第111話 破門と報復
2019/03/05 先に警視庁を設置していたことを忘れていた事に気付いて、帝国警察の辺りを修正。話の筋には影響ありません。
帝国歴1799年2月2日、遥々コンキエスタ教皇領から派遣されたアンザーニ枢機卿はようやく目的地である第2ロマーニ帝国首都、マリブールに到着した。
「10年ほど昔は辺境の小都市であったそうだが、その面影はないな」
アンザーニ枢機卿がマリブールを見ての最初の感想がこれであった。
すでにマリブールとブレストは城壁で接続されており、その中心のマリブール新市街も整備されつつあった。一時期の流民の流入は無くなったが、以前の流民もマリブール市民として新たな生活に順応しており、国軍の盗賊狩りで奴隷の供給も絶えていない。マリブールはすでに大陸屈指の巨大都市に名を連ねていた。
「しかし大きいだけで優美さが足りぬな。それに、妙な臭いもする」
この時の新マリブール城は、天守閣についてはコンクリートの打ち込みが終わっていたのだが、まだ大理石が張られてはいなかった。この時期は不気味な灰色の構造物でしかなかったのである。
そしてマリブールの工業区画では製鉄所や各種工場から煤煙がもうもうと吐き出されていた。都市内交通でも蒸気機関車が実用試験で煤煙を吹き出しながら走り、さらには幹線道路ではない場所では鉄道馬車が通り、馬糞をまき散らしていた。
馬糞の回収は今でもできているのだが、下水道などの処理施設の整備が追い付いていない。煤煙問題も隼人が音頭をとって研究している真っただ中だが、研究者でさえ必要性を感じていない者がいる始末である。おそらく必要性が周知される前に公害問題が発生する事は避けられないだろう。
「ふむ、これが迎賓館か。華やかではあるが、下品ではないな。それなりに気品がある」
アンザーニ枢機卿は迎賓館を気に入った。だが実際の所、活気あふれるマリブール自体を気に入っていたのかもしれない。後世発見された彼の日記によると、空気が汚い事以外は、人々の活気や第2ロマーニ帝国の先端技術を絶賛している。
だが、彼の仕事が終わると、その評価は罵りに近くなる。彼の仕事は翌3日朝一番に教皇庁の決定を隼人に伝え、その返答を持ち帰る事だった。
2月3日朝、アンザーニ枢機卿は迎賓館内部にある臨時の謁見の間に案内された。
謁見の間は本来王城の中に作られるものだが、新マリブール城は未完成で、仮御殿も実用一点張りで、優美さに欠けていたので現在は迎賓館に置かれているのだ。アンザーニ枢機卿は案内中にその事情を聞き、中島隼人が成り上がり者であるとの認識を強めた。
とはいえ、謁見の間自体は他国と比べてそれほど劣るものではなかった。内装は新マリブール城の謁見の間に移される予定だから当然ではある。
だがアンザーニ枢機卿が不快に思う点が2つあった。まずアンザーニ枢機卿が入室した時、玉座が空だったのである。この時代は教皇庁の権威が他国にも影響を及ぼしており、教皇の使いである枢機卿は他国の王と同等に扱われる事が通例だったのである。そしてアンザーニ枢機卿が困惑したもう1つの点は、貴族と同じ位置である下座に立たされた事であった。本来ならば玉座の近くまで案内される事が通例であったからだ。この2つの点はアンザーニ枢機卿を著しく不機嫌にさせた。
そこへ隼人がローネイン宰相やマチルダ総理大臣などを引き連れて謁見の間に入室し、アンザーニ枢機卿に何も声をかけずに玉座に腰を下ろした。完全に枢機卿を格下として扱った振る舞いであった。
「遠路遥々よく来られた。居城が完成していないため、仮の謁見の間で接見する事になったが、どうか許してほしい。さて、教皇猊下は私に何の御用ですかな?」
「隼人陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。陛下はつい最近玉座についたばかり。その中でこれだけの歓待を受け、嬉しく思います」
隼人の人の好さそうな笑みと言葉に、アンザーニ枢機卿は隼人が成り上がり者である事の嫌味を混ぜて挨拶する。だが周りはともかく、隼人にはこの嫌味が分からなかった点が残念である。
「本日は教皇庁の決定を教皇猊下から預かっております」
アンザーニ枢機卿の言葉に隼人は侍従にうなずいて書状を取りに行かせる。アンザーニ枢機卿は書状を直接隼人に手渡せるとばかり思っていたので、ここでも隼人の教皇庁軽視に不快感を抱く。
侍従は教皇の書状の入った箱を丁寧に確認してから隼人に渡す。隼人は玉座に座ったまま無造作に書状を取り出し、そのまま目を通す。その行為に教皇庁の権威に対する敬意は見られない。見ている閣僚らもこれには困惑している。宮内大臣のエモン子爵などは顔が真っ青だ。
そして隼人はそんな周りを気にせずに書状を読み進めるが、次第に険しい表情になっていく。書状の内容を要約すると、「中島隼人を破門する。破門を解く条件は、教皇庁への寄進、免罪符の購入、教典の印刷停止、回収、ガリア王国のオラス王子への返還、『非人道的兵器である(先進的過ぎて他国にとって不都合な)』ライフル兵器の破棄、イベリア地方北西部のタラント王国への返還、聖戦への参加」であった。隼人にとってはとうてい容認できないものだった。隼人は書状をローネイン宰相に渡し、立ち上がる。それを見たアンザーニ枢機卿は教皇庁からの口頭の通達を伝える。
「教皇猊下は条件次第で交渉に応じる心構えでございます。どうか猊下の御心を……」
しかし隼人はその声をさえぎって宣言する。
「我々は教皇庁の恫喝に屈しない!私はそもそもソラシス教徒ではない!私は破門を恐れない!」
隼人の宣言に謁見の間にいた全員が絶句する。アンザーニ枢機卿は顔を真っ赤にし、書状を読んだローネイン宰相などは顔を真っ青にしている。
しばらくの沈黙の後、ローネイン宰相が隼人に耳打ちする。
(陛下、ここは一度協議のために時間を作るべきです)
(しかし宰相、こんな要求飲めんぞ。こんなもの、相手にする必要は……)
「本日の謁見はこれまでとします。正式な回答については明日の謁見で返答いたします」
隼人の言葉さえぎってローネイン宰相が終了を宣言する。隼人も不承不承承知し、アンザーニ枢機卿が退室する。それに続いて隼人らが退室し、騒然としている貴族達も帰っていく。隼人の教皇庁との対決姿勢はこの日、明確になったのである。
「陛下!あの発言はまずいですぞ!我が国のソラシス教徒全てを刺激しますぞ!」
ローネイン宰相が隼人に叱責に近い苦言を呈する。
「ソラシス教徒はソラシス教徒でも我が国ではほとんどが清教派だろう?そんなに影響があるのか?そもそも、教皇庁は何万の兵力を保有しているのかね?」
隼人は妙なところで現代日本人の感覚が残っているため、信仰心というものを軽く見ている。そもそもソラシス教教皇派とソラシス教清教派が争っている事も知っているので、教皇庁の影響力を軽視しているのだ。それに加え、隼人は宗教が政治に関与する事を嫌っているし、中央集権化を目指しているので、宗教団体を邪魔に思っていた。この悪感情が教皇庁の権威の軽視や、先の敵対宣言につながっているのだ。
「……隼人、私もこの件はまずいと思うぞ。教皇庁は清教派にも一定の影響力を持っている。敵対すると国内の貴族も民衆も動揺するぞ」
「隼人さん、宗教勢力は治癒魔法を教えているのですよ。それだけでも大きな力を持っている事はわかるでしょう?いくらかの譲歩は必要だと思いますよ」
マチルダと桜も宗教勢力の重要性を説く。しかし隼人の態度は変わらない。
「ああ、確かに宗教は人々の生活に密着している事は認めるよ。でも、だからと言って何で宗教が政治にまで口を出さねばならない?特に教皇庁は権力を持ち過ぎだ。我が国は皇帝に権力を集中させねばならない。こんなところで後退するわけにはいかんのだ」
「隼人、ルブランが教皇庁とタラント王国だけでなくアーリア王国やバクー王国でも何らかの策動をしている事は報告しているはずだ。むやみに敵を増やすべきではないぞ」
梅子も教皇庁との敵対は避けたいようだ。
「わたくしもあの隼人の宣言は大失言だったと思いますわ。あれは全てのソラシス教徒を敵にしかねませんもの。……とはいえ、言ってしまった時点で引き返せないですわ。教皇庁の面子を完全につぶしたのですもの。明日違う事を言っても今度はこっちの権威が暴落しますから、もう敵対するしかありませんわ……」
セレーヌが憂鬱に嘆息する。この意見には誰も否定できず、会議室は重苦しい空気に包まれる。
「……まあ、今の我が国の軍事力なら包囲網を敷かれても勝てるさ。……国内が安定していればの話だが」
エーリカが空気を明るくしようと気楽な事を言うが、問題点も浮き彫りにしてしまう。
「国内の安定か……。これは十分に配慮する必要があるな。教会から武力と財力を取り上げる必要があるかな」
「そ、それはまずいぞ!武力は盗賊からの自衛に必須だから、教会に死ねと言うようなものだ」
「そこは国軍で守ればいいのでは?」
マチルダの反対意見に隼人は能天気な発言をする。
「それは貴族から軍を取り上げるよりも厄介ですわよ。教会は貴族よりも自立精神旺盛ですわ」
セレーヌも隼人の発言を否定する意見を出す。
「しかし国内の統制は必要だ。今回の破門に対する報復措置として国内の引き締めは行っていくべきだろう」
この隼人の言葉に一同は不承不承うなずく。すでに隼人が教皇庁と敵対する発言を公式の場でしてしまった以上、譲歩は隼人の権威を大きく下げる。それは建国したばかりの第2ロマーニ帝国にとって、国内の統制に大きな危険を伴うので、もう後には退けない。議題は軍備の増強と国内の引き締めに移っていくのだった。
明くる4日の朝、再び隼人とアンザーニ枢機卿との接見が行われた。昨日の事があるので、空気は重苦しい。隼人は昨日の会議で決まった宣言を読み上げる。
「我が第2ロマーニ帝国は教皇庁のいかなる恫喝にも屈しない。その結果として教皇庁が私を破門するならば、それを甘受する決意である。
また、破門に対する報復措置として、全ての宗教団体への土地の寄進、聖戦への参加を禁止する。また、内務省管轄の警視庁を帝国警察と改称し、国内の複数の領地が関係する犯罪の捜査を一元して行う。この帝国警察の捜査はいかなる宗教団体、貴族をも妨げる事はできない。
以上だ」
この宣言に、アンザーニ枢機卿だけでなく全ての列席した貴族は驚いた。まず対抗措置をとる事自体が想像の範囲外だったが、土地の寄進や聖戦がソラシス教教皇派だけでなく全ての宗教団体に禁止された事が宗教関係者の驚愕を生んだ。さらに帝国警察の権限拡大はこれまでの貴族、宗教団体の既得の警察権を侵害するものだった。そのあまりの急進さに列席者は混乱の極致にあった。
「……陛下のお心はよくわかりました。それでは本日をもって中島隼人を破門する事を決定します。それでは失礼します」
アンザーニ枢機卿は怒気を発しながら堂々と退室していく。皇帝を破門した以上、枢機卿として隼人に敬意を払う事は罪となったので、非礼な態度で退室したのだ。
この日を境に、ソラシス教教皇派の教会を中心に教会領の反乱が続発する事になる。第2ロマーニ帝国は反乱を起こした宗教団体と協力した貴族から武力と土地を取り上げ、見せしめにする事で国内の統制を何とか保つ事に成功し、同時に貴族と宗教団体の力を削いでいく。
だがこの政策は既得権益層の不満を燻ぶらせ続ける。この火種は大陸西部全体を巻き込んだ大乱につながっていくのだった。
帝国警察は現状、火付盗賊改みたいなもの。徐々に日本式の国家警察を目指す予定。




