニ帝国にとってのアキレス腱だったのだ。
「クソッ、何が楽な仕事だ!敵の圧力はすごいぞ!」
「あまりそう言う事を言うな。皇帝批判で処罰されるぞ」
「とはいえ陛下の話とは全く違うじゃないか!もうどれだけ兵力を消耗したことか……」
「しかも敵は傭兵ときたもんだ。こんな敵、いくら討っても功績にはつながらんぞ」
「……ちっ。敵の狙いは我々の首か」
「傭兵連中、それで報酬の上乗せを考えているわけか。なんと割に合わない戦か」
第2ロマーニ帝国軍の貴族達が剣や槍を振るいながら決死の防御戦闘を戦っている。討ち死にした貴族も徐々に増えてきており、下級指揮官の騎士に至っては死傷者が多すぎて部下の指揮に困難をきたしていた。ゆえに後方で指揮を執るはずの貴族が前線で指揮を執りながら戦うはめになっている。
「けど、陛下から武器を貸与されていて良かったな。自前の武器だけではすでにみんなであの世行きだぞ」
貴族にしては珍しくライフル銃を使用している貴族が、装填の合間に発言する。
「……貴族のくせに剣も槍も使わないとは、恥ずかしくないのか?」
「まぁ、思うところがないわけではないが、私は剣も槍も苦手だからな。こっちの方が使いやすい。……しかし使うと分かるが、戦の変換点が分かるよ。もう貴族や騎士は役割を終えたんだ」
そう言ってライフル銃で敵の傭兵隊長を撃ち抜く。その傭兵隊長は重鎧をまとっていた。
「立派な鎧、立派な剣技もこの銃の前には無意味だ。そしてこの銃は農民や町民にも扱える。我々の時代は終わりつつあるんだ」
他の貴族は、「それでも貴族か!」と罵りたかったが、貸与されたライフル銃が大活躍している事はこれまでの戦いで目にしている。まして野砲は身分の上下なく敵をなぎ倒している。否定したくとも、現実がそれを肯定している。
「……この戦いが終われば、直轄軍に鞍替えするべきかもな」
この誰かの呟きを否定できる者はいなかった。
「遅くなりました!歩兵第7旅団の本間少将です。直ちに指揮下に入ります」
激戦が続き、昼頃になってようやくまとまった数の増援が左翼に到着した。歩兵約4千だ。ちなみに直轄軍の将官の多くは熊三郎が敷島から連れてきた人材だ。
「1個旅団か。豪勢だな。という事はここが敵の主攻か?」
「いえ、陛下の見解では全正面が主攻だそうです。そして最も守りの薄いここに我々が増援されました。ちなみにこれで予備兵力は尽きました」
「全正面が主攻?……いや、現状を見るに、そう判断せざるを得んな」
「はい。陛下も敵の非合理を罵っておりました。兵は直ちに動かせます。配置はどこになりますか?」
「うむ。まず1個連隊規模で中央との結節点付近に増援してくれ。地形障害が少なく、防備も薄い。突破される恐れがある。残りは後方に残置。私が危ない地点に適時投入する」
貴族軍の総指揮を執るマルタン公爵、第2ロマーニ帝国軍中将が命令を出す。
「了解です。私が直率して直ちに1個連隊を率いて増援します」
本間少将はそう言って敬礼し、すぐに部隊の下に戻る。
「さて、ここが正念場だな」
全般的に押され気味の戦線を眺め、マルタン中将は再度気合を入れた。
中央突出部でも激戦が繰り広げられていた。とはいえ貴族軍ほど苦戦はしていない。古賀中将の近衛歩兵師団は古くから隼人とともに行動を共にしてきた精鋭であったし、独立野砲兵連隊の増援も受けていた。そして何より防御陣地は隼人とエーリカが度々現地指導したほどの堅塁であった。
そこに連合軍の下馬騎士、重歩兵、軽歩兵、そして聖戦という事で参加したソラシス教教皇派の敬虔な信徒たちの津波が押し寄せる。装備と規律に劣るが、士気は高い。倒しても倒しても次々と押し寄せる。防塁の前には莫大な死体が埋まっていた。野砲が榴散弾で敵を吹き飛ばし、ライフル銃の斉射が敵をなぎ倒す。そして時には白兵戦に持ち込まれ、剣と銃剣が相まみえる。
古賀中将は増援がほとんど来ない中で、敵の圧力が低い所から兵力を引き抜いて予備兵力を確保し、それを戦局が厳しい地点に投入する。それで何とか戦線を維持してきた。
昼になって増援された最後の予備兵力が大隊規模だったことに古賀中将は嘆息したが、自分は少なくとも左翼よりはマシな状況でいる事から、高望みはできなかった。そして本陣の予備兵力が尽きたという事は、どこかの戦線が綻べば第2ロマーニ帝国軍全体が瓦解する事を意味している。もう後には引けないのだ。
近衛歩兵師団の役割は敵の攻撃を引き付け、突破されない事だ。そして火力では優っているため、敵の戦線に綻びが生まれれば、それに乗じて中央突破も副次目標として期待されていた。
だが攻撃の余裕は全くない。敵は無尽蔵とも言える兵力を叩きつけている。そしていくら打ち倒しても自軍の屍を踏み越えて突撃してくる。本命の作戦が成功しなければジリ貧であった。
そして13時40分頃、戦局が一挙に変わる。エーリカ率いる右翼部隊2万7千が敵中央後方に食らいついたのだ。連合軍の本陣が蹂躙され、そのまま近衛歩兵師団を攻める敵中央部隊後方を襲撃する。
いかに士気が高くとも、前後から攻撃されれば混乱する。しかも本陣も蹂躙されたので上からの命令も来ない。この時点でタラント王国軍はすぐに戦意を喪失してしまった。彼らは右往左往し始め、簡単に蹂躙される。
一方で近衛歩兵師団を猛攻するコンキエスタ教皇領軍は攻撃を諦めない。これは聖戦なのだから、勝利を未だ確信していたし、戦死してもその功徳が保証される。
だが彼らもエーリカ隊と陣前出撃した近衛歩兵師団によって撲滅される。しかし彼らは文字通り最後の1人まで抵抗を続け、ついに撲滅されるまで3時間の時を要したのである。
その頃の左翼では、連合軍の敗退を感じ取った傭兵達が決死の敗走に移っていた。もちろん第2ロマーニ帝国軍貴族軍はそれを見逃さない。これまでの恨みを晴らさんとばかりに追撃し、散々に打ち破った。
「『金床と槌作戦』、辛うじて成功したか……」
全ての軍事行動が終了した夕刻、隼人は1人つぶやいた。
『金床と槌作戦』、戦術としては極めてシンプルである。左翼から中央が金床となり、右翼騎兵がハンマーとなって敵の後方から襲い掛かる。機動戦術の基本にして金字塔である。そして右翼騎兵の劣勢は偽退却と予備隊による奇襲によりこれを覆す。
だが敵の数が多く、士気も高かったため、その勝利は薄氷の上に立ったものだった。実際に、第2ロマーニ帝国軍の死傷者は1万5千を超える。その中でも貴族軍の死傷者の割合が比較的多い。忠誠心のある貴族を多く失った事も痛いし、貴族軍を見殺しにしたとの対敵宣伝に利用されかねない。
この勝利で第2ロマーニ帝国包囲網は打破したが、戦争はまだ続くのだ。戦後処理が上手くいって初めて戦争は終わる。タラント王国及びコンキエスタ教皇領の接収とバクー王国との折衝、アーリア王国内戦への介入と、しばらくはマリブールに帰れそうにない。勝利してもその先は難題だらけであった。
今回のセリニュ会戦で、連合軍は26万の兵力をほぼ全て失った。連合軍の死傷者、捕虜は22万を超え、枢機卿の全員とタラント国王も戦死者に名を連ねていた。逃走に成功した兵もほとんどが傭兵であり、おそらくは連合軍に戻る事はないであろう。もっとも、逃走した傭兵が盗賊となる可能性が大きく、治安の安定に多大な労力が割かれそうではあるが。戦後は募兵と練兵、そして盗賊狩りによる治安の回復が急務であろう。
しかし、何はともあれ勝ったのだ。そして今のところ、有力な敵は存在しない。隼人は多大な犠牲と引き換えに、一時の安堵を得たのであった。